和協信条
日本のルーテル教会 ルーテル教会 関連記事 人物 マルティン・ルター ジェームス・シェーラー ラファス・ピーリー 山内量平・山内幹枝 山内直丸 川瀬徳太郎 三浦豕 石松量蔵 佐藤繁彦 鍋谷堯爾 徳善義和 神学校 ルーテル学院大学 ルーテル同胞聖書神学校 神学 アウクスブルク信仰告白 和協信条 団体 日本福音ルーテル教会 西日本福音ルーテル教会 近畿福音ルーテル教会 フェローシップ・ディコンリー福音教団 日本ルーテル同胞教団 ルーテル福音キリスト教会 キリスト教 ポータル 表 話 編 歴 和協信条 (わきょうしんじょう、ドイツ語:Konkordienformel; ラテン語:Formula concordiae)は、宗教改革当時のルター派教会の主要信条の内で、最後に出されたものである。 一致信条 とも言う。 1577年に作成されて、アウクスブルク信仰告白50周年目に当たる1580年に刊行された、ルター派教理集大成『一致信条書』の中に他の文書と共に収められた。その時に和協信条の題名が付けられたので今日もそのように呼ばれている。トルガウ信条と呼ばれるものの要約と、ベルゲン信条書とよばれる文書とをあわせたもので、前者が梗概という見出しで、後者は根本宣言という題になっている。 歴史 マルティン・ルターの死後、福音主義陣営はフィリップ派と純正ルター派と呼ばれる2つの陣営に分かれて神学論争に明け暮れた。 1560年頃から、福音主義教会の教義的また実際的な一致に向けての気運が高まった。アンドレーエ、ケムニツ、ゼルネッカー、ヒュトラーウスといった若い世代の神学者たちが第3のグループになり、積極的に論争解決のために尽力した。 1576年5月にザクセン選帝侯アウグストの指示により、トルガウに集められたアンドレーエらルター派の神学者達が、これまでの約30年間のルター派内部の神学論争に決着とつけるためにトルガウ信条書を作成した。信条書はルター派諸地方に回覧されて、反応を見て、さらに討議をするために、1577年にマクデブルク郊外のベルゲン修道院で会合を持った。その結果、トルガウ信条書の改訂版のベルゲン信条書が出来上がり、同時にアンドレーエによってトルガウ信条書の要約