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ラバウル

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アメリカ海軍の護衛空母については「ラバウル (護衛空母)」をご覧ください。 位置 ラバウル (英語: Rabaul 、 ラボール )は、パプアニューギニアの島嶼地方の東ニューブリテン州の都市。ドイツ領ニューギニア時代の名称はシンプソンハーフェン。2011年の人口は4785人 [1] 。パプアニューギニア・ニューブリテン島の ガゼル半島 (英語版) 東側に位置し、良港シンプソン湾を臨む。東ニューブリテン州の州都であったが、火山の噴火でココポに遷都している。ラバウルはコプラやコーヒー、ココアの産地として有名。なお、周囲は火山地帯として知られ、シンプソン湾自体もカルデラである。 目次 1 人口 2 歴史 2.1 日本軍の占領 2.2 火山の噴火 3 ラバウルに関する作品 4 脚注・出典 5 参考文献 6 関連項目 人口 1980年9月22日:1万4954人 1990年7月11日:1万7044人 2000年7月9日:3907人 2011年7月10日:4785人 歴史 「ニューブリテン島の歴史」も参照 1914年9月にラバウルで撮られたオーストラリア艦隊。 1910年にドイツが建設した街である。第一次世界大戦までドイツの統治下にあったが、1914年9月、オーストラリア軍が占領。その後オーストラリアにより統治される。 日本軍の占領 第二次世界大戦中の1942年1月23日には、オーストラリア軍と戦った末に日本軍が占領し、1942年11月20日着任した今村均陸軍大将などの指揮によって、東南方面への一大拠点が築かれる。ラバウル航空隊の基地があり、連合軍側からは「ラバウル要塞」と呼ばれた。 日本軍の占領後は、陸海軍合わせて9万余の大軍が配置された。日本軍は豊富な兵力と自給自足体制による食料の確保、そして堅固な要塞を築き上げていた。これをみた連合軍は、反攻にあたり頑強な抵抗が予想されるラバウルを占領せず包囲するにとどめた結果、終戦時まで日本軍が占領、保持することとなった。 なお、連合軍が1943年の夏以降に日本に対し反攻に出た時、ラバウルは補給線を切断され後方に取り残されている(飛び石作戦)。その後も駐留して...

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アクタン・ゼロ

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アメリカ軍により検分される零戦。アクタン島 1942年7月11日。 アクタン・ゼロ (英: Akutan Zero 、あるいは 古賀のゼロ 〈 Koga's Zero 〉、 アリューシャン・ゼロ 〈 Aleutian Zero 〉とも呼ばれる)は、第二次世界大戦中にアラスカ準州アリューシャン列島のアクタン島に不時着した三菱零式艦上戦闘機二一型(製造番号4593)のアメリカ軍における呼称。1942年7月にほとんど無傷のままアメリカ軍に回収され、大戦中アメリカ軍が鹵獲した初めての零戦となった [1] 。回収後、機体は修理され、アメリカ軍テストパイロットによってテスト飛行が行われた。結果、アメリカ軍は大戦を通して大日本帝国海軍の主力戦闘機であった零戦に対抗する戦術を研究することができた。 アクタン・ゼロは「アメリカにとってもっとも価値あるといってよい鹵獲物 [2] 」であり、「おそらく太平洋戦争における最高の鹵獲物の一つ [3] 」と言われた。日本の元軍人・自衛官であり歴史家の奥宮正武は、アクタン・ゼロの鹵獲は「(日本にとって)ミッドウェー海戦の敗北に劣らないほど深刻」であり、「最終的な降伏を早めることに多大な影響を及ぼした」と述べた [4] 。その一方で、ジョン・ランドストームなどは「伝説の戦闘機にうち勝つための戦術を考案するには古賀のゼロの分析が必要だった」という主張に疑問を呈している。 アクタン・ゼロは1945年に訓練中の事故により失われた。その破片はいくつかのアメリカの博物館に保管されている。 目次 1 三菱零式艦上戦闘機 2 古賀一飛曹最後の任務 2.1 墜落 3 回収 4 分析された零戦 5 所産 5.1 古賀一飛曹の帰国 6 脚注 6.1 注釈 6.2 出典 7 参考文献 8 外部リンク 三菱零式艦上戦闘機 空母赤城から真珠湾攻撃に向かう零戦21型。 詳細は「零式艦上戦闘機」を参照 1939年に初飛行した零戦は、非常に機動性に優れた軽戦闘機であり、その格闘性能および航続性能は当時世界のあらゆる戦闘機よりも優れていた [5] 。しかし、軽量化のために防御力・耐弾性を犠牲にし、防弾...

鹵獲

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ノモンハン事件で鹵獲した日本陸軍の九五式小型乗用車と記念撮影するソ連赤軍の軍人 鹵獲 (ろかく)は、戦地などで敵対勢力の装備品(兵器)や補給物資を奪うこと。 接収 (せっしゅう)とも。捕獲(ほかく)と称される場合もあるが、軍事用語としては鹵獲が適当な言葉である。 目次 1 概要 2 鹵獲兵器の運用 3 主な鹵獲例 3.1 そのまま自軍の兵器として転用 3.2 改造した上で自軍の兵器として使用 3.3 兵器開発の参考として使用 3.4 調査・研究として使用 3.5 プロパガンダに使用 4 鹵獲を目的とした作戦 5 脚注 6 関連項目 概要 古代中国では春秋戦国時代、三国時代などの戦時で度々行われた行為であり、戦国時代の日本ではたびたびこの行為が戦の度に行われていた [1] 。主な目的として、自身の装備品より良い武器を奪うためや、それらを売り払って金銭にするためなどがある。 武具鹵獲の機会は戦地に限らず、漂泊船の調査においても可能である(『吾妻鏡』の13世紀の記述として、高麗人の船が日本に着いた際、弓や具足などを調査・記録させている)。 近代以降の戦争では、降伏した敵軍から武装解除の際に取り上げたり、敵軍が撤退あるいは敗走時に遺棄・放棄した兵器や物資を手に入れることを指して言うことが多い。また、海上に着弾した弾道ミサイルの破片回収なども部分的鹵獲と言える。 一般的に、鹵獲した兵器はそのまま自軍の兵器として転用、調査を行って分析し自軍の兵器の改良や開発の参考に使用、改造を施して使用、または余剰品として廃棄されることが多い。このため、近代以降の軍隊では何らかの理由で兵器を遺棄しなければならなくなった場合、その兵器が敵軍の戦力として運用されないように破壊(爆破・放火・自沈)ないし使用不能にすることが義務付けられている。 「破壊活動#軍隊での武器破壊規定」も参照 鹵獲兵器の運用 鹵獲兵器をそのまま自軍の装備として転用したとしても、弾薬・爆弾・ミサイルなどの武装類や、エンジン・機器などの補修部品の規格が自軍と異なっていることが多く、消耗品の更新も難しいことから必ずしも有効な戦力として活用できるわけではない。この場合は稼働率...