イアン・ライト
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2015年のライト | ||||||
名前 | ||||||
本名 | イアン・エドワード・ライト Ian Edward wright | |||||
愛称 | 愛すべき悪童 | |||||
ラテン文字 | Ian wright | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イングランド | |||||
生年月日 | (1963-11-03) 1963年11月3日(55歳) | |||||
出身地 | ウーリッジ | |||||
身長 | 176cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1984-1985 | グリニッジ・ボロ | |||||
1985-1992 | クリスタル・パレス | 225 | (90) | |||
1991-1998 | アーセナル | 221 | (128) | |||
1998-1999 | ウェストハム・ユナイテッド | 22 | (9) | |||
1999-2000 | → ノッティンガム・フォレスト (loan) | 10 | (5) | |||
1999-2000 | セルティック | 8 | (3) | |||
1999-2000 | バーンリー | 15 | (4) | |||
代表歴 | ||||||
1991-1998 | イングランド B | 3 | (0) | |||
1991-1998 | イングランド [1] | 33 | (9) | |||
監督歴 | ||||||
2012-2013 | ミルトン・キーンズ・ドンズ(コーチ) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
イアン・エドワード・ライト MBE(Ian Edward wright MBE, 1963年11月3日 - )は、イングランド・ウーリッジ出身の元イングランド代表サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。
目次
1 経歴
1.1 クラブ
1.2 代表
2 人物
3 個人成績
4 出典
経歴
クラブ
1963年11月3日、ロンドン南部の生まれ。地元ブライトンやミルウォールには不合格となるが、ノンリーグのクラブでのプレーを認められてクリスタル・パレスと契約。すぐにレギュラーに定着しデビューシーズン32試合9得点を挙げた。1989年、1990年リーグカップ連覇の立役者となり活躍し1991-92シーズン序盤にアーセナルへと移籍する。この時すでにクリスタル・パレスにて8試合5得点を挙げ、アーセナルへ加入後も得点を量産し通算29ゴールを記録し得点王のタイトルを獲得した。その後は度々素行の悪さを問題視されることも多かったが[要出典]、エース・ストライカーとしてファンからは人気を得た。1993-94シーズンのUEFAカップウィナーズカップ優勝に貢献。
翌シーズン同大会では9得点で得点王を獲得。更に1996-97シーズン、ミドルスブラ戦にてリーグ通算200ゴールを達成した。アーセナル時代の1997-98シーズンにはクリフ・バスティンの持つクラブ通算178ゴールを塗り替え、プレミアリーグとFAカップの2冠獲得に貢献した。以後はウエストハム、ノッティンガム、セルティックを経てバーンズリーでキャリアを終えた。引退後はMBE勲章も受賞した。
代表
イングランド代表としては1991年2月6日カメルーン戦でデビュー。当初、リネカーの後継者として期待されていたが当時の代表監督のグラハム・テイラーには重要視されず、またその荒っぽい気性からたびたび審判や相手選手とトラブルを起こしたせいで、代表への招集が見送られることも多かった[要出典]。EURO1992ではメンバーに選出されなかったが、得点力不足に悩むイングランドがグループ・リーグで姿を消したことで、ライトを招集しなかったテイラーへの批判が浴びせられた[要出典]。1998年W杯欧州予選ではイタリアと同組ながら首位通過に貢献をしたが、怪我が原因でワールドカップ本大会の舞台に出場できなかった。
人物
スピード&レスポンスを武器に、高い決定力を備えたストライカーであり、1990年代初頭には柔軟なボールタッチと類まれなるゴールへの嗅覚でポスト・リネカー、ニュータイプのゴールゲッターと称された。素行の悪さを問題とされることも多かったが、ファンからは支持を集め「愛すべき悪童」でもあった[要出典]。
サッカー選手のショーン・ライト=フィリップスは養子、ブラッドリー・ライト=フィリップスは実の息子である。
個人成績
シーズン | クラブ | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | リーグカップ | カップ戦 | |||
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出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
1984-85 | グリニッジ・ボロ | イングランド | - | - | |||||
1985-86 | クリスタル・パレス | イングランド | 32 | 9 | |||||
1986-87 | クリスタル・パレス | イングランド | 38 | 9 | |||||
1987-88 | クリスタル・パレス | イングランド | 41 | 20 | |||||
1988-89 | クリスタル・パレス | イングランド | 42 | 24 | |||||
1989-90 | クリスタル・パレス | イングランド | 26 | 8 | |||||
1991-92 | クリスタル・パレス | イングランド | 8 | 5 | |||||
アーセナル | イングランド | 30 | 24 | ||||||
1992-93 | アーセナル | イングランド | 31 | 15 | |||||
1993-94 | アーセナル | イングランド | 39 | 23 | |||||
1994-95 | アーセナル | イングランド | 31 | 18 | |||||
1995-96 | アーセナル | イングランド | 31 | 15 | |||||
1996-97 | アーセナル | イングランド | 35 | 23 | |||||
1997-98 | アーセナル | イングランド | 24 | 10 | |||||
1998-99 | ウェストハム・ユナイテッド | イングランド | 22 | 9 | |||||
1999-2000 | ウェストハム・ユナイテッド | イングランド | 0 | 0 | |||||
ノッティンガム・フォレスト | イングランド | 10 | 5 | ||||||
セルティック | スコットランド | 8 | 3 | ||||||
バーンリー | イングランド | 15 | 4 |
出典
^ “Ian Edward Wright - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/iwright-intl.html
タイトル・受賞歴 | ||||||||||||||
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