イロコイ連邦




イロコイ連邦(イロコイれんぽう、英: Iroquois)またはホデノショニ連邦(英: Haudenosaunee「ロングハウスを建てる人々」の意)は、北アメリカ・ニューヨーク州北部のオンタリオ湖南岸とカナダにまたがって保留地を領有する、6つのインディアン部族により構成される部族国家集団をいう。今日ではシックス・ネイションズの別名で呼ばれることもある[1]




イロコイ連邦の国旗。イロコイ憲法を記録した「ワムパム・ベルト」を意匠としている。




目次






  • 1 歴史


  • 2 統治


  • 3 文化


    • 3.1 農耕


    • 3.2 食文化




  • 4 アメリカ連邦政府との関わり


  • 5 イロコイ連邦(六部族連邦)に属するアメリカ及びカナダの六部族国家


  • 6 インディアン・カジノ


  • 7 各部族国家の代表的な酋長


  • 8 脚注


  • 9 参考文献


  • 10 関連項目


  • 11 外部リンク





歴史




フランス人からの交易品を身につけるイロコイ族(1722年)




1650年のイロコイ連邦の領土




18世紀にタスカローラ族が同盟し、6部族連合となった


「大いなる法」などの呼称で伝わる起源伝承によれば[1]、17世紀に、ワイアンドット族(ヒューロン族とも、Huron)のデガナウィダと、モホーク族のハイアワサの調停によって、互いに戦争状態にあった五大湖湖畔のカユーガ族(英語版)、モホーク族、オナイダ族(英語版)オノンダーガ族(英語版)セネカ族(英語版)の5つの部族が同盟し、「ホデノショニ(Haudenosaunee)」という今日「イロコイ連邦」として知られる6部族連合の連邦国家が成立した。デガナウィダによって設計されたこの部族連合は、18世紀前半にタスカローラ族(英語版)が加わって6部族連合となったのち、現在まで強固な結束を保っている。5部族の和平を結び連邦の成立を成し遂げたデガナウィダとハイアワサは、「グランド・ピースメーカー(Grand Peace Maker)」 として知られている。


イロコイ連邦はヨーロッパ人の到来以前から機能しており、実際の連邦の成立は14世紀半ばまでさかのぼるとする研究もある[1]。また、その成立過程は5か国が一度に結集したわけではなく、モホーク・オナイダ・オノンダーガの3か国が先に連邦を形成し、のちにカユガ、セネカが参加したと考えられている。


「イロコイ」の名称は、ワイアンドット族(現在、インディアン管理局監視・管理下のワイアンドット国(英語版))が「イリアコイ(黒い蛇)」と呼んだ通称に、フランス入植者が「ois」を語尾に付け、「イロコワ(Iroquois)」と呼んだのが由来である。彼ら自身は「オングワノシオンニ(我ら長い小屋に住む者)」と自称する。



統治


イロコイ連邦に所属する国家は母系社会であり、クラン・マザー(氏族の母)をはじめとする女性たちが合議し、連邦を運営する首長たちを推挙・解任する[1]。首長は連邦全体で50名で構成され、モホーク9名、オナイダ9名、オノンダーガ14名、カユーガ10名、セネカ8名と決まっている。首長にはそれぞれに称号があり、次代の首長へと継承される。その中にはワンパムの保管など特別な役目をもつ称号もある。


首長は年に一度オノンダーガ領内にある「中央の炎」と呼ばれる場所に集まり、連邦全体に関わる問題を討議した[1]。連邦のうち、モホーク・オノンダーガ・セネカは「年上の兄弟」、カユーガ・オナイダは「年下の兄弟」と呼ばれるグループに分かれる。ある議題を論議する場合、まず年下の兄弟のあいだで討議し、その議論を年上の兄弟たちは傍聴する。次に年上の兄弟たちが同じ議題について議論し、年下の兄弟で出た結論と同じ結論になればそれで可決となる。結論が異なった場合、議論は振り出しに戻る。全体が納得するまで議論する仕組みから、結論が出るまでに1年以上かかることも珍しくなかった。


重要な決まりごとはワムパム・ベルト(英語版)という貝殻ビーズの織物に幾何学模様で記録する。19世紀になると、白人たちがでたらめな模様のワムパム・ベルトを作って売り買いしたため、これを正規物と誤解したインディアン部族間の戦争まで起こった。現在も部族の法を記録したこの織物は大切に保持されている。




敵の頭の皮を手土産に、捕虜を連行するイロコイ戦士(1849年)


イロコイ連邦は女が農耕をおこない、男は戦士を務める軍事国家だった。彼らは周辺のインディアン部族に戦いを挑み、敵部族の捕虜に対して両側から棒で殴られる中を走らせるガントレットの儀式で試し、これに耐えた戦士を新しい血、公式な部族員として迎えた。イロコイの戦士の苛烈さは他部族のみならず白人入植者を震え上がらせた。彼らは敵部族に拷問を行う風習も持っていた。また、彼らは敵部族を征服し傘下とすると、安全保障条約を結び、その部族に代わって他の部族と戦った。


こういった獰猛な戦士の姿から、イロコイ連邦の部族に「蛇」をイメージするインディアン部族は多かった。オジブワ族は彼らを「ナドワ(毒蛇)」と呼んだ。これは「スー族(ナドウェズスー=小さい毒蛇)」と同じ由来である。オッタワ族は彼らを「マッチェナウトワイ(悪い蛇)」と呼んだ。



文化




「ロングハウス」




粉を挽き、干した果物を砕くイロコイ族の女性(1664年)



農耕


ロングハウスという、数家族が同居する住居(右図)を伝統住居とし、トウモロコシや豆、カボチャを栽培する農耕を行った。イロコイ連邦の部族はこの三種の作物を「三姉妹」と呼んで崇める。彼らの伝統的な作付けは、これらの種を同じ場所に撒き、トウモロコシに豆が絡みつき、その根元をカボチャが覆う、というものである。トウモロコシと豆を共に栽培するのは、労力の節約のほかに土壌から失われる窒素を豆で補う効果もあった。



食文化


1日に一度、朝と昼の中間の時間に正餐をとり、野禽のロースト、魚介類、サラダやベイクドパンプキン、ベイクドスクワッシュ、ヘーゼルナッツのケーキなどを食した。これらはニューイングランドの古典的な料理であるクラムチャウダー、ボストン・ブラウン・ブレッド、クランベリー・プディングなどの原型となった[2]



アメリカ連邦政府との関わり








フーデノショーニー(イロコイ連邦)のパスポート。最初期の部族パスポート構想は1923年から始まるものである


アメリカの独立戦争に際しては英国側に与して戦ったが1779年に敗れて、1794年にアメリカ合衆国連邦政府と平和友好条約を結んだ。鷲の羽根を使った独自のパスポートを発行し、使用を認められたケースもある。日本国政府は2005年に宗教史協会の集まりでイロコイ連邦代表団が来日した際に、このパスポートを承認している。2010年の国際スポーツ大会においては、イロコイのラクロスチームは、国務省より個人的な承認を受けたものの、イギリス政府はその使用を承認しなかった[3][4]


連邦政府が公認した全米500以上に上るインディアン部族は、インディアン管理局(BIA)の監視・管理下にある「部族会議」を設置してen:Federally recognized tribesが集まる首長制になっている。


イロコイ連邦は、首長制を強制するBIAの監視・管理下にある「部族会議」に相当する組織を最初から持たず、アメリカ合衆国=BIAの干渉を一切拒否し、「調停者」の合議制による自治独立を実現している稀有なインディアン部族である。これはアメリカ合衆国政府が条約で保証している、保留地(Reservation)の本来の姿である[5]


イロコイ連邦の連邦制度自体、アメリカ合衆国の連邦制度の元になっており、13植民地がアメリカ合衆国として独立する際に、イロコイ連邦が協力して大統領制を始めとする合衆国憲法の制定にも影響を与えたとする研究者もいる[6][7]。この場合、イロコイはフランクリン(→アルバニー計画)や、ジェファーソンに影響を与えたのみならず、独立から憲法の制定にいたる過程で具体的な示唆を与えていた[8]


このイロコイ連邦(六部族連邦)のシステムは、植民地の政治家や思想家の心をとらえ、そのなかの何人か(フランクリンやトマス・ペイン)は、ロングハウスでの同盟部族会議に参加し、外交についての授業を受けている。イロコイ連邦の長老は、何度も彼らの連邦のスタイルを白人たちの13植民地のモデルとして彼らに提示している[9]


合衆国のハクトウワシの国章はイロコイ連邦のシンボルを元にしたものであり、合衆国憲法そのものも、言論の自由や信教の自由、選挙や弾劾、「安全保障条約」、独立州の連邦としての「連邦制」などがイロコイ連邦からアメリカ合衆国へと引き継がれたものである。また、イロコイは事実上、最も初期に女性の選挙権を認めた集団である[10]


イロコイ連邦の六部族国家のひとつ、オノンダーガ国(英語版)は自治権の強さで知られ、海外への旅行の際にもアメリカ政府のパスポートを必要としない。1973年に「ウーンデッド・ニー占拠」の代表団の一人で、連邦から訴追されたデニス・バンクスが、1983年、FBIから逃れるためにオノンダーガ国に亡命して話題となった。FBIはオノンダーガ国内に侵入できず、バンクスに手が出せなかった。イロコイ国家はこの「ウーンデッド・ニー占拠」では代表団を送り、オグララ・スー族の独立国家宣言に対し、真っ先にこの独立を承認した[11]


2009年9月21日、ニューヨーク州のセネカ族国家は、セネカ部族民が西半球を主権的に旅行できる旅行身分証明書を発行するため、アメリカ合衆国国土安全保障省と開発協定の約定書に調印した。このカードが発行されれば、セネカ族国民はアメリカの国境を自由に越え海外と行き来出来ることとなる[12]



イロコイ連邦(六部族連邦)に属するアメリカ及びカナダの六部族国家




オノンダーガ族の村(17世紀、サミュエル・ド・シャンプラン画




  • セネカ族(英語版) オノドワーガ Onodowohgah(丘の上の人々)ともいう。「西の扉を守るもの」であり、「六兄弟の“長兄”」。


  • モホーク族 カニエンケハカ Kanienkehaka(火打石の人々)ともいう。「東の扉を守るもの」。


  • オノンダーガ族(英語版) オヌンダガオノ Onundagaono(丘の人々 )「炎とワムパムを守るもの」であり、「六兄弟の“兄”」


  • オナイダ族(英語版) オナヨテカオノ Onayotekaono(直立した石の人々)ともいう。「中央の炎を守るもの」であり、「六兄弟の“弟”」。


  • カユーガ族(英語版) グヨーコーニョ Guyohkohnyo(大沼沢地の人々)ともいう。「聖なるパイプを守るもの」であり、「六兄弟の“弟”」。


  • タスカローラ族(英語版) スカルレン Ska Ru ren(麻を採る人たち)ともいう。 18世紀初頭に加わった「六兄弟の“弟”」。



インディアン・カジノ


「インディアン・カジノ」は、保留地と連動したアメリカ連邦政府との連邦条約規定に基づくインディアン部族の権利である。貧困にあえぐインディアン部族にとってこれは、「現代のバッファロー」と呼ばれる最後の切り札である。イロコイ連邦では現在、3部族が以下のカジノを運営している。


  • セネカ族


「セネカ・アレガニー・カジノ」

「セネカ・ゲーミング・エンターテインメント」 - 二か所で営業

「セネカ・ナイアガラ・カジノ」

「レイクサイド・ゲーミング」

「バッファロー渓流カジノ」


  • モホーク族


「アクウェサスネ・モホーク・カジノ」

「モホーク・ビンゴ・パレス」

「モホーク・モンチセロ競馬場&カジノ・リゾート」 - 競馬場も併設した一大娯楽リゾート

「モホーク・山岳カジノ・リゾート」


  • オナイダ族

「曲がり角の石のカジノ・リゾート」


各部族国家の代表的な酋長




ニューヨーク州バッファローでの集合写真(1914年)


  • セネカ族



レッド・ジャケット(ソゴイェワファ Sogoyewapha)セネカ族の英雄


コーン・プランター(カイイオントワコン Kaiiontwa'kon)セネカ族酋長


ハンサム・レイク(ガネオディヨ Ganeodiyo) セネカ族酋長


  • モホーク族



ハイアワサ(Hiawatha) モホーク族の戦士。17世紀にワイアンドット族のデガナウィダとともにイロコイ連邦を創設した英雄。


ジョセフ・ブラント(タイイェンダナゲア Thayendanagea) モホーク族酋長


キング・ヘンドリック(チヤノガ Tiyanoga) モホーク族酋長



脚注


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  1. ^ abcde木村 2005, pp. 72-83.


  2. ^ 東理夫 『クックブックに見るアメリカ食の謎』 45頁


  3. ^ Samantha, Gross (2010年7月14日). “UK won't let Iroquois lacrosse team go to tourney”. Yahoo News. Associated Press. https://news.yahoo.com/s/ap/20100714/ap_on_sp_ot/us_lacrosse_iroquois_passports 


  4. ^ Kaplan, Thomas (2010年7月16日). “Iroquois Defeated by Passport Dispute”. New York Times. https://www.nytimes.com/2010/07/17/sports/17lacrosse.html?_r=1&pagewanted=all 


  5. ^ 『聖なる魂』(デニス・バンクス、森田ゆり、朝日文庫1993年)


  6. ^ Fadden, John Kahionhes. The Tree of Peace.


  7. ^ Armstrong, VI (1971). I Have Spoken: American History Through the Voices of the Indians. Swallow Press. p. 14. ISBN 0-8040-0530-3. 


  8. ^ 『Debating Democracy: Native American Legacy of Freedom』(Bruce E.Johnson、Clear Light Books、1998年)


  9. ^ “World Geophysical Year Science Forum”、1952年


  10. ^ 『Iroquois Culture & Commentary』(Doug George-Kanentiio、Clear Light Pub、2000年)


  11. ^ 『OJIBWA WARRIOR』(Dennis Banks&Richard Erdoes、University of Oklahma Press、2004年)


  12. ^ 『Indian Country Today』(2009年9月21日記事、Gale Courey Toensing)




参考文献



  • L.H.モルガン「古代社会 上巻」(岩波文庫)

  • デニス・バンクス、森田ゆり「聖なる魂」(朝日文庫)

  • 横須賀孝弘「北米インディアン生活術」(グリーンアロー出版社)


  • 星川淳「魂の民主主義」(築地書館)

  • Dennis Banks&Richard Erdoes「OJIBWA WARRIOR」(University of Oklahma Press)

  • 木村武史、綾部恒雄(編)、2005、「ネイティブの諸結社」、『クラブが創った国 アメリカ』、山川出版社〈結社の世界史〉 .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"""""""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}
    ISBN 463444450X



関連項目




  • ヌーベルフランス、アカディア


    • ビーバー戦争(17世紀)、en:Great Peace of Montreal


    • 北米植民地戦争(17世紀から18世紀)


      • ウィリアム王戦争(1689年 - 1697年)

        • en:Schenectady massacre(1690年)



      • アン女王戦争(1702年 - 1713年)

        • ディアフィールド奇襲(1704年)



      • フレンチ・インディアン戦争(1754年-1763年)






  • ワバナキ連邦(英語版)(1689年-1862年)、五部族のWabanaki nations(1862年-1993年)、ワバナキ連邦(1993年-現在)
    • アベナキ族



  • マスコギー国(1799年–1832年)

    • クリーク族、セミノール族



  • 偉大なるスーの国(英語版)(1868年-)、ラコタ共和国(ミクロネーション)
    • スー族


  • アメリカインディアン運動

  • ジョージ・ワシントン

  • ルイス・ヘンリー・モーガン

  • ジャミロクワイ

  • アンジェリーナ・ジョリー

  • UH-1


  • 近隣窮乏化政策、同化政策、自治共和国、自治区



外部リンク








  • Iroquois Indian Museum(英語)


  • Canadian Genealogy (The Iroquois)(英語)


  • 連邦のホームページ「六ヶ国」(英語)


  • イロコイ・ネット(英語)


  • オープンディレクトリ上の「イロコイ連邦」(英語)

  • ポーラ・アンダーウッド/星川淳(共著)『小さな国の大いなる知恵』、翔泳社、1999年




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