第1426飛行班 (イギリス空軍)
No. 1426 Flight RAF | |
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第1426飛行班の整備兵により整備されるフォッケウルフ Fw190とユンカース Ju 88(1945年) | |
創設 | 1941年11月21日 - 1945年1月17日 1956年1月1日 - 1956年12月31日[1] |
国籍 | イギリス |
軍種 | イギリス空軍 |
任務 | 敵航空機の評価、展示飛行 |
基地 | ダックスフォード空軍基地、コリーウェストン空軍基地、コメークザー空軍基地 |
作戦機 | メッサーシュミットBf109 E-3/F-4/G-2/G-6/G-14、メッサーシュミット Bf110 C-5、フォッケウルフ Fw190 A-4、ハインケル He111 H-3、ユンカース Ju 88 A-5/A-6/G-1/R-1/S-1、ヘンシェル Hs 129 B-1 アブロ アンソン I、エアスピード オックスフォード II、ジェネラル・エアクラフト モノスパー ST-25、アブロ リンカーン B.1[1] |
第1426飛行班(だい1426ひこうはん、No. 1426 (Enemy Aircraft) Flight RAF, nicknamed "the Rafwaffe")は、鹵獲した敵航空機の評価および、他の連合国部隊に対してこれら飛行機の飛行特性を披露することを目的として、第二次世界大戦中に編成されたイギリス空軍の飛行班である。また、王立航空研究所 ファーンボロー部門(Royal Aircraft Establishment:RAE)で任務に就いた数機も、この部隊で使用された。戦争期間中にファーンボローのRAE施設は、鹵獲したドイツ空軍機やイタリア空軍機の飛行試験に利用された。
枢軸側の不時着した多くの機体が、分析や試験、また他の捕獲機体を実働可能状態に維持するにあたっての補修部品を剥ぎ取るため、ファーンボローに運び込まれた。主要な飛行試験作業は実験飛行部空力飛行班(the Aerodynamics Flight of the Experimental Flying Department)と無線/電子機器飛行班(the Wireless & Electrical Flight:W&EF)で実施され、後者の機関は、戦争後期にはレーダー装置を装備した航空機の評価と試験を担当した。
目次
1 歴史
2 運用した航空機 (1941–1945)
2.1 枢軸国の航空機
2.1.1 メッサーシュミット Bf 109
2.1.2 フォッケウルフ Fw190
2.1.3 ユンカース Ju 88
2.1.4 その他の機種
2.2 支援航空機
3 現存機
4 ギャラリー
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
歴史
第1426飛行班は1941年11月にダックスフォード空軍基地において、以前第41飛行団でテストパイロットの育成に当たっていた少人数のパイロット達により結成された[2]。当初この部隊は2年前に英国側の手中に落ちたハインケル He111(AW177)、バトル・オブ・ブリテン期間中に鹵獲したメッサーシュミットBf109 (AE479)、ユンカース Ju 88 A-5 (HM509)を運用していた。Ju 88は当時は英国が入手した最新の機体で、この機の搭乗員は、夜間にイギリス側の保有するチブナー空軍基地を、ドイツ側の保有するフランスの飛行場と誤認し、着陸させたものであった。これは搭乗員が、ドイツ側のビーコンを真似て英軍の設置した欺瞞装置であるミーコン(Meacon)に騙され、航法を誤ったためであった[3]。この部隊には一般連絡任務と修理部品の収集用に1機のジェネラル・エアクラフト モノスパーも割り当てられていた。
この部隊の保有する航空機は、連合国軍兵士による鹵獲や、ドイツ軍パイロットの不時着/誤着/亡命といった様々な方法から、続々と英空軍の手に落ちた更なる機体のために入れ替わり続けた。鹵獲後これらは空戦研究部(Air Fighting Development Unit、ダックスフォード空軍基地 1940-1943年)に引き渡され、飛行隊に送られる前に広範囲な試験を実施された。数機は墜落で失われるか、損傷したものは他の機体の補修部品として部品取りに供された。その他の機体は更なる評価のためにアメリカ合衆国へ送られた。後に第1426飛行班はコリーウェストン空軍基地へ移動となった。
第1426飛行班は1945年1月17日にコリーウェストン空軍基地で部隊運用を停止され[2],[4]、同日にタンメア空軍基地で部隊コードEA、中央飛行研究所(Central Fighter Establishment)内の「敵航空機飛行班」("Enemy Aircraft Flight")として再編された。この部隊は最終的に1945年12月に解隊された[1]。
1955年12月に第7飛行隊が解隊されるとアデン「紛争」での偵察任務を実施するため、1956年1月1日にアデンのコメークザー空軍基地で「第1426(写真偵察)飛行班」として4名の搭乗員と乗機が分遣された。この部隊は1956年12月31日に解隊されたが、最後はアブロ リンカーンを爆撃機として運用していた[1]。
運用した航空機 (1941–1945)
枢軸国の航空機
このリストは完全なものではないことに注意が必要である。鹵獲された全ての枢軸国軍機というわけではなく、また英空軍シリアル番号を付与されて第1426飛行班に配備され使用された機体の全てではない。その他の機体は(Air Fighting Development Unit:AFDU)と王立航空研究所(RAE)で使用された。
メッサーシュミット Bf 109
型 | 製造番号 | ドイツ軍での機番 | 英空軍シリアル番号 | 鹵獲の状況 | その後 |
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E-3 | 1304 | 白 1[5] | AE479 | 第76戦闘航空団/第1飛行中隊のカール・ハイル(Karl Hier)軍曹の搭乗機、1939年11月22日にヴェルト近郊でフランスにより鹵獲:1940年5月2日に英空軍へ引き渡し。 | 1942年4月にアメリカ合衆国へ移送:1942年11月3日ライト・フィールドにて墜落。 |
E-4/B | 4101 | 黒 12 | DG200 | 1940年11月27日、英第66飛行隊のスピットファイアの攻撃により被弾:マンストン空軍基地に胴体着陸、搭乗員のヴォルフガング・トイマー(Wolfgang Teumer、第51戦闘航空団所属)は捕虜となる[6]。 | その他の機体の部品を流用して修理され、ロールス・ロイス社によりテストされる。1942年2月にプロペラのテストのためにハットフィールドの研究開発施設に引き渡され、その後ボスコムダウンの航空機・兵装実験機関(A&AEE)へと送られ、1942年3月に第1426飛行班に引き渡される。1943年に保管に回され、1976年からのイギリス空軍博物館での展示を前に1969年に修復のためにセント・アサン空軍基地へ移送。イギリス空軍博物館のバトル・オブ・ブリテン館にて展示[6]。 |
F–2 | 12764 | << + | ES906 | 元第26戦闘航空団/第I飛行隊の飛行隊長ロルフ・ピンゲル大尉の乗機:1941年7月10日にショート スターリングを攻撃中に反撃を受けてドーバー近郊に胴体着陸。 | RAEにて修理され、1941年10月にAFDUにて評価:1941年10月20日にフォールメア近郊で墜落 |
F–4/B | 7232 | 白 11[7] | NN644[7] | 元第26戦闘航空団/第10(Jabo)飛行中隊の所属機:1942年5月20日に英海軍の駆逐艦を攻撃中に対空砲火を受け被弾、ビーチヘッドに胴体着陸[7]。 | 終戦まで稼動[7]。 |
G-2/Trop | 10639[8] | 黒 6[8] | RN288[8] | 元第27戦闘航空団/第8飛行中隊の所属機:1942年11月にリビヤのトブルク近郊の飛行場で、豪第3飛行隊が破損した状態で遺棄されているのを発見。 | 第3飛行隊により他の機体の部品を流用して修理。砂漠航空軍の塗装を施され飛行隊機番"CV-V"を与えられ、北アフリカにて評価。1943年遅くに第1426飛行班に引き渡し[8]。イギリス空軍博物館に展示[8]。 |
G-6/U2 | 412951 | 白 16[9] | TP814 | 第301戦闘航空団/第1飛行中隊の飛行中隊長ホルスト・プレンツェル(Horst Prenzel)少尉の乗機:1944年7月21日に侵入途上の夜間爆撃に対するヴィルデ・ザウ戦術での作戦飛行後、誤ってマンストン空軍基地に着陸。もう1機のBf 109も着陸を試みたが墜落[9]。 | 1944年11月23日のウイッターリング空軍基地での離陸中の事故により除籍[9]。 |
G-6(trop.) | ?? | VX101 | 1943年に中東で鹵獲。 | 1944年5月19日のソーニーアイランドでの不時着により除籍[9]。 |
フォッケウルフ Fw190
型 | 製造番号 | ドイツ軍での機番 | 英空軍シリアル番号 | 鹵獲の状況 | その後 |
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A–3 | 135313 | MP499[10] | 1942年6月23日に第2戦闘航空団/第III飛行隊の飛行副隊長アルミン・ファーベル(Armin Faber)中尉がスタートポイント上空で英空軍のスピットファイア機を撃墜後、方位を見失う。帰還しようと試みるも南に向かうべきところを北へ飛行し、ペンブリー空軍基地に着陸[11]。 | 1943年9月18日に抹消[10]。 | |
A-5/U8 | 2596 | 白 6[12] | PN999 | 元第10高速爆撃航空団/第I飛行隊のヴェルナー・オーネ (Werner Ohne)伍長の乗機:1943年6月20日に誤ってマンストン空軍基地に着陸。 | 1946年7月に第47整備部隊シーランドへ保管のために発送。記事冒頭の写真に写る機体 |
A-4/U8 | 7155 | PE882 | 元第10高速爆撃航空団/第III飛行隊本部飛行中隊オットー・ベックトールダー(Otto Bechtolder)伍長の乗機:1943年4月16日に航路を見失い、燃料不足のためにウエスト・モーリング空軍基地に着陸を強いられる。 | 1944年10月13日に墜落、第1426飛行班のE・R・リューエンドン(E.R. Lewendon)大尉が死亡。 | |
A-4/U8 | 5843 | 赤 9 | PM679 | 元第10高速爆撃航空団/第2飛行中隊のハインツ・エアハルト(Heinz Ehrhardt)伍長の乗機:1943年5月20日に誤ってマンストン空軍基地に着陸[12]。 | 1944年6月に離陸して間もなく重大なエンジン故障により不時着。PE882とPN999の部品取りとして使用。 |
ユンカース Ju 88
型 | 製造番号 | ドイツ軍での機番 | 英空軍シリアル番号 | 鹵獲の状況 | その後 |
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A-4 | 4D+DL | EE205 | 元第30爆撃航空団/第3飛行中隊の所属機:1941年7月23/24日のバーケンヘッドへの夜間爆撃後に誤ってラルスゲート・ボトム空軍基地に着陸[13]。 | ||
A-5 | 6073 | M2+MK | HM509 | 元KuFlGr.106所属機:1941年11月26日に誤ってチブナー空軍基地に着陸[14]。 | 1944年5月19日に着陸時のグランドループにより損傷:修理可能であったが部品取り用に転用[14]。 |
G-1 | 712273[15] | 4R+UR[15] | TP190[16] | 第2夜間戦闘航空団/第III飛行隊所属の(Maekle)上級伍長の乗機でFuG 220 'リヒテンシュタイン' SN-2 レーダーとFuG 227 'フレンズブルク'探知機とFuG 350 'ナクソス'を装備した夜間戦闘機:1944年7月13日に誤ってウッドブリッジ空軍基地に着陸[15]。 | 1945年10月に廃棄処分[16]。 |
R-1 | 360043[17] | D5+EV | PJ876[17] | 第3夜間戦闘航空団/第10飛行中隊所属のリヒテンシュタインBCレーダー装備の機体:1943年5月9日に亡命希望の搭乗員によりスコットランドのダイス空軍基地に飛来[17]。 | イギリス空軍博物館に保存[17]。 |
S-1 | 140604 | RF+MT | TS472 | 1944年9月にパリ近郊のヴェリジー=ヴィラクブレーで鹵獲[12]。 | 記事冒頭の写真に写る機体 |
その他の機種
機種 | 型 | 製造番号 | ドイツ軍での機番 | 英空軍シリアル番号 | 鹵獲の状況 | その後 |
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メッサーシュミット Bf110 | C–4 | 2177 | 5F-CM | AX772 | 元4.(F)/14の所属機:1940年7月21日に偵察任務中に英空軍戦闘機に迎撃され、グッドウッド競馬場に不時着[18]。 | 王立航空研究所がこの機体を修理、評価を行った後、1941年10月にダックスフォードの空戦研究部(Air Fighting Development Unitに送られる。1942年3月からAX772は第1426飛行班へ移され[2]、1945年1月にタンメアの中央飛行学校の敵航空機飛行班(the Enemy Aircraft Flight)に移管された。同年11月に第47整備部隊シーランドに保管。1947年に廃棄処分。 |
フィアット CR.42 ファルコ | MM5701 | 13-95 | BT474 | 1940年11月11日にエンジン故障によりオーフォード・ネスの海岸に不時着[19]。 | イギリス空軍博物館に保存[19]。 | |
ハインケル He111 | H-1 | 6853 | 1H+EN | AW177 | 元II./第26爆撃航空団/第II飛行隊の所属機。 | 1943年11月10日に旅客機として数名の第1426飛行班の地上要員を輸送中にポールブルック空軍基地で墜落。パイロットのバール大尉(F/O Barr)とその他6名の搭乗者が死亡、4名が負傷[2]。 |
ヘンシェル Hs 129 | B-1 | 0297 | NF756 | 第2地上攻撃航空団/第I飛行隊の所属機:北アフリカで鹵獲[20]。 | 1943年7月7日に分解状態で第1426飛行班が受領[2]。1947年8月に除籍。 | |
メッサーシュミットMe 410 | A–3 | 10259[21] | F6+OK[22] | TF209 | この機体は元2(F)/122所属、イタリアのモンテ・コルヴィーノにて地上で無傷鹵獲[22]。:搭乗員はナポリ地域の写真偵察任務中に失われていた[21]。 | 1946年まで稼動[22] |
支援航空機
第1426飛行班で運用された支援航空機[1]
航空機 | シリアル番号 |
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アブロ アンソン Mk.I | N9882 |
エアスピード オックスフォード Mk.II | V3781 |
ジェネラル・エアクラフト モノスパー ST-25 | K8308 |
現存機
この部隊で運用された4機の機体が現存する。イギリス空軍博物館にメッサーシュミットBf109 E-3 AE479、Bf 109 G2 RN228('黒6'として知られる)、フィアット CR42 BT474とユンカース Ju 88R-1 PJ876が展示されている。
ギャラリー
AE479 メッサーシュミットBf109 E-3 米国に移送後ライト・フィールドにて(1942年5月14日)
イギリス空軍博物館に展示されるRN288 メッサーシュミットBf109 G-2
HM509 ユンカース Ju 88 A-5
イギリス空軍博物館に展示されるPJ876 ユンカース Ju 88 R-1
TP190 ユンカース Ju 88 G-1
AX772 メッサーシュミット Bf110 C-5
イギリス空軍博物館に展示されるBT474 フィアット CR.42 ファルコ
脚注
- ^ abcdeLake 1999, p. 88.
- ^ abcdeSally Bennett (2006年1月10日). “Brief History of The Rafwaffe (Flight 1426)”. People's War. BBC. 2010年12月3日閲覧。
^ Weal (2000), Ju 88 Kampf. p. 70.
^ The Rafwaffe, Peter Gosling, February 2003, Flight Journal.
^ “Bf 109 E-3”. www.bf-109.com. 2010年12月12日閲覧。
- ^ ab"Individual History MESSERSCHMITT Bf109E-4/B W/NR.4101/DG200/8477M" RAF Museum. Retrieved: 4 December 2010.
- ^ abcdWeal (2000) Bf.109 Aces p.31
- ^ abcde"Individual History Messerschmitt Bf109G-2/TROP W/NR.10639" RAF Museum. Retrieved: 4 December 2010.
- ^ abcdWeal (2000) Bf.109 Aces p.75
- ^ abWeal (1996) p. 25
^ Weal (1996) p. 24
- ^ abc“CH15610”. IWM Collections. Imperial War Museum. 2010年12月3日閲覧。
^ “CH15605”. IWM Collections. Imperial War Museum. 2010年12月3日閲覧。
- ^ abWeal (2000), Ju 88 Kampf. p. 70
- ^ abcBritish Air intelligence report (PDF, 44.4 KB) - German Ju 88 mistakenly lands at RAF Woodbridge
- ^ ab“No. 9335. Junkers Ju 88 G-1 (TP190 c/n 712273) Royal Air Force”. 1000Aircraftphotos.com (2009年10月31日). 2010年12月3日閲覧。
- ^ abcd"Individual History Ju 88 R-1, Werk Nr. 360043" RAF Museum. Retrieved: 3 December 2010.
^ “HU930008”. IWM Collections. Imperial War Museum. 2010年12月3日閲覧。
- ^ ab"Individual History FIAT CR42 `FALCO' MM5701/8468M" RAF Museum. Retrieved: 4 December 2010.
^ Powell, Hickman (1944年7月). “The "Rafwaffe" Flies for Us”. Popular Science 145 (1): 46A. http://books.google.co.uk/books?id=3CEDAAAAMBAJ&lpg=PP1&dq=Popular%20Science&pg=PA48-IA1#v=onepage&q&f=false 2010年12月12日閲覧。.
- ^ ab“Aufkl. Gr. 122 Nov 1943”. luftwaffedata.co.uk. 2010年12月10日閲覧。
- ^ abc“CH15616”. IWM Collections. Imperial War Museum. 2010年12月3日閲覧。
参考文献
- Lake, Alan. "Flying Units of the RAF".Airlife Publishing. Shrewsbury. 1999. ISBN 1 84037 086 6
- Weal, John. Bf 109 F/G/K Aces of the Western Front. Botley, Oxfordshire, UK: Osprey Publishing, 2000 ISBN 1-85532-905-0
- Weal, John. Fw 190 Aces of the Western Front . Botley, Oxfordshire, UK: Osprey Publishing, 1996. ISBN 1-85532-595-0.
- Weal, John. Ju 88 Kampfgeschwader on the Western Front. Botley, Oxfordshire, UK: Osprey Publishing, 2000. ISBN 1-84176-020-X.
関連項目
陸軍航空審査部 - 輸入の同盟国機および鹵獲した連合軍機のテスト飛行を実施した日本陸軍航空の組織。- 第200爆撃航空団 (ドイツ空軍)
ロザリウス・サーカス - 鹵獲した連合軍機のテスト飛行を実施したドイツ空軍の部隊。
en:Allied Technical Air Intelligence Unit - 連合国軍航空技術情報部隊、日本軍機の評価をおこなった連合軍の部隊。
エリック・ブラウン (飛行士) - イギリス海軍艦隊航空隊出身の第1426飛行班の指揮官。鹵獲した機体のほとんどを操縦し、最も多くの機種の航空機を操縦した世界記録を持つ。