USスチール
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | NYSE: X |
略称 | USスチール |
本社所在地 | アメリカ合衆国 ペンシルベニア州ピッツバーグ |
設立 | 1901年 |
業種 | 鉄鋼 |
事業内容 | 製鉄、鋼材、採掘 |
代表者 | John P. Surma Jr.(会長兼CEO) |
売上高 | 140億3900万ドル(2005年) |
従業員数 | 4万8000人 |
外部リンク | www.ussteel.com |
USスチール(英語:United States Steel Corporation(U.S. Steel)、NYSE: X)は、アメリカと中央ヨーロッパに大きな生産拠点を持った総合製鉄会社である。2005年の粗鋼生産は1930万トンで、世界7位。USスチールは1991年にUSXコーポレーション(USX Corporation)と改名されたが、2001年に再びUSスチールへ改称した。2006年の時点で、アメリカ合衆国最大の製鉄会社である。
目次
1 歴史
2 事業
3 関連項目
4 外部リンク
歴史
J・P・モルガンおよびエルバート・H・ゲイリーは、連邦鉄鋼会社の株式を保有していた。その会社と、アンドリュー・カーネギーが保有していた製鉄会社の合併により、1901年2月25日、ペンシルベニア州ピッツバーグにUSスチールが設立された。
1901年には、USスチールが鉄鋼生産の3分の2を支配していた。1911年に連邦政府は、USスチールを解体するために連邦法の反トラスト法を適用することを試みたが、その努力は結局失敗した。当時USスチールはアメリカで生産されたすべての鋼の67%を生産していた。その後、USスチールは元初代社長、チャールズ・M・シュワブによって運営されるベスレヘム・スチールのような競争業者に技術革新で先んじられるなどし、USスチールの市場シェアは1911年までに50%まで減少した。なお、ベスレヘムにもロックフェラーやモルガンの系列会社から役員などが出ていた。
USスチールの生産量は1953年に3500万トン以上でピークに達した。当時340,000人を超える従業員がおり、その雇用者数は1943年の第二次世界大戦中でも最大であった。2000年の時点ではおよそ52,500人を雇用している。
1951年にハリー・S・トルーマン大統領は、米鉄鋼労働組合による危機を解決するために、その製鋼工場を引き継ぐことを試みた。連邦最高裁判所は大統領に憲法上の権限が無いと裁決することにより、買収を無効とした。ジョン・F・ケネディ大統領はインフレに危機感を抱き、価格上昇を抑制するよう鉄鋼業界に圧力を加えた。連邦政府は、USスチールが1984年に ナショナル・スチールを買収するのを妨げた。また、連邦議会からの政治的圧力により、USスチールはブリティッシュ・スチールからスラブを輸入する計画を放棄するよう強いられた。
USスチールは、テキサス・オイル・アンド・ガスを買収。1982年にマラソン・オイルも買収した。20世紀末には、そのエネルギー事業からその収益と純益の多くを得ていたが、2001年10月に、トランスター以外の非鉄鋼資産を売却した。ただ、こうした石油開発事業で使用する鋼管などの鉄鋼は今も収益源となっている。
2003年に旧NKKの傘下だったナショナル・スチールが破産した後、同社の資産を買収した。
事業
米国では主力のゲーリー製鉄所などで12基の高炉を操業。年間の鋼材生産能力は1940万トンとされる。
ゲーリー製鉄所(インディアナ州・ゲーリー) 高炉4基,750万トン- グラナイトシティ製鉄所(イリノイ州・セントルイス都市圏) 高炉2基,260万トン
- フェアフィールド製鉄所(アラバマ州バーミングハム郊外) 高炉1基,240万トン
- グレートレイクス製鉄所(ミシガン州デトロイト近郊) 高炉3基,350万トン
モンバレー製鉄所(ペンシルベニア州ピッツバーグ近郊のモノンガヒラ川添いに展開する、ホームステッド製鉄所など数カ所の工場の総称) 高炉2基,340万トン
中央ヨーロッパではスロバキアのUSスチールコシツェ、USスチールセルビア(スメテレボ)の2つを運営しており、欧州事業での生産能力は約500万トン。
2000年には神戸製鋼と自動車用鋼板の技術提携を結び、合弁会社・プロテックを展開している。
関連項目
メサビ鉄山(メサビ・レンジ)- 安全第一
外部リンク
- USスチール