日本のアナウンサー





本記事日本のアナウンサー(にほんのアナウンサー)では、アナウンサーの日本国内での状況について述べる。




目次






  • 1 概要


  • 2 歴史


  • 3 アナウンサーの主な仕事


  • 4 雇用


    • 4.1 男女の人数


    • 4.2 雇用環境


    • 4.3 勤務内容


    • 4.4 人事


    • 4.5 様々な雇用関係


    • 4.6 採用




  • 5 その他の特徴など


    • 5.1 公式サイトの掲載プロフィール




  • 6 様々なアナウンサー


    • 6.1 女子アナウンサーとその背景


      • 6.1.1 女子アナウンサーの系譜


      • 6.1.2 タレント化に関する論議




    • 6.2 スポーツアナウンサー


    • 6.3 契約アナウンサー


    • 6.4 フリーアナウンサー


    • 6.5 放送メディア以外の職業


      • 6.5.1 司会業


      • 6.5.2 選挙関連


      • 6.5.3 場内アナウンス


      • 6.5.4 ナレーターコンパニオン




    • 6.6 ご当地アナウンサー




  • 7 脚注


  • 8 参考文献


  • 9 関連項目


  • 10 外部リンク





概要


アナウンサーは、放送するマスメディアが、収拾した情報を元に作った原稿を音読して視聴者へ伝達する者である。


日本の放送メディアで最初のアナウンサーは、1925年(大正14年)に現在はNHKにあたる東京放送局のラジオで声を発した京田武男とされ、当時のアナウンサー陣は他3名を加えた計4名であった。のちにテレビのアナウンサーが登場し、旧来の放送圏域が広い地上波のラジオやテレビに加えて、ミニFMやイベント放送局やコミュニティ放送、ケーブルテレビや衛星放送、インターネットラジオやインターネットテレビなどが登場し、各々でアナウンサーがいる。下記の歴史に詳述がある。


欧米ではニュースは記者の取材活動が重要と広く認識され、取材から原稿の作成・編集、読み上げまで一連する作業や、マイクや録音などの音声担当者やカメラマン、ディレクター、アシスタントディレクターなども含めて組織的連携の全ての役割や人物が欠けても番組は成立しない、と広く認識されている。ニュースでマイクやカメラの前で原稿を読む役割を担う職業を、組織的な責任の最後を担う専門的職業の意味を込めた「アンカー」や「ニュース・プレゼンター」と称する概念が重要視されている。日本は欧米ほどの認識は醸成されておらず、放送で原稿を読む者を単に「アナウンサー」称している。


現在の日本のアナウンサーは、一般的に「局アナウンサー(略称:局アナ)」と呼ばれることが多い放送局に所属するアナウンサーと、放送局に所属しないフリーアナウンサーの2つに大別され、新卒で採用された組織で勤務する「生え抜き」と中途採用者がいる。2018年時点でNHKのアナウンサーはおよそ500人で男性の比率がやや高く、民放は局ごとに傾向が変化している。下記の雇用に詳述がある。


人気テレビ局のアナウンサー採用試験は、採用者数に対して例年多数が応募している。アナウンサーのタレント・アイドル化が図られ、アナウンサーの好感度が調査されるなど容姿やタレント性も重視され、「アナ」との略称もみられる。



歴史


ラジオ放送開始時は経験者や手本になる資料などは存在せず、組織的な研修もできず、新聞記者や編集者から選抜された者が各自で話し言葉のスタイルを模索しつつ遂行した。


1925年(大正14年)3月22日、社団法人東京放送局によりラジオ放送が開始され、東京日日新聞の運動部記者出身の京田武男が第一声を発した。放送開始時のアナウンサーは他に、大羽涛(大羽仙外)、熊崎真吉、桐野音次郎の3名がいる。6月に翠川秋子が入局し、日本初の女性アナウンサーとなった。


日本初のスポーツ実況中継は、1927年(昭和2年)8月13日の第13回全国中等学校優勝野球大会の札幌一中対青森師範の試合を、社団法人日本放送協会元銀行員の魚谷忠が担当した。


1953年(昭和28年)2月1日、テレビ放送が始まる。第一声は志村正順アナウンサーによる局名アナウンスで、続いて当時NHK会長の古垣鐵郎が挨拶した。


1961年(昭和36年)にNHKを退職して独立して1962年(昭和37年)に民放番組の司会に抜擢された、高橋圭三が日本初のフリーアナウンサーである。



アナウンサーの主な仕事


「自分の声・言葉」を用い「広く一般に事象を伝達する」ために、アナウンサーは正しい日本語能力を要し、文法・アクセントに加えて放送局が内規する放送用語も順守する。主たる業務を下記する。




  • 報道番組や情報番組でニュースなどを正しく伝える。「スタジオ中継」と「現地リポート」の場合がある。

  • 各種スポーツの実況中継やリポート。

  • 報道対象に対する取材やインタビュー。

  • 番組の司会やアシスタント。タレント化が進んで以降は、タレントと同様にパネリストやトークゲストとしての出演も多い。


  • ナレーション(VTRや、スポンサー名読み、番組宣伝広告など)。

  • 所属する放送局のプロモーション


上記の「視聴者・聴取者」向けの放送への出演や取材の職務のほか以下のような放送以外の業務もある。



  • 番組出演の前打ち合わせと準備(メイクや衣装合わせ、原稿の下読みなど)および反省会。


  • ディレクターを兼ねたり、編集作業の一部を担当(地方局やミニ番組では人員的制約によりこの傾向が強い)などの地味な作業もある。

  • 放送局関連のイベントの司会。

  • 放送局やアナウンサー自身のブログやtwitterの管理。



雇用


NHKの全国のアナウンサーの人数は、2018年時点で、およそ500人である。



男女の人数


NHKの正局員における現役アナウンサーは東京本部・地域拠点局を含む地方放送局を問わず、古くから男性の方が女性より比較的多い。


民放の放送局における現役アナウンサーは、かつては性別に分けると男性の方が女性より多いという局が比較的多かったが、2018年現在は性別に分けると一つ目は男性も女性も人数が同数という局、二つ目は女性の方が男性より多いという局が増加傾向にある。また、民放の放送局での現役アナウンサーの性別での伸び率は女性の方が高い。



雇用環境


局アナウンサーは、編成部門のアナウンス部あるいは放送部などに属している。労働条件については正社員のほか、契約社員として勤務している者もいる。局アナウンサーは「社員」なので、基本的に局内に机もあり、仮眠室・食堂・ネットワーク・保険など社内の施設・福利厚生を利用できる。


地方局を中心に複数の放送局に在籍している(していた)局のアナウンサーは多く存在している。また、1つの放送局の在籍期間は放送局を移籍した2局目か2局目以降に在籍した期間が最初に在籍した放送局よりも長いと言うケースも多い。



勤務内容


若手を中心に宿直・早番・遅番などの交代勤務があり、早朝や深夜の生放送を担当する場合も含め、勤務時間や生活サイクルが不規則になるケースも多い。報道・情報番組は準備のため放送開始2時間前には出勤する必要があるため、早朝番組で生放送する出演者は深夜(2~3時)に自宅を出る(もちろん公共交通機関は一切動いていないので、局差し回しのタクシー、または許可を受けて自家用車で出社。自動車通勤は交通事故の懸念から通常は許されていないが、地方局では通勤のための交通機関がない場合もあり自動車通勤が認められている放送局もある)など、その勤務実態は過酷である。


職務の性格上、勤務は曜日が基準となり祝日も無関係であるが、一般に年に1回5日間程度のまとまった休みをとることが認められている。一部放送局では、労働組合との協定で週休2日制を強く守っている場合もある。(NHKの地方局ではその傾向が顕著である)社員であるため年次有給休暇も与えられるが、ほとんど消化できないのが現状で、1〜2か月まとめて消化してから退社するといったケースも多い。


地方局の場合はスタッフの人員が少ないため、アナウンサーであっても報道記者やディレクターなどの裏方仕事を兼務するケースが多く、支局駐在となるケースもある。



人事


多くの放送局では、アナウンサーは専門職とされるため、業務内容が大幅に異なる部署への異動になることは少ない。ただし、業務内容が近い報道記者への異動、国内外の拠点への異動、本人の強い希望がある場合は異動もある。また、報道記者に転出しても主にワイドニュースなどニュースキャスターとして出演を継続する元アナウンサーもいる。地方局の一部ではアナウンサーの肩書きを残したままで報道記者兼任という場合もある。また、現在は少なくなったが、所属する放送局が系列局を新設する際にアナウンス部門の指導員として新設局に出向するケースもある。


従来は異動の少ない業種だったため、一般部署への配置転換が否定的に報じられる事もある[1][2]。しかし2000年代頃より、アナウンサー個人のスキャンダルに対する一種の懲罰や、テレビ放送の完全デジタル化による負担増に伴う人件費抑制策などで人事異動を全社規模化する放送局が増えており、アナウンス業務から外される事例は珍しくなくなっている。


NHKの女性職員アナウンサーも以前は東京本部に転勤になるとほとんど動かないケースが圧倒的だったが、2010年代に入ると40歳代以上は管理職として、30歳代については男性アナウンサーとの格差是正を主眼として、東京から強制的に転勤させるケースが急増している。2011年は、年度替わりに30歳前後の2人が東京から出されたほか、6月24日付の幹部級人事では一気に5人が地域放送局のアナウンス統括職に起用され東京から転出、1人が東京内部で配置転換となった。なお、NHKの男性アナウンサーは全国各地を転々とするのが普通で、その途中人事でアナウンスから離れることも珍しくない。東京本部で働いた経験がないという事例も少なくないほか、東京本部で長く残れる人もほんの一握りである。中にはその地方の土地柄や環境などを気に入り、家まで建ててその地方局に継続的に、または職歴の大半において在籍するアナウンサーも極僅かではあるが存在する。(一例としてNHKではNHK盛岡放送局の上原康樹アナウンサー、NHK佐賀放送局の三上たつ次アナウンサーなど)


鈴木史朗(当時TBS)のように別部署に異動していた元アナウンサーが復帰するケースがあるほか、報道記者が転身するケースもある。対して、他部署から新たにアナウンサーになるケースは、1980-90年代のテレビ東京などに見られる程度で少ない。また、アナウンス部以外の部署に所属していても番組出演機会がある場合、「アナウンサー」の名称を用いるケースもある。


キャリアを重ねて管理職になると「[[チーフアナウンサー]]」や「[[エグゼクティブアナウンサー]]」の肩書きを持つケースが多い(主にNHK)。管理職もしくはベテランアナウンサーとなると、後輩の指導を行うほか、部内のアナウンサーのスケジュール管理などを行うため、番組出演がやや少なくなる傾向にある。ただし、労働争議によるストライキで組合員である若手アナウンサーが出演を見合わせた場合、彼らの代役として主に生放送番組に出演するケースもある。主にスポットニュースやワイドニュースが該当する。ただし番組によってはワールドビジネスサテライトのように、元々担当しているフリー契約のアナウンサーやナレーターのみで乗り切るケースもあれば、補いきれない場合は管理職のアナウンサーが出演する。ただ局によってテレビ東京のように人員が少なく補いきれないこともあり、その場合は同じ局で出演している同種番組のフリーアナウンサーが担当することもある。


現職のアナウンサーの役員就任は、2003年に朝日放送取締役に就任した道上洋三(2007年に退任、現:常勤顧問)など例はあるものの稀で、多くは他部署に異動後、就任している。


仕事を求めて別の局へ移籍するケースもある。地方局は契約社員であるなど身分が不安定なこともあってとくに多く、3社以上を渡り歩く者もいる。中途採用は経験者がほとんどであるが、異業種からの転職も見られる。



様々な雇用関係


放送局の正社員・契約社員として所属している者のほか、芸能事務所・制作会社からの派遣社員も存在する。在京キー局ではTBSのTBSニュースバードのキャスターや、TBS954情報キャスター(ラジオのみの出演)などが派遣社員でほぼ派遣先の放送局の専属出演する。TBSの場合、これらのキャスターは地上波放送への出演は少なく、それぞれCS放送やラジオへの出演が中心となる。局によっては「リポーター」「パーソナリティ」と称する。なお、ラジオ局の場合は中継車の運転やディレクター業務などアナウンス業務以外の業務も担うことがある。


フジテレビは、かつて「専属リポーター・司会者募集」の名目でアナウンサーを募集していた。これは当時同局に存在していた「労組・第二労組」の2組織に対し、創業者の鹿内信隆が、組合所属のアナウンサーをそのまま“アナウンサー”と呼び、第二組合の所属者を“リポーター”(正式名は「報道局解説放送室付リポーター」)や「司会者」と呼んで差別化を図っていた、いわゆる会社の内紛に起因した事象である。どちらも業務内容は全く同じで、これがアナウンサー採用試験と知らずに受験した者もいた程だった。田丸美寿々や辛坊治郎らもその一員とされる。辛坊はこの事実を知りフジテレビに入社せず、読売テレビに入社した。


GyaOは「ギャオーディション」というオーディション番組でアナウンサーを募集した。これはGyaOでのアナウンス業務をはじめ、ドラマ・バラエティ・映画など、自社媒体の番組へ出演する者の公募であり、GyaOを運営していたUSENの社員としての募集ではないので、一般にいわれる局アナウンサーとは意味が異なる。



採用


新卒採用の場合、4年制大学卒業を必須としている局がほとんど(地方局では短期大学卒業者を採用対象とするところもある)で、さらに募集要領には年齢制限、留年制限を設けているところが圧倒的に多い。また総務、制作などの部門とは採用枠が別に設けられていることも多い。前述の通り非常に人気の高い職種であるため、その競争率は非常に高くキー局アナウンサー試験の倍率は芸能オーデションの倍率をも凌駕する倍率である。居住地や出身地以外、さながら日本全国の放送局に対し応募書類を送ることも珍しくはなく、面接の度に日本全国を行脚する志望者もいる。学生時代にアルバイトでアナウンサーやリポーターの経験を積むか、アナウンススクールで指導を受けた方が有利であるとされる。一部の大学には「アナウンス研究会」というサークルまで存在する。


採用試験(面接試験を含む)では正しい日本語が話せるか、好印象を与える雰囲気・容姿を持つか、とっさの機転が利くかなどが重視される。語学やスポーツといった、業務に活かせる得意分野が求められる場合もある。


入社後は、数か月間の研修の後、短時間のナレーションや提供読み、スポットニュースのような難易度の低いとされる業務に就き、多くの場合、入社後半年から1年でレギュラー番組出演となる。初めての生放送出演は「初鳴き」と呼ばれることもある。稀に、研修と平行して4月の入社時からレギュラー番組を獲得するケースもある。こういったケースは人員の少ないローカル局がほとんどだったが、後にキー局でも見受けられるようになった。放送局などが直接運営するアナウンサースクールを実質研修の場と捉えていることがある。


非大都市圏の放送局を中心に、コストダウンのため、新卒採用であっても正社員としてではなく、期間を区切った契約職として採用する事例が増えつつある。これらの場合、契約満了時に解雇するか、それとも契約延長または正社員転換で残留させるかは、それぞれの放送局の判断に委ねられている。


かつてラテ兼営だったTBS東京放送(現東京放送ホールディングスは2001年10月1日よりラジオ部門を子会社化、その後テレビ部門も放送免許と現業全般を子会社に分割承継し、放送免許は「TBSテレビ」と「TBSラジオ(分割承継当時の商号はTBSラジオ&コミュニケーションズ)」に分離(コールサインをラテ別々化)。STVは2005年10月1日よりラジオ部門を親会社の「札幌テレビ放送」より分社して子会社の「株式会社STVラジオ」に継承(ただしコールサインは網走局を除き開局当初からラテ別々)。CBCは2014年4月1日より(2010年7月1日よりラジオ部門を子会社に承継。その後テレビ部門も放送免許と現業全般を子会社に分割承継し、放送免許は「CBCテレビ」と「CBCラジオ」に分離)。ABCは2018年4月1日よりラジオ部門・テレビ部門を子会社に分割承継し、放送免許は「朝日放送テレビ」と「朝日放送ラジオ」に分離(コールサインをラテ別々化)。ただし各局アナの採用は(人件費削減の観点から)ラテ別々ではなく、TBSテレビ・札幌テレビ放送・CBCテレビ・朝日放送テレビが行っており、TBSラジオ・STVラジオ・CBCラジオ・朝日放送ラジオにそれぞれ「アナウンサーの派遣業務」としてアナウンス業務を行っている。さらに(TBSラジオ・STVラジオ・CBCラジオ・朝日放送ラジオは)各ラジオ送信所の保守管理も(経費削減の観点から)TBSテレビ・札幌テレビ放送・CBCテレビ・朝日放送テレビに委託している。



その他の特徴など


放送局の企画で局アナウンサーが歌手デビューをしたり、ドラマや映画に出演するというケースも存在する(劇中の情報・報道番組に出演するキャスター役に起用されることもある)。


放送局同士のコラボレーション企画等により、局アナウンサーが他局の番組に出演するケースもある。この影響で局アナウンサーが裏番組と重複出演となるケースもある(詳細は「小林麻耶」の項を参照)。その他、放送局同士の共同制作番組を放送する際、その広告に各局アナウンサーが勢揃いで出演することもある。


本名で活動する者が多いが、中には芸名を用いる者も存在する(局アナ・フリーアナウンサー双方。ラジオの場合は「マイクネーム」と呼ばれることもある)。


局アナウンサーの中には講演会や結婚式の司会などの副業を行う者も存在する。有名になるに連れてだんだんとアルバイトでの収入も増え、所属局から貰う給料の倍以上の額を稼ぐ程になることもあるという。


テレビ局所属のアナウンサーはかつて水着着用で番組出演をする場面が見受けられたが、1990年代後半頃からは各局男女ともに水着姿での出演を規制するようになった(ただし、例外もある)。2015年現在、日本テレビの場合、アナウンサーを極めて高度な清廉性が求められる職種と位置づけている[3]



公式サイトの掲載プロフィール


顔写真・生まれた月日・大まかな出身地・血液型は掲載されているケースが多く、対して放送局に入社した時期・生まれた年・出身大学・身長などは掲載されていないケースも多い。なお、公式ウェブサイトの顔写真は公式プロフィール写真として、番組や放送局関連のイベントのウェブページや案内に使われるケースが多い。



様々なアナウンサー



女子アナウンサーとその背景


女子アナウンサーは、通称「女子アナ」として、その「タレント化」が顕著であるとされる者を特に指し、揶揄的に用いられる場合がある。特に民放、中でも東京キー局では「タレント化」の傾向が極めて著しい。


1980年代後半以降に採用された女子アナウンサーの大半が、俗に言う「ブランド大学」(東京六大学や関関同立など)の出身であり、またミスキャンパスに選出された経歴を持つ者も少なくない。また、業務上必要なアナウンス技術よりも、容姿を優先したり、誤読やトチリなど本来は許されないはずのミスを視聴率獲得のため珍重した結果、芸能人さながらの扱いを受けるケースが多いと見る向きもある。さらに2000年代以降は平井理央、紺野あさ美、宮澤智など元アイドルが女子アナとなる事例が見られる。


「下手な芸能人を使うより、自局の女子アナを起用した方が視聴者受けがよく、しかも安価」と彼女らを「商品化」するのは、「とにかく視聴率ありき」という商業主義の民放テレビ局の姿勢も大きいと見られる。また、女子アナにコスプレをさせることも多い。


その結果、キャリアを積み、「読みの技術」が高まった中堅アナウンサーを、「若い方が良い」、「バラエティ番組で使いづらい」との理由で冷遇する傾向があり、これは「女子アナ30歳定年(限界)説」なる言葉をも生んでいる。ただ、NHKでは女性であっても入局後数年間は地方局に配属させてアナウンサーとしての技量を磨きキャリアを積ませるという方針があり、「若さ」や「鮮度」よりもアナウンサーという「職業」として求められる技量を重視する傾向が強いので、民放とは全く事情が異なる。そのため、NHKでは逆に30歳を過ぎた中堅アナウンサーが重用されるケースが多い。


民放では「売れっ子」女子アナウンサーはその多くが20歳代で、30歳前後の年齢を一つの転機と見るのは一般的なOLと同じである。さらに「見られる職業」の最たるものであるため、その「鮮度」が露骨に求められ、30歳頃までに人気や実力を確立できなかった者は、容赦なく裏方に配置替えされ、次々に姿を消していく。「女子アナ30歳定年(限界)説」はこういった事象を背景にしており、女子アナウンサー本人がこれに言及しているケースもある[4]また、かつてフジテレビでは25歳での結婚退職を強制していた。[要出典]


女子アナは男性プロデューサーからセクシャルハラスメントを受けることが多くあるほか、局の幹部から接待の相手役に繰り出されることも多いとされる。これらの行為にも女子アナは番組キャスティング権を持つ重役からの命令であるため、否定できないという。女子アナがフリー転身を決断する背景にはこの風潮も一因であるとの向きがある[5]



女子アナウンサーの系譜


かつて女性アナウンサーの担当する分野は、料理、育児、手芸をテーマとする番組や、インタビューの聞き手などが主だった。


今日のようにタレント並みに注目を浴びる女子アナウンサーにつながる系譜は、1975年フジテレビに入社し、同局初の女性キャスターとなった後、女子アナウンサー史上初のスキャンダルを起こした[6]田丸美寿々や[7][8][9]、1978年NHKに入局し「TVガイド」の表紙を飾ったり、民放への大型移籍や玉の輿婚が話題になった頼近美津子らを端緒とする見方や[8][9][10][11]、1980年代前半のフジテレビアナウンサーによる当時は異例だった「コント色の強いバラエティ番組への参加」からなど、いくつかの見方がある[12]。1977年入社の益田由美は、なるほど!ザ・ワールドで体を張ったリポートで、「ひょうきん由美」と呼ばれ親しまれた。1980年入社の山村美智子、1984年入社の寺田理恵子、1985年入社の長野智子は、オレたちひょうきん族に「ひょうきんアナウンサー」と称され司会を務めた。


女子アナウンサーは「女子アナ」と略されることが多いが、この略語を誰が最初に作ったのかは定かではない。今とほぼ同じ意味での概念が成立し、この言葉が使われ始めたのは1980年代後半からとされることが多い。「女性アナ」という言い方ではこれ以前からあった。頼近のフジテレビ移籍を報じた1981年当時の週刊誌には「女性アナ」という表記が多く使われている[13][14]。1987年にフジテレビ出版から発行された同局アナウンサーを取り上げた書籍『アナ本』の中にはすでに「女子アナ」という表記が見受けられる。現在も「女性アナ」と表記することもある[15]。「女子アナ」と「女性アナ」という表記が混在する記事もみられる[16]


続編として1991年に発行された『アナ本2』では、当時「花の三人娘」と呼ばれた、有賀さつき、河野景子、八木亜希子に焦点が当てられた。1993年には、日本テレビの人気アナウンサー永井美奈子ら3人からなるユニット「DORA」が結成され、CDをリリースした。


女子アナウンサー路線はフジテレビ、次いで日本テレビが先行していたが、TBSには1993年に雨宮塔子が、1994年に進藤晶子が入社しそれぞれバラエティ番組とスポーツ番組で局の看板アナウンサーとなった。NHKには1994年に久保純子が入局し看板アナウンサーとなった。以後女子アナウンサー人気の定着とともに、各局とも女子アナウンサーと呼ばれるアナウンサーが増えていった。


1990年代後半から芸能事務所「セント・フォース」などは女性キャスター、リポーターに特化したマネージメント展開を行い、各局のニュース・ワイドショー番組に所属タレントを派遣。各局を退職したアナウンサーを所属タレントとして受け入れるほか、学生の所属タレントがその後、出演していた局のアナウンス職として採用される事例も存在し(本田朋子など)、さらには局との共同出資で芸能事務所(フォニックス)を設立するなど、局と事務所、相互の関係を深めている。


また、滝川クリステル(共同テレビ→フリー)、葉山エレーヌ→石田エレーヌ→葉山エレーヌ(日本テレビ)、加藤シルビアや小林悠(共にTBS)など、ハーフのアナウンサーが多く起用される傾向も見られる。外国人とのインタビューに際し通訳を介さず直接取材できる人材としての帰国子女や海外留学経験者と同等の理由で採用されているが、日本人のハーフに対するイメージから採用が多くなっているとも見られる。滝川、葉山(石田)などは当初は日本名で活動していたが、局のイメージ戦略のために意図的に外国名を名乗っており、タレント化の是非を巡る議論の一端となっている。



タレント化に関する論議


バラエティ番組やクイズ番組などで、社会的常識に欠ける発言や回答をするアナウンサーが時折見られる。これを「資質低下」として批判する意見と、番組の盛り上げ役を果たしているとして擁護する意見が存在する。元日テレアナウンサーの石川牧子が「若者の読み書きの能力は年々低下している」「入社希望の学生の漢字テストの成績が良くない」と語っている他、日本テレビOBの福澤朗も自身のブログで、「非常に憂慮している」とした上で、「テレビはもうアナウンサーを必要としていない」と苦言を呈している。有賀さつきは、出演者の瞬間的なリアクションに、自分を含めた番組製作者らは台本にはない魅力を共有しており、自分もボケの役割をある程度進んで引き受けていたことや、社会的常識があるはずの局アナのイメージを逆手に取った、演出の一面があったことを明かしている[17]



スポーツアナウンサー


該当者はCategory:スポーツアナウンサーを参照。スポーツ中継の実況担当は男性アナウンサーが務めることが圧倒的に多い。


中立且つ冷静な放送が求められるアナウンス職にあって、自らの興奮や感動をストレートに表現することが許される分野で、野球のホームランシーンなどを大声で伝える「絶叫型」アナウンスがある。しかし、これを良しとしない意見もあり、視聴者・聴取者(リスナー)の好みによる所が大きい。また、世相や試合状況にアナウンサーが応えられるかにもよる。


1936年のベルリンオリンピックで、水泳女子の前畑秀子が金メダルを獲得した際、ラジオ中継を担当していた河西三省は、激しいデッドヒートを受けて「前畑頑張れ!前畑頑張れ!」と38回連呼し、日本中に感動と興奮を伝えた。


一方で、2000年9月14日のシドニーオリンピック、サッカー日本代表の試合で得点の際「ゴール!」を20回以上(最大29回)叫んだ日本テレビの船越雅史(現在はアナウンス職から離脱)の実況には多くの批判・抗議が寄せられた。



契約アナウンサー


契約局員 (NHK) ・契約社員(民放など)は「契約アナウンサー」と呼ばれる。人件費削減の波を受け増加傾向にあるが、契約社員の直接雇用等、今後の課題が残されている。


契約アナウンサーは女性に多く、男性では少ない。


NHKは多くの場合、女性アナウンサーの事例にあてはまる。職員・契約を合わせたアナウンサーのうち、女性は職員アナウンサーが少なく、配属されていない地方放送局もある。そのため、各放送局が個別で契約アナウンサーを採用するケースが比較的多い。


芸能事務所(東京・地方を問わず)に所属している放送局の契約アナウンサーも少なからず存在している。


契約アナウンサーをキャスターまたはリポーターと称している。そこからNHKの正職員・局アナウンサーとなったのは、現在までのところ森田美由紀と荒木美和の2人である。


民放ローカル局を中心に契約社員を採用する局が増加しており、非正規雇用がアナウンサーの分野にも広がっている。



フリーアナウンサー



この場合の「フリー」は、放送局と直接の雇用関係がないことを指す。完全なフリーランスでなく、人材派遣事務所や芸能事務所などに所属している者もこう呼ばれる。


局アナとフリーアナウンサーの仕事内容に実質的な違いはないが、局アナは社員・職員としての給与と仕事の供与、労働三権が保証されている代わりに、社命である業務や異動を基本的に断れない。勤務地が大きく変わることはないが、別の分野を担当させられる。要は局アナは「会社員」(NHKのみ「団体職員」)であり、その権利と同時に組織の一員としての義務を負い、局の方針に反することはできない。一方、フリーアナウンサーは芸能人でもあり、仕事は事務所や知り合いの紹介、オーディションなどを通じ、自ら獲得する必要があるが、その内容は選ぶことができる。報酬は実力次第で、有能なフリーアナウンサーは局アナよりも高額の収入を得られるケースもあるが、各種手当や福利厚生もなく、業務必需品は自分で揃える必要がある。仕事のミスに対する批判も組織構成員である局アナウンサー以上にシビアであるとされる。


最初からフリーアナウンサーとして活動する者や、別業種からの転職者もいるが、局アナがその経歴と知名度を生かし、所属局を退職後独立するケースが多い。その動機は「自分を試したい・仕事の幅を広げたい」や、一説には「フリーになれば10倍以上になる」といわれる収入面での問題が多いとされる。


なお、局アナが所属局を退職してフリーアナウンサーに転身する場合、古巣局への義理立ての意味もあり、フリー転身直後は一定期間他局への出演を控えるという慣例がある。明確に一定期間他局に出演しないと古巣局と取り決めを持つ場合もある。系列局制作番組や企業のコマーシャルへの出演はフリー転身直後でも可能の場合あり。


その一方で、大塚範一、小倉智昭、露木茂、羽鳥慎一のようにフリー転身の翌月から他局でレギュラー番組を持つという例外もある。特に羽鳥は日本テレビ退職の数日後にテレビ朝日でレギュラーでの冠番組を開始させた。この時は日本テレビ・テレビ朝日両社上層部との話し合いがあったという。羽鳥のこの離れ業でフリー転身後の身でも他局からの仕事を請けやすくなったという向きもある[18]。また、一時期の三雲孝江、小宮悦子、高島彩、ラジオ局の元アナウンサーなどのように、フリー転身後も他局ではほとんど仕事をせず、古巣局制作番組しかほぼ出演しないという人物も存在する。


NHKアナウンサーがフリーとなる場合、初めのうちは民放局と専属契約を結び、軌道に乗ったら完全フリーに、という傾向が多い。羽佐間正雄、久保純子のようにNHK退職直後にNHKと専属契約した人物もいる。



放送メディア以外の職業


後述のように、放送メディア以外の分野でアナウンス活動を行うものも存在する。後述以外にも「ラジオパーソナリティ」、「ディスクジョッキー」、「声優」、「ナレーター」、「朗読家」なども求められる資質が似ていることから、アナウンサー業と掛け持ちする例がある。



司会業








選挙関連


選挙立候補者の応援演説や、選挙カーから候補者名や政策を連呼する活動が知られる。女性の場合、その声を鳥に例え「ウグイス嬢」と呼ばれる。男性の場合「カラス君」や「カラスボーイ」の俗称があるが、女性が一般的なのであまり使われない。



場内アナウンス


競技場やホールなどで、選手交代や演目などの案内を観客に告げる職業。女性の場合「ウグイス嬢」の俗称がある。



ナレーターコンパニオン


商品説明や司会進行を担当するイベントコンパニオン。



ご当地アナウンサー


そもそも使用例が少ないが、特に三大都市圏以外の道県において、放送局の放送圏域内で生まれ育って、同局でアナウンサーとして活動する者を指す(ただし、単に「地元の放送局所属のアナウンサー」という使用例もある[19])。


NHKは全国組織であるため、基本的に一定年数同じ地域に勤務した場合は、他の地域へ転勤となる。このため、出身地で勤務できる可能性はそれほど高くない。しかし逆に地元勤務となった場合は、そのことを最大限に利用して地域社会に貢献することができる。近年各放送局の役割再強化を図っているNHKに於いては、ご当地アナウンサーは重要な戦力となる。


富山では、山田重光が福岡を一旦離れてUターンして以降、アナウンスを統括する放送部副部長が3代続けて地元富山県出身者となっている。隣の新潟では、2009年8月の時点で6人いるアナウンサーの半分が地元新潟県出身者だった(後に転勤で1人出て2人に)。拠点局ではない一般放送局でこうした事例はまれである。山形県では、柴田徹がUターン後、山形弁でふるさとを語るバラエティ番組『今夜はなまらナイト』を立ち上げ、今や全国にファンを有する。拠点局でも、名古屋は単身赴任者を含め愛知県出身者が多く在籍している。


民放はNHKと異なり、特定地域だけをエリアとする。「キー局」と呼ばれる在京局も、本来は東京都または関東のローカル局であり、NHK以上に地域に根差した活動を行っている。


民放の中には、法令改正で差別的雇用が禁じられるまで、アナウンサーの採用にあたって、その放送局が所在する都道府県の出身者に限るという条件を付ける場合があった。


サガテレビでは、少なくとも1990年代までは正社員としてのアナウンサー採用を佐賀県出身者に限っていた。県外出身者については、あくまでもニュース番組のアシスタントとしての扱いだった。現在は特に女性アナウンサーを契約職採用中心に切り替えたため、こうした制限はなくなった。正社員アナウンサーは公式サイトに全員入社年が記されており、2010年に花田百合奈が初の県外出身正社員アナウンサーとして入るまで全員が佐賀県出身者だった。


テレビ大分では、現在でもアナウンサーの採用を大分県出身者に限っている模様である。しかし、小笠原正典アナウンサーと、田辺智彦アナウンサーは、県外生まれである。そのため、アナウンサープロフィールの出生地が、その他のアナウンサーと違う。



脚注


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  1. ^ 入社29年目で“左遷” フジ川端健嗣アナに何が… 日刊ゲンダイ2013年8月6日掲載記事


  2. ^ 中野美奈子と同時に卒業した2人の女子アナ“気の毒”な最後 週刊ポスト2012年7月13日


  3. ^ 【NHK】「アナウンサー内定取り消し 一転採用へ」


  4. ^ 大橋未歩 『大橋未歩のミホちゃんねる!』 集英社、2006年、ISBN 978-4087804379、190頁 等


  5. ^ 『週刊ポスト』2013年6月21日号


  6. ^ 『週刊現代』 2008年8月23、30日号 25-27頁。


  7. ^ ウィンウィン対談 田丸 美寿々さん 「報道特集」ニュースキャスター、逸見政孝氏 田丸美寿々を「20年に一人の逸材」と語っていた(NEWSポストセブン)、日本初の女子アナ 1年で退社し9年後年下男性と心中した(NEWSポストセブン)、田丸美寿々さん: わたしと司法 | 関東弁護士会連合会

  8. ^ ab「女子アナ体張りすぎ!30年史」、『FLASH』、光文社、2013年9月10日、 p.50、2014年5月17日閲覧。

  9. ^ abasahi.com(朝日新聞社):元祖美人アナ頼近美津子さんが死去 Archived 2009年5月23日, at the Wayback Machine.(新聞記事と内容は若干異なる)。元祖美人アナ頼近美津子さんが死去、53歳


  10. ^ 女子アナウンサーがタレント化するはしりとなった(朝日新聞、2009年5月20日、35面)。


  11. ^ 河野景子、八木亜希子ら80年代フジ女子アナ列伝 - NEWSポストセブン
    美人女子アナの草分け…頼近美津子さん死去(芸能) ― スポニチ 2009年5月20日、20面 Archived 2009年5月21日, at the Wayback Machine.
    元祖アイドルアナ頼近美津子さん、食道がんで死去 - 芸能:ZAKZAK
    追悼・頼近美津子さん 音楽を愛し、音楽に支えられ サンケイスポーツ、2009年5月20日、21面[リンク切れ]
    「週刊ポスト」2009年6月5日号 小学館、30頁。
    「週刊ポスト」2012年1月1・6日号、58-61頁 「史上最強の女子アナは誰だ!!」
    「女性自身」2009年6月9日号 光文社、50頁。
    「文藝春秋」、2009年7月号、文藝春秋、276頁。
    『アナウンサーのすべて 女性編』共同通信社、1998年、60頁。



  12. ^ 河野景子、八木亜希子ら80年代フジ女子アナ列伝 - NEWSポストセブン


  13. ^ 『週刊サンケイ』 1981年2月11日号 26頁。


  14. ^ 『週刊朝日』 1981年2月23日号 37頁。


  15. ^ 民放キー局:女性アナ5人が出演する北京五輪放送CMが完成
    お笑いナタリー - 女芸人とテレ東女性アナがやりすぎ騎馬戦バトル
    日テレ女性アナが自殺か/主要ニュース速報/デイリースポーツonline



  16. ^ 見出しが「女子アナ」で本文では「女性アナ」という表記(女子アナ行かぬW杯 治安に不安、TV各局派遣見送り)。


  17. ^ 有賀さつき 『さつき白書』 浪漫新社、1994年、ISBN 978-4847012020。


  18. ^ 『週刊実話』2011年10月13日 特大号


  19. ^ 7/23(土)ご当地アナウンサー8人が集結!Koboスタ宮城で“わくわく夏まつり満喫対決”を開催!(楽天野球団)




参考文献



  • NHKアナウンサー史編集委員会 『アナウンサーたちの70年』 講談社、1992年、ISBN 978-4062032322。

  • 日本放送協会 『20世紀放送史』 日本放送協会、2001年、ISBN 978-4140071991。

  • 小松克彦、女子アナ愛好会 『新・女子アナ時代』 双葉社、2000年、ISBN 978-4575290769。

  • 共同通信社 『アナウンサーのすべて[女性編]』 共同通信社、1998年、ISBN 978-4764130364。

  • 岡野敏之 『女子アナぱこぱこ大図鑑』 讀賣新聞社、1993年



関連項目



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    • 日本の地上デジタルテレビ放送

    • 2011年問題 (日本のテレビジョン放送)



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外部リンク



  • アナウンサーになるには? 天職攻略大図鑑

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