長野総合車両センター
長野総合車両センター | |
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長野総合車両センター | |
基本情報 | |
鉄道事業者 | 東日本旅客鉄道 |
帰属組織 | 長野支社 |
所属略号 | 長ナノ、長野 |
整備済み車両略号 | 長野総合車セ、NN |
配置両数 | |
内燃機関車 | 1両 |
電車 | 203両 |
気動車 | 20両 |
合計 | 224両 |
備考 | 2018年7月1日現在のデータ[1][2][3] |
長野総合車両センター(ながのそうごうしゃりょうセンター)は、長野県長野市西和田二丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)長野支社の車両基地および車両工場。北長野駅付近に位置している。
JR在来線で初めて、車両基地と車両工場を一体化させた区所である。
鋳物職場では鋳鉄制輪子やNN46ブレーキライニング(ブレーキパッド)などを製造している。なお、JRの車両工場で鋳物職場が現存するのは当センターと北海道旅客鉄道(JR北海道)苗穂工場のみである。
また、鉄道博物館建設に伴い、大宮総合車両センターでの解体作業が終了したため、首都圏で使用された電車の廃車に伴う解体作業も実施している[4]。
目次
1 配置車両の車体に記される略号
2 整備済み車両の車体に記される略号
3 歴史
4 配置車両
4.1 電車
4.2 気動車
4.3 機関車
4.4 過去の配置車両
5 その他
6 脚注
7 関連項目
配置車両の車体に記される略号
旅客車 - 「長ナノ」…長野支社を意味する「長」と、長野を意味する電報略号の「ナノ」から構成される。
機関車 - 〔長野〕[5]
整備済み車両の車体に記される略号
「NN」「長野総合車セ」(「長野工」→「長総車所」→「長野総合車セ」と推移。)
歴史
1888年(明治21年)5月1日 - 官設鉄道関山 - 長野間の延伸開業に併せて、長野機関庫を開設。
1890年(明治23年)2月16日 - 上水内郡芹田村大字栗田(現・長野駅東口)に内閣鉄道局長野器械場発足。
1893年(明治26年)10月1日 - 逓信省鉄道局に移管のうえ、長野器械場を長野工場に改称。
1897年(明治30年)8月18日 - 逓信省鉄道作業局に移管。
1907年(明治40年)4月1日 - 逓信省帝国鉄道庁に移管[6]。
1908年(明治41年)12月5日 - 内閣鉄道院中部鉄道管理局に移管。
1920年(大正9年)5月15日 - 鉄道省名古屋鉄道局に移管。
1936年(昭和11年)9月1日 - 長野機関庫を長野機関区に改称。
1942年(昭和17年)9月11日 - 鉄道省新潟鉄道局に移管のうえ、長野工場を長野工機部に改称。
1943年(昭和18年)11月1日 - 運輸通信省新潟鉄道局に移管。
1945年(昭和20年)6月1日 - 運輸省新潟鉄道局に移管。
1945年(昭和20年) - 上水内郡吉田町に長野工機部吉田分所を設置。
1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道新潟鉄道局に移管。
1952年(昭和27年)8月5日 - 長野工機部を長野工場に改称。
1964年(昭和39年) - 長野工場吉田分所を長野工場本工場に、(旧)長野工場本工場を栗田分所に改称。
1966年(昭和41年)7月25日 - 長野機関区、長野客貨車区などを統合して長野運転所が発足。
1969年(昭和44年) - 長野工場栗田分所を廃止し、本工場に集約。
1973年(昭和48年) - 残っていた蒸気機関車が運用からはずれ無煙化完了。
1986年(昭和61年)9月1日 - 長野運転所と長野運転所第二分所を統合し、長野第一運転区発足[7]。
1987年(昭和62年)3月1日 - 長野第一運転区が北長野運転所に改称[7]。- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道に継承。
1991年(平成3年)7月1日 - 長野工場と北長野運転所を統合し、長野総合車両所発足[8]。
2000年(平成12年)2月25日 - ISO9001認証取得。
2004年(平成16年)6月1日 - 長野総合車両センターに改称[8]。
配置車両
2018年4月1日現在の配置車両は以下の通り[1][2][3]。
電車 | 気動車 | 機関車 | 客車 | 貨車 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|
203両 | 20両 | 1両 | 0両 | 0両 | 224両 |
電車
211系(192両)
- 6両編成(N601 - 614編成)14本、3両編成(N301 - 327・331 - 339編成)36本が配置されている。
- N601 - 606編成(0番台)およびN317 - 327編成(1000番台)はセミクロスシート、N607 - N614編成(2000番台)およびN301 - N316・N331 - N339編成(3000番台)はロングシートとなっている。
- N301 - 305・331 - 339編成は幕張車両センターから、N306 - 327編成は高崎車両センターから、N601 - 614編成は東京総合車両センターからの転入車であり、当センターで長野色への配色変更や耐雪設備の強化等の改造を実施している。
- 高崎車両センターから転入した車両のうち一部(N306 - 316・317 - 327編成)は、種別表示がLEDとなっている。
- 2013年3月16日のダイヤ改正より、8編成(N301 - 305・331・332・339編成)が導入され、信越本線(篠ノ井 - 長野間)、篠ノ井線(全線)、中央本線(塩尻 - 富士見間)、大糸線(松本 - 信濃大町間)で営業運転を開始した[9][10]。
- 2014年(平成26年)3月15日のダイヤ改正では、新たに12編成(N306・311 - 313・316・320・333 - 338編成)が導入され、中央本線(富士見 - 立川間)およびJR東海の中央本線(塩尻 - 中津川間)、飯田線(飯田 - 辰野間)まで運用範囲が広がった。また、これに伴い115系の半分以上が置き換えられた。
- 2014年10月までに16編成(N307 - 310・314・315・317 - 319・321 - 327編成)が転入し、1000番台と3000番台が出揃った。
- 2014年5月から0番台6両固定編成の転入が始まり、同年6月1日より運用を開始した。2015年10月までに2000番台と合わせて6両固定14編成が転入し、115系の運用置き換えが完了した。
189系(6両)
- 6両編成(N102 - あさま色)1本が配置されている。
- 主に平日朝に塩尻 - 長野間で運行される快速「おはようライナー」に充当される。信越本線の長野 - 直江津間が経営分離されるまでは、普通・快速「妙高」や、しなの鉄道線の快速「しなのサンライズ号」などでも運用された。過去には、特急「みのり」で新潟駅までの運用実績もある。臨時列車では、快速「ムーンライト信州」、特急「あずさ」などに使用されることが多く、豊田車両センター配置のあずさ色189系の検査時には「ホリデー快速富士山」の代走もある。団体臨時列車に使用されることもあり、それらをあわせて頻繁に首都圏に乗り入れている。
- 主に、1997年の北陸新幹線(高崎 - 長野間)先行開通以前に在来線のエル特急「あさま」で運用されていた189系を、普通車のみの6両編成に組み替えた編成である。N101編成は制御車に房総・総武特急で使用後、「あずさ」で運用されていたクハ183-1525・1528が組み込まれていた。これは臨時特急「はまかいじ」を当センターで担当することになった際、京浜東北線・根岸線へ乗り入れることからATC-6形搭載の必要があったためで、元々東京地下駅乗り入れ用にATC機器室を装備していた同番台車が松本車両センターから転入したものである。
- N104編成は大宮総合車両センターからの転属車であり、2013年7月30日から運行を開始した。なお、N104編成は「妙高」などの定期運行列車には充当されず、「あずさ」の臨時増発時など、主に臨時列車として用いられていたが、2015年3月に廃車となった。また、車体の老朽化および189系電車の余剰化に伴い、N103編成も同月に廃車となった。
- また、183系2両が組み込まれていた国鉄色のN101編成についても2015年5月17日のさよなら運転終了後に廃車[11]。これにより当センター所属の189系はあさま色のN102編成のみとなり183系は廃形式となった。
- 2015年2月にN102編成が検査から出場した際、「ASAMA」のロゴが復活した。
115系(3両)
- 訓練車の3両編成(N15編成)1本が配置されている。塗装は基本的には長野色であったが、現在残っている訓練車は湘南色である。なお、過去にはC1編成が横須賀色、N9編成が湘南色とされていた。
- 2015年3月14日のダイヤ改正までは中央本線(立川 - 塩尻 - 中津川・岡谷 - 辰野 - 塩尻間)、大糸線(松本 - 信濃大町間)、篠ノ井線(全線)、信越本線(篠ノ井 - 柿崎間)、飯田線(飯田 - 辰野間)およびしなの鉄道線(篠ノ井 - 軽井沢間)の普通列車で運用された。しかし、同日のダイヤ改正において信越本線長野 - 妙高高原間がしなの鉄道北しなの線へと移行されたことにより、C編成を除く115系の長野支社管内での定期運用は終了[12]。また、しなの鉄道区間への当車両センター所属115系の乗り入れも終了した。さらに211系の導入が進んだことで、2015年10月をもって、C編成を含む115系の定期運用が全て消滅。その一方で善光寺御開帳開催などの多客時には篠ノ井線でE127系の代走としてN9編成が充当された。
- C編成は2007年3月に松本車両センターから転入した車両で、主に中央東線で運用されていた。また2010年(平成22年)12月のダイヤ改正までは、通常時は豊田車両センターM40編成を充当していた快速「むさしの号」代走運用に投入されたケースがある。
- N1 - 16編成は東海旅客鉄道(JR東海)管内である中央西線・飯田線やしなの鉄道線への入線が可能で、2007年にJR東海所有の115系が全廃となった後も引き続き、2012年のダイヤ改正まではJR東海区間へ乗り入れていた。なお、N21以降の編成はJR東日本管内のみで運用された。
- 全編成がセミクロスシートである。ただしN29編成は一時期、ロングシート化された。
- C5 - 11編成および、N1・3・5 - 7・11 - 14・16・21・24 - 26・28・29・32・33編成は、内装などの更新を施工したリニューアル車両。
- 2014年3月15日のダイヤ改正以降、211系が追加導入されたことに伴い、多くの編成が廃車となった(C2・4 - 14編成、N2・4・5・8・10・16・22 - 24・26・28 - 33編成)。また、C3編成、N3・6・11・14・25・27編成は2015年3月15日までに、N9編成は2015年12月16日付で新潟車両センターへ転出した。
- 北陸新幹線延伸後に経営分離された際、しなの鉄道に3両編成5本(N1・7・12・13・21編成)が譲渡された。
- C14編成、N4編成が廃車されたことにより、長野支社所属の115系の長野色は廃止された。
- また、C1編成についても、2015年10月28日に定期運用を離脱し、同年11月22日のさよなら運転「ありがとう115系C1編成」をもって、完全に運用を離脱し、2015年11月25日付で廃車となった。これにより、長野支社管内では115系全ての運用が終了した。
クモユニ143形(1両)
- クモユニ143-1の1両が配置されている。事業用(牽引車代用)。
- クモユニ143-3も配置されていたが、2018年8月2日に東大宮操車場へと配給輸送され[13]、同年8月4日付で廃車されている[3]。
クモヤ143形(1両)
- クモヤ143-52の1両が配置されている。2018年3月17日付けで松本車両センターより転入[14]。事業用(牽引車代用)。
気動車
キハ110系(18両)
- 両運転台構造のキハ110形12両、片運転台構造のキハ111形・キハ112形2両編成3本が配置されている。
飯山線(しなの鉄道北しなの線長野 - 豊野間含む)と上越線(越後川口 - 宮内 - 信越本線長岡間)で運用される。また、他線での臨時列車に投入されることもある。- この車両は、特急「秋田リレー号」で使用されていた車両で、同列車の運転終了後に普通列車用に改造・転用された。
- キハ110-235, 236は観光列車「おいこっと」用に改造され、2015年4月4日より同観光列車として運行されているが、平日を中心に定期運用も行う場合がある。この2両はかつて「眺望車ふるさと」と呼ばれ、座席の一部(東側)または全てがレール方向(東向き)に向いており、飯山線沿線の景色が楽しめるようになっていたが、のちに他車と同一仕様に改造された経緯がある。
HB-E300系(2両)
2010年6月9日に東急車輛製造で新製された[15]。- 快速「リゾートビューふるさと」「ナイトビュー姨捨」のほか、イベント列車として使用される。
機関車
DD16形ディーゼル機関車(1両)
- 11号機が配置されている。
- 主に飯山線や小海線での臨時列車や工事臨時列車に使用される。
過去の配置車両
165・169系電車
- 国鉄時代は信越本線の急行「信州」「妙高」「とがくし」や篠ノ井線の急行「天竜」「かもしか」で運用されていた。JR化後は長野県内の普通列車や篠ノ井線・飯田線の快速「みすず」で運用されていた。
- JR化後は地域色として、115系と同様の初代長野色や新長野色の車両の他、急行・快速列車用のリニューアル車として「緑のN」を大きくデザインした塗色の車両も存在した。
381系電車
- 特急「しなの」で運用されていた。国鉄時代の1982年に神領車両区に転属となった。
485系電車
- 6両編成1本(N201編成・ジョイフルトレイン「彩(いろどり)」)が配置されていた。
- クロ481-5503(1号車 - 紫)・モロ484-5024(2号車 - 黄)・モロ485-5024(3号車 - ピンク)・モロ484-5007(4号車 - 水色)・モロ485-5007(5号車 - 紫)・クロ481-5502(6号車 - ピンク)で構成されている。種車は新潟車両センターに所属していた快速「くびき野」用T21・22編成で、改造時に余剰となったクハ481-333・1507は廃車・解体されている。
- 2015年7月に交直切り替え機能を使用不能にし、直流専用車となり、5000番台化された。
- 2017年にラストランを行い、同年10月20日付で廃車[16]、解体された。
489系電車
1997年まで特急「あさま」で運用されていた。
1986年に金沢運転所の「あさま」運用分が移管され、配置されたものである。- 運用は「あさま」「そよかぜ」に限定され、「白山」「ひたち」などといった交流区間へ乗り入れる運用はなかった。
- 運用終了後は廃車された。
12系客車
- 波動用の座席車と、簡易お座敷車、そして正規お座敷列車のジョイフルトレイン「白樺」が配置されていた。
- 「白樺」は当センターの工場部門の前身である長野工場で、1983年に改造されたものである。
- 「白樺」は1995年に後述の14系「浪漫」に置き換えられ廃車された。
14系客車
- 波動用の座席車と、お座敷列車のジョイフルトレイン「浪漫」が配置されていた。
- 「浪漫」は当センターの前身である長野総合車両所で1995年に改造されたもので、両端車にガラス張りの展望室を備えた。
- 「浪漫」は2007年に485系「彩」に置き換えられ廃車された。
キハ58系気動車
- 1997年にキハ110系に置き換えられるまで、飯山線で運用されていた。
- 運用終了後は廃車された。
キハ52形気動車
- 1997年にキハ110系に置き換えられるまで、飯山線で運用されていた。
- 運用終了後は新津運輸区に転出し、米坂線や磐越西線など新潟支社管内で運用された。
その他
1982年11月のダイヤ改正まで、長野運転所に特急「しなの」用の381系電車が配置されていた。- 毎年10月に、「JR長野鉄道フェスタ」(旧称 - 「長野総合車両センターふれあいまつり」)として、センター内を一般公開している。
梅小路蒸気機関車館開設当初、保存蒸気機関車の整備は当センターの前身の一つである長野工場で行っており、多くの車両は最後の全般検査を長野工場で受けている。また、C51形239号機の外装復原も行なっている。その後、現役蒸気機関車の全廃に伴って長野工場での整備を終了し、営業継続機関車については鷹取工場に引き継がれた。鷹取工場の閉鎖後は梅小路運転区で整備が行われている。
脚注
- ^ ab交友社『鉄道ファン』2018年7月号 「JR旅客会社の車両配置表」
- ^ abジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2018夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2018年、p.103-105。ISBN 9784330884189。
- ^ abc交友社『鉄道ファン』2018年12月号 「JR東日本車両のうごき(平成30年8月分)」
^ 「JR東日本長野総合車両センター内で、車両メンテナンス、改造、廃車解体などに協力しています。」とある
^ 「長」で始まる名称を持つ他区との区別のため。長万部機関区の区名札にも「長」は使われず、「万」の旧漢字である「萬」とされていた。
^ 「逓信省告示第174号」『官報』1907年3月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ ab『鉄道ジャーナル』第21巻第8号、鉄道ジャーナル社、1987年7月、 87頁。
- ^ abジェー・アール・アル編 (2016) (日本語). JR気動車客車編成表2016 . 交通新聞社. p. 223. ISBN 978-4330690162. http://shop.kotsu.co.jp/shopdetail/000000001876/005/004/X/page1/order.
^ 『鉄道ファン』2013年3月号 交友社、2013年、p.210 - 。
^ JR東日本長野支社プレスリリース (PDF)
^ びゅうツアー「ありがとう189系 N101編成」
^ 長野総合車両センター所属の115系N編成が運用離脱 2015年3月17日
^ クモユニ143-3が東大宮(操)へ 交友社 railf.jp
^ 交通新聞社『JR電車編成表2018夏』359頁。
^ JR電車編成表2011冬 p.346
^ ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2018夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2018年、p.356。ISBN 9784330884189。
関連項目
- 日本の車両基地一覧
座標: 北緯36度39分28秒 東経138度12分53.6秒 / 北緯36.65778度 東経138.214889度 / 36.65778; 138.214889
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