びわ湖毎日マラソン







































びわ湖毎日マラソン
開催時期
3月
開催地
日本の旗 日本・滋賀県
コース
ロードコース
距離
マラソン
主要スポンサー
住友電工
創立
1946年
最高記録
ケニアの旗ウィルソン・キプサング 2:06:13
公式サイト
びわ湖毎日マラソン

びわ湖毎日マラソン(びわこまいにちマラソン)は、日本陸上競技連盟が主催するIAAF(国際陸連)ゴールドラベルの男子マラソン大会で、国際大会の代表選手選考会も兼ねる。毎年3月の第2日曜日(2019年より)[1]に滋賀県で開催される。AIMS(国際マラソン・ロードレース協会)認定コース。




目次






  • 1 概要


  • 2 参加資格


  • 3 大会の歴史


  • 4 歴代優勝者


  • 5 参考文献


  • 6 脚注


  • 7 外部リンク





概要


大津市皇子山陸上競技場を発着点とする42.195kmで争う。コースについては過去何度か変更されている。2010年にもコースが一部変更され、折り返し地点が従来の草津市新浜から大津市大萱に変更となった。30km地点手前の大津市平津付近を除けば高低差も余り無いため高速コースと言われるが、終盤には比良山系からの向かい風がランナー達を苦しめる。




発着点である皇子山陸上競技場




瀬田の唐橋はランナーの走行を4回観戦できるスポットとなっている。


東京マラソンと同様にこの大会でも滋賀(大津市)の名所を通り、浜大津(大津港)や国宝・石山寺、日本三名橋の一つ瀬田の唐橋等がその代表的な場所となっている。


オリンピック・世界陸上競技選手権大会・アジア競技大会の男子代表を選ぶための最終選考会となっている。本大会と福岡国際マラソン、東京マラソンの3大会で3年おきに持ち回りで男子マラソンの日本選手権を兼ねて行われる[2]。また開催時期が3月であり、箱根駅伝などの大学駅伝シーズンも終わり、比較的長い期間マラソン練習が積めるため、有力な学生ランナーにとっては、在学時に最も出場しやすい大会である。過去には日本大学の川島義明、中京大学の中尾隆行、近年では山梨学院大学の中村祐二が優勝を果たし、中央大学の藤原正和が初マラソン日本人最高記録および学生最高記録更新の快挙を達成している。


2018年・2019年(2017年度・2018年度)の大会は、2020年東京五輪のマラソン日本代表候補を決める「マラソングランドチャンピオンシップ」(通称:MGC)シリーズの対象レースに指定される[3]


この大会の模様はコース上にあるNHK大津放送局に放送センターを置き、大津局を管轄するNHK大阪放送局からテレビとラジオで全国中継している。総合テレビのアナログ放送とNHKワールド・プレミアムではスポーツ中継としては珍しく16:9の画面サイズで放送していたが、2008年~2010年の大会の中継は他のNHKのロードレース中継と同じく14:9の画面サイズで放送した。2011年大会から再び16:9の画面サイズで放送している(アナログ放送はこの大会の放送が最後となるが、NHKワールド・プレミアムでは完全デジタル化後も本大会に限らず、以降に放送されるすべてのマラソン・駅伝大会も16:9レターボックス放送は継続)。



  • 主催: 日本陸上競技連盟、毎日新聞社、滋賀県、滋賀県教育委員会、大津市、大津市教育委員会

  • 主管: 滋賀陸上競技協会

  • 共催: NHK(2003年より[4]

  • 後援: 草津市、草津市教育委員会、大津市体育協会、スポーツニッポン新聞社

  • 特別協賛:三菱電機(1985年~1986年)→NEC日本電気グループ(1987年~1991年)→ローソン(1992年)→JR西日本(1993年~1997年)→ローム(1998年~2009年)→ケイ・オプティコム(2010年~2012年)→住友電工(2013年~)

  • 協賛: シチズンホールディングス、三菱自動車工業(第61回大会まではスバル、第62回大会はダイハツ)、日本IBM(~2017年)、GSユアサ(2018年~)



参加資格


  • 次の2項をいずれも満たす男子競技者


  1. 日本陸上競技連盟の登録競技者で、大会当日満19歳以上の者

  2. 大会当日より過去2年以内に、下記いずれかの公認記録を出した者

    1. マラソン: 2時間30分以内

    2. ハーフマラソン: 1時間10分以内

    3. 30km: 1時間40分以内

    4. 20km: 1時間5分以内

    5. 10000m: 31分以内




  • 日本陸上競技連盟が推薦する者

参加料は一人5000円である。



大会の歴史


1946年に第1回が行われたことから、「(現在開催されている中では)日本最古のマラソン大会」ともいわれる。



  • 第1回(1946年10月) - 「全日本毎日マラソン選手権」が大阪府で開催される。難波別院跡地の毎日運動場前を発着し、御堂筋・十三大橋を経て国鉄池田駅(現・JR川西池田駅)を折返すコースで競われる[5]。スターターは元オリンピック代表の津田晴一郎が務めた[6]

  • 第3回(1948年5月) - GHQの命令により、発着点を梅田の 毎日新聞大阪本社前に変更[5][7]

  • 第5回(1950年5月) - 「毎日マラソン」と改称。泉北郡高石町(現:高石市)を往復するコースに変更[5]

  • 第7回(1952年5月) - 1952年ヘルシンキオリンピックのマラソン代表最終選考会を兼ねる。以降、1980年モスクワオリンピックを除く全ての夏季オリンピックのマラソン代表選手選考会となる。

  • 第14回(1959年5月) - 大阪市内の交通事情悪化のため、出発点を住之江区に移し、忠岡町折返し・ 毎日新聞大阪本社前をゴールとするコースに変更[5]

  • 第16回(1961年6月) - 発着点を堺市の浜寺公園に移し、住之江区と岸和田城を折り返すコースに変更[5]

  • 第17回(1962年5月) - 交通事情の悪化により大阪府から滋賀県(皇子山運動公園発着[8]・志賀町折返しの琵琶湖西岸コース)に変更[5][9]

  • 第18回(1963年5月) - 東京オリンピックのマラソンコースを使用して開催(第19回大会〔1964年4月実施〕まで)。

  • 第20回(1965年5月) - 3年ぶりに滋賀県に戻る。発着点は皇子山陸上競技場となり、琵琶湖西岸から琵琶湖大橋を渡って守山町(現・守山市)折返しのコースに変更[5]

  • 第23回(1968年4月) - この回よりコースを皇子山陸上競技場発着、琵琶湖南岸から瀬田唐橋を渡り、東岸の守山市折返しのルートに変更[10]。琵琶湖大橋経由のルートは3回で終了となった。

  • 第30回(1975年4月) - 瀬田唐橋の改修工事に伴い、近江大橋を経由するルートに変更[5]

  • 第36回(1981年3月) - 改修工事完成により、再び瀬田唐橋経由のルートに戻る[5]

  • 第38回(1983年3月) - 「びわ湖毎日マラソン」と改称する。また、世界陸上ヘルシンキ大会のマラソン代表選考会を兼ねる。10年後の世界陸上シュトゥットガルト大会以降、全ての世界陸上競技選手権大会のマラソン代表選手選考会となる。

  • 第41回(1986年3月) - ソウルアジア大会のマラソン代表選考会を兼ねる。以降、バンコクアジア大会を除く全てのアジア競技大会のマラソン代表選手選考会となる。

  • 第44回(1989年3月) - 瀬田川沿いに南郷洗堰を経由して草津市新浜を周回するコースに変更[5]

  • 第49回(1994年3月) - 1994年アジア競技大会と同じコースを使用し、「毎日国際マラソン」として実施。

  • 第51回(1996年3月) - 大会史上初めて2時間10分の壁を、ヨアキム・ピネイロ:en が破る。

  • 第65回(2010年3月) - 折り返し点を大津市大萱とするコース変更。

  • 第74回(2019年3月)以降 - 東京マラソンの開催日の変更にともない本大会も1週繰り下がり、名古屋ウィメンズマラソンと同日開催の予定。


1981年頃から1993年頃までは新人の登竜門的な大会で、オリンピックや世界選手権などの選考レースに格付けされていても一線級の参加があまり見られなかったが、1988年の第43回では前年12月の福岡国際マラソンを怪我のため欠場していた瀬古利彦が出場して注目を集めた。瀬古は優勝し同年のソウル五輪の出場権を獲得したことで物議を醸した[11]


1997年(第52回)、前年のアトランタ五輪で4位に入ったマルティン・フィスが参加し、当時の国内マラソン最高記録で優勝したことで状況が変わり、フラットで好記録が出るコースということで、国内の一線級も参加するようになった。


大きな国際大会の前哨戦や大会運営の予行演習として、会場が変更されたことがあった。



  1. 1963年(第18回)と1964年(第19回)は、日本選手権、東京オリンピック選考会並びにオリンピックマラソンのリハーサルも兼ねて国立競技場(新宿区)〜飛田給(調布市)折り返しの甲州街道を通る東京オリンピックのマラソンと同じコースでのレースとなった。

  2. 1994年(第49回)は広島アジア大会のリハーサルも兼ねて、広島にて「毎日国際マラソン」として開催された。


1985年から2004年は、スタート前にトラックでびわ湖全日本女子競歩大会が開催されていた。


大会の開催時期は、第1回が10月に開催されたのち、第2回から24回(1969年)までは5月がメインで、時に4月(第19回・1964年、第23回・1968年)や6月(第16回・1961年、第21回・1966年)にも開催されていた。第25回(1970年)が4月に開催されてからは5月・6月の開催はなくなり、第26回(1971年) - 28回(1973年)が3月、第29回(1974年) - 第34回(1979年)が4月と変遷して、第35回(1980年)以降は3月開催で定着している。第62回(2007年)は、レースの途中で気温が20度以上に上昇し、春先とは思えない過酷なコンディションに見舞われた。日本の招待選手10人が暑さに対応しきれず惨敗した。


2008年、国際陸上競技連盟は、マラソンなどの世界のロードレースを格付けする制度を導入した。びわ湖毎日マラソンは、2009年、国内で初めて最高位の「ゴールド」にランクされた。2010年もこの年に初めてランク入りした東京マラソンともに2年連続「ゴールド」にランクされている。



歴代優勝者



  滋賀県開催における(当時の)大会記録








































































































































































































































































































































































































































































































































日付 タイム 名前 備考

01
1946/10/20
2時間44分57秒
 古賀新三 (JPN)(三井山野)
第16回まで大阪開催

02
1947/05/18
2時間43分17秒
 古賀新三 (JPN) -2-
 

03
1948/05/09
2時間40分05秒
 古賀新三 (JPN) -3-
スタートを毎日新聞大阪本社前に変更

04
1949/05/08
2時間40分32秒
 山田三郎 (JPN)(岐阜青年)
 

05
1950/05/07
2時間37分25秒
 野田義一 (JPN)(坂出クラブ)
高石町往復にコースを変更

06
1951/05/06
2時間32分41秒
 浅井正 (JPN)(中京商業高校教員)
 

07
1952/05/04
2時間29分55秒4
 内川義高 (JPN)(三井山野)
 

08
1953/05/10
2時間41分28秒
 宇和博 (JPN)(旭化成)
 

09
1954/05/16
2時間27分56秒
 濱村秀雄 (JPN)(山口県教育委員会)
 
10 1955/05/08
2時間26分32秒
 広島庫夫 (JPN)(旭化成)
20年ぶりの日本最高記録
11 1956/05/05
2時間27分45秒
 川島義明 (JPN)(日本大学)
 
12 1957/05/03
2時間31分20秒
 広島庫夫 (JPN) -2-
 
13 1958/05/11
2時間25分51秒
 中尾隆行 (JPN)(中京大学)
 
14 1959/05/10
2時間30分06秒
 広島庫夫 (JPN) -3-
スタートを住之江区、折返しを忠岡町に変更
15 1960/05/15
2時間34分57秒
 貞永信義 (JPN)(鐘紡)
 
16 1961/06/25
2時間29分27秒
 アベベ・ビキラ (ETH)
浜寺公園発着、住之江区・岸和田城折返しに変更
17 1962/05/13
2時間27分37秒
 長田正幸 (JPN)(八幡製鉄所)
以降、原則として滋賀開催
18 1963/05/12
2時間20分24秒8
 君原健二 (JPN)(八幡製鉄所)
東京開催[12]
19 1964/04/12
2時間17分11秒4
 君原健二 (JPN) -2-
東京開催[12]
20 1965/05/09
2時間22分55秒8
 アベベ・ビキラ (ETH) -2-
3年ぶりの滋賀開催。琵琶湖大橋経由に変更
21 1966/06/05
2時間26分01秒6
 御船芳郎 (JPN)(リッカー)
 
22 1967/05/14
2時間25分53秒
 御船芳郎 (JPN) -2-
 
23 1968/04/14
2時間13分49秒
 宇佐美彰朗 (JPN)(桜門陸友会)
瀬田唐橋経由の琵琶湖南岸・東岸ルートに変更
24 1969/05/11
2時間22分44秒
 松原一夫 (JPN)(全鐘紡)
 
25 1970/04/12
2時間13分46秒
 ビル・アドコックス(英語版) (GBR)
 
26 1971/03/21
2時間16分45秒4
 采谷義秋 (JPN)(竹原高等学校教員)
 
27 1972/03/19
2時間20分24秒
 宇佐美彰朗 (JPN) -2-
 
28 1973/03/18
2時間12分03秒
 フランク・ショーター (USA)
 
29 1974/04/21
2時間13分24秒
 宇佐美彰朗 (JPN) -3-
 
30 1975/04/20
2時間12分40秒
 宇佐美彰朗 (JPN) -4-
近江大橋経由に変更
31 1976/04/18
2時間15分22秒
 宇佐美彰朗 (JPN) -5-
 
32 1977/04/17
2時間14分08秒
 カレル・リスモン (BEL)
 
33 1978/04/16
2時間15分15秒
 宗猛 (JPN)(旭化成)
 
34 1979/04/15
2時間13分26秒
 宗茂 (JPN)(旭化成)
 
35 1980/03/23
2時間14分33秒
 弓削裕 (JPN)(旭化成)
 
36 1981/03/15
2時間14分38秒
 松尾正雄 (JPN)(九州電工)
瀬田唐橋経由に戻る
37 1982/03/14
2時間15分23秒
 水久保美千男 (JPN)(新日鉄八幡製鉄所)
 
38 1983/03/13
2時間13分22秒
 川口孝志郎 (JPN)(中京高等学校職員)
 
39 1984/03/11
2時間14分24秒
 岩瀬哲治 (JPN)(リッカー)
 
40 1985/03/10
2時間11分04秒
 阿部文明 (JPN)(日本電気HE)
 
41 1986/03/09
2時間14分55秒
 渋谷俊浩 (JPN)(雪印乳業)
 
42 1987/03/08
2時間11分08秒
 阿部文明 (JPN) -2-
 
43 1988/03/13
2時間12分41秒
 瀬古利彦 (JPN)(エスビー食品)
 
44 1989/03/12
2時間14分31秒
 小指徹 (JPN)(ダイエー)
草津市折返しの周回コースに変更
45 1990/03/11
2時間13分03秒
 エディ・エルブイク (BEL)
 
46 1991/03/10
2時間11分34秒
 サイモン・ムラシャニ(英語版) (TZA)
 
47 1992/03/15
2時間13分15秒
 マイク・オレイリー (IRL)
 
48 1993/03/14
2時間11分01秒
 マイク・オレイリー (GBR) -2-
 
49 1994/03/06
2時間11分05秒
 鈴木賢一 (JPN)(富士通)
広島開催[12]
50 1995/03/19
2時間10分49秒
 中村祐二 (JPN)(山梨学院大学)
 
51 1996/03/03
2時間09分32秒
 ヨアキム・ピネイロ(英語版) (PRT)
 
52 1997/03/02
2時間08分05秒
 マルティン・フィス (ESP)
当時国内レース最高
53 1998/03/01
2時間08分43秒
 小島宗幸 (JPN)(旭化成)
 
54 1999/03/07
2時間08分50秒
 マルティン・フィス (ESP) -2-
 
55 2000/03/05
2時間08分14秒
 マルティン・フィス (ESP) -3-
 
56 2001/03/04
2時間07分34秒
 アントニオ・ペーニャ(英語版) (ESP)
 
57 2002/03/03
2時間08分35秒
 武井隆次 (JPN)(エスビー食品)
 
58 2003/03/02
2時間07分39秒
 ジャフェト・コスゲイ(英語版) (KEN)
 
59 2004/03/07
2時間07分42秒
 ホセ・リオス(英語版) (ESP)
 
60 2005/03/06
2時間09分00秒
 ジョセフ・リリ(ドイツ語版) (KEN)
 
61 2006/03/05
2時間09分15秒
 ホセ・リオス (ESP) -2-
 
62 2007/03/04
2時間10分43秒
 サムソン・ラマダニ(英語版) (TZA)
 
63 2008/03/02
2時間08分23秒
 ムバラク・ハッサン・シャミ (QAT)
 
64 2009/03/01
2時間10分22秒
 ポール・テルガト (KEN)
 
65 2010/03/07
2時間09分34秒
 イエマネ・ツェガエ(英語版) (ETH)
コースの一部を変更
66 2011/03/06
2時間06分13秒
 ウィルソン・キプサング (KEN)
 
67 2012/03/04
2時間07分04秒
 サムエル・ドゥング(英語版) (KEN)(愛知製鋼)
 
68 2013/03/03
2時間08分34秒
 ヴィンセント・キプルト (KEN)
 
69 2014/03/02
2時間09分10秒
 バズ·ウォルク(英語版) (ETH)
 
70 2015/03/01
2時間09分08秒
 サムエル・ドゥング (KEN) -2-
 
71 2016/03/06
2時間09分11秒
 ルーカス・ロティチ (KEN)
 
72 2017/03/05
2時間09分06秒
 エゼキエル・キプトー・チェビー (KEN)
 
73 2018/03/04
2時間07分53秒
 マチャリア・ディラング (KEN)(愛知製鋼)
 


参考文献


毎日新聞社(編)『びわ湖毎日マラソン大会60年史』びわ湖毎日マラソン大会実行委員会、2006年



脚注





  1. ^ 2019年からは天皇誕生日が2月23日に変わる影響で『東京マラソン』が3月第1日曜日になるため、何も調整が行われなければ本大会と開催日が重複する(但し、皇太子殿下はこの時点では特例法が制定される前のため、天皇誕生日は設定されない)。びわ湖・東京とも男子の代表選考大会となっているため、今後日本陸連で日程調整が必要となる。


  2. ^ 『日本陸上競技選手権 100回記念 MEMORIAL BOOK』 日本陸上競技連盟、2016年、110頁。 


  3. ^ マラソン代表の選考方法、MGCレースとは?これまでとの違い


  4. ^ NHK放送文化研究所 編集 『NHK年鑑2003』 日本放送出版協会、2003年、396頁。 

  5. ^ abcdefghij『びわ湖毎日マラソン大会60年史』pp.84 - 85


  6. ^ 昭和毎日 びわ湖毎日マラソン、第1回は大阪で 参加賞は足袋用ゴム - 毎日新聞社


  7. ^ GHQ側は、毎日運動場の近くに軍の事務所があることや、御堂筋が軍用道路であることを変更理由とした(『びわ湖毎日マラソン大会60年史』p.84)。


  8. ^ 当時はまだ陸上競技場がなく、公園内の道路上が発着点だった。


  9. ^ 『60年史』によると、前年大会に出場したアベベ・ビキラを見る観客が自動車やオートバイでコース付近に殺到し、その排気ガスがアベベの記録を低調にしたとされたことが移転を後押ししたという。


  10. ^ 朝日新聞1968年4月12日朝刊12頁の大会記事に「大津市皇子山陸上競技場 - 瀬田唐橋 - 守山市杉江の新コースで行われる」とある。


  11. ^ ソウル五輪男子マラソン競技の代表選考レースは1987年の福岡国際マラソン、そして1988年の東京国際マラソンとこの大会が指定されていたが、、代表候補たちには日本陸上競技連盟から福岡国際への出場が半ば強制されていたため、福岡国際を欠場しびわ湖毎日に出場して代表権獲得を目指した瀬古とそれを容認した日本陸連に批判が集まった。中山竹通・瀬古利彦・小掛照二も参照

  12. ^ abc第18回(1963年)と第19回(1964年)は東京オリンピック、第49回(1994年)は広島アジア大会の運営演習も兼ねて、開催地が変更される。




外部リンク




  • びわ湖毎日マラソン(公式サイト)

    • 大会の歴史

    • 過去の記録




  • びわ湖毎日マラソン大会 SPECIAL SITE - 特別協賛を務める住友電工のWebサイトより

  • NHK ロードレースオンライン







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