パナソニック野球部
チーム名(通称) | パナソニック |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1950年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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練習グラウンド | パナソニックベースボールスタジアム(大阪府枚方市) |
チームカラー | 青色、黒色 |
監督 | 梶原康司 |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 51回 |
最近の出場 | 2017年 |
最高成績 | 準優勝 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 38回 |
最近の出場 | 2017年 |
最高成績 | 優勝(2回) |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
パナソニック野球部(パナソニックやきゅうぶ)は、大阪府門真市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである(練習グラウンドはパナソニックベースボールスタジアムで、合宿所とともに大阪府枚方市に所在する)。
運営母体は、電機メーカーのパナソニックを中核とするパナソニックグループ。社会人野球の激戦区である大阪地区で強豪と数々の名勝負を繰り広げ、今も近畿地区をリードする存在で、数多くの日本代表選手やプロ野球選手を輩出してきた名門である。
目次
1 概要
2 設立・沿革
3 主要大会の出場歴・最高成績
4 主な出身プロ野球選手
5 元プロ野球選手の競技者登録
6 かつて在籍した選手・コーチ・監督
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
概要
1950年に、松下電器産業の本社がある大阪府北河内郡門真町を本拠地に『松下電器野球部』として創部。
1953年の都市対抗野球で初出場し、1960年の都市対抗野球で準優勝を果たした。
1963年8月1日、門真町の市制施行に伴い本拠地が大阪府門真市に変更された。
1974年の日本選手権の第1回大会で初出場すると、1979年と1999年には準優勝となり、2000年の日本選手権では悲願の初優勝を果たした。
2005年、都市対抗野球の阪和地区2次予選においてクラブチームのNOMOベースボールクラブに敗れて都市対抗野球本戦への連続出場が6年で止まるという屈辱を味わった。その後、雪辱を期すべく猛練習を重ね、秋の日本選手権では決勝戦で同じ関西勢のNTT西日本を延長の末破り、2回目の優勝を果たした。
2008年10月1日、松下電器産業がパナソニックに社名変更したのに伴い、チーム名を『パナソニック野球部』に改称した[1]。
2010年、都市対抗野球の近畿地区最終予選でクラブチームの大和高田クラブに敗れ本戦連続出場が4年で止まってしまう。2011年は、都市対抗野球本戦出場は果たしたが近畿地区最終予選で最後の1枠を辛くも確保する形であり精彩を欠いていが、2012年は都市対抗野球に近畿地区第1代表として本戦に出場した。
2016年、都市対抗野球に近畿地区第4代表として出場する。これにより前身の松下電器時代から数えて都市対抗の本選出場回数が通算50回を達成した。この記録は、日本生命(大阪市)以来史上2チーム目となる。
設立・沿革
1950年 - 『松下電器野球部』として創部。
1953年 - 都市対抗野球に初出場(初戦敗退)。
1960年 - 都市対抗野球で準優勝。
1974年 - 日本選手権に初出場(第1回大会・初戦敗退)。
1979年 - 日本選手権で準優勝。
1999年 - 日本選手権で準優勝。
2000年 - 日本選手権で初優勝。
2005年 - 日本選手権で2回目の優勝。
2006年- シーズンオフにシダックス野球部廃部に伴い松坂世代加納大祐投手移籍で加入。
2008年 10月1日- 母体の社名変更に伴い、チーム名を『パナソニック野球部』に改称。
主要大会の出場歴・最高成績
都市対抗野球大会:出場51回、準優勝1回(1960年)
社会人野球日本選手権大会:出場38回、優勝2回(2000、2005年)、準優勝2回(1979、1999年)
JABA静岡大会:優勝1回(1967年)
JABA長野県知事旗争奪野球大会:優勝2回(2009、2014年)
JABA京都大会:優勝6回(1978、1983、1984、1997、2009、2018年)
JABA岡山大会:優勝3回(1965、2001、2015年)
JABA四国大会:優勝3回(1997、2001、2009年)
JABA九州大会:優勝2回(1973、2012年)
JABA日立市長杯争奪大会:優勝1回(1994年)
主な出身プロ野球選手
河野旭輝(内野手) - 1954年に阪急ブレーブスに入団
有田哲三(投手) - 1967年ドラフト8位で広島東洋カープから指名を受け、翌1968年シーズン終了後に入団
日野茂(内野手) - 1967年ドラフト外で中日ドラゴンズに入団
加藤秀司(内野手) - 1968年ドラフト2位で阪急ブレーブスに入団
岡田光雄(投手) - 1968年ドラフト3位で近鉄バファローズに入団
福本豊(外野手) - 1968年ドラフト7位で阪急ブレーブスに入団
上田容三(投手) - 1971年ドラフト9位でロッテオリオンズに入団
吉村健二(内野手) - 1972年ドラフト外で太平洋クラブライオンズに入団
福井保夫(投手) - 1974年ドラフト1位で近鉄バファローズに入団
山口高志(投手) - 1974年ドラフト1位で阪急ブレーブスに入団
高橋寛(捕手) - 1976年ドラフト5位でヤクルトスワローズに入団
福間納(投手) - 1978年ドラフト1位でロッテオリオンズに入団
山田勉(外野手) - 1980年ドラフト4位で南海ホークスに入団
岡本光(投手) - 1982年ドラフト2位で読売ジャイアンツに入団
小原秀天(投手) - 1987年ドラフト外で読売ジャイアンツに入団
潮崎哲也(投手) - 1989年ドラフト1位で西武ライオンズに入団
水本勝己(捕手) - 1989年ドラフト外で広島東洋カープに入団
小池秀郎(投手) - 1992年ドラフト1位で近鉄バファローズに入団
古池拓一(投手) - 1992年ドラフト6位で中日ドラゴンズに入団
原井和也(内野手) - 1995年ドラフト5位で西武ライオンズに入団
建山義紀(投手) - 1998年ドラフト2位(逆指名)で日本ハムファイターズに入団
愛敬尚史(投手) - 2000年ドラフト2位で大阪近鉄バファローズに入団
大久保勝信(投手) - 2000年ドラフト2位でオリックス・ブルーウェーブに入団
岡崎太一(捕手) - 2004年ドラフト自由獲得枠で阪神タイガースに入団
久保康友(投手) - 2004年ドラフト自由獲得枠で千葉ロッテマリーンズに入団
楠城祐介(外野手) - 2008年ドラフト5位で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団
新田玄気(捕手) - 2008年ドラフト5位で東京ヤクルトスワローズに入団
秋吉亮(投手) - 2013年ドラフト3位で東京ヤクルトスワローズに入団
近藤大亮(投手) - 2015年ドラフト2位でオリックス・バファローズに入団
足立祐一(捕手) - 2015年ドラフト6位で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団
藤谷洸介(投手) - 2016年ドラフト8位で阪神タイガースに入団
宮本秀明(内野手) - 2017年ドラフト7位で横浜DeNAベイスターズに入団
吉川峻平(投手) - 2018年マイナー契約でアリゾナ・ダイヤモンドバックスに入団
元プロ野球選手の競技者登録
丸尾英司(元:大阪近鉄バファローズ、オリックス・ブルーウェーブ) - 投手(2001年~2003年)→投手兼任コーチ(2004年)→コーチ(2005年~2006年)→ヘッドコーチ→退団
栗山聡(元:オリックス・ブルーウェーブ、中日ドラゴンズ) - 投手(2005年~2006年)→退団
梶原康司(元:阪神タイガース) - 内野手(2005年~2014年)→監督(2016年~2018年4月)
相木崇(元:阪神タイガース、オリックス・バファローズ) - 投手(2008年~2011年)→退団
田中充(元:横浜ベイスターズ) - 外野手(2008年~2009年)→コーチ
森田丈武(元:東北楽天ゴールデンイーグルス) - 内野手(2012年)→退団
橋本良平(元:阪神タイガース) - 内野手(2014年)→退団
阪口哲也(元:阪神タイガース) - 内野手(2015年~)
金森敬之(元:北海道日本ハムファイターズ、千葉ロッテマリーンズ) - 投手(2018年~)
かつて在籍した選手・コーチ・監督
鍛治舎巧(外野手) - 選手として在籍。現役引退後、1987年~1991年まで監督を務めた。
清原幸治(内野手) - 選手として在籍。現役引退後、1998年~2001年までコーチを務めた。
中本浩(外野手) - 選手として在籍。バルセロナオリンピック日本代表。
脚注
^ “チーム情報 2008年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2017年2月12日閲覧。
関連項目
- 社会人野球チーム一覧
- 都市対抗野球大会 (大阪府勢)
外部リンク
- パナソニック野球部公式HP
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