名宝会館
画像提供依頼:映画館のあったビル全景および館内の画像提供をお願いします。(2009年3月) |
名宝会館 Meiho Kaikan | |
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1936年頃の名古屋宝塚劇場[1] | |
情報 | |
正式名称 | 名宝会館 |
旧名称 | 名古屋宝塚劇場 |
完成 | 1935年 |
開館 | 1935年11月3日 |
開館公演 | 宝塚歌劇団星組公演『花詩集』 |
閉館 | 2002年12月1日 |
最終公演 | ゴジラ/ゴジラvsモスラ(名宝劇場) チェンジング・レーン(名宝スカラ座) トリック劇場版(名宝シネマ) |
収容人員 | (3館合計)2,096人 |
設備 | ドルビーデジタル(サラウンドEX)、DTS |
用途 | 映画上映 |
運営 | 中部東宝株式会社 |
所在地 | 〒460-0008 愛知県名古屋市中区栄1-2-6 |
最寄駅 | 地下鉄伏見駅(7番出口) |
名宝会館(めいほうかいかん・1935年11月3日開業 - 2002年12月1日閉館)は、かつて名古屋市中区栄(広小路通)にあった東宝系の映画館(名宝劇場、名宝スカラ座、名宝シネマ)の総称である。
目次
1 歴史
2 各館の特徴
2.1 名宝劇場
2.2 名宝スカラ座
2.3 名宝シネマ
3 出典
4 参考文献
歴史
1935年11月3日、「名古屋宝塚劇場」として開館。当初は宝塚少女歌劇などの実演と映画の上映の二本立てで、観客定員数は1,994席だった[1]。2階にはレストラン「名宝グリル」、5階にはアイススケートリンクがあった[1][2]。1938年2月23日に3階を改装し「名宝会館」が開館。1940年5月23日に「名宝文化映画劇場」に改称した。
終戦後の1945年には、西川鯉三郎(二代目)が主宰する舞踊公演『名古屋をどり』の旗揚げ公演が行われた他、同年10月には並木路子主演・佐々木康監督の松竹映画『そよかぜ』が上映されている[2]。また1951年9月1日には、日本最初の民間放送局である中部日本放送の開局記念番組『浜松風』と、バラエティーショー『謳うCBC』が名宝劇場から生放送された。
1954年4月26日、「名宝文化映画劇場」は東宝邦画系封切館「なごや東宝」に改称[2]。1955年12月23日、増築により、6階に洋画ロードショー館「名宝スカラ座」が開館、5階のアイススケートリンクはテナントとしてダンスホール「ムーンリバー」に改築された。「名宝文化映画劇場」はなごや東宝と同じ3階にて再開しATG専門館「名宝文化」となった。2階にはニュース映画専門館「名宝ニュース劇場」がオープン。同時に「名宝会館」という総称が与えられ、1967年に開館する名鉄東宝と共に愛知県内東宝系のチェーンマスター的存在となった。名古屋市千種区に所在する「ちくさ正文館書店」本店の店長・古田一晴は、中学1年生だった1965年1月9日に『パサジェルカ』(監督アンジェイ・ムンク、1961年制作、日本初公開1964年11月)と『尼僧ヨアンナ』(監督イエジー・カワレロウィッチ、1961年制作、日本初公開1962年4月)といったポーランド映画を名宝文化で観たという[4]。
1969年、この年の2月1日から12月20日まで行った大幅な改築工事により、名古屋宝塚劇場はなごや東宝を吸収し、東宝邦画系封切館として再オープン。同時に名宝文化は名宝劇場と同じ階に移動。3階に洋画ロードショー館「名宝シネマ」が開館した[2]。1972年5月、名宝文化が閉館。名宝会館は3館体制でリニューアルオープンした。
以降、『ゴッドファーザー』、『スター・ウォーズ』、『エイリアン』、『インディ・ジョーンズ』シリーズ、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『トップガン』、『ジュラシック・パーク』、『タイタニック』、『日本沈没』、山口百恵・三浦友和主演シリーズ、『ドラえもん』シリーズ、『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』などのヒット作品を次々と生み出した。
しかし、1990年代半ばから近隣のシネコンに客足を奪われ始め、さらに建物の老朽化も進んでいたことから、2002年12月1日、『ゴジラ(第1作)』と『ゴジラvsモスラ』の上映を最後に67年間の歴史に幕を閉じた。名古屋市中心部の東宝邦画系上映は、中日本興業運営の「名古屋ピカデリー」(センチュリー豊田ビル内・2003年1月 - 2016年6月)を経て「ミッドランドスクエア シネマ」(ミッドランドスクエア内及びシンフォニー豊田ビル内)へと集約されている。
2004年11月1日、名宝会館跡地に「名古屋東宝ビル」が竣工(同ビル内に映画館はない)。併設してビジネスホテル「ロイネットホテル(現・リッチモンドホテル)名古屋納屋橋」がオープンした。それに先駆けて、ムーンリバーは2003年末、隣接するヒルトン名古屋等のあるアムナットスクエア(AMMNAT SQUARE)内の名古屋朝日会館(朝日新聞名古屋本社とが入っているビル)内に移転し、店名も「ウィンターガーデン」に改めた。
各館の特徴
※ 館名・座席数はいずれも閉館当時のもの。
※ 最末期は全館ともドルビーデジタル対応。サラウンドEXとDTSは名宝劇場を除き対応していた。
名宝劇場
定員946人。東宝邦画系作品のみを上映。千代田劇場→日劇東宝→日劇2系列のチェーン。1ヶ月に1作程度の割合で、新作が公開された。
名宝スカラ座
定員982人。常に、大作の東宝洋画系作品を上映。日比谷スカラ座 のチェーン。名鉄東宝などと並ぶ県内東宝系のチェーンマスター的存在だった。
名宝シネマ
定員168人。常に特徴のある洋画と邦画を上映。終盤期には、主にニュー東宝シネマ(後のTOHOシネマズ有楽座)系の作品を上映していた。
出典
- ^ abc“戦前期日本の映画館写真(7)神戸・名古屋編”. NFC Digital Gallery - No.9. 東京国立近代美術館 (2015年2月17日). 2016年7月29日閲覧。
- ^ abcd沢井鈴一 (2009年7月17日). “第5回「映画の町の名宝会館」”. 沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」. Network2010. 2014年8月28日閲覧。
- ^ ab『報道写真集 名古屋情熱時代』樹林舎、2009年。
^ 古田一晴 (2013年11月). “名古屋とちくさ正文館”. 日本の古本屋メールマガジン. 東京都古書籍商業協同組合. 2014年8月28日閲覧。
参考文献
柴田勝 『中京名古屋映画興行の変遷(明治三十年より昭和四十九年迄)』、1974年。