ベイルート
ベイルート市 بيروت | |||||
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位置 | |||||
座標 : 北緯33度53分13秒 東経35度30分47秒 / 北緯33.88694度 東経35.51306度 / 33.88694; 35.51306 | |||||
行政 | |||||
国 | レバノン | ||||
県 | ベイルート県 | ||||
市 | ベイルート市 | ||||
市長 | Abdel Mounim Ariss | ||||
地理 | |||||
面積 | | ||||
市域 | 19.8 km2 | ||||
人口 | |||||
人口 | (2014年現在) | ||||
市域 | 361,366人 | ||||
都市圏 | 2,200,000人 | ||||
その他 | |||||
等時帯 | 東ヨーロッパ時間 (UTC+2) | ||||
夏時間 | 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3) | ||||
公式ウェブサイト : www.beirut.gov.lb |
ベイルート(アラビア語: بيروت Bayrūt、英語: Beirut、フランス語: Beyrouth)は、レバノンの首都であり、ベイルート県の県都でもあり、同国最大の都市である。また、地中海に面した同国第一の海港である。
目次
1 概要
2 歴史
2.1 18世紀まで
2.2 19世紀
2.3 20世紀
2.4 21世紀
3 気候
4 交通
5 文化
5.1 大学
6 姉妹都市
7 画像
8 脚注
9 関連項目
10 外部リンク
概要
ベイルートは、この地域における商業、銀行業および金融の中心地であり、約180万人が居住している。住民は、キリスト教徒(マロン典礼カトリック、ギリシャ正教、アルメニア正教 、アルメニア典礼カトリック 、ローマ・カトリック、プロテスタント)、イスラム教徒(スンナ派、シーア派)、さらにはドゥルーズ派のような少数派に分かれている。このために中東で最も文化的に多様な都市の一つである。
ベイルートのユダヤ人の大部分は、1975年に戦争が始まった際アメリカ合衆国に移住し、現在はニューヨーク市のブルックリン地区に住む者が目立っている。ベイルートは、レバノン内戦の間に分裂し、イスラム教徒地区の西部と、キリスト教徒地区の東部に分割された。西部はレバノン内戦中は主戦場となり、いまだに廃墟となった高層ビル群が残る一方で、内戦前同様にベイルートの中心地・繁華街でもあり、復興が進んでいる。
歴史
18世紀まで
元々ベイルートは、フェニキア人によって、Beroth、つまり泉の街と名付けられた。
ベイルートは、長きにわたって東地中海の交易の中心地であり続けた。中世のほとんどは、アラブ最大の交易の中心地としての地位をアッコに譲っていたが、18世紀になると、ベイルートは、ダマスカスの支援を得て、アッコによる交易の独占を打破することに成功し、瞬く間にアッコに代わってこの地域の取引の中心地となった。
この結果、ベイルートは非常に国際色豊かな都市になり、ヨーロッパやアメリカ合衆国とも緊密な関係を持ち、欧米の宣教師の布教活動の中心地にもなっていった。彼らは市民を改宗させるという意味では大きな成功を収めることはなかったが、彼らによって様々な教育機関・制度が構築されることになった。その一つの例がアメリカの宣教師が設立したシリア・プロテスタント大学であり、同校は、その後ベイルート・アメリカン大学になった。
19世紀
19世紀になると、ベイルートは、アラビア人の知的活動の中心にもなり始めた。ベイルートは、レバノン山付近で産出する絹の輸出によって繁栄した。交易品の多くはフランスの船によってマルセイユに運ばれ、この地域におけるフランスの影響力が、速かに他のヨーロッパ列強の影響力をしのぐようになった。ベイルートは、中東のパリとも呼ばれた。
20世紀
第一次世界大戦に引き続きオスマン朝が崩壊すると、ベイルートとレバノン全域はフランスに与えられた。キリスト教国のフランス統治の下では少数派のキリスト教徒が非常に優遇されたため、ベイルートでは宗教間の緊張が高まることになった。
第二次世界大戦後、レバノンは独立を与えられ、ベイルートはその首都となった。その後ベイルートは、中東における交通の要所であり、商業と金融、観光の主要な中心地となり中東のパリと呼ばれるほど華やかで美しい街として発展。中東の金融・商業の中心地として発展したベイルートに駐在する日本人は多く、在留邦人数は一時3,000人に達した。さらにアラブ世界の知的首都でもあり続けたが、それも1975年にレバノンで凄惨な内戦が勃発するまでであった。
内戦のほとんどの期間、ベイルートは、イスラム教徒の西部(ベイルートの大部分)とキリスト教徒の東部に分割された。かつて商業や文化活動が栄えた市街地は、無人地帯になった。ベイルートの上流階級や知識人の多くが他国に逃れた。また、マロン派キリスト教徒住民の多くは、ベイルートの北東にあるジュニエ(マロン派の歴史的な中心地とされている)に疎開した。
この内戦終結後、レバノンの人々はベイルートを再建しつつあり、観光、文化、知的活動も徐々に回復し、商業やファッション、報道も盛んになりつつあるが、観光や大衆文化の中心はカイロ、イスタンブールなどの都市に、金融、交通の中心はドバイにその地位が移り、課題は大きい。
21世紀
2006年のイスラエル軍によるレバノン侵攻により街南部が空爆された。2009年現在は、治安も安定し街自体の再建も進んでいるものの、イメージ悪化による観光客の減少が街に影を落としている。
気候
地中海性気候であり、冬季多雨で夏季少雨の気候である。6 - 9月の間は非常に雨が少ないものの、湿度が高く蒸し暑くなる日が多い。
ベイルート(ベイルート国際空港)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 27.9 (82.2) | 30.5 (86.9) | 36.6 (97.9) | 39.3 (102.7) | 41.1 (106) | 40.0 (104) | 40.4 (104.7) | 39.5 (103.1) | 37.5 (99.5) | 37.0 (98.6) | 33.1 (91.6) | 30.0 (86) | 41.1 (106) |
平均最高気温 °C (°F) | 17.4 (63.3) | 17.5 (63.5) | 19.6 (67.3) | 22.6 (72.7) | 25.4 (77.7) | 27.9 (82.2) | 30.0 (86) | 30.7 (87.3) | 29.8 (85.6) | 27.5 (81.5) | 23.2 (73.8) | 19.4 (66.9) | 24.25 (75.65) |
日平均気温 °C (°F) | 14.0 (57.2) | 14.0 (57.2) | 16.0 (60.8) | 18.7 (65.7) | 21.7 (71.1) | 24.9 (76.8) | 27.1 (80.8) | 27.8 (82) | 26.8 (80.2) | 24.1 (75.4) | 19.5 (67.1) | 15.8 (60.4) | 20.87 (69.56) |
平均最低気温 °C (°F) | 11.2 (52.2) | 11.0 (51.8) | 12.6 (54.7) | 15.2 (59.4) | 18.2 (64.8) | 21.6 (70.9) | 24.0 (75.2) | 24.8 (76.6) | 23.7 (74.7) | 21.0 (69.8) | 16.3 (61.3) | 12.9 (55.2) | 17.71 (63.88) |
最低気温記録 °C (°F) | 0.4 (32.7) | 3.0 (37.4) | 0.2 (32.4) | 7.6 (45.7) | 10.0 (50) | 15.0 (59) | 18.0 (64.4) | 19.0 (66.2) | 17.0 (62.6) | 11.1 (52) | 7.0 (44.6) | 4.6 (40.3) | 0.2 (32.4) |
降水量 mm (inch) | 190.9 (7.516) | 133.4 (5.252) | 110.8 (4.362) | 46.3 (1.823) | 15.0 (0.591) | 1.5 (0.059) | 0.3 (0.012) | 0.4 (0.016) | 2.3 (0.091) | 60.2 (2.37) | 100.6 (3.961) | 163.8 (6.449) | 825.5 (32.5) |
平均降水日数 (≥ 0.1 mm) | 15 | 12 | 9 | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 8 | 12 | 68 |
% 湿度 | 69 | 68 | 67 | 69 | 71 | 71 | 73 | 73 | 69 | 68 | 66 | 68 | 69 |
平均月間日照時間 | 131 | 143 | 191 | 243 | 310 | 348 | 360 | 334 | 288 | 245 | 200 | 147 | 2,940 |
出典 1: Pogodaiklimat.ru[1] | |||||||||||||
出典 2: Danish Meteorological Institute (sun and relative humidity)[2] |
交通
市の南の郊外にあるラフィク・ハリリ国際空港が最寄り空港である(暗殺されたラフィク・ハリリ元首相を記念して名称が変更された)。
かつて市内にはトラムが運行されていたが、自動車の普及により1960年代に全廃止されている。
文化
大学
- ベイルート・アメリカン大学
- サン・ジョゼフ大学
- ビジネス・コンピューター大学
- Hagazian大学
- レバノン大学
- アメリカン・レバノン大学
- アメリカン科学技術大学
- ベイルート・アラブ大学
など21の大学がある。また、2006年2月に東京外国語大学中東研究日本センターが開所した。
姉妹都市
アンマン(ヨルダン・ハシェミット王国)
アテネ(ギリシャ共和国 アッティカ地方 中央アテネ県)
バグダード(イラク共和国 バグダード県)
ドバイ(アラブ首長国連邦 ドバイ首長国)
イスタンブール(トルコ共和国 イスタンブール県)
クウェートシティ(クウェート国 アースィマ県)
ルサカ(ザンビア共和国 ルカサ州)
ロサンゼルス(アメリカ合衆国 カリフォルニア州)
メキシコシティ(メキシコ合衆国)
モスクワ(ロシア連邦 モスクワ連邦市)
ケベックシティ(カナダ連邦 ケベック州)
サンパウロ(ブラジル連邦共和国 サンパウロ州)
トリポリ(リビア共和国 トリポリ県)
チュニス(チュニジア共和国 チュニス県)
エレバン(アルメニア共和国 エレバン地方)
画像
ベイルートの風景
ベイルートの夕焼け
鳩の岩 (Raouché、pigeon rocks)
レバノン議会, Place d'Étoile, 別名: Nejemah 広場
時計塔, Place d'Étoile, 別名: Nejemah 広場
Sursock house
ベイルートの衛星写真
脚注
^ “Climate of Beirut” (Russian). Weather and Climate (Погода и климат). 2014年10月8日閲覧。
^ “Libanon – Beyrouth” (Danish). Climate Data for Selected Stations (1931–1960). Danish Meteorological Institute. p. 167. 2013年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月2日閲覧。
関連項目
- レバノン侵攻 (2006年)
- 国際連合レバノン暫定駐留軍
レバノン内戦(1975年)
ワルシャワ:「北のパリ」と呼ばれている。
モントリオール:「北米のパリ」と呼ばれている。
ブエノスアイレス:「南米のパリ」と呼ばれている。
プノンペン:「東洋のパリ」と呼ばれている。
裸の銃を持つ男: オープニングの反米首脳会談は、ここが舞台となった。- 岡本公三
外部リンク
- ベイルート公式サイト
ダウンタウン・ベイルート (英語)
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