グルジア・ソビエト社会主義共和国
- グルジア・ソビエト社会主義共和国
- საქართველოს საბჭოთა სოციალისტური რესპუბლიკა
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1921年 - 1991年
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(国旗)
(国章)
- 国の標語: 万国の労働者よ、団結せよ!
国歌: グルジア・ソビエト社会主義共和国国歌
公用語
グルジア語、ロシア語、アブハズ語(アブハジア自治共和国内)、オセット語(南オセチア自治州内)
首都
トビリシ
- グルジア共産党第一書記
1931年 - 1938年
ラヴレンチー・ベリヤ
1972年 - 1985年
エドゥアルド・シェワルナゼ
- 最高会議議長
1990年 - 1991年
ズヴィアド・ガムサフルディア(最後)
- 面積
1989年
69,700km²
- 人口
1989年
4,337,600人
- 変遷
成立
1921年2月25日
ソビエト連邦より独立
1991年4月9日
通貨
ソビエト連邦ルーブル
時間帯
UTC +3
註1 : 首相の肩書は1946年までは人民委員会議議長、それ以降は閣僚会議議長である。
グルジア・ソビエト社会主義共和国(グルジア語: საქართველოს საბჭოთა სოციალისტური რესპუბლიკა[1];ロシア語: Грузинская Советская Социалистическая Республика[2])は、ソビエト連邦を構成した諸共和国の一つである。現在のジョージアの前身に当たり「グルジア共和国」[3]と略称される。
1921年2月25日に「グルジア社会主義ソビエト共和国」として設立された。1922年3月12日から1936年12月5日までは、アルメニア、アゼルバイジャンとともにザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国の一部となった。1936年にザカフカース共和国は解体された。ヨシフ・スターリンの統治のもと、数多くのグルジア人たちが処刑された。この間、この地方はグルジア共産党第一書記のラヴレンチー・ベリヤに主導されていた[4]。
フルシチョフ体制期には、行政権は分権化され、グルジア共産党はその力を強めた。この動きと併行して、地下経済が活発化し汚職が横行した。エドゥアルド・シェワルナゼは数年にわたってこの汚職と闘った。その期間は1960年代中頃から1985年までで、85年にはソビエト外相に任命されている。
1990年10月28日、民主的な議会選挙が実施され、「円卓=自由グルジア」が6割以上の得票により第1党となり、グルジア共産党は第2党に転落した[5]。11月14日、最高会議はガムサフルディアを議長に選出し、また同日、国名より社会主義を削除して「グルジア共和国」[3]と改称し、国旗、国章、国歌もグルジア民主共和国時代のものを復活させた[6]。1991年4月1日、独立の是非を問う国民調査が実施され、有権者の95.5%が投票し、99.4%が独立を支持した[7]。これを受けて、4月9日に最高会議は「独立回復に関する決定」を全会一致で採択し、独立を宣言した[8]。しかし、ソビエト政府は1991年9月までこれを承認しなかった。
その後、グルジア民主共和国の復活を図り、アブハズ自治ソビエト社会主義共和国の併合、南オセチア自治州の廃止等を行ったため、1991年11月28日に南オセチアが、1992年7月23日にアブハジアがそれぞれ独立を宣言し、この混乱の中アジャリア自治共和国が1992年から2004年まで事実上独立状態になるなど内政は混沌とした。その後、アブハジア紛争、南オセチア紛争と立て続けに内戦も起こり、やがてソビエト連邦の中心的存在であったロシアとも対立することとなった。ロシア語由来(異説あり)とされる国名の「グルジア」(Грузия)を排除して英語名の「ジョージア」(Georgia)を「基準的な外名」とする方針を積極的に打ち出し、日本を含む各国に「グルジア」系統の外名使用取りやめを要請しているのはその最たるものである。
脚注
^ ラテン文字表記の例:Sak'art'velos Sabčota Soc'ialisturi Respublika
^ ラテン文字表記の例:Gruzinskaya Sovetskaya Sotsialisticheskaya Respublika
- ^ ab「グルジア共和国」という語は、日本語においてしばしばグルジア・ソビエト社会主義共和国の略称として用いられるが、ソビエト連邦からの独立後の1990年(もしくは1991年)から1995年までは正式な国名であった。1995年の憲法採択以降は「共和国」などの政体を含まないのが正式名称である。
^ Geronti Kikodze (1954) Notes of a Contemporary, first published in 1989, Mnatobi, Issue 1, Tbilisi, Georgia.
^ 「グルジアの共産党、第2党転落が確定 最高会議代議員選」 『朝日新聞』 1990年11月13日夕刊
^ 「グルジア国名 社会主義削除 「独立へ移行期」宣言」 『朝日新聞』 1990年11月15日夕刊
^ 「首都で共和国の独立賛成が95%超す グルジアの国民調査 ソ連」 『朝日新聞』 1991年04月02日
^ 「グルジア共和国が独立宣言 ソ連政権に新たな障害」 『朝日新聞』 1991年04月10日
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