親任官






親任官の位置づけ


親任官(しんにんかん)は、大日本帝国憲法下における官吏の階級の一つ。明治憲法下の官僚制度での最高の位置付けで、天皇の親任式を経て任命され、官記には天皇が親書する。親任官と勅任官に対しては、敬称に閣下を用いた。


なお、日本国憲法下においても、内閣総理大臣と最高裁判所長官は親任式で天皇から任命されるが、同憲法施行に伴って親任官・勅任官などの区分が廃止されたため、現在「親任官」と呼ばれる官等は存在しない。




目次






  • 1 親任官


    • 1.1 文官


    • 1.2 武官




  • 2 親補職


    • 2.1 主な親補職


      • 2.1.1 陸軍


      • 2.1.2 海軍






  • 3 親任官待遇


  • 4 帝国陸軍における軍事参議官制度の「悪用」


  • 5 前官礼遇


  • 6 脚注


    • 6.1 注釈


    • 6.2 出典




  • 7 関連項目


  • 8 外部リンク





親任官



文官


内閣総理大臣、対満事務局総裁、枢密院議長、枢密院副議長、枢密顧問官、内大臣、宮内大臣、国務大臣、特命全権大使、大審院長、検事総長、会計検査院長、行政裁判所長官、朝鮮総督(職制で陸海軍大将を任用することになっていた[1])、朝鮮総督府政務総監、台湾総督(職制で陸海軍大将若しくは中将を任用することになっていたが[2]、後には文官からの任用も可となった[3])、神宮祭主、企画院総裁、東京都長官、地方総監など



武官


陸軍大将、海軍大将



親補職


武官の場合は文官と違い、官(すなわち階級)と職が分かたれていたため、親任官となるのはあくまで陸海軍大将のみである。代わりに、親任官相当の職として宮中において親補式を以て補職される「親補職(しんぽしょく)」というものが設けられていた。これに該当する職に中将以下が就いたときは、在職期間中のみ親任官としての待遇を受けるものとされた。



主な親補職



陸軍


参謀総長、教育総監、陸軍航空総監[4]、総軍総司令官、方面軍司令官、軍司令官、師団長、東京警備司令官、関東戒厳司令官、東京防禦総督、東京衛戍総督、侍従武官長(歴代侍従武官長は陸軍からのみ親補されている)、軍事参議官



海軍


軍令部総長、海軍総司令長官[5]、連合艦隊司令長官、艦隊司令長官、鎮守府司令長官、警備府司令長官[6]、海上護衛司令長官[7]、舞鶴要港部司令官(1923年4月1日~1939年12月1日)、軍事参議官


大将はその地位を以って親任官であるので疑問は生じないが、陸軍大臣・海軍大臣に中将が就任した場合は内閣閣僚である国務大臣としての親任官であり、中将以下の将官が職権に応じて補される親補職とは異なる[注釈 1]。秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』(初版)p709では、陸軍大臣と海軍大臣が親補職に分類されているが、誤りである。


親補職の親任官待遇について現階級に関する規定はなかったが、親補職には大将もしくは中将を補するとされていたため、少将以下が親任官待遇となることはあり得なかった(終戦直前に、本土決戦用の急造師団の師団長に片倉衷・久米精一らの少将を充当したが、師団長心得の扱いとし、親補式は執り行われなかった。[8])。


なお、元帥は元帥府に列せられた陸海軍大将に与えられる称号であるため、官としては陸海軍大将の資格を以て親任官とされる。ただし当然のことながら宮中席次は、元帥のほうがそれ以外の大将よりも上になる。


また、陸海軍省の次官は親補職ではなかったが、下手な親補職より大きな権限があった。豊田貞次郎が鎮守府司令長官時代に「いま自分が親補職にあるからといって次官就任をいやがるなどと思わないでほしい」と山本五十六に手紙を出した事例がある。



親任官待遇


特定の職にある者について、一定の年数以上在職した者や特に功績があった者は、その職自体が親任官の職とはされないものの、「親任官待遇付与奏請内規」に基づいて、親任官の待遇を与えられることがあった。同内規によれば、各帝国大学総長、北海道庁長官、警視総監、各府県知事、各省次官、内閣書記官長、法制局長官、陸軍司政長官、海軍司政長官、陸軍事務嘱託、海軍事務嘱託に一定年数在任した者が挙げられている。この他、賞勲局総裁、特命全権公使、東京工業大学長、製鉄所長官、神宮大宮司などの職にある者にも、親任官待遇が付与されることがあった。「親任官待遇付与奏請内規」(昭和17年4月28日決定)の主な内容は以下の通り。



親任官待遇付与奏請内規(昭和17年4月28日決定)[9]

親任官待遇付与奏請内規左の通りこれを定む。

勅任文官にして左の各号の一に該当し功績特に顕著なる者に対しては、特に親任官の待遇を賜うの奏請をなすことを得。



  1. 帝国大学総長並びに京城及び台北帝国大学総長にして、一等官在職8年以上に達したる者。

  2. 北海道庁長官、警視総監又は各府県の知事たる職に在り、一等官在職6年以上に達したる者。

  3. 各省次官等にして、一等官在職6年以上に達したる者。

  4. 全各号以外の勅任文官にして、一等官在職15年以上に達したる者。

  5. 第1号又は第2号により親任官の待遇を賜う者の員数は、各3人以内とす。



内閣書記官長又は法制局長官にしてその官歴又はその他の閲歴特に優秀なる者に付きては、特に親任官の待遇を賜うの奏請をなすことを得。

陸軍司政長官、海軍司政長官、陸軍事務嘱託又は海軍事務嘱託にして軍占領地における枢要の職に在り識見経歴特に優秀なる者に付きては、特に親任官の待遇を賜うの奏請をなすことを得。

かつて親任官たりし者又は親任官の待遇を賜りたる者に対しては、特に親任官の待遇を賜うの奏請をなすことを得。



「特に親任官の待遇を賜ふ」という辞令が出た具体例


真崎甚三郎陸軍中将が1932年(昭和7年)1月に参謀次長に補された時[10]


井上成美海軍中将が1944年(昭和19年)8月に海軍次官に補された時[11]



帝国陸軍における軍事参議官制度の「悪用」


帝国陸軍では、親補職にあった中将が、親補職でない職に就く際に、「格下げ」としないため、親補職たる軍事参議官を本職、親補職でない職を兼勤させる例があった。最後の陸軍省人事局長であった額田坦中将は「これは軍事参議官制度の悪用というべきであろう」と評している。[12]


具体例。



鈴木孝雄

士候2期。1924年(大正13年)2月に第14師団長に親補される。同年8月に陸軍技術本部長(非親補職)に転じる。1926年(大正15年)7月に軍事参議官に親補され、引き続き、陸軍技術本部長を兼勤。1927年(昭和2年)7月に大将に親任される。1928年(昭和3年)3月8日、陸軍技術本部長の兼勤を免じられ、軍事参議官の専任となる。1933年(昭和8年)3月に予備役。(軍事参議官が本官であった期間:6年8か月)



土肥原賢二

士候16期。1937年(昭和12年)3月に第14師団長に親補される。1938年(昭和13年)6月に参謀本部付。1939年(昭和14年)5月に第5軍司令官に親補される。1940年(昭和15年)6月に参謀本部付、同年9月に軍事参議官に親補され、同年10月に陸軍士官学校長(非親補職)を兼勤。1941年(昭和16年)4月に大将に親任される。同年6月、軍事参議官 兼 陸軍士官学校長から、航空総監に親補される。(軍事参議官が本官であった期間:9か月)



篠塚義男

士候17期。1938年(昭和13年)6月に第10師団長に親補される。1939年(昭和14年)9月に第1軍司令官に親補される。1941年(昭和16年)7月に軍事参議官に親補され、陸軍士官学校長(非親補職)を兼勤。1942年(昭和17年)7月に依願[13]予備役。(軍事参議官が本官であった期間:1年)



前官礼遇


親任官のうち、内閣総理大臣・国務大臣・枢密院議長・宮内大臣・内大臣の職にあった者は、一定の年数以上在職した場合、退官の後に特に勅旨を以て、前官の礼遇を付与されることがあった。前官の礼遇を受けると、宮中席次などで優遇を受けた。



内閣総理大臣、枢密院議長又は国務大臣たる前官礼遇付与奏請内規(昭和14年9月6日裁可)

内閣総理大臣、枢密院議長又は国務大臣たる前官礼遇付与奏請内規を左の通り定む



  1. 内閣総理大臣たる前官の礼遇は左に掲げる者にこれを賜う

    1. 内閣総理大臣を退官したる際、左の各号の一に該当する者

      1. 内閣総理大臣在職4年以上の者

      2. 内閣総理大臣たること2回以上の者

      3. かつて枢密院議長、国務大臣、宮内大臣又は内大臣たる前官の礼遇を賜りたる者



    2. 内閣総理大臣以外の親任官(親任官たる宮内省を含む)を退官したる際、かつて内閣総理大臣たる前官の礼遇を賜り、もしくは内閣総理大臣たりし者にして内閣総理大臣たる前官の礼遇を賜るべき資格ありたる者



  2. 国務大臣たる前官の礼遇は左に掲げる者にこれを賜う

    1. 国務大臣を退官したる際、左の各号の一に該当する者

      1. 国務大臣在職4年以上の者

      2. かつて国務大臣、宮内大臣又は内大臣たる前官の礼遇を賜りたる者



    2. 国務大臣(内閣総理大臣を除く)以外の親任官(宮内大臣、内大臣以外の親任官たる宮内官を含む)を退官したる際、かつて国務大臣たりし者にして国務大臣、宮内大臣又は内大臣たる前官の礼遇を賜り、もしくは賜るべき資格ありたる者



  3. 枢密院議長たる前官の礼遇は左に掲げる者にこれを賜う

    1. 枢密院議長を退官したる際、左の各号の一に該当する者

      1. 枢密院議長在職4年以上の者

      2. 枢密院議長たること2回以上の者

      3. かつて国務大臣、宮内大臣又は内大臣たる前官の礼遇を賜りたる者



    2. 内閣総理大臣、枢密院議長以外の親任官(親任官たる宮内官を含む)を退官したる際、かつて枢密院議長たる前官の礼遇を賜り、もしくは枢密院議長たりし者にして枢密院議長たる前官の礼遇を賜るべき資格ありたる者



  4. 全各号の在職年数には内閣総理大臣、枢密院議長及び他の国務大臣並びに宮内大臣及び内大臣の在職年数を、回数には内閣総理大臣及び枢密院議長たりし回数を各通算す。ただし、内閣総理大臣以外の官の在職年数を内閣総理大臣の在職年数に通算する場合においては3年以上の在職年数はこれを3年とみなし、枢密院議長以外の官の在職年数を枢密院議長の在職年数に通算する場合においては3年以上の在職年数はこれを3年とみなし各通算す。

  5. 内閣総理大臣1年以上在職したる者他の国務大臣となり退官の際国務大臣たる前官の礼遇を賜うの資格ある場合においては特に内閣総理大臣たる前官の礼遇を賜い、枢密院議長1年以上在職したる者国務大臣となり退官の際国務大臣たる前官の礼遇を賜うの資格ある場合においては特に枢密院議長たる前官の礼遇を賜う。

  6. 宮中席次の異なる官の前官の礼遇2以上の資格ある場合においては宮中席次の高き官の前官の礼遇を賜う。

  7. 内閣総理大臣、枢密院議長又は国務大臣と宮内大臣又は内大臣とを歴任し宮内大臣又は内大臣を退官したる際第4号本文の規定により各官の在職年数を通算して4年以上にわたる者に付きては時宜により内閣総理大臣、枢密院議長又は国務大臣たる前官の礼遇を賜う。



脚注



注釈


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  1. ^ 逆説的には武官でありながら文官身分の大臣となる大日本帝国の官制における陥穽であり、後日「軍部大臣現役武官制」を復活させた当時の首相であった広田弘毅が極東軍事裁判においてA級戦犯として裁かれる原因となった。



出典


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  1. ^ 明治43年9月29日 勅令第354号 朝鮮総督府官制 第二条「総督ハ親任トス陸海軍大将ヲ以テ之ニ充ツ」


  2. ^ 明治30年10月13日 勅令第362号 台湾総督府官制 第二条「総督ハ親任トス陸海軍大将若ハ中将ヲ以テ之ニ充ツ」


  3. ^ 大正8年8月19日 勅令393号 台湾総督府官制中改正ノ件 第二条「総督ハ親任トス」


  4. ^ 額田坦『陸軍省人事局長の回想』芙蓉書房、1977年(昭和52年)、80頁。


  5. ^ 昭和20年4月23日 軍令海第二号 海軍総隊司令部令 第三条「海軍総隊司令部ニ海軍総司令長官ヲ置ク 総司令長官ハ親補トス」


  6. ^ 大正12年3月26日 軍令海第一号 警備府令 第八条「警備府ニ司令長官ヲ置ク
    司令長官ハ親補トス」



  7. ^ 昭和18年11月15日 軍令海第十六号 海上護衛総司令部令 第四条「海上護衛総司令部ニ海上護衛司令長官ヲ置ク 司令長官ハ親補トス」


  8. ^ 『陸軍省人事局長の回想』 172頁。


  9. ^ 公文別録・親任官任免・明治二十二年~昭和二十二年・第九巻・昭和十六年~昭和十八年、「特ニ親任官ノ待遇ヲ賜フ 福岡県知事 吉田茂」(ref.A03023540000)、国立公文書館アジア歴史資料センター。


  10. ^ アジア歴史資料センター レファレンスコード A03023464200 『特ニ親任官ノ待遇ヲ賜フ 参謀次長陸軍中将 真崎甚三郎』


  11. ^ アジア歴史資料センター レファレンスコード A03023548800 『特ニ親任官ノ待遇ヲ賜フ 海軍次官 井上成美』


  12. ^ 『陸軍省人事局長の回想』 227頁。


  13. ^ 『陸軍省人事局長の回想』 411頁。




関連項目



  • 勅任官

  • 奏任官

  • 判任官

  • 高等官

  • 認証官



外部リンク



  • 親任官及諸官級別令・御署名原本・昭和二十一年・勅令第一九一号 - 国立公文書館デジタルアーカイブ



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