車掌車
車掌車(しゃしょうしゃ、米: Caboose、英: Guard's van(緩急車))とは、事業用貨車の一種で、車掌が乗務する車両。
貨物は積載しない。主に貨物列車の最後尾に連結されていた。デッキに手ブレーキを持つ。なお、貨物を積載し、車掌も乗務できる車両は「緩急車(かんきゅうしゃ)」と呼ばれる。
本項では日本の車掌車について解説し、日本国外のものについては緩急車の項でまとめて扱うものとする。
日本の車掌車
かつて、鉄道貨物輸送の最盛期だった1970年代まで、国鉄の貨物列車の最後尾には一部の例外を除いて車掌車あるいは車掌室を持つ緩急車が連結されていた。乗務する乗務員は、列車係[1](貨車区や客貨車区に所属の乗務員:運転系統)あるいは車掌(車掌区に所属の乗務員:営業系統)と呼ばれ、列車分離などの事故時に列車防護措置を行っていた。
しかし、貨物列車の牽引機関車が蒸気機関車から電気機関車・ディーゼル機関車に切り替わり、機関車のブレーキ性能が向上したことや、車両の連結両数が減ったこと、さらには経営合理化のため貨物列車の車掌業務を廃止したこと、列車防護無線装置や鉄道無線装置やデッドマン装置の整備などから、1985年3月14日実施のダイヤ改正で車掌車・緩急車は貨物列車には原則として不連結となり運転士だけの乗務となった。これにともない車掌車や緩急車は多くの車両が廃車された。
なお、東海道線の稲沢駅(愛知県稲沢市)と紀勢線の新宮駅(和歌山県新宮市)との間を、関西線・亀山駅・紀勢線経由で運転している紙製品輸送の貨物列車1往復(1990年代前半にコンテナ車編成化)については、2000年8月31日まで車掌車(ヨ8000形)が連結されていた。この列車が、最後まで車掌車を連結していた定期運転の貨物列車となった。また、高山線などのような山岳地帯を通る一部の非電化路線などでも、1990年代初期までは、貨物列車の車掌車連結運転が行なわれていた。
特殊な例であるが、苅田港線では小波瀬西工大前駅で機回しができないため、小倉駅方面発着の列車は前照灯を備えたヨ38000形貨車を連結、車掌車を先頭にして同駅を発着していた。
一般的な二軸貨車は、最高速度が75km/h(一部の旧型形式は65km/h)であるが、車掌車は貨物を積載しないので、後期の形式は柔らかい板バネを取り付けて最高速度を85km/hとしており、急行貨物(後のコンテナ車や車運車で組成された直行貨物)列車に連結されることもあった。
車内は事務机・長椅子・だるまストーブ・ストーブ用石炭置き場(ヨ8000形は当初より石油ストーブ)・ヨ8000形はトイレも設置。床下に車内灯・尾灯用の車軸発電機・蓄電池を搭載していた。二軸緩急車を含め後年石油ストーブ搭載に改装されたものも多く、識別のためデッキ妻板及び車側に白帯を表示していた。
また、帯ではない白塗装すなわち、車掌車(デッキ付の全貨物車両を含め)手すり、ステップ側面の白塗装は、「白塗装されたデッキ側に手ブレーキがある」という意味で、石油ストーブ改装と関係はない。コキフは当初より石油ストーブを搭載しており白帯塗装はないが、手ブレーキありの白塗装はある。
なお、「碓氷峠鉄道文化むら」に展示されているヨ3500のステップ白塗装は単に装飾で、手ブレーキ等と関係はない。
国鉄及びJRの形式称号の用途記号では「ヨ」である。長い貨車の列の最後尾にぶら下がっているような姿から愛嬌があり、落語における与太郎を思わせることから、記号と掛けて「ヨ太郎」と親しまれた。また部内では暖房設備の整備されない老朽車を皮肉って「寒泣車」と呼んだ例もある。
現在では、特大貨物輸送用の貨物列車の係員(添乗監視員)の控車として連結されるケースや、トロッコ列車として使用されているものもある。また無人駅の駅舎などとして再利用されたりもしている(駅舎への再利用についてはCategory:車掌車改造駅を参照)。
主な形式
日本国有鉄道
- ヨ1形
- ヨ1500形
- ヨ2000形
- ヨ2500形
- ヨ3500形
ヨ5000形
1959年に運転を開始したコンテナ特急「たから号」用として登場、塗色はコンテナと同じ黄緑色とした。
- ヨ6000形
ヨ8000形
1974年から製造された国鉄最後の車掌車。
ヨ9000形
1968年、2軸貨車の高速化試験を目的として試作された車掌車。
東武鉄道
- ヨ101形、ヨ201形
秩父鉄道
- ヨ10形
脚注
^ 1973年までは列車掛と表記