Posts

パリメトロ12号線

Image
12号線 ラマルク=コーランクール駅入口 (2005年8月) 基本情報 路線網 パリメトロ 起点 フロン・ポピュレール駅 終点 メリー・ディシー駅 駅数 29 開業 1910年11月5日 運営者 パリ交通公団 路線諸元 路線距離 15.268 km 軌間 1,435 mm 線路数 複線 (右側通行) 電化方式 直流750V 第三軌条方式 テンプレートを表示 パリメトロ12号線 (パリメトロ12ごうせん、仏: Ligne 12 du métro de Paris ) は、フランス・パリのメトロ(地下鉄)路線のひとつ。パリ交通公団(RATP)が運営する。パリの北、オーベルヴィリエ・サン=ドニ両市の境界にある、フロン・ポピュレール駅と南のメリー・ディシー駅とを結ぶ。 目次 1 概要 1.1 年表 2 沿線概況 3 駅一覧 4 関連項目 5 外部リンク 概要 パリメトロ12号線は、パリのメトロ(地下鉄)路線のひとつで、セーヌ=サン=ドニ県内のフロン・ポピュレール駅から、パリの北境付近のポルト・ド・ラ・シャペル駅(2012年までの終点)を経由し、パリの南西に位置するメリー・ディシー駅に向かう。路線はサン・ラザール駅、コンコルド駅、アサンブレ・ナシオナル駅など、パリの中心付近を南北に縦断する形で伸びている。 年表 1910年11月5日、ノートル=ダム=ド=ロレット駅・ポルト・ド・ヴェルサイユ駅間が開業。 1911年4月8日、ノートル=ダム=ド=ロレット駅から北方へ、ピガール駅まで延伸。 1912年10月30日、ピガール駅から北方へ、ジュール・ジョフラン駅まで延伸。 1916年8月23日、ジュール・ジョフラン駅から北方へ、ポルト・ド・ラ・シャペル駅まで延伸。 1934年3月24日、ポルト・ド・ヴェルサイユ駅から南方へ、メリー・ディシー駅まで延伸。 2012年12月18日、ポルト・ド・ラ・シャペル駅から北方へ、フロン・ポピュレール駅まで延伸。 沿線概況 12号線北端は、セーヌ=サン=ドニ県オーベルヴィリエ市とサン=ドニ...

ガエ・アウレンティ

Image
ガエ・アウレンティ オルセー美術館内部 ガエ・アウレンティ (Gae Aulenti, 本名ガエターナ・アウレンティ Gaetana Aulenti, 1927年12月4日 - 2012年10月31日)はイタリアの建築家・照明デザイナー・インテリアデザイナー・インダストリアルデザイナー。 彼女の作品のうち有名なものには、パリの オルセー美術館 (1980年から1986年)や同じくパリのポンピドゥー・センターの国立近代美術館、ヴェネツィアの美術館パラッツォ・グラッシ(1985年から1986年)、サンフランシスコのサンフランシスコ・アジア美術館(2000年から2003年)など、既存の建築を改修して巧みに光を用いた美術館建築が含まれている。 目次 1 経歴 2 賞 3 脚注 4 外部リンク 経歴 アウレンティのデザインによるロッキングチェア、『Sedia da giardino』(1964年) カタルーニャ美術館 東京のイタリア文化会館(2005年) ミラノ地下鉄のカドルナ駅 イタリア北東部のフリウーリ地方のウーディネ県パラッツォーロ・デッロ・ステッラに生まれ、ミラノ工科大学建築学部で建築を学び1953年に卒業した。彼女は1955年から1965年まで建築デザイン雑誌『Casabella Continuità』(カサベッラ・コンティヌイタ)でアートディレクターとして働き、編集長エルネスト・ロジャース(Ernesto Nathan Rogers)の哲学に影響を受けた一群の若いデザイナーの一員となっている [1] 。ル・コルビュジエやヴァルター・グロピウスなどの近代建築の巨匠の影響を拒否して独自のアイデンティティを模索した彼らは、自分たちの運動を「Neoliberty」と呼んだ [2] 。 博士号の取得後、1960年から1962年までヴェネツィア建築大学でジュゼッペ・サモナ(Giuseppe Samonà)の下で教鞭をとり、1964年から1969年にかけてミラノ工科大学建築学部でエルネスト・ロジャースの下で教えた。この時期にはミラノの百貨店ラ・リナシェンテのために商品デザインをしたほか、照明機器のマルティネッリ・ルーチェ(Martinelli Lu...

「アルジェリア危機」を作成中

This page is only for reference, If you need detailed information, please check here

西部鉄道

Image
「西武鉄道」とは異なります。 西部鉄道 (せいぶてつどう) 西部鉄道 (フランス) オーストリア西部鉄道 このページは 曖昧さ回避のためのページ です。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。 This page is only for reference, If you need detailed information, please check here

国際列車

Image
ユーロスター 国際列車 (こくさいれっしゃ)とは、国境を跨いで2か国以上を営業運転する列車である。 ヨーロッパには数多く存在し、アジア、アフリカ、北アメリカなどにも存在する。ここでは特に断らない限り旅客列車の国際列車について記述する。 目次 1 特徴 1.1 出入国管理 1.2 サービス 2 主な国際列車 2.1 ヨーロッパ 2.1.1 高速鉄道 2.1.2 その他の長距離列車 2.1.3 その他 2.2 旧ソ連→ロシア 2.3 東アジア 2.4 東南アジア 2.5 南アジア 2.6 西アジア 2.7 アフリカ 2.8 北アメリカ 3 脚注 4 参考文献 5 関連項目 特徴 出入国管理 列車が国境を越えるためには一般に出入国管理の手続きが必要である。これにはいくつかの方法が存在する。 一つは、それぞれの国の領土内の国境手前にある駅を国境駅とし、出国時はまず国内側の国境駅で旅客に対する出国審査などが行われ、列車の国境通過後に相手側の国境駅で入国審査が行われる。また国境の一方側の駅のみを国境駅とし、出国と入国の手続きを同時に行なうこともある。手続きは車内で行なわれることもあるが、一旦乗客全員が列車から降りなければならないケースも存在する。 また国境駅を設けず、もしくは国境駅を通過する列車で、国境から離れたターミナル駅での乗車、下車の際に手続きを行なう例もある。夜行列車で夜間に国境を通過する場合には、車掌がパスポートなど必要書類を預かり乗客が寝ている間に手続きを行なうこともある。 ヨーロッパのシェンゲン協定加盟国相互間では出入国手続きは原則として不要である。これ以外にも出入国管理が事実上行なわれていない例もある。 サービス 国際列車は、2つ以上の国を跨ることから、各国の車両が混合して連結されていたり、2つ以上の言語による車内アナウンスが行われることがあるなど、いわゆる「国際色」が強い。 主な国際列車 ヨーロッパ 多数の国が国境を接し、古くから鉄道網の発達しているヨーロッパでは、高速鉄道や長距離夜行列車からローカル線や通勤列車に...

南急行

南急行 (みなみきゅうこう、 Sud-Express 、シュド・エクスプレス)は、パリとイベリア半島を結ぶ国際列車の名称である。 目次 1 概要 2 軌間の変化 3 編成 4 旅客 5 接続 6 脚注 7 関連項目 概要 南急行は1887年10月に国際寝台車会社(CIWL)によって夜行列車として運行が開始された。総行程は2泊であった。当初、パリ(オステルリッツ駅)からマドリードへは毎日運行、リスボンへは隔日運行であった。方向に応じて、アンダイエかイルンでリスボン、ポルトまたはマドリード方面の列車と接続していた。 第二次世界大戦前には、現在のカスカイス線のSao Joao do Estorilまで直通していたようである(今日、エストリル (Estoril) はゴルフ、カジノ、F1グランプリで知られている。)。 この列車は、マドリード、リスボンへ向かうために重要であった。当時、ポルトガルへ向かうスペインの道路は、その大部分が舗装されておらず、列車か船のほかに選択肢は無かった。 第二次世界大戦後には、プルマン客車 [1] に加えて、DEV inoxの最初の車両が用いられた。当初は一等にのみだったが、遅れて二等車にも用いられるようになった。 1969年からは、パリ-マドリード間に、ワゴンリ客車とクシェット(1970年より)を連結し、速く、新しく、直行の新列車「プエルタ・デル・ソル」が運行を開始し、南急行のマドリード区間は廃止された。フランスにおいて最後となった、南急行におけるプルマンのサービスは、車齢が限界まで達したこと(半世紀近く運用された)と、欧州横断特急との競争により、1971年5月に終了した。 かつて、スペインの高地を走る区間は単線であった。このことは時々、反対方向から来る列車を待つための、星々の下での長時間停車をもたらした。 スペインとポルトガルとの間の国境駅はアルメイダ郡 (Almeida) のヴィラル・フォルモーゾ (Vilar Formoso) である。 リスボン方面とポルト方面への分岐点はPampilhosaに位置している。 スペイン内戦直後、蒸気機関車も石炭不足により、藁を燃料とした。結果として、田舎においてしばしば停車した。 ...

ガス灯

Image
この項目では、照明について説明しています。映画については「ガス燈 (映画)」を、携帯用ガス照明器具については「ランプ (照明器具)#ランタン」をご覧ください。 ガス灯 ランプ部分の拡大 姉小路通、京都市中京区 ガス灯 (ガスとう)は、ガス燃料の燃焼による照明。 かつては室内灯としても使われたが、換気の問題などから、現在は室外にある街路灯としての使用が主である。 目次 1 種類 1.1 魚尾灯 1.2 白熱ガス灯 2 歴史 3 ガス灯が設置されている地域・場所 4 廃止または撤去されたガス灯 5 灯外内管・灯内内管 6 参考文献 7 脚注欄 8 関連項目 9 外部リンク 種類 魚尾灯 初期のガス灯は、直接火口から火を点灯し、炎を直接明かりとして利用するものだった。ただし、ガスバーナーのように単なる管から火をつけるだけでは細く、暗い光しか出ない [1] 。そのため、火口を平たく加工することによってガスの放出面積を広げ、扇形に点火させることによりガスの炎でも十分な明るさを得ようと工夫された。これがあたかも「魚の尾びれ」のような形であることから、このタイプのガス灯は魚尾灯と呼ばれた。この当時のガス灯は一灯あたり、16燭光のものが標準的であったようである。魚尾灯を利用した裸火のガス灯は白熱マントルが発明された事により廃れる。 白熱ガス灯 ガスマントルを利用することにより、従来の裸火ガス灯と比較して、一灯の出力が40燭光程度にまで伸びたガス灯。 ガスマントルは、1886年(明治19年)、カール・ヴェルスバッハによって発明された。麻や人絹の織物に硝酸セリウム・硝酸トリウムを含浸させたもので、一旦火を付け灰化させるとガスの炎で発光する。日本では明治27年頃からガスマントルを利用したガス灯が出現した。 タングステン電球が普及するまでは相当数が用いられた。従来の裸火のガス灯と区別する為に白熱ガス灯という。現在見ることのできるガス灯の大半はこの白熱ガス灯である。 マントルのパッケージ マントルを被せた状態 ...