瀬野八
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瀬野八 | |
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山陽本線八本松駅 - 瀬野駅間 | |
所在地 | 広島県東広島市・広島市安芸区 |
位 置 | 北緯34度26分28秒 東経132度40分6秒 / 北緯34.44111度 東経132.66833度 / 34.44111; 132.66833座標: 北緯34度26分28秒 東経132度40分6秒 / 北緯34.44111度 東経132.66833度 / 34.44111; 132.66833 |
標 高 | 347 m |
通過路 | 国道2号 山陽本線 |
プロジェクト 地形 |
瀬野八(せのはち)とは、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線八本松駅 - 瀬野駅間 (10.6km) の通称である。本区間は広島県東広島市と広島市安芸区にまたがっており、鉄道としては急勾配の坂となっている。また、近世山陽道の大山峠[補足 1]に平行する形で軌道が設置されており、この区間は鉄道開設以前からも難所となっていた。
目次
1 概要
1.1 運用
1.2 電力設備増強工事
2 後部補機
2.1 蒸気機関車時代の補機
2.2 電気機関車時代の補機
3 本区間を題材にした出版物
4 参考文献
5 関連項目
6 脚注
6.1 補足
6.2 出典
7 外部リンク
概要
この区間は、山陽鉄道により1894年(明治27年)6月10日に開通した。同社は急勾配を避ける方針で路線を敷設したが、この区間に関しては経済性を優先して最短経路で敷設したことから、特に上り線は、瀬野駅から八本松駅に向かって22.6‰(パーミル)[補足 2]の連続急勾配区間となった。
ルート決定に対し、別案として現在の芸備線沿いを通る緩勾配案や、熊野町を抜けるルートも検討されていた[1]。開業時の時代背景として、日清戦争開戦直前で、軍部がルート変更をしてはいけないとする強い意向も存在した事実もある[2]。このため蒸気機関車時代から現在の電気機関車に至るまで、開業以来上り列車には補助機関車(補機)を連結するボトルネック区間となった。
八本松駅から瀬野駅の間には「JR西日本 八本松変電所」と「JR西日本 瀬野変電所」の2か所の変電所が整備され、上り側は架線がツインシンプルカテナリー式になっている。1894年から1986年(昭和61年)までは、補機を駐在させるための瀬野機関区が瀬野駅に隣接して設置され、また中間地点には1912年(明治45年/大正元年)から1939年(昭和14年)まで上瀬野信号所が存在した。
瀬野変電所
八本松変電所
瀬野機関区跡
上瀬野信号所跡
架線は下り側(手前側)はシンプルカテナリー式に対して、上り側(奥側)はツインシンプルカテナリー式になっている
運用
現在は補機を連結するのは貨物列車のみであるが、かつては旅客列車や荷物列車にも補機が連結されたほか[補足 3]、2002年(平成14年)まで、一部列車では走行中補機解放が八本松駅構内下関側で行われていた[補足 4]。このため補機専用機関車は、EF67形100番台をのぞき、連結器解錠用テコにシリンダーを装備して走行中解放に対応したほか、EF61形200番台・EF67形基本番台の貨車連結側となる東京方にはデッキを装備している。また、蒸気機関車時代には上り列車だけでなく、勾配を降りる下り貨物列車にも貨車の制動能力不足を補うために補機を連結していたが、これは1931年(昭和6年)の空気ブレーキ採用で廃止され、以後は上り列車のみ補機を連結し、八本松駅で列車から解放された補機は瀬野駅へ回送で折り返す形となった[3]。
現在では補機の連結・解放は瀬野駅や八本松駅では行われておらず、広島貨物ターミナル駅で連結され、西条駅で解放している。瀬野駅構内には、本区間で使用する補機を配置する瀬野機関区があったが1987年(昭和62年)に廃止され、広島貨物ターミナル駅近くにある広島機関区に統合された。
1962年(昭和37年)の電化後は、EF53・EF56形を改造したEF59・EF61形を投入。従来の機関車牽引列車のみならず、動力分散方式の151系電車を使用した特急「つばめ」や153系電車による急行にも、搭載するMT46形主電動機の1時間定格出力が100kWのためMT比1:1では出力が不足することや、過負荷による主電動機の異常過熱が問題[補足 5]となり、補機が連結された(「山陽本線優等列車沿革」の項目も参照)[4]。
機関車は自動連結器(自連)、153系電車は密着連結器(密連)のため、神戸方を密連・下関方を自連としたアダプター的な意味合いの控車とした湘南色塗装のオヤ35形(0番台)を連結した。
後に1時間定格出力120kWのMT54形主電動機が開発され、151系電車は181系電車に改造の際にMT54形に換装。153系電車は一部が165系電車に置き換えられた他、引き続き153系が使用された列車は付随車を減車してMT比を3:2とすることで対応し、本区間での補機連結は発展的解消を遂げた。しかし、国鉄末期の短編成化でMT比が1:1となって以降、本区間の営業運転には抑速ブレーキとノッチ戻し制御を装備した車両に限定しているため、近郊形電車は平坦線用の113系電車ではなく115系電車が投入されるほか[4][補足 6]、かつて103系電車が瀬野で広島方面へ折り返していたのも同様の理由である。
2015年3月から広島地区に導入された227系は、国鉄時代の車両に比べて出力が大幅に向上しており、抑速ブレーキも備わっていることから、瀬野八の通過に支障のない仕様となっている[5]。
電力設備増強工事
本区間周辺では、2002年度より水島臨海鉄道を事業主体とした電力設備等増強工事が行われた。これは、JR貨物在籍電気機関車中で最大出力となるEF200形(1時間定格出力6,000kW)を用いて本区間で最大1,300tの重量級貨物列車の運転を行うためのもので、この工事により、従来変電設備の制約によりEF200形に課せられていた、EF66・EF210形と同等に抑えられる出力制限を解除する目的があった。
具体的な工事内容としては、八本松変電所の変電能力増強工事のほか、EF67形電気機関車の解放作業・待避を行う西条駅の有効長を1300t列車対応とするための延伸工事などである。
この工事は2007年(平成19年)2月に完成し、同年3月18日のダイヤ改正よりEF66・EF200・EF210形による1,300t列車の運用が開始されたが、2009年(平成21年)9月現在でも、EF200形の出力は出力制限は解除されていない。
後部補機
蒸気機関車時代の補機
- 8350形
- 8450形
- 3300形
- 2120形 (B6)
- 2900形
- 9600形
- D50形
- C52形
- D51形
- D52形
- C59形
電気機関車時代の補機
- EF59形
EF61形(0・200番台)
EF67形(0・100番台)
EF210形(300番台)
ごく短期間だが、EF58形や1964年の山陽本線横川 - 小郡(現・新山口)間電化まで、東京 - 九州間寝台特急牽引運用の昼間時間帯間合いでEF60形500番台も投入された。
荷物列車の後補機運用中のEF59 21(1984年)
貨物列車の後補機運用中のEF61 204(1984年)
貨物列車の後補機運用中のEF67 1(1984年)
イベントで展示中のEF210 301(2012年)
本区間を題材にした出版物
推理小説『特急さくら殺人事件』(西村京太郎) - 本区間での走行中解放をトリックに使用。- 漫画『カレチ』(池田邦彦) - 第16話「セノハチ」
参考文献
- 高橋正雄「瀬野機関区物語」『鉄道ファン』交友社 1963年5月号 No.23 pp.16 - 19
- 庄田秀「山陽本線 瀬野越え補機の回送と現況」『鉄道ファン』交友社 1974年8月号 No.160 pp.14 - 30
- 椎橋俊之「「SL甲組」の肖像 第42回 瀬野機関区 西の函嶺を押し上げる」『Rail Magazine』ネコ・パブリッシング、2007年9月号 No.288、pp.51 - 68
関連項目
- 広島シティネットワーク
新垂井駅 - 勾配緩和のため増設された東海道本線の迂回経路にあった駅。
碓氷峠 - かつて、信越本線の列車が同区間において補機を使用していた。
板谷峠 - かつて、奥羽本線の列車が同区間において補機を使用していた。
御殿場線 - かつて、同線(当時は東海道本線)の「函嶺越え」区間において補機を使用していた。- 日本の峠一覧
脚注
補足
^ 大山峠は近世山陽道にある峠で八本松町宗吉の南辺から、飯田、広島市安芸区上瀬野に至り(広島県文化百選5・道編 中国新聞社 p.28を参照)、瀬野八よりも南に存在する。広島ヨリ赤間関ニ達スル鉄道線路撰択ノ件には「七條椛坂」と「瀬野峠」の記載があるが、七條椛坂は瀬野川支流の椛坂川上流の地名である。
^ 1000メートルあたり22.6メートルの高低差。
^ 1953年(昭和28年)に運転を開始した特急「かもめ」など一部の優等列車は瀬野駅を通過するため、広島駅から補機を連結していた。
^ 過去には1930年(昭和5年)10月に運転を開始した特急「燕」が、1934年(昭和9年)12月の丹那トンネル開通以前は現在の御殿場線の勾配区間経由とされていたため、下り上りとも御殿場駅構内で、1943年(昭和18年)10月の太平洋戦争激化による廃止まで25‰の勾配が存在していた下り大垣駅 - 関ヶ原駅間対応後柏原駅構内で、それぞれ走行中補機解放を行っていた事例がある。
^ 電動車を増やせば自力登坂も可能だが、編成が変わり、他の列車と共通使用できなくなる、電気を多く使用し不経済であるなどのデメリットや変電所容量などでも問題があるため、補機連結策が採用された。
^ 国鉄時代末期までは6両編成が基本でMT比が2:1だったため、抑速ブレーキのない80・153・111/113系が瀬野八を超えていた。
出典
^ 『広島駅七十年のあゆみ』p.4
^ 中国新聞 夕刊1972年7月26日 p.6
^ 庄田秀「山陽本線 瀬野越え補機の回送と現況」『鉄道ファン』1974年8月号 No.160 p16
- ^ ab鉄道ジャーナル「国鉄車両の現在 3.115系」杉本聖一、p.91
^ JR西日本鉄道本部車両部「227系近郊形直流電車」、『鉄道ファン』、交友社、2015年3月、 61 - 64頁。
外部リンク
瀬野駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道
八本松駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道