ライチョウ
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ライチョウ | ||||||||||||||||||||||||
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ライチョウ(手前:オス、奥:メス) Lagopus muta muta | ||||||||||||||||||||||||
保全状況評価[1] | ||||||||||||||||||||||||
LEAST CONCERN (IUCN Red List Ver.3.1 (2001)) | ||||||||||||||||||||||||
分類 | ||||||||||||||||||||||||
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学名 | ||||||||||||||||||||||||
Lagopus muta (Montin, 1781)[2][3][4] | ||||||||||||||||||||||||
シノニム | ||||||||||||||||||||||||
Lagopus mutus[5] | ||||||||||||||||||||||||
和名 | ||||||||||||||||||||||||
ライチョウ[3][6] | ||||||||||||||||||||||||
英名 | ||||||||||||||||||||||||
Ptarmigan Rock ptarmigan[1] | ||||||||||||||||||||||||
ライチョウ(雷鳥、Lagopus muta)は、キジ目キジ科ライチョウ属に分類される鳥類。
夏場を中心とした季節には高山帯で生活をしているが、気温が激しく低下する冬場においては、亜高山帯まで移動する[7]。英語圏では、冬に白い羽となるライチョウ属の種をPtarmigan、羽の色を変化させない種はGrouseと呼び区別される[8][要検証 ]。
目次
1 分布
2 形態
3 分類
4 亜種ライチョウ
4.1 日本の過去の生息地
4.2 日本に生息する種の起源
4.3 日本の生息数
5 生態
6 人間との関係
6.1 日本
7 国際ライチョウシンポジウム
7.1 開催地
8 地方公共団体の鳥に指定している自治体
8.1 都道府県
8.2 市町村
8.3 日本国外
9 出典
10 注釈
11 メディア
11.1 参考文献
11.2 写真集
11.3 絵本
12 関連項目
13 外部リンク
分布
ライチョウ科の鳥は世界に6 属17種が生息し(但し分類には諸説ある)、ライチョウの仲間では最も寒冷な気候に適応した種である。ユーラシア大陸と北アメリカの北極海沿岸、ヨーロッパとアジアの一部の高山帯に広く分布する[5]。ピレネー山脈、アルプス山脈、日本には隔離分布している[9]。Johsgardによる1983年の報告で、フィンランドで約8,000羽、イギリスで2,000-20,000羽が生息していると推定されている[10]。
形態
孵化直後のヒナは背丈およそ6cmほどで、足は体と比較して大きい。成鳥の体重は400-600g程度(ヨーロッパのものがオス375-610 g、メス347-475g[9])。全長は約37cm、翼開長は約59cm[11]。
夏は褐色・冬は純白と季節によって羽毛の色が変化するのが特徴である。冬は羽毛の中に空気をたっぷり蓄えて体温を逃さないようにしている。羽毛は軸が2つに分かれその軸に突いた細かい羽毛の密度が高いため、空気をたくさん含むことができる。
春は黒い羽毛が混じりはじめる。オス個体では目の上には赤色の肉冠がある。これはオスの特徴で興奮しているサインである。メスは背中が茶色になる。
分類
北極を中心とした周極地方の以下の亜種に分類されていて[12][13][14]、スカンジナビア半島からコラ半島までのヨーロッパ大陸とスコットランドに分布する秋に翼が灰色になるグループと、これ以外のグループ(北シベリア、アラスカ、北部ユーコン地域、アリューシャン列島に分布する)に分類される[9]。日本の固有亜種 の亜種ライチョウは、後者である。
以下の分類はIOC World Bird List(v 7.3)、分布はIOC World Bird List(v 7.3)および黒田・橋崎(1987)に従う[2][6]。
Lagopus muta muta (Montin, 1781)
スカンジナビア半島北部、ロシア北西部(コラ半島)
Lagopus muta atkhensis Turner, 1882
アダック島、アトカ島。
L. m. chamberlaini、L. m. sanfordiはシノニムとする。
Lagopus muta dixoni Grinnell, 1909- アラスカ南東部のグレイシャー湾島
Lagopus muta evermanni Elliot, 1896- アッツ島
Lagopus muta helvetica (Thienemann, 1829)- アルプス山脈
Lagopus muta gerasimovi Red'kin, 2005- ロシア(カラギンスキー島)
Lagopus muta hyperborea Sundevall, 1845
ノルウェーのスバールバル諸島とロシアのフランツ・ヨーゼフ諸島の最北に分布する最大亜種[4][15]。
Lagopus muta islandorum (Faber, 1822)- アイスランド
Lagopus muta japonica Clark, 1907 ライチョウ[3]
- 日本(本州中部)固有亜種[16]。飛騨山脈・赤石山脈・火打山・焼山・乗鞍岳・御嶽山で繁殖する[16]。以前は木曽山脈・白山・八ヶ岳などにも分布していた[16]。
Lagopus muta kurilensis Kuroda, 1924- 千島列島
Lagopus muta millaisi Hartert, 1923- スコットランド
Lagopus muta nadezdae Serebrovski, 1926- シベリア南部、モンゴル国北部
Lagopus muta nelsoni Stejneger, 1884- アラスカ南部、アリューシャン列島(ウニマク島・ウナラスカ)
Lagopus muta pleskei Serebrovski, 1926
シベリア北部
Lagopus muta pyrenaica Hartert, 1921- ピレネー山脈
Lagopus muta reinhardi (Brehm, 1824)
グリーンランド南部
Lagopus muta ridgwayi Stejneger, 1884- コマンドルスキー諸島
Lagopus muta rupestris (Gmelin, 1789)- 北アメリカ
Lagopus muta saturata Salomonsen, 1950- グリーンランド北西部
Lagopus muta townsendi Elliot, 1896
アムチトカ島、キスカ島、小シットキン島
L. m. gabrielsoniはシノニムとする。
Lagopus muta welchi Brewster, 1885- ニューファンドランド島
Lagopus muta yunaskensis Gabrielson & Lincoln, 1951- アメリカ合衆国(ユナスカ島)
亜種ライチョウ
日本には亜種ライチョウが本州中部地方の高山帯(頸城山塊、飛騨山脈、御嶽山、赤石山脈)のみに生息する。日本の生息地が、ライチョウの南限である。日本国内の、現在の分布北限は新潟県頸城山塊の火打山と焼山、分布南限は赤石山脈(南アルプス)のイザルガ岳である[17]。なお、北海道にはエゾライチョウ属Tetrastesのエゾライチョウが生息する。北海道にLagopus属 が生息しない理由は分かっていない。
1969年を最後に目撃がなかった木曽駒ケ岳(|中央アルプス)では2018年、登山者により撮影された個体があり、羽毛の遺伝子解析から乗鞍岳など北アルプスから飛来したメスと推測されている[18]。環境省は、有精卵を抱かせての孵化や天敵(キツネ、カラスなど)の生息状況調査を計画している[19]。
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日本の過去の生息地
江戸時代以前の文献では蓼科山、八ヶ岳、白山[20]にライチョウが生息していたと記録されているが、現在は生息していない[17]。岐阜県・石川県境に位置する白山は大正初期を最後に確認が途絶え、絶滅したとされた。しかし70年後の2009年6月2日に石川県白山自然保護センターが雌1羽を確認し[21]、3年間生存が確認されている[22]。このライチョウは石川県立大学によるDNAの解析などで飛騨山脈方面から飛来したものと推定されている[23]。中央アルプスも1960年代まで生息が確認されていたが、駒ヶ岳ロープウェイの開通後数年で絶滅したとみられている[17]。
本来ライチョウの繁殖活動が確認されていない八ヶ岳東天狗岳、飯縄山や戸隠連峰高妻山で、1960年代以降数回にわたり登山者により写真撮影されたり、糞が確認されたことがある。これは、本来の生息地である高山帯の生息環境が悪化した事によって、新しい生息場所を求めて飛来した個体と考えられる[24]。
日本に生息する種の起源
ライチョウが日本にやって来たのはおよそ2万年前の氷河期で、樺太、カムチャッカ半島を経由し本州中央部の高山帯に定住したが、氷河期が終わり温暖になったことで大半のライチョウは寒い北へ戻ったが、ごく一部が日本の高山に残った[12]。現在は北極周辺が主な生息地域である。日本のライチョウは一番南の端ということになる。ミトコンドリアDNAの解析結果では、北アルプスに2系統、南アルプスに2系統が生息している[25]。また、年平均気温は現在より2-4℃高かった 6000年前から9000年前のヒプシサーマル期の前半に著しく個体数を減少させた事が遺伝的多様性に欠けた個体群を形成させた[26]。南部の生息地ほど遺伝的多様性に欠けている。同属の Lagopus属の分布で物理的な距離が最も近いのはカラフトであり、日本に生息する種は物理的にも隔絶されている。
日本の生息数
2005年の調査によれば新潟県頸城山塊の火打山と新潟焼山に約25羽、北アルプス朝日岳から穂高岳にかけて約2000羽、乗鞍岳に約100羽、御嶽山に約100羽、南アルプス甲斐駒ヶ岳から光岳にかけて約700羽生息しているとみられる。日本国内では合わせて約3000羽程度が生息していると推測されている[11][17]。2007年には南アルプス北岳で絶滅したとの報告があったが2008年には生息が再確認されている。
天敵の猛禽類や動物に捕食される以外に、山小屋などから排出されるゴミに混じる病原体やヒトが持ち込むサルモネラ菌やニワトリなどの感染症であるニューカッスル病、ロイコチトゾーン感染により国内のライチョウが減少することが懸念されている。また、登山者の増加に伴い登山道周辺のハイマツ帯が踏み荒らされ劣勢となり次第に減少しており、それに伴いライチョウの生息数も減少している。卵及び幼鳥やメスはオコジョ、テンやキツネなどの天敵に捕食されやすいと考えられ、オスの比率が高い地域は絶滅の前兆とされている[24]。
登山者の残した残飯を求め飛来するハシブトガラス[27]や温暖化に伴い、ニホンジカやキツネ、ニホンザルの生息域が高山帯に拡大することでシカ、ニホンザルとの餌の競合や、ハシブトガラス、キツネに捕食されることにより生息数は減少している[28][29]。更に、以前からニホンザルに幼鳥が捕食されているとの情報がもたらされていたが、2015年には研究者が捕食しているニホンザルの写真撮影に成功した[30]。
生態
高山やツンドラに生息する[6]。日本では高山帯の岩場・ハイマツの茂みなどを隠れ家とし、ハイマツは営巣場所・食物としても利用される(ハイマツはアジア極東部にのみ分布するため、日本のように本種と同所的に分布する地域は限られる)[29]。
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夏期は標高2,000-3,000mのハイマツ帯に分布し、繁殖期にはつがい毎に直径300-400m程度の縄張りを形成する。
春にはハイマツやお花畑の周辺に集まり採食する。鳴き声はカエルに似ている。ハイマツ周辺ではオス同士の縄張り争いが行われ、5-6月のハイマツの縄張り形成期には、縄張りに侵入してくるオスと激しい空中戦を行うことがある。孵化後はオスの縄張り活動はなくなり、単独またはオスだけの群れを形成する。
産卵は5月下旬-7月上旬に行われる。産卵用の巣は30cmから40cm程度の比較的背の低いハイマツやシャクナゲ類の陰に作られることが多い。メスは淡黄灰色の暗褐色の大小の斑点がある25g程度の卵を5個から10個程度産み、抱卵を行う。抱卵の時期にはメスは通常より10倍ほど大きな糞をする[31]。孵化日数は3週間程度である。孵化した雛は1か月で100gを越える大きさに成長する。幼鳥は4か月程度メスに保護され、10月には親鳥と同じ程度まで成長し親離れする。このころ白色の冬羽へと変化も始まる。
冬のライチョウはめったに飛ばない。ゆっくり歩いて雪の中で体力を温存する。夜、休む時には雪を掘り首だけ出して休む。また、脚に羽毛を持つのは他のキジ類にない特徴である。
一般的に登山者の間では「ガスの出ているような天候の時に見ることが多い」と言われている。もともと寒冷な地域を生活圏とする鳥であるため夏場の快晴時には暑さのためにハイマツ群落内、岩の隙間、雪洞の中などに退避しているという可能性、天敵から身を隠しているという2つの可能性からこのようなことが言われていると考えられる。寒さが得意なライチョウは逆に夏の暑さが苦手で気温が26℃以上になると呼吸が激しくなり、体調を崩したという報告もある。
日本ではライチョウの分布とハイマツの分布には正の相関関係があるが、世界の別な地域に生息するライチョウ科にはこのような特徴はみられない。厳冬期は餌を確保するために亜高山帯の森林限界付近まで降下し[7]、ダケカンバの冬芽やオオシラビソの葉を餌としている姿が観察されている。
ヨーロッパと日本の亜種は定住性であるが、北方の亜種は広範囲の移動を行う[8]。飛ぶことはあまり得意ではないといわれており、基本的には地上を徘徊する。飛翔能力については、十分に解明されていないが、前述のように本来の生息域外の山塊で発見されていることから、低山帯を中継しながら15-30km程度の距離を飛ぶ能力は有していると考えられる。
ライチョウの親子と 高山植物、荒川岳にて | 砂浴びするライチョウの 幼鳥、間ノ岳南稜コルにて | ライチョウ 冬毛に変わる途中 | ライチョウ(雄・晩秋) 上河内岳にて | ライチョウの雄、燕岳にて |
人間との関係
ヨーロッパのいくつかの国、中国、日本でレッドリストの指定を受けていて、その他の地域では狩猟対象となっているところがある[5]。スウェーデンでは、1978-1980年に年間11,700羽ほどのライチョウが捕獲されている[10]。アイスランドでは、狩猟による生息数への影響調査が行われている[5]。
日本
富山県・長野県・岐阜県の県鳥に指定されている[29][11]
イヌワシなど猛禽類の天敵を避けるため朝夕のほかに雷の鳴るような空模様で活発に活動することが名前の由来と言われているが[32]、実際のところははっきりしていない。古くは「らいの鳥」と呼ばれており江戸時代より火難、雷難よけの信仰があったが[33]、「らい」がはじめから「雷」を指していたかは不明である[8][34]。ヨーロッパや北アメリカでライチョウ類は重要な狩猟対象の鳥として古くから利用されていて、信仰の対象として崇められていた日本とは対照的である[34]。狩猟文化があるイギリス人のウォルター・ウェストンが日本に長期滞在した際の1894年(明治27年)8月8日に常念岳周辺でライチョウの狩猟を行っていた[10]。
文献上での最初の登場は1200年(正治2年)にまとめられた歌集『夫木和歌抄』[29]での、後白河法皇が詠んだ「しら山の松の木陰にかくろひてやすらにすめるらいの鳥かな」と従二位藤原家隆が詠んだ「あわれなり越の白根にすむ鳥も松をたのみて夜をあかすらむ」で、当時の白山登山者から伝わった話が京の、後白河法皇に伝わり、「らいの鳥」の名で詠んだとされている[35]。江戸時代初期に中国の明から渡来した高泉性潡が『鶆(らい)』を著した名称も用いらるようになった[35]。1711年(正徳元年)に加賀藩がライチョウを見た白山と立山の登拝者から調査した調査では、「らいの鳥」が用いられ、1720年(享保5年)の調査では「らいの鳥」と「雷鳥」の両方が用いられていた[35]。江戸時代には立山、白山、御嶽山にライチョウが生息していることが、登拝者により広く知られていて、江戸時代後期に牧野貞幹が『野鳥写生図』でライチョウのオスとメスを写生し「鶆鳥」と表記し、毛利梅園が『毛利禽譜』で白山のライチョウのオスと雛を写生し「雷鳥」と表記している[33]。1779年(安永8年)に葛山源吾兵衛の『木の下陰』などにあるように長野県の諏訪地域や上伊那地域では「岩鳥」と呼ばれていて、1834年(天保5年)の『信濃奇勝録』の乗鞍岳のものには「がんてう」の振り仮名が付けられていた[8]。1813年(文化10年)の小原文英による『白山紀行』の写生図では「雷鳥」と「鶆鳥」の両方を記している[8]。地方名では富山県で「閑古鳥」、木曽の御嶽山で「御鳥」などの記録がある[8]。
日本のライチョウに学名Lagopus muta japonicaが付けられたのは、1907年(明治40年)である[8]。1916-1918年(大正5-7年)の百科事典『広文庫』で「雷鳥に鶆に作るは誤、本邦の神鳥にして支那になし」と記載され、「雷鳥(ライチョウ)」の名称が一般的となった[8]。現在は和名で『ライチョウ』と表記され、識別のために日本の亜種が「ニホンライチョウ」と表記される場合がある[12][36]。
日本のライチョウは江戸時代までは信仰の対象として保護されていたが、明治時代に一時乱獲され、以後の以下年表の法律で保護され現在に至っている[37]。
- 古代山岳信仰 - 江戸時代よりずっと以前から山岳信仰登拝者に知られ、神秘性を帯びた「神の使者」の鳥とされていた[38]。
江戸時代 - 明治以前は、宗教的な殺生禁断の戒律により人により捕獲されることは少なかったと考えられている[38]。
明治時代 - 西洋思想の流入と、狩猟具の発達に伴い狩猟が行われていた。- 1895年(明治28年)3月27日 - 狩猟法施行細則により、雷鳥および松鶏の狩猟停止期間が4月16日から8月14日までと定められた[39]。
- 1901年(明治34年) - 狩猟法が改定されその狩猟停止期間が4月16日から10月14日までと定められた。
- 1910年(明治43年) - ライチョウが、狩猟法の保護鳥に指定されて、捕獲禁止となった。
- 1923年(大正12年) - ライチョウが、史蹟名勝天然紀念物保存法により天然記念物に指定された[40]。
- 1955年(昭和30年)2月15日 - 雷鳥が、文化財保護法により特別天然記念物に指定された[41][42]。
- 1969年(昭和44年)3月31日 - 鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律により、白山周辺の山域が白山鳥獣保護区に指定された[43]。
- 1972年(昭和47年)11月30日 - ニホンライチヨウが、特殊鳥類の譲渡等の規制に関する法律により特殊鳥類に指定された[注釈 1]。
- 1984年(昭和59年)11月1日 - 鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律により、北アルプス鳥獣保護区が拡大され、北アルプスの主要な山域が指定された[44]。
- 1993年(平成5年)4月1日 - 特殊鳥類の譲渡等の規制に関する法律が廃止され[45]、種の保存法により、国内希少野生動植物種に指定された[注釈 2]。
- 1999年(平成11年)9月15日 - 鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律により、保護繁殖を特に図る必要がある鳥獣に指定される[注釈 3]。
- 2003年(平成15年)4月15日 - 鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律を全部改正した鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律により、希少鳥獣に指定される[46]。
- 2012年(平成24年)9月18日 - 中央環境審議会野生生物部会において、「ライチョウの保護増殖事業計画の策定について」答申がなされた[47]。
地球温暖化、低地からのアカギツネ、テン、ハシブトガラス、チョウゲンボウなどの捕食者の侵入および増加、低地からのイノシシ、ニホンジカ、ニホンザルなどの侵入および植生の破壊などにより生息数は減少している[16][29]。1980年代に行われた縄張りの垂直分布調査から、「年平均気温が3℃上昇した場合、日本のライチョウは絶滅する可能性が高い」ことが指摘されている[29]。木曽駒ヶ岳ではロープウェイの設置による登山客の増加に伴い残飯を求めて捕食者のテン、キツネ、ハシブトガラスなどが侵入したため、1965年頃までは確認されていたものの絶滅した[29]。
1960年に白馬岳で捕獲した個体(オス1羽、メス2羽、ヒナ4羽の計7羽)を富士山へ移し、1966年に9羽が確認されて繁殖にも成功したが、1970年以降の目撃情報はなく定着しなかった[29][48]。梅雨時の悪天候や捕食者による雛の死亡率が高いため、孵化直後の雛を母親と一緒にケージで保護し、飛翔できるようになったら放鳥するという試みが進められている[16]。1955年に国の特別天然記念物に指定されている[29][49]。国内希少野生動植物種(種の保存法、1993年)の対象である。また以下の都道府県により、レッドリストの指定を受けている[50]。日本での1961 - 1985年の繁殖期の縄張りから推定した生息数は2,953羽とされる[29]。2000年代に同様の調査から推定した生息数は約1,700羽とされる[16]。富山県の立山の生息地で立山黒部アルペンルートの開発前後で生息数が約250羽から約150羽(1983年)に減少したと調査報告されている[51]。日本のライチョウがトキやコウノトリのように絶滅することが危惧されていて、以下年表の飼育研究活動が行われている[52]。
- 1963年(昭和38年) - 生態研究のため、長野県大町市の大町山岳博物館が飼育研究を開始した。
- 1966年(昭和41年) - 富山県も飼育研究を開始した。
- 1967年(昭和42年)7月 - 南アルプス北岳から山梨県金峰山に5羽が移植されたが、定着しなかった。定着しなかった理由として、隠れ家や営巣場所となるハイマツ帯の面積が小さかったことや、山体の形成年代が新しく餌となる高山植物が十分に無かったため、とされている。
- 1969年(昭和44年) - 山梨県も飼育研究を開始した。しかし各県の飼育は、寄生虫や家禽類起源の感染症、サルモネラ菌、トリアデノウイルス、緑膿菌[53]などにより死滅する例が多く、安定した増殖には繋がっていない。
- 2004年(平成16年) - 大町山岳博物館で飼育鳥の全てが死滅し、現在は飼育されていない。
- 2008年(平成20年)12月5日 - ノルウェースバールバル諸島産の大型亜種スバールバルライチョウが、上野動物園で公開されており、そこで生まれた個体が長野市茶臼山動物園や富山市ファミリーパーク[15]でも公開されている。
上記のようにニホンライチョウは、日本動物園水族館協会が各地で飼育下繁殖に取り組んでいる。2019年3月から一般公開することを、環境省が発表した。対象は5施設(富山市ファミリーパーク、上野動物園、大町山岳博物館、那須どうぶつ王国、いしかわ動物園)[54]。
富山市ファミリーパークでは、募金によりライチョウの飼育・繁殖技術の確立と野生復帰を目指す「ライチョウ基金」を設立している[55]。
日本国指定の特別天然記念物であり[41]、国内希少野生動植物種(種の保存法、1993年)の対象である。また以下の都道府県により、レッドリストの指定を受けている[56]。富山県の立山の生息地で立山黒部アルペンルートの開発前後で生息数が約250羽から約150羽(1983年)に減少したと調査報告されている[57]。
絶滅危惧IB類 (EN)(環境省レッドリスト)[16]
- 絶滅 - 石川県[21]
- 絶滅危惧IA類 - 山梨県
- 絶滅危惧I類 - 新潟県[58]、富山県、岐阜県[59]
- 絶滅危惧II類 - 長野県、静岡県
国際ライチョウシンポジウム
ライチョウ属などの研究に関する国際的なシンポジウムがほぼ3年ごとに開催されている。2012年7月20日-24日に長野県松本市で「第12回国際ライチョウシンポジウム」が開催された[4]。
開催地
- 第9回 - 中国北京、2002年[60]
- 第10回 - フランス、2005年9月26日-30日[60]
- 第11回 - カナダ、2008年
- 第12回 - 日本長野県松本市、2012年7月20日-24日
地方公共団体の鳥に指定している自治体
以下の自治体の鳥に指定されている。
都道府県
- 富山県
- 長野県
- 岐阜県
市町村
大町市 (長野県)
関ケ原町 (岐阜県、町のシンボル)
小坂町 (のちの岐阜県下呂市)
芦安村 (のちの山梨県南アルプス市)
三岳村 (のちの長野県木曽郡木曽町)
長谷村 (のちの長野県伊那市)
日本国外
カナダヌナブト準州
出典
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* 野鳥歳時記 ライチョウ(雷鳥)
第4回ライチョウ会議資料(2003年9月6 - 7日、東京農業大学) 日本大学・生物資源科学部- 中村浩志、北原克宣、所洋一、火打山におけるライチョウのなわばり分布と生息個体数 信州大学教育学部附属志賀自然教育研究施設研究業績 (40): 1-8(2003), hdl:10091/2062
注釈
^ 1972年(昭和47年)11月27日総理府令第71号「特殊鳥類の譲渡等の規制に関する法律施行規則」
^ 1993年(平成5年)2月10日政令第17号「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律施行令」
^ 1999年(平成11年)9月14日環境庁告示第43号「保護繁殖を特に図る必要がある鳥獣を定める件」
メディア
参考文献
- 大町山岳博物館 『ライチョウ・生活と飼育への挑戦』 信濃毎日新聞社、1992年2月。
ISBN 4784092056。 - 中村浩志 『雷鳥が語りかけるもの』 山と溪谷社、2006年8月。
ISBN 4635230066。 - 畑正憲 『雷鳥の山―天然記念物の動物たち』 角川書店、1993年5月。
ISBN 4041319234。
写真集
- 水越武 『雷鳥―日本アルプスに生きる』 平凡社、1991年7月。
ISBN 4582529275。 - 高木清和 『雷鳥』 山と溪谷社、1994年5月。
ISBN 4635590305。 - 若林繁 『らいちょう 厳しい自然の中に生きる立山の雷鳥』 光村印刷、1994年9月。
ISBN 4896158296。
絵本
- 天野明 『ライチョウの四季―200万年を生きた鳥』 大日本図書、1980年1月20日。
ISBN 4477165552。 - 遠藤和子 『ライチョウは生きる』 小峰書店、1988年7月。
ISBN 4338069090。
関連項目
矢澤米三郎(生物学者)- 大町山岳博物館
- 恩賜上野動物園
- 長野市茶臼山動物園
- 富山市ファミリーパーク
- 雷鳥 (列車)
マスコット - カターレ富山、富山GRNサンダーバーズ、富山グラウジーズ、松本山雅FC
外部リンク
ライチョウに関連した報告書、ライチョウ映像館 - 大町山岳博物館- NPO法人ライチョウ保護研究会
大町山岳博物館/その生い立ちとライチョウ研究 - 山小舎カルチャー 講演資料 1998年6月 宮野典夫