イギリス海軍
王立海軍(おうりつかいぐん、Royal Navy)は、イギリスの海軍。イギリス海軍、英国海軍などとも表記される。
目次
1 名称
2 概要
3 歴史
3.1 サクソン海軍
3.2 チューダー王朝前
3.3 チューダー王朝
3.4 コモンウェルスネイビー
3.5 ロイヤル・ネイビー
3.6 世界進出
3.7 ナポレオン戦争
3.8 改革と近代化
3.9 第一次世界大戦と軍縮条約
3.10 第二次世界大戦
3.11 冷戦
3.12 現在
4 習慣と伝統
5 組織
5.1 艦隊構成
6 階級
7 主要基地・施設
8 装備
8.1 艦艇
8.2 航空機
9 脚注
10 参考文献
11 関連項目
12 外部リンク
名称
英語で特に国名を冠さず単に“Royal Navy”(ロイヤル・ネイビー)とする場合、通常イギリスの海軍を指す。Navy は本来艦隊を意味する言葉であり、イングランド国王が保有する艦隊であったが、やがてイングランドの海上戦力に係る組織全般を意味するようになった[1]。“Royal Navy”の呼称は1660年に与えられたものであるが、イギリスが連合王国となったのは1707年である。つまり、日本では1707年以前の“Royal Navy”或はそれ以前の“Navy”も“イギリス海軍”と表記しているが、これらは本来イングランド海軍と呼ぶべきものである[2]。
ロイヤル・ネイビーの呼称は、現役の水上艦隊 (Surface Fleet)・潜水艦隊 (Submarine Service)・艦隊航空隊 (Fleet Air Arm) の3隊の集合体を指す場合に使用される。また、それら現役の3隊に加え、補助艦隊 (Royal Fleet Auxiliary)・予備艦隊 (Royal Naval Reserve) を包括する概念を指す場合には、ネーバル・サービス("Naval Service", 海軍)の呼称が用いられる。ただし、英語圏においても公式の文書等きわめて厳格にその概念を区分する必要がある場合を除き、ネーバル・サービスを指してロイヤル・ネイビーと言うことが多い。また、いずれの場合にも名称に国名が含まれていないが、省略されているわけではなく、含まないものが正式名称である。
概要
王国の軍隊となったのはイギリス軍の中で最も古く、19世紀の初めから20世紀中まで、世界でも屈指の規模を誇る海軍であった[3]。基本的に各国の軍では陸軍が序列の最上位になるのと異なり、イギリス海軍は「先任軍(Senior Service)」とされており、形式的であるとはいえイギリス空軍とイギリス陸軍よりも上位の存在とされている。
1815年から1930年代後期まで「イギリス帝国」の世界的な影響力をもつ組織として確立させる過程において最も重要な役割を果たした。第二次世界大戦では、海軍は約900隻の艦艇を保有した。冷戦の間、主に対潜水艦戦の艦隊に再編され、大部分はGIUKギャップで警戒任務に投入された一方で、スエズ動乱やフォークランド紛争で見せた、対外遠征能力を保持し続けている。しかし、21世紀に入って以降は、ソビエト連邦の崩壊により対潜水艦戦の役割が相対的に低下している。
2017年現在、イギリス三軍中唯一核兵器を保有しており、航空母艦、ヘリコプター母艦、ドック型揚陸艦、弾道ミサイル潜水艦、原子力潜水艦、ミサイル駆逐艦、フリゲート、対機雷艦艇、哨戒艦、補助艦艇などバランスのとれた艦隊を構成している。予算不足等によりVTOL機を含めた固定翼艦載機が退役し、本格的な洋上航空戦力を欠いた状態が数年続いており、2017年12月には新空母が就役したものの航空機運用能力を獲得するのは2020年と予定されている。
歴史
イギリスは島国のため海軍の歴史は比較的古い。海軍は帆船を主として擁し、ガレー船の類は用いなかったようである。対外戦争で度々海戦を行っておりその多くにおいて勝利を収めた。世界のあらゆる場所でイギリスの艦船が行き交い世界一の海軍として並ぶもののない存在であった。
第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけては、多数の戦艦を保有し、世界各地に拠点を保有していたが、20世紀後半には植民地の独立と経済不況に伴い、その規模を大きく減じた。
21世紀においては、軽空母を主力としており、戦略的な兵力投射能力を著しく減じていると指摘されている[4]。
サクソン海軍
最初の海軍は、9世紀にイングランドのアルフレッド大王によって設立され、プルックス・ガッターのワンツム海峡でヴァイキングを打ち負かしていたにもかかわらず衰退し始めたが、アゼルスタン王によって復旧された。そして、937年のブルナンブルフ海戦で勝利した時、イングランド海軍はおよそ400隻の船からなる戦力を手にした。
ノルマン侵入が迫っている時、ハロルド2世はウィリアム征服王を防ぐため、自国の艦隊が海峡を渡っていると信じたが、ハロルドの艦隊は嵐で損害を受けて港に入っていて、ノルマン人はヘイスティングズの戦いでハロルドを破った。
チューダー王朝前
1155年にノルマンディー公が五港同盟を結んで得た船で海軍を作った。百年戦争の開戦時、イングランド海軍はフランス海軍に戦力で劣っていたが、1340年のスロイスの海戦においてフランス艦隊を一掃した。しかし、1372年と1419年のラ・ロシェル沖におけるフランスとカスティーリャとの海戦で、イングランド海軍はかなりの損害を負った。そして、イングランド本土の港がジーン・デ・ヴィエンヌ (Jean de Vienne) とフェルナンド・サンチェス・デ・トヴァル (Fernando Sanchez de Tovar) の指揮する艦隊の襲撃による被害を受けた。幸いなことにフランスは海軍力の戦略的重要性を理解していなかったため、制海権は間もなくイングランドの手中に戻った。
欠地王は500帆からなる艦隊を持ち、14世紀中頃のエドワード3世時代の海軍は約712隻の船を保有していた。
チューダー王朝
16世紀にヘンリー8世による最初の革命で、王立の海軍 (Navy Royal) として拡張が行われた。キャラックのグレート・ハリーとメアリー・ローズが建造され、1545年にソレント海戦でフランス海軍と戦った。1547年にヘンリー8世が死去するまで、海軍は58隻まで増強された。
ヨーロッパの超大国であり、16世紀において一流の海軍をもつスペイン帝国は、イギリス海軍に対する優位とイングランドに侵攻するため、1588年にオランダから無敵艦隊と上陸部隊を出撃させた。スペインの目論みはオランダの妨害とアルマダの海戦でドレーク・ノリス遠征艦隊に撃破されたため潰えた。また、エリザベス1世の統治中、大西洋を渡るスペインの船とスペインの港湾を襲撃し、莫大な富を王室へもたらした。
ヘンリー8世
エリザベス1世
コモンウェルスネイビー
イギリス海軍は誕生から存続し続けたわけではなかったが、イングランドでは17世紀中頃、チャールズ1世によって国家の資金で常備艦隊が維持されるようになった。
しかし、このことにより国家の財政が圧迫されたことが清教徒革命の原因ともなり、イングランド内戦でチャールズ1世が敗北したため、イングランドはオリバー・クロムウェルが統治する共和国となり、海軍も「共和国海軍」となった。海軍は議会の指揮・監督を受けるようになり、これは王政復古後も定着している。
ところが、内戦で分裂した海軍には人材が残っておらず、やむなく議会派の大佐クラスの陸軍軍人を「ジェネラル・アット・シー」に任命し、艦隊の指揮をさせた。その一人ロバート・ブレイクによって海軍は再建されたが、この再建は無計画な借金によって賄われており、その負債は王政復古後も残ることになる。
ロイヤル・ネイビー
1660年、王制復古の宣言がされると、ロバート・ブレイクの死後ジェネラル・アット・シーの筆頭格だったジョージ・マンク将軍(後の初代アルベマール公)が王党派に転じ、後任のジェネラル・アット・シーであるエドワード・モンタギュー(後の初代サンドウィッチ伯爵)に対し、艦隊を率いて国王を亡命先のオランダへ迎えに行くよう指示した。モンタギューはこの頃地方に隠遁していたが、当時モンタギュー家の執事だったサミュエル・ピープスをロンドンに残し、彼を通じて議会の動向を把握しており、マンクの指示に従ってイングランド艦隊を掌握し、オランダからチャールズ2世を連れ帰った。
このように、イングランド海軍は王政復古に際し、全艦隊を挙げて王党派に転じたことでチャールズ2世によってその忠誠を賞され全幅の信頼を得、ロイヤルの称号が与えられて「ロイヤル・ネイビー(国王の海軍)」となった。ピープスは王政復古後、ネイビー・ボード長官やイギリス海軍本部書記官といった公職を歴任し、議会によるコントロール下の海軍の制度を整備し、共和国時代の負債解消に務めた。そのため、彼は「イギリス海軍の父」とも呼ばれている。
フランシス・ドレーク
ジョージ・マンク
初代サンドウィッチ伯爵エドワード・モンタギュー
サミュエル・ピープス
世界進出
第2次と第3次英蘭戦争においてイギリス海軍は敗北した。その後、緩やかに世界で最強の海軍へと発展していったが、18世紀前半になるとイギリス海軍は他国の海軍に比べて財政的問題が深刻化し、活動と管理に悪影響を及ぼした。しかし、イギリス政府は債券を通して海軍に融資する方法を編みだし、資金を得たイギリス海軍は他国の海軍に対処する封鎖の戦略を開拓し始め、常に高い士気、優れた戦術と戦略の段階的発展、多量の資源に支えられた。
1805年から1914年まで、「ブリタニアは大洋を制した」(Britannia rule the waves、派生してルール・ブリタニアの詩・愛国歌として知られる)という言葉通り、世界中の海で圧倒的な支配力をもった。1805年以前もイギリス海軍の戦略的な失敗は、アメリカ独立戦争中に行われた1781年のチェサピーク湾の海戦だけで、この時は有能なコント・ド・グラス(Comte de Grasse)の指揮するフランス艦隊に敗北した。
イギリス海軍の水兵が“ライミー”と呼ばれることがあるが、これはビタミンC不足による壊血病を防ぐ目的で、この時代に彼らにレモンやライムを支給するようになったことに由来する[5]。
ナポレオン戦争
ナポレオン戦争開戦時にはイギリス海軍の能率はピークに達し、全ての海軍に対して優位を占めるに至った。エジプト・シリア戦役では当初フランス軍に後れを取った対仏大同盟側がナポレオンの意図をくじくことに成功したのは、ナイルの海戦での勝利をはじめホレーショ・ネルソン提督率いるイギリス海軍の活躍あってのものであった。さらに1805年10月21日のトラファルガーの海戦では、フランス軍によるグレートブリテン島本土侵攻の危機を打ち払う偉大な業績をあげた。数も少なく船も小型であったが、ネルソン卿指揮下の熟達した艦隊は、彼自身の生命を引き換えに、フランス・スペイン連合艦隊を相手に決定的な勝利を手にした。
トラファルガーの勝利は、ヨーロッパ諸国の制海権に勝るイギリスをより有利な立場にし、イギリス海軍は制海権を握ることで、必要な時に必要なだけの兵力を世界中に展開する戦略を確立していった。これは七年戦争を含めて19世紀の間に行われたイギリス帝国の建設で効果が証明された。
ナポレオンはイギリスの制海権と経済力に対抗するため、イギリスと取引するヨーロッパの港を閉鎖した(大陸封鎖令)。また、多数の私掠船を認可し、フランス領の西インド諸島から西半球のイギリス商船に圧力をかけた。イギリスは私掠船のために貴重な戦力を割くこともできず、そもそも大型な船は快速で機動力のある私掠船を追跡して撃破するには効果的ではなかったため、小型軍艦を建造して対応することにした。イギリス海軍は伝統的なバーミューダ様式のスループ帆船を発注し、その他にも多数の小型軍艦を用意した。
ナポレオン戦争中の1812年に、アメリカ合衆国がイギリスに宣戦布告してカナダに侵攻し、米英戦争が勃発した。より巧みに設計されたアメリカのフリゲートは、イギリスの軍艦より重いにも関わらず、より快速であった。そのため、幾度かイギリスの軍艦が敗北を被ることがあり、海軍本部はフリゲートとの交戦を禁止するほどであった。また、アメリカの私掠船による被害も深刻であった。しかし、イギリス海軍は徐々にアメリカの海上封鎖を強化していき、実質的に全ての取引を阻止した。アメリカ海軍のフリゲートも港に留まるか、拿捕の危険を冒すことを強要させた。
第一次対仏大同盟の結成以来、1815年にナポレオン戦争が終結するまで、イギリス海軍は344隻の船の103,660名の船乗りを失った。この損害は、民間の船乗りの海軍への強制徴募や、犯罪者にペナルティとして海軍への入隊を命じることで補填された。
ホレーショ・ネルソン提督
ヴィクトリー号、旗旒信号は「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する」
改革と近代化
19世紀の間、イギリス海軍は海賊行為を抑えるため、強制的な奴隷売買の禁止を行い、世界地図を作り続けた。現在もアドミラリティー・チャートが存続している。海図作成の過程で海域や海岸の調査の任務も行い、チャールズ・ダーウィンは測量帆船「ビーグル」に乗って世界中を回り、航海中に行った観察の過程で進化論を導き出した。極地探検もナポレオン戦争後の比較的平和な時代のイギリス海軍が熱心に取り組んだ事業であり、北極圏を通る北西航路の遠征(フランクリン遠征など)や、南極大陸への遠征(ジェイムズ・クラーク・ロスの遠征や、ロバート・スコットが南極点を目指したテラノバ遠征など)が海軍により組織されたが、多くの困難に直面し犠牲を出した。
イギリス海軍での生活は今日の水準と比較して厳しかったと言われている。規律が厳しく、戦時規約に服従させるためむち打ちが用いられた。法律では戦時に海軍の人員が不足した際は、徴兵が認められていた。この徴兵の方法は、徴募官と兵士が対象者のところに突然現れ、令状を突きつけると有無を言わさず基地に連行してしまうという逮捕まがいの強制徴募であり、評判が悪かった。しかし、大半のヨーロッパ諸国とは異なり、イギリスは常備軍が小さかったため徴兵を実施する必要性はむしろ低く、徴兵は18世紀と19世紀の前期こそ多かったが、ナポレオン戦争の終結と共に廃止された。
イギリス海軍は、世界海軍力第2位フランス海軍と同第3位ロシア海軍の艦隊戦力を合計した数と同等以上の戦力を整備するという二国標準主義が採用されてきた。これに基づき、19世紀末までにイギリス海軍はロイヤル・サブリン級戦艦といった強力な蒸気機関を持つ新型戦艦を建造し、強大な海軍力を維持し続けた。しかし、膨張した戦力は順調な世代交代を困難にし、旧式化した戦艦、数十年ほど経過した帆船も数多く残していた。
第一海軍卿のジョン・アーバスノット・フィッシャーはそれらの旧式化した艦船の多くを退役させるか、廃棄させることで資金と人材を生み出し、新造艦の建造を可能にした。特にフィッシャーは全て大きい砲で統一するという海軍史に最も影響を与えた戦艦「ドレッドノート」の開発に尽力した。また、ビッカース社のジョン・フィリップ・ホランドが設計した潜水艦も購入し、潜水艦の導入と艦船の燃料を石炭から重油に切り替えることも奨励した。燃料の切り替えは、実験とパーソンズが開発した新式の蒸気タービンによって速度と航続距離の向上に繋がった。
エクセレント (HMS Excellent) の艦長パーシー・スコット (Percy Scott) は新しい砲撃訓練の計画と中央射撃管制所を導入した。これは命中精度の改善と効果的な戦闘ができるようになった。
第一次世界大戦と軍縮条約
イギリス海軍は第一次世界大戦で、食料、武器、原材料をイギリス本国に供給し続けることと、ドイツの無制限潜水艦作戦を負かすのに不可欠な役割を演じた。
ドレッドノートの竣工に伴い、弩級戦艦の時代が始まった。ドイツ海軍との建艦競争により、イギリスはフランスとロシアに接近して植民地を巡る対立を解消した。第一次世界大戦でイギリス海軍のほとんどの戦力は、ドイツ海軍の大洋艦隊を相手に決定的勝利が得られる地点に引き込むべく、本国のグランドフリートに配備された。ドイツ海軍との決戦こそなかったが、ヘルゴラント・バイト海戦、コロネル沖海戦、フォークランド沖海戦、ドッガー・バンク海戦、ユトランド沖海戦など多くの海戦でドイツ海軍と戦った。特に最後のユトランド沖海戦は最も有名な海戦で、イギリス海軍は損害を代償に、大洋艦隊が二度と出撃してこないという戦略目標を達成した。
1922年に個々の艦船の排水量と艦砲の口径を制限するワシントン海軍軍縮条約が5か国で締結された。第一次大戦終結直後であったことや世界恐慌の影響を受け、イギリスでは第一次大戦時の主力艦を廃棄し、口径が15インチ以下の艦船の建造計画を中止することが決定された。排水量4.8万トン、18インチ砲9門のN3型戦艦と同量の排水量と16インチ砲9門の装備を予定したG3型巡洋戦艦がキャンセルされた。また、大型軽巡洋艦の「グローリアス」、「カレイジャス」、「フューリアス」が航空母艦へと改装された。1920年代に新しく艦隊に加わる艦船はネルソン級戦艦2隻、カウンティ級重巡洋艦15隻、ヨーク級重巡洋艦2隻など最小限に抑えられた。
1930年のロンドン海軍軍縮会議では1937年まで主力艦の建造を延期し、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦に対する制限が見直された。国際間緊張の増加に伴い、1935年に第二次ロンドン海軍軍縮会議が開催された。1938年までの制限を設けられたものの、実際はないがしろにされ、海軍拡張の急進を止めるには至らなかった。それにも関わらず、イギリス海軍は排水量35,000トンに14インチ砲を装備したキング・ジョージ5世級戦艦をはじめ、空母「アーク・ロイヤル」、イラストリアス級航空母艦、タウン級軽巡洋艦、クラウン・コロニー級軽巡洋艦、トライバル級駆逐艦など再軍備は制限に基いて行われていた。新造艦に加え、旧式戦艦、巡洋戦艦、重巡洋艦に対空火器を増強する改装も行われた。結果、第一次世界大戦時の老朽艦、条約制限に固執した設計と無制限化後に設計された戦間期の建造艦などからなる混成の艦隊のまま、第二次世界大戦に参戦した。しかし、旧式艦は第一次世界大戦時と比べて小型で旧式であったが、強力な存在であった。
第二次世界大戦
イギリス海軍は第二次世界大戦でも、オーストラリアなどのイギリス連邦諸国や植民地、同盟国のアメリカなどから食料、武器、原材料をイギリスに供給し続けることと、大西洋の戦いにおいてドイツの無制限潜水艦作戦を負かすのに不可欠な役割を演じた。またビスマルク追撃戦やタラント空襲において空母が海戦において大きな影響力を持つ事を自ら証明し、その戦略は大きな転換点を迎えることになる。
第二次世界大戦の緒戦から、イギリス海軍はダンケルクやクレタからの撤退時のように劣勢であれば庇護を提供した。巡洋戦艦「フッド」がドイツ海軍の戦艦「ビスマルク」に撃沈された時や、マレー沖海戦で戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」が日本海軍の航空隊に撃沈された時は海軍の威信に対する打撃は大きかった。制海権を維持するためには北アフリカ上陸、シシリー島上陸、ノルマンディー上陸のように陸海空共同作戦が不可欠で、空母が主力艦となったのは明らかであった。
ヨーロッパ大陸へ連合軍の上陸後、海軍はスヘルデの戦いのような海岸近くの戦闘で火力支援する程度まで役目は減った。
冷戦
大戦終結後、イギリス帝国の衰退とイギリスの経済難は、イギリス海軍に規模と能力の縮小を強要した。そして、より強力となったアメリカ海軍は世界的平和を維持するためイギリス海軍の役割を引き継いだ。しかし、ソビエト連邦の脅威と世界的なイギリスの責任により、海軍に対する新しい役割が生まれた。1960年代に最初の核兵器を導入し、その後しばらくして核抑止力の維持に責任を負うようになった。
この新たに始まった冷戦へ対応するため、国防政策は切り替えられ、各海域の艦隊が再編された。1967年にはスエズ以西を西方艦隊、スエズ以東を極東艦隊に改変し、冷戦後期には北大西洋でソ連の潜水艦を撃沈するため、イギリス海軍は対潜空母と小型の駆逐艦とフリゲートで編成された。しかし、大戦後にイギリス海軍が行った最も大規模な作戦は、ソ連やその同盟国との交戦ではなく、同じ西側諸国の1国であるアルゼンチンに対してであった。
1982年に、南大西洋に位置する植民地であるフォークランド諸島の領有をめぐり、アルゼンチンとの間に勃発したフォークランド紛争では勝利に貢献し、イギリス本国から約13,000kmも離れていても戦闘できることを証明したものの、アルゼンチン空軍機の巧みな攻撃により、駆逐艦2隻やフリゲート2隻をはじめ、民間徴用船など多数の艦艇を失った。原子力潜水艦「コンカラー」はアルゼンチン海軍の巡洋艦「ヘネラル・ベルグラノ」を撃沈し、史上初めて実戦において戦果を挙げた原子力潜水艦となった。この紛争は空母と潜水艦の重要性の強調だけでなく、20世紀後半においてもイギリス海軍が民間船の調達に依存しているという問題を露呈することとなり、また、駆逐艦2隻、フリゲート2隻、揚陸艦1隻、運搬空母として使用されていたコンテナ船1隻の計6隻をも失い、他の艦艇も多くの損害を受けたことから、「マレー沖海戦で日本軍機の攻撃により戦艦2隻を失った悪夢の再現」とまで言われることとなった。
現在
イギリス海軍は冷戦の終結後、政策転換により紛争に対応するため航空母艦を世界各地に展開させることを要求された。また、駆逐艦やフリゲートは海賊行為に対処するためマラッカ海峡やホーン岬に配備する必要があった。これを受けて、イギリス海軍は北大西洋に基地を置く対潜警戒を主任務としていた艦隊を、遠征向けの艦隊にするいくつかの再編成計画を1990年代から実施した。2000年代にはフォークランド諸島を中心とした南大西洋の警備、北大西洋ではカリブ海からアフリカ西部への巡航パトロール、地中海へはNATOの一員として艦艇を派遣、アラビア海とインド洋ではイラク・アフガニスタン駐留部隊への支援とテロ警戒、極東にもフリゲートを派遣している。
2017年7月27日にイギリスは南シナ海に航空母艦の派遣を示唆している[6]。また、2018年8月31日にはアルビオン級揚陸艦一番艦、「アルビオン」が南シナ海を航行する海洋の自由(航行の自由作戦)を実行するなど、東南アジア諸国からの反発を招いている中華人民共和国の人工島建設に反対の動きを示しており[7]、同地域に積極的に干渉している。
緊縮財政に対応するため、2010年のStrategic Defence and Security Reviewでは大幅な軍縮がおこなわれることになった。海軍においては人員を5,000人削減し30,000人規模に、2014年に退役する予定であった「アーク・ロイヤル」は直ちに退役、全てのハリアー IIも直ちに退役、「イラストリアス」はヘリ空母に転換した後2014年に退役、「オーシャン」はこの時点では維持することになった。また、4隻の戦略弾道ミサイル潜水艦はイギリス唯一の核戦力として引き続き維持し続ける方針で、クイーン・エリザベス級航空母艦と7隻のアスチュート級原子力潜水艦は計画通り建造される。
2015年10月時点のイギリス海軍は11隻の原子力潜水艦(4隻の戦略原潜と7隻の攻撃原潜)、19隻の水上戦闘艦(6隻の駆逐艦と13隻のフリゲート)を含む艦艇および航空機と海兵隊から構成されている。緊縮財政の流れを受けて、以前より艦隊の規模がかなり縮小されたが、地球規模で展開出来る世界有数のブルーウォーター・ネイビーである立場には変わりはない。イギリスの法令は、すべてのイギリス籍船舶を海軍に徴用できる権限を政府に与えており、戦時の海上輸送システムは万全である。
ただし、長年の予算削減によってイギリス海軍は自国を哨戒できる程度の規模にまで削減されているとの指摘もある。1988年には対GDP比4.1%だった海軍予算は、2010年には2.6%にまで削られている。また、2000年の時点で3万9000人だった海軍将兵は、2015年には2万9000人にまで落ち込んでいる[8]。
イギリス連邦加盟国であるオーストラリア海軍、カナダ海軍、ニュージーランド海軍、インド海軍に対して、同型艦や旧式艦を売却・譲渡しており、かつて植民地であった国々と軍事的に結びつきが強い。
習慣と伝統
イギリス海軍には、海軍旗とシップス・バッジズの使用に関して、正式な習慣と伝統が存在する。航海中の時と港では、海軍艦艇はいくつかの海軍旗を掲揚させる。就役した艦艇と潜水艦は、日中の間、ホワイト・エンサインを艦尾に掲揚し、航海中の間はメインマストに掲揚する。国旗(国旗はユニオン・フラッグだが海軍ではユニオン・ジャック)は艦首に掲揚されるが、これは軍法会議が進行中であることを合図している場合か、ロード・ハイ・アドミラルを含み司令官が乗艦していることを示す場合のいずれかである[9]。
フリート・レビューは、君主の前に艦隊を整列させる観艦式で、不規則な伝統である。公式に行われた最初のものは、1400年であった。その他に続いている伝統は、オーストラリア海軍と行うクリケット試合のジ・アッシズがある。
第二次大戦終結までは飲酒に関して寛容であり、特に水兵らに支給されていたラム酒(後にはグロッグ)に関する逸話が多い。また軍艦の進水式には国内で蒸留されたウィスキーが使われることもある(クイーン・エリザベスなど)。その他の食文化については近世イギリス海軍の食生活を参照。
海軍カレーやウィスキーなど一部の文化は、大きな影響を与えた大日本帝国海軍を経由し海上自衛隊にも受け継がれている。
組織
海軍の司令長官は1964年以降ロード・ハイ・アドミラルであり、イギリス軍全体でも上位の地位にある。
実務上の指揮はファースト・シー・ロード(海軍大将)を含む国防会議のメンバーによってなされる。国防会議は海軍の管理をアドミラルティ・ボードに委任しており、国防大臣が議長を務める。アドミラルティ・ボードは、艦艇を管理するネイビー・ボードを指揮下に置いており、こちらは海軍士官と国防省の公務員から成る。これらはロンドンのホワイトホールにある国防省舎 (MoD Main Building) に所在している。
- 指揮系統
2016年現在
ロード・ハイ・アドミラル:エディンバラ公(2011年〜)
アドミラルティ・ボード (海軍本部委員会)
ファースト・シー・ロード (第一海軍卿):サー・フィリップ・ジョーンズ大将
セカンド・シー・ロード (第二海軍卿):ジョナサン・ウッドコック中将
アシスタント・チーフ・オブ・ザ・ネーバル・スタッフ:ニコラス・ハイン少将
コントローラー・オブ・ザ・ネービー (第三海軍卿):ポール・ベネット少将
ネーバル・メンバー・フォー・ロジスティックス (第四海軍卿):サイモン・リスター中将
- 人員
- 海軍はイギリス海軍とイギリス海兵隊から成り、2009年12月の時点で教育訓練を経た正規兵は、34,660名であった。このうち、27,710名はイギリス海軍に属し、6,940名はイギリス海兵隊に所属していた[10]。他にも教育課程を修了していない3,960名と380名の常勤予備役がある。
艦隊構成
国への必要性を反映し、1960年代から艦艇数は減少が図られた。しかし、その数は規模としての減少であり、艦艇の技術的発展による能力の向上まで加味しているものではない[11]。
1981年に国防相ジョン・ノットの主導で新たな海軍の削減が開始されたが、翌年にフォークランド戦争が勃発した[12]。当時の資源と構造から困難ではあったものの、遠征能力と沿岸活動能力の回復が必要であることが明らかになった。
冷戦の終結は、平和維持活動の一環として世界各地に展開できる航空母艦が必要であった。ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、シエラレオネ、ペルシア湾などがその代表的な事例であった。また、海賊への対策として駆逐艦とフリゲートの各地へ派遣が必要になった。海軍は1990年代から北大西洋における対潜水艦向け艦隊から遠征向け艦隊へと転換させる、いくつかの建艦計画を実施してきた。
- 潜水艦
- イギリス海軍は、イギリス軍唯一の核戦力として4隻のヴァンガード級戦略原子力潜水艦を運用している。ヴァンガード級は次世代弾道ミサイル潜水艦により2028年頃から代替される予定である[13]。
- また攻撃型原子力潜水艦として、トラファルガー級3隻とアスチュート級3隻を運用している。2020年代前半までにアスチュート級を4隻追加建造することによりトラファルガー級を代替する予定である。
- 母艦
- 現在クイーン・エリザベス級1隻が新世代の航空母艦として就役しておりもう1隻が建造中である。計画の遅延と国防予算の縮減により、1番艦の「クイーン・エリザベス」は、売却や2番艦就役後予備役とすることも一時期検討されていた。現在は2番艦の「プリンス・オブ・ウェールズ」とあわせてF-35B ライトニング IIが運用される予定である。
- インヴィンシブル級を基に設計されたヘリ空母の「オーシャン」は航空母艦を補完していたが2018年に退役した。クイーン・エリザベス級が同艦の任務も後継する。
- 海軍補助艦隊に導入された4隻のベイ級ドック型補助揚陸艦と2006年と2007年に導入された2隻のアルビオン級ドック型揚陸プラットホームは海軍の水陸両用作戦能力を強化した。
- 護衛艦
- 護衛艦隊は、フリゲートと駆逐艦から構成されており、海軍の伝統的な万能艦として更新が続けられている。2009年に42型駆逐艦からより大型の45型駆逐艦との交代を開始した。45型駆逐艦は当初の契約で12隻が発注されることになっていたが、最終的に6隻の建造となった。主な任務は対空戦であり、高性能なSAMPSONレーダー、アスター 15とアスター 30ミサイルを用いた統合対空システムPAAMSを備えている。
- 2004年、変動する世界に安全保障を提供(Delivering Security in a Changing World)するべく、国防支出の見直しが行われ、国防相ジェフ・フーンは23型フリゲート16隻のうち3隻を連続経費削減の戦略一環として退役させることを発表し、実行に移され、2011年8月時点で13隻が現役である。次世代フリゲートとしてフューチャー・サーフェス・コンバタント (Future Surface Combatant) が計画されているが、このコンセプトは未だ承認されていない。
- その他の艦
- 1990年代の初期、イギリス海軍は遠洋哨戒艦にアイランド級とキャッスル級の2種類の艦級を整備した。しかし、1997年にそれらの交代が決定された。2001年により大型のリバー級3隻が発注され、ヴォスパー・ソーニクロフトの管理下から2013年まで海軍に貸与という形で取得した。この関係は、技術的な支援と物資保管の支援を含む海軍の負担を縮小する後方支援業務 (Contractor Logistic Support) によって定義された。リバー級のクライドは改修を受け、2007年7月に就役し、フォークランド諸島の警戒艦として派遣された。
掃海艦艇にはサンダウン級機雷掃討艇とハント級掃海艇がある。対機雷艦艇のハント級は従来の掃海艇が行う掃海具を使った掃海と機雷を能動的に捜索、破壊する機雷掃討を統合した艦種であり、必要があれば遠洋哨戒の任務にも従事する。- 海軍はイギリス南極観測(British Antarctic Survey)へ提供する専用の艦を委任しており、南極哨戒艦としてプロテクターが建造された。4隻のヘクラ級は、海洋調査艦スコットと交代した。より大型のローバックはイギリス大陸棚や浅瀬を調査する。その他の調査艦には2002年と2003年に就役した2隻のエコー級多目的艦がある。
- 航空機
- 艦隊航空隊(Fleet Air Arm)は、イギリス海軍の航空機による作戦をつかさどる部門である。
- イギリス軍では陸上基地で運用する対潜哨戒機は空軍の管轄になっている。
階級
海軍元帥(Admiral of the Fleet)
海軍大将(Admiral)
海軍中将(Vice Admiral)
海軍少将(Rear Admiral)
海軍代将(Commodore、佐官に分類されるが大佐とは独立した階級)
海軍大佐(Captain)
海軍中佐(Commander)
海軍少佐(Lieutenant commander)
海軍大尉(Lieutenant)
海軍中尉・海軍少尉に相当(Sub-Lieutenant)
海軍士官候補生(Midshipman)
主要基地・施設
就役艦が配備される基地は現在イギリスにポーツマス、クライド、デヴォンポートの3つがあり、この中でもデヴォンポートは西ヨーロッパで最大の規模を誇る海軍基地である[14]。
各々の基地の司令は代将が務めるが、例えばクライド海軍基地の場合は大佐が司令を務め、作戦能力のある艦と小艦隊の潜水艦の供給に対して責任がある。イギリス海兵隊第3コマンドー旅団は代将によって指揮され、プリマスに拠点を置く。
歴史上、イギリス海軍は世界中に海軍造船所を建設してきた。艦艇にとって海軍造船所はオーバーホールや修理を行う港であった。デヴォンポート、ファスレーン、ロサイス、そしてポーツマスの4つの造船所が今日も利用されている。
イギリス海軍および予備艦隊所属の陸上施設にはHMNB(Her Majesty's Naval Base 陛下の基地の意)の頭文字がつけられる。
将来の海軍士官のために最初の訓練を行うアカデミーはダートマスに所在するブリタニア海軍兵学校である。かなりの海軍兵が国防省やディフェンス・エキップメント・アンド・サポートへか、陸軍や空軍との連絡員になる。少数が国外の政府機関や合同海上部隊といった多国籍艦隊、例えばアメリカ海軍へ派遣される。
装備
艦艇
2018年11月現在。個艦の名前については「イギリス海軍艦艇一覧」を参照。
- 原子力弾道ミサイル潜水艦
ヴァンガード級×4
- 原子力攻撃型潜水艦
アスチュート級×3(4隻建造中)
トラファルガー級×3
- 航空母艦
クイーン・エリザベス級×1(1隻建造中)
- ミサイル駆逐艦
45型×6
- フリゲート
26型×0(1隻建造中 7隻計画中)
23型×13
- 哨戒艦
リバー級(バッチ1)×3- リバー級(バッチ1改)×1
- リバー級(バッチ2)×1(3隻建造中 1隻計画中)
- 哨戒艇
シミター級×2
アーチャー級×16
- ドック型輸送揚陸艦
アルビオン級×2
ベイ級×3
- 汎用揚陸艇
- LCU Mk.10型×10
- エアクッション型揚陸艇
- グリフォン2000TDX(M)型×4
- グリフォン2400TD(M)型×0(4隻建造中)
- 車両兵員揚陸艇
- LCVP Mk.5型×23
- 高速艇
- 18メートル型×4
- 機雷掃討艇
サンダウン級×7
- 掃海艇
ハント級×8
- ランチ・艀
- (H86 Gleaner) - 1983年
- Nesbitt級×5
- 補給艦
タイド級×2(2隻計画中)
フォート・ヴィクトリア級×2
ウェーブ級×2
- 救難潜水艇
- NATO SUBMARINE RESCUE SYSTEM×0(1隻建造中)
- 海洋観測艦
- スコット
- 測量艦
エコー級×2
- 砕氷艦
- プロテクター
- 記念艦
ヴィクトリー(18世紀末の戦列艦、トラファルガーの海戦におけるネルソン提督の旗艦)
イギリス海軍および予備艦隊所属の戦闘艦艇にはHMS(His or Her Majesty's Ship 陛下の船の意)の頭文字がつけられ、補助艦隊所属の補助艦艇にはRFA (Royal Fleet Auxiliary) の頭文字がつけられる。イギリス海軍の軍艦旗には、ホワイト・エンサイン (the white ensign) が定められており、補助艦隊はブルー・エンサインの一種を用いる。艦艇にはアメリカ海軍と異なり、分類シンボル (Hull classification symbol) ではなく、ペナント・ナンバーが付与される。
古くから利用されている陸上施設は慣習的に艦艇と見なされることもあり、正式な基地名は別にHMSの名を有することがある。デヴォンポート(HMNB Devonport)の一部区画は『ドレーク(HMS Drake)』とも呼ばれ、敷地内には帆が張れるマストが設置されている。
航空機
- 固定翼機
ホーク×14
グロプ G 115×6
ビーチクラフト キングエア350×4
- 回転翼機
- ウェストランド シー・キングASAC Mk.7×8
- アグスタ-ウェストランド マーリンHM Mk.2×25
- アグスタ-ウェストランド マーリンHV Mk.3/3A×18
- アグスタ-ウェストランド WildcatAH1/HMA1×31[15]
脚注
^ 小林 p 12
^ 小林 p 10
^ “The Royal Navy”. Britannica Online. Encyclopedia Britannica. 2010年5月16日閲覧。
^ [1]
^ 青木栄一「英海軍艦隊勤務の変遷-帆走時代から汽走時代へ-」『世界の艦船』703号、海人社、2009年3月。
^ “英国、南シナ海に空母派遣の可能性 中国反発” (2017年7月29日). 2018年10月11日閲覧。
^ “英、加速する「脱欧入亜」 中国・北朝鮮の脅威に対抗、EU離脱控えアジア接近” (2018年9月20日). 2018年10月11日閲覧。
^ “コラム:最強を誇った英国海軍「凋落」の教訓”. Reuters. (2016年8月22日). http://jp.reuters.com/article/column-gb-navy-warship-idJPKCN10U0OL 2016年9月1日閲覧。
^ “Use of the Union Jack at Sea”. Flags of the World. 2010年5月16日閲覧。
^ http://www.dasa.mod.uk/applications/newWeb/www/apps/publications/pubViewFile.php?content=2710&date=2010-01-28&type=pdf&PublishTime=09:30:00 DASA Roayl Naval Situation Report
^ Vice-Admiral Sir Jeremy Blackham (2007年3月13日) (pdf). The Royal Navy at the Brink. 1. Royal United Services Institute. http://www.uknda.org/docs/uknda_royal_navy_at_the_brink.pdf 2007年8月10日閲覧。.
^ “We were heading for war...and the Commons blamed me”. The Daily Telegraph (2002年3月1日). 2007年8月10日閲覧。
^ キャメロン首相は2010年10月19日、防衛戦略の見直しを発表し、財政赤字の削減のため、防衛予算を今後4年で実質8%削減するとし、2024年頃に予定していた弾道ミサイル搭載原子力潜水艦の更新時期を、2028年まで延期するとした。
^ “HMNB Devonport”. The Royal Navy. 2007年10月18日閲覧。
^ World airforces 2018flightglobal.com
参考文献
- Swanton, Michael (ed. and tr.), The Anglo-Saxon Chronicles. 2000
- Rodger, N. A. M., The Command of the Ocean - a naval history of Britain 1649-1815. 2004
- Rodger, N. A. M., The Safeguard of the Sea - a naval history of Britain - Volume one. 660-1649 1997
- D. Brown, The Royal Navy and the Falklands War (London, 1987).
- “1945 - 2000 : Historical periods : History”. Royal Navy. 2010年4月29日閲覧。
- 小林幸雄 『図説イングランド海軍の歴史』 原書房、2007年1月。ISBN 978-4-562-04048-3。
- 世界の艦船(海人社)各号
- Jane's Fighting Ships 2011-2012
- Devonport: Inside The Royal Navy - デヴォンポート海軍基地を取材するシリーズ。ディスカバリーチャンネルにて『潜入!ロイヤル・ネイビー』として放送
関連項目
- イギリス海軍の艦隊および管区一覧
- イギリス海軍のC4Iシステム
ネイビーブルー - 制服の色の名前
戦艦フライデー - イギリス海軍の都市伝説
外部リンク
Royal Navy (英語)
イギリス海軍の公式チャンネル - 公式YouTubeチャンネル
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