ROPPONGI VICE
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六本木ヴァイス Roppongi Vice
バレッタ(上)、ロッキー・ロメロ(下)
タッグチーム
メンバー
ロッキー・ロメロ バレッタ
名称
デビュー
2015年3月13日 (2015-03-13 )
団体
ROPPONGI VICE (ロッポンギ・ヴァイス)は、ロッキー・ロメロとバレッタのプロレスラーのタッグチーム。
六本木をフィーチャーしたタッグ名でもあり、略称として「RPG VICE 」が使われている。
目次
1 概要
2 略歴
3 合体技
4 獲得タイトル歴
5 ROPPONGI 3K
6 脚注
7 関連項目
概要
結成経緯 - デビュー戦
タッグチーム結成以前、ロメロはアレックス・コズロフとのタッグチーム、フォーエバー・フーリガンズとして活動していた。しかし、コズロフが内臓疾患の薬の副作用から来る体調不良が長引いていたことから1月10日、コズロフは自身のTwitterで引退を発表した[1] 。1月25日、AWS(オルタネイティブ・レスリング・ショー)とWCA(レスリング・ケアーズ・アソシエーション)の合同興行に参戦したのを最後にフーリガンズとしての活動を停止した。
その後ロメロはバレッタに白羽の矢を立て、3月1日に開催されたROH創立13周年記念興行において新たなるタッグチーム「ROPPONGI VICE (ロッポンギ・ヴァイス)」を結成した。ROHのConquest Tourに参戦し3月13日に同タッグとして出場し、対戦相手のディケイド(B.J.ホイットマー&ジミー・ジェイコブス組)を下しデビュー戦を勝利で飾った。
略歴
2015年
3月1日、ROH13周年記念興行、Winner Takes Allにて「ROPPONGI VICE (ロッポンギ・ヴァイス)」を結成。
3月13日、ROH Conquest Tourにて、ディケイド(B.J.ホイットマー&ジミー・ジェイコブス組)と対戦。タッグデビュー戦で勝利を収めた。
4月5日、新日本プロレス INVASION ATTACK 2015にて、ヤング・バックス(マット・ジャクソン&ニック・ジャクソン組)が保持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦。バレッタがマットからピンフォール勝ちを収め、同王座の第41代王者組となった。
5月3日、リマッチ権を行使したヤングバックスとReDragon(ボビー・フィッシュ&カイル・オライリー)の3wayマッチで初防衛戦を行うもバレッタがヤングバックスからフォールを奪われ王座から陥落。翌7月5日に同じ面子でリマッチを行うも奪還に失敗した。
2016年
4月10日、IWGPジュニアタッグ王座戦としてリコシェ&マット・サイダル組と対戦。ストロング・ゼロでリコシェをマットに沈め、第46代王者組となった。
11月5日、石森太二&ACH組をストロング・ゼロで下し、SUPER Jr. TAG TOURNAMENTを制覇。
2017年
1月4日、IWGPジュニアタッグ王座戦でヤング・バックスと対戦。ロッキーがマットから十字架固めで3カウントを奪取し、第49代王者組となった。
2月7日、TAKAみちのく&タイチ組を下し、ロッポンギ・ヴァイスとして初めて王座防衛に成功。
3月6日、金丸義信&タイチ組に敗れ王座陥落。
4月27日、金丸義信&タイチ組とのリマッチに勝利し王座奪還。第51代王者組となる。
6月11日、ヤング・バックスに敗れ王座陥落。
7月2日、ヤング・バックスとのリマッチに挑むも敗戦。試合後、マイクを握ったロッキー・ロメロはバレッタのヘビー級転向及びロッポンギ・ヴァイスのタッグ解散を発表した。
合体技
ストロング・ゼロ
バレッタのデュードバスター(アックス・ギロチン・ドライバー)とロメロのミサイルキックを同時に食らわせるフィニッシュ・ホールド。
ダブルジャンピングニーキック
相手が走り込んできた所を迎え撃つ形で行う。体格差がある為、ロメロがバレッタに合わせる形で大きくジャンプする必要がある。
獲得タイトル歴
IWGPジュニアタッグ王座 : 4回(第41代、46、49、51代)
SUPER Jr. TAG TOURNAMENT 優勝(2016年)
ROPPONGI 3K
ROPPONGI 3K
タッグチーム
メンバー
SHO YOH ロッキー・ロメロ
名称
デビュー
2017年10月9日 (2017-10-09 )
団体
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脚注
^ “新日参戦アレックス・コズロフ電撃引退”. デイリースポーツ online . 2015年1月11日 閲覧。
関連項目
新日本プロレス
CHAOS (プロレス)
ロッキー・ロメロ
バレッタ
PB5 PvvUVL,4uh0w9m
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