正統カリフ
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正統カリフ(せいとうカリフ、الخلفاء الراشدون - al-Khulafā’u r-Rāshidūn、アラビア語で「正しく導かれた代理人たち」の意)は、イスラム教・イスラム帝国の初期(アラビア語: الخلافة الراشدية - al-khilāfat ar-Rāshidīyah - en)の時代においてイスラム共同体(ウンマ)を率いたカリフのことを指すスンナ派の用語。正統カリフ4代のうちアブー・バクルを除く3代の正統カリフが暗殺されてこの世を去っている。
目次
1 歴史
1.1 アブー=バクル
1.2 ウマル
1.3 ウスマーン
1.4 アリー
2 ウマイヤ朝の成立
3 歴代カリフ
4 関連項目
歴史
アブー=バクル
632年に神の使徒ムハンマドが死去した後、アブー・バクルがイスラム共同体の長に選出された。
リッダ戦争(632年 - 633年)。ドゥーマト・アッ=ジャンダルの戦いを指導し、634年に病没する。以降は、同様にイスラム共同体の合議によって選出され継承を行った。
ウマル
634年にカリフに選ばれ、636年ヤルムークの戦い・カーディシーヤの戦い、642年ニハーヴァンドの戦いを指導する。644年に刺されて、息を引き取る前に後継者候補と選挙方法を残した。
ウスマーン
644年にカリフに選ばれ、サーサーン朝を滅亡させるなど、遠征を終結した。海軍を整え、655年、マストの戦いで、東地中海の制海権を確保した。クルアーンの制式版を編纂し、版ごとの異同をなくした。656年政策に不平を持つムスリム兵の謀叛により殺害される
アリー
656年ウスマーンの跡を継ぎカリフになる。ムハンマドの妻アーイシャとの確執とムアーウィヤとの対立により内乱に直面する。
第一次内乱(656年 - 661年)。
656年、ラクダの戦い(アラビア語: موقعة الجمل mwaqah al-jamal)。
657年、スィッフィーンの戦い。
ムアーウィヤとの講和によりハワーリジュ派が起こる。対立カリフをなのったムアーウィヤとの戦いに追われる中、661年にハワーリジュ派の刺客によって殺害される。
ウマイヤ朝の成立
661年にアリーがハワーリジュ派に暗殺された後、ウマイヤ家のムアーウィヤが実力でカリフ位に就いてウマイヤ朝を興した。ムアーウィヤはカリフ位世襲の道を開いたため、正統カリフの時代は終焉した。
歴代カリフ
アブー・バクル(632年 - 634年)
ウマル(634年 - 644年)
ウスマーン(644年 - 656年)
アリー(656年 - 661年)
関連項目
- カリフ
- クライシュ族