Posts

Showing posts from February 12, 2019

アルファ部隊

Image
特殊任務センターA局 創設 1974年7月29日 再編成 1998年 所属政体 ソビエト連邦→ ロシア 所属組織 ロシア連邦保安庁 兵科 特殊部隊 人員 250人 愛称 アルファ Heavy Face 上級単位 KGB→GUO→FSB 最終上級単位 憲法体制擁護・テロ対策局 主な戦歴 アフガニスタン戦争 第一次チェチェン戦争 第二次チェチェン戦争 テンプレートを表示 アルファ部隊 ( Альфа )とは、ソ連KGBおよびロシア連邦保安庁の特殊部隊。任務は、テロ対策、人質解放、輸送手段、国家施設の奪取と関連した過激派対策といったロシア国内のみでの活動である。もっとも、一般には本来の任務とは逆に、ソ連のアフガニスタン侵攻の際に、ハフィーズッラー・アミーン大統領の官邸を襲撃した部隊として知られている。 アルファ部隊は、現在、同じく旧KGBの特殊部隊ヴィンペル部隊と共に、連邦保安庁の憲法体制擁護・テロ対策局特殊任務センターの下にある。隊員は、全員が将校であり、その能力は、ロシアの特殊部隊の最高峰に位置すると言える。隊員は、フルフェイスのチタン製ヘルメットを装着していることから、 Heavy Face のあだ名で呼ばれることもある。 装備の大部分はAK-74、AS Val、PP-91、MP-443など他のロシア連邦特殊任務部隊と変わらないが、部分的にはグロック17、H&K MP5、M4カービン、L96A1など、西欧製の装備を配備している。 目次 1 歴史 2 地域特殊任務課(ROSN) 3 主な戦歴 4 歴代指揮官 5 脚注 6 関連項目 7 外部リンク 歴史 1974年7月29日、ソ連KGB議長ユーリ・アンドロポフとKGB第7局長アレクセイ・ベスチャスヌイ将軍の発議により創設された。1985年までは、書記長とKGB指導部の個人的従属下にあった。正式名称は、1991年8月までソ連KGB第7局破壊工作対策課「A」グループだった。当初、隊員数は、40人を超えなかった。主として特殊訓練を受け、健康状態が空挺軍勤務に適したソ連KGB職員から選抜された。

OMON

Image
ОМОН 隊員(モスクワ、赤の広場) 「ズーブル ( «Зубр» )」隊の基地を視察するメドヴェージェフとヌルガリエフ OMON ( オモン [1] 、露: ОМОН ; Отряд мобильный особого назначения 、特別任務機動隊)とは、ロシアの特殊部隊。武装犯罪集団の取り締まりや、デモ・暴動の鎮圧を主な任務としている。 目次 1 歴史 2 主な活動 3 著名人物 4 脚注 5 関連項目 歴史 1988年10月3日、ソビエト連邦内務省の監督下においてモスクワに「Отряд милиции особого назначения」(ОМОН、特別任務民警支隊)創設 [2] 。 2011年11月30日、内務省令により「Отряд мобильный особого назначения」(特別任務機動隊)に改称 [3] 。 2016年、 国家親衛隊 (ロシア語版) に移管した。 [4] 主な活動 1991年1月 - リトアニア首都ヴィリニュスでの占拠された通信施設に対する攻撃(血の日曜日事件 (リトアニア)) 1991年7月 - ラトビア首都リガでの血の日曜日事件(en:The Barricades) 1994年 - 1996年 - 第一次チェチェン紛争 1999年 - 2009年 - 第二次チェチェン紛争 2000年3月 - セルギエフ・ポサードOMON伏撃事件 2002年10月 - モスクワ劇場占拠事件 2004年9月 - ベスラン学校占拠事件 著名人物 元OMON隊員の経歴を持つ人物 ヴィクトル・アルクスニス アレクサンダー・ウスティノフ 脚注 ^ 大波篤司 著『図解 特殊部隊』新紀元社、2014年。 ^ Министерство Внутренних ДелРоссийской Федерации. “MVD website, history”. Mvd.ru. 2018年10月10日 閲覧。 ^ Полицейскому спецназу вернули прежнее название — ОМОН ^ ロシアの新たな武力機関「国

国鉄貨車の車両形式

Image
国鉄貨車の車両形式 (こくてつかしゃのしゃりょうけいしき) この項目では、日本国有鉄道(その前身組織を含む)やJRグループで使用されている貨車の形式称号について記述する。 有蓋車(ワム80000形) コキ5500形貨車 コキ200形貨車 目次 1 概要 2 用途記号 2.1 営業用 2.1.1 該当貨車共通 2.1.2 有蓋貨車 2.1.3 無蓋貨車 2.1.4 タンク貨車 2.1.5 ホッパ貨車 2.2 事業用 3 積載重量記号 4 同一形式内の車両番号 5 特殊標記符号 6 規程の歴史 6.1 明治期 6.2 1911年称号規程 6.3 1928年称号規程 6.4 1953年改訂 6.5 1959年改訂 6.6 1965年改訂 7 脚注 7.1 注釈 7.2 出典 8 参考文献 9 関連項目 概要 国鉄末期に使用されていた貨車の形式および車両番号の付け方は以下のとおりで、1928年(昭和3年)10月1日に施行されたものをもとに、何度かの小改正が行われたものである。 ○ ● △ N N N N N 車両形式 例1) ワ ム   8 0 0 1 1 ワム80000形有蓋車 例2) コ キ フ 1 0 0 0 5 コキフ10000形コンテナ緩急車 このうち、○は用途記号、●は荷重記号、△は緩急車をあらわす用途記号、Nは同一形式内の車両番号を表している。形式称号は同形式中の最初の番号に当該記号を冠したものを用い上の例ではワム80000、コキフ10000などとなる。 コキ104形コンテナ車の標記 実際の貨車への標記は次のように行われる。 標記フォーム 例1 例2 ※ ○●△ ※ NNNNN ハ ワム 285486 コキフ 50472 ここで、小文字で書かれる※は特殊標記符号(後述)を表し、形式には含まれない。 日本貨物鉄道(JR貨物)発足後は、電車等のよう

新潟鐵工所

Image
株式会社新潟鐵工所 NIIGATA ENGINEERING CO., LTD. 紀州鉄道キハ600形と同系統の車内銘板 横浜新都市交通1000形と同系統の車内銘板 種類 株式会社 本社所在地 日本 〒 144-0053 東京都大田区蒲田本町1丁目10号地1番 設立 1910年(分離) 業種 製造業 事業内容 医薬や産業プラント、石油や石化プラントのタンク、造船、変速機、原動機、新交通システム、鉄道車両、除雪機械、産業用車両製造、流体荷役運搬機器などの製造 特記事項:すでに経営破綻し解散済み テンプレートを表示 株式会社新潟鐵工所 (かぶしきがいしゃにいがたてっこうしょ, NIIGATA ENGINEERING CO., LTD.)は、東京都大田区蒲田本町に本社を置いていた総合重機の中堅メーカー。「新潟鉄工」また新潟県内では単に「鉄工」とも通称され、生産拠点のある新潟県では有力企業の代表格であった。 経営破綻後、主要事業は他社に譲渡され(譲渡先は後述)、2007年夏に清算業務を完了して解散した。 目次 1 沿革 2 事業分野 2.1 原動機カンパニー 2.2 エンジニアリングカンパニー 2.3 機械カンパニー 2.4 造船カンパニー 2.5 構機システムカンパニー 3 製造車両 3.1 電車 3.2 気動車 3.3 客車 3.4 機関車 3.5 貨車 4 事業譲渡先 4.1 プラントエンジニアリング関連事業部門 4.2 造船関連事業部門 4.3 変速機関連事業部門 4.4 原動機関連事業部門 4.5 新交通システム・鉄道車両・除雪機械・産業用車両部門 4.6 機械関連事業 4.7 流体荷役運搬関連事業 5 新潟鐵工所を題材にした著作物 6 その他 7 関連項目 8 脚注 9 外部リンク 沿革 初代社長 - 山口達太郎 1895年 - 前身となる 日本石油付属新潟鉄工所 が開設され、日本石油(現・JXTGエネルギー)の関連事業部門と

台湾府

台湾府 (たいわん-ふ)は、清朝にかつて存在した府。 目次 1 鄭成功時代 2 清代 3 日本統治時代 4 参考文献 鄭成功時代 鄭成功がオランダ勢力を駆逐し鄭氏政権を樹立すると、1661年(永暦15年)に 承天府 を設置、衙門を赤崁楼に設置し台湾南部を管轄した。1664年(永暦18年)から1683年(永暦37年)まで、台湾南部の2州(県より昇格)に加え、澎湖、南路及び北路の3司を管轄に置いた。 清代 1683年(康熙22年)、台湾を勢力下に置いた清朝は承天府を廃止、 台湾府 を設置し、台湾全島を管轄していた。しかし1875年(光緒元年)に台北府が設置されると台湾北部が管轄範囲から分離、1885年(光緒11年)の台湾省、1887年(光緒13年)の台南府設置により管轄範囲は縮小、台湾中部のみを管轄、重要政策事項は福建台湾承宣布政使司に移管されている。 日本統治時代 1895年(明治28年)、日清戦争の結果、日本に台湾が割譲されると、日本政府は台湾県を廃止、同時に台湾府を 台湾県 に変更している。 参考文献 劉寧顔編『重修台湾省通志』(台湾省文献委員会 1994年) This page is only for reference, If you need detailed information, please check here

深セン市

Image
「 深セン 」と「 深圳 」はこの項目へ転送されています。軍艦については「深圳(駆逐艦)」をご覧ください。 日本北海道にある「深川市」とは異なります。 本来の表記は「 深圳市 」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。 この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字が含まれています (詳細) 。 中華人民共和国 広東省 深圳市 左上から時計回り:東海国際中心、京基100、信興広場、深圳海岸城、深圳湾の夜景、深圳証券取引所 略称: 深、鵬 深圳市の位置 中心座標 北緯22度33分 東経114度06分  /  北緯22.550度 東経114.100度  / 22.550; 114.100 簡体字 深圳 繁体字 深圳 拼音 Shēnzhèn カタカナ転写 シェンチェン 粤拼 Sam 1 zan 3 閩拼 Chhim-chùn 潮州語 cim 1 zung 3 客家語 cim 1 zun 4 国家 中華人民共和国 省 広東 行政級別 副省級市 成立 1979年1月23日 市委書記 王偉中 市長 陳如桂 面積 総面積 1952.84 km² 市区 395.81 km² 海抜 25 m 人口 総人口 (2018) 1,300 万人 戸籍人口 (2018) 291.03 万人 常住人口 (2018) 1,350.79 万人 常住人口密度 5,500 人/km² 経済 GDP (2018) 22,438.98 億 [1] 元 一人あたりGDP 199,500元 電話番号 0755 郵便番号 518000 ナンバープレート 粤B 行政区画代碼 440300 市樹 レイシ 市花 ブーゲンビリア