ヴィエンヌ県
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ヴィエンヌ県 Vienne
ヴィエンヌ県の紋章
位置
概要
県番号
86
地域圏
ヌーヴェル=アキテーヌ
県庁所在地
ポワチエ
郡庁所在地
シャテルロー モンモリヨン
郡
3
小郡
38
コミューン
281
県議会議長
ブリュノ・ベラン共和党
統計
人口国内位
(2011年) 428,447人
人口密度
61人/km2
面積¹
6,990 km2
¹ 「French Land Register data」(1平方キロ以上の湖沼、エスチュアリー、氷河などの水面積除く。
ヴィエンヌ県 (仏: Vienne 、フランス語発音: [vjɛn] )は、フランスのヌーヴェル=アキテーヌ地域圏にある県である。県名はヴィエンヌ川に由来する。
目次
1 地理
2 歴史
3 経済
4 人口統計
5 ギャラリー
6 出身者
7 脚注
8 外部リンク
地理
地域圏の北東部を占め、ドゥー=セーヴル県、シャラント県、メーヌ=エ=ロワール県、アンドル=エ=ロワール県、オート=ヴィエンヌ県と接する。
ヴィエンヌの気候は海洋性気候が支配的である。実際にヨーロッパ大陸の西側にあって大西洋に近く、夏は涼しく冬は穏やかである。県の年間平均気温が14.4℃であることで、上記の理由が証明される。降水量については、県の北部と南部の地理的状況に応じて、600mmから850mmの範囲である。平均年間日照時間は1900時間近い。
歴史
1790年以前の州で色分けされたヴィエンヌ県の地図: ポワトゥー、アンジュー、トゥーレーヌ、ラ・マルシュ
フランス革命期の1790年3月4日に設置された83県のひとつで、それまでのポワトゥー、トゥーレーヌ、ラ・マルシュの各州の一部を合併して生まれた。
第二次世界大戦中、1939年9月からモゼル県出身の54,000人の避難民(メスの師範学校の学生も含む)をヴィエンヌ県は受け入れた[1] 。加えて、リモージュからポワティエに至る道路沿いには、スペイン内戦を逃れてきた難民を収容する収容所が設置された。さらには1941年にはジロンド県の避難民、1942年にはセーヌ=エ=オワーズ県から疎開した子供たち、1943年のナント地域爆撃の被害者3万人[2] 、そして1944年にはシャラント=マリティーム県沿岸地域から強制的に退去させられた人々をも受け入れた[3] 。1940年の5月から6月の間、ベルギー政府がポワティエに移転し、議会がリモージュに置かれていた[4] 。6月下旬、県は14世紀以来初めて、外国からの侵略の対象になった。県は線で二分され、ドイツ兵2万人が駐留することになったのである[5] 。
国道147号線途上、ポワティエ近郊にある流浪者収容所は、1939年よりスペイン難民を受け入れるようになった。また、1940年終わりにはポワティエ駐留のドイツ軍コマンダントゥールにも使われ、ロマの人々が閉じ込められていた。ドランシー収容所へ送られる前のユダヤ人たちを収容していたこともある。コマンダントゥールと県がよく協力していたため、ごく少数のユダヤ人が助かっただけだった。合計で1600人近く(アウシュビッツ強制収容所で殺害されたラビ、エリー・ブロシュも含まれる)がここからドランシ収容所へ送られた。この収容所には共産主義活動家、レジスタンス活動家の配偶者も入れられていた。
戦後、戦争捕虜を県内各地で収容することになり、一部はかつてのドイツの収容所に入れられた[6] 。
経済
1819年に創業した兵器工場は1968年に閉鎖された。以降、建物は軍事アーカイブの博物館、そしてアイスリンクとして使われている。
人口統計
人口の推移
1801年
1831年
1841年
1851年
1856年
1861年
1866年
240.990
282.731
294.250
317.305
322.585
322.028
324.527
1872年
1876年
1881年
1886年
1891年
1896年
1901年
320.598
330.916
340.295
342.785
344.355
338.114
334.343
1906年
1911年
1921年
1926年
1931年
1936年
1946年
333.621
332.276
306.248
310.474
303.072
306.820
313.932
1954年
1962年
1968年
1975年
1982年
1990年
1999年
319.208
331.619
340.256
357.366
370.428
380.005
399.024
2006年
2010年
418,460
427,103
source:INSEE、2006年[7] , 2010年[8]
ギャラリー
出身者
モンテスパン侯爵夫人 - リュサック=レ=シャトー(フランス語版) 生まれ
脚注
^ Jean-Henri Calmon, Occupation, Résistance et Libération dans la Vienne en 30 questions, Geste éditions, coll. « 30 questions », Jean-Clément Martin (dir.), La Crèche, 2000, 63 p. (ISBN 2-910919-98-6), p. 7
^ Jean-Henri Calmon, op. cit. , p. 43
^ Jean-Henri Calmon, op. cit. , p. 8
^ Jean-Henri Calmon, op. cit. , p. 8-10
^ Jean-Henri Calmon, op. cit. , p. 16
^ Jean-Paul Louvet, Les dépôts de P.G. de l'Axe en mains françaises , disponible en ligne [1], consulté le 3 octobre 2008
^ « Populations légales 2006 », sur Insee (consulté le 20 janvier 2013 )
^ « Populations légales 2010 », sur Insee (consulté le 20 janvier 2013 )
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、ヴィエンヌ県 に関連するカテゴリがあります。
ヴィエンヌ県観光局 (フランス語) (英語) (スペイン語) (中国語)
県議会ウェブサイト (フランス語)
フランスの県
県(本土)
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海外県
グアドループ(971) | マルティニーク(972) | ギュイヤンヌ・フランセーズ(973) | レユニオン(974) | マヨット(976)
その他
サンピエール島・ミクロン島(975) | サン・バルテルミー島(977) | サン・マルタン(978) | 南方・南極地域(984) | ウォリス・フツナ諸島(986) | 仏領ポリネシア(987) | ニューカレドニア(988) | クリッパートン島 (989)
メトロポール
メトロポール・ド・リヨン (69)
括弧内の数字はINSEE番号。フランスの地域圏も参照。
典拠管理
WorldCat Identities
GND: 4119423-8
LCCN: n82012482
VIAF: 123172222
atTj MrXMxco4uYM3Qd,Fxgu6r5,vKyFGHlXuz2dDcZvmThChZe M93gvAHVU39
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