殺陣








殺陣(たて)もしくは技斗擬斗擬闘(ぎとう)は、演劇・映画・テレビドラマで俳優が格闘シーン時に素手素足もしくは武器を用いた演技。殺陣(たて)は主に時代劇、技斗(ぎとう)は主に現代劇に用いる[1]




目次






  • 1 演劇上の意義


    • 1.1 技斗の歴史


    • 1.2 ステージ・コンバット




  • 2 小道具


  • 3 事故


  • 4 団体・人物・商品


  • 5 参考文献


  • 6 脚注


  • 7 関連項目





演劇上の意義


クレジットタイトルなど、一般的には時代劇のものを殺陣、現代劇のものを技斗擬闘擬斗という[1]。また一般的に殺陣は刀等を用いたアクションなのに対し、技斗はそれらを用いない素手のアクションが中心である[2]。なお、技斗は現代殺陣ともいう[2]。またチャンバラを剣殺陣ということもある[2]


難度が高く危険の大きいシーンはスタントマンが演じることもあるが、これらのシーンも可能であれば俳優本人が演じたほうが作品の満足度は上がる[2]


俳優へ指導や人選をする者を殺陣師(たてし)[3]または技斗(擬斗・擬闘)スタッフと呼ぶ。殺陣師の上に位置する役職にアクション監督がある[3]。アクション監督は殺陣師と違い、カメラアングルなどに関する権限も有する[3]。日本のアクション監督に相応するのは、セカンドユニットの監督であるとされる[5]



ハリウッド映画では「アクションスーパーバイザー」と呼ばれており[6]、格闘専門の指導スタッフはファイト・コレオグラファーと呼ばれる[4]


由来は新国劇の座長・沢田正二郎が、公演の演目を決める際に冗談で「殺人」として座付きの作家・行友李風に相談したところ、穏やかでない言葉なので「陣」という字を当てることを提案したことが「殺陣」の語源と言われている[7][8]。この演目は1921年に初めて演じられたが、読みは「さつじん」であった。1936年の沢田の七回忌記念公演で『殺陣田村』として演じられた時から「たて」と読まれるようになった[9]


なお、「技斗」は日活撮影所の殺陣師・高瀬将敏が、時代劇の「殺陣」の名称を現代劇の格闘振り付けの名称として用いるのは先人に失礼と考えて考案した用語で1954年(昭和29年)に製作された『俺の拳銃は素早い』(野口博志監督)で初めてクレジットに使用された[10]。類語の「擬闘」は新劇から発生した舞台用語で、時代・現代劇を問わず用いられる。



技斗の歴史


戦前の邦画アクションは時代劇の殺陣が中心で現代活劇のアクションには技斗という名称もまだなく傍流の位置づけであった[10]


技斗は見栄えと迫力を重視し、斬る・殴打のシーンに効果音が加えられることで視聴者には本当に行われているように感じさせる意図だが、あくまでも演技であるため演者同士が「怪我をしない、させない」配慮が不可欠である。


一方で映画『子連れ殺人拳』(1976年)、『激殺! 邪道拳』(1977年)では、主演・千葉真一と戦闘相手のジャパンアクションクラブ (JAC ) 演者は実際に殴打技・蹴り技を打撃し合い、これらをノーマルスピードからハイスピードへ切り替わりながらワンカットで撮影された[11]。当時はCGがなかったためにこの技法が採用され、信憑性と凄みのある映像となっている[11]。ほかにも映画監督・五社英雄は斬られた時の効果音の開発や、鉄身を使って刃引きはしてあるものの重量は真剣と同じものを使用し、夏八木勲を主演に据えた時代劇映画『牙狼之介』(1966年)と『牙狼之介 地獄斬り』(1967年)では[12]、様式美的な殺陣とは対極的なリアル感を表現していた[13]。夏八木は「東映京都撮影所では竹光を使うが、五社さんの場合は鉄身だから刀と刀がぶつかると『パシャーン』といい音がして、火花が散ることもあった。五社さんは『刀は本当に当てろ。当てないと噓になるからな』と指示してくるの対して、東映には腹すれすれで斬ったように見せる流儀があった」と様々な手法があることを語っている[13]


2015年現在、殺陣擬闘擬斗技斗)は劇団の研究所で俳優の正式科目として採用されているが、これまでは指導・育成する団体は少なく、日本では1960年代以前、俳優の代わりに吹き替えで対応されることが多かった。戦闘シーンで相手役がいなく不都合が生じていた千葉真一は1970年にJAC を設立し、吹き替えでなく演じることのできる俳優を育成し始めている[14][15][16]( ⇒ そのほかは#団体・人物を参照)。


また擬闘擬斗技斗)は特に刑事ドラマ(1970年代から80年代にかけての)や格闘ドラマ、スーパー戦隊シリーズなどのアクションシーンで近現代的な格闘であるボクシングやレスリングなどといった競技の手法を取り入れた演技で使用される。この技斗を専門に扱うスタントマンとして「技斗師」と呼ばれる人がおり、出演者が技をかけているように見せる「擬斗」と呼ばれる演技指導も行われる。


現在、殺陣の技術を有する者として、正しくこなすには難易度の高い二刀流や両刀薙刀も美しく扱う事のできる京都・東映の峰蘭太郎が「日本一殺陣技術の優れた者」との意見がある。また、刀はもちろん、小太刀、二刀は言うに及ばず、当第一の抜刀居合の速さ、槍捌きなど総合的な技術、美しさなどから役者・殺陣師の室町大助(現、室町帝助)を「第2の若山富三郎として日本一」と推す声もある。また室町は殺陣師でありながら殺陣の殺の字を避け殺を使わない”演陣”と書いてタテと読むなどと言った新たな殺陣(演陣)文化の振興を提唱している。
更に薙刀においてはハリウッドでも活躍する、役者真田広之が日本一との声も高い。



ステージ・コンバット


西洋劇ではステージ・コンバット(stage combat)と呼ばれ、本当に攻撃や防御を行っているように効果的かつ安全に闘いのシーンを見せる技術をいう[17]


1920年代から30年代のサイレント映画の俳優はスタントマンさながらの演技を行っていた[1]。1923年の『要人無用』で主演を務めたハロルド・ロイドは別の映画作品の撮影中に指を欠損する事故を負いながらも時計台にぶら下がるアクションシーンを演じた[18]。サイレント映画にはセリフがなく俳優の体当たりのアクションが演技の原点となっていた[10]


その後、西部劇が登場したが、西部劇の格闘シーンはベア・ナックル・ファイトと呼ばれ、日本の現代活劇の技斗にも影響を与えた[19]


さらに1970年代のブルース・リーの『燃えよドラゴン』(1973年)などの格闘シーンは、その後のアクション・スタイルを一変させたといわれている[19]



小道具


厳しくリアリティを追求する場合や、俳優が殺陣の技術に優れている場合には本物の素材で作られている武器を用いることもあるが、現在は安全や経費の削減のために代用品が用いられることが多い。



日本刀

銀紙を貼った竹光やジュラルミン製の模擬刀が使われることが多い。どちらも、安全性に優れる一方で、「軽い振り」になりがちであるというデメリットもある。

金属製の棒

外見は金属に似た色の布や合皮を用い、ゴムなど、弾力性に優れた素材を内部に詰め込んでいる。警察で訓練に用いる「ソフト警棒」もこの一種。

足袋・草履

立ち回りの機敏な動作を要求される演技の際、布底の足袋では滑りやすく、また、セットの床面等で足裏を負傷するのを防ぐために祭足袋が使用される。

これは、比較的簡易なゴム底を装備した地下足袋の一種だが、作業用の地下足袋に比べて爪先や踵部に補強布が一切なく、ゴム底部以外は普通の足袋と同様に見えるため、足袋はだしの状態で使われる。

一方、素足の女優が裸足の状態で屋外撮影を行う場合、足裏の負傷を防止するためとして、あたかも素足であるかのように見せる際に肌色に染色された足袋を装着することがある。



事故


1989年の映画『座頭市』で、撮影中に俳優・鴈龍の振った真剣が殺陣師の首に刺さり死亡する事故が起きた。これにより、日本俳優連合に「殺陣対策委員会」(後のアクション部会)が設立され、撮影現場での安全対策や傷害保険加入などの問題解決に向かって動き出した。2005年、懸案だった「アクションライセンス制度」が設立され、俳優の殺陣技能の段位制による啓蒙が始まった。



団体・人物・商品


※五十音順


団体



  • 大野剣友会

  • オフィス・ビッグ

  • 菊地剣友会

  • 久世七曜会

  • 倉田アクションクラブ

  • 剱伎衆かむゐ

  • 剣武会

  • 魂刀流志伎会

  • 澤村剣友会

  • ジャパンアクションエンタープライズ

  • ジャパン・ファイティング・アクターズ

  • 室町新殺陣流兵法剣術

  • 高瀬道場

  • チーム咲人

  • 東映剣会

  • 取場製作所

  • バトル・アクション・チーム

  • 安川剣友会

  • 湯浅剣睦会

  • レッド・エンタテインメント・デリヴァー

  • 若駒プロ

  • サムライブ



殺陣師



  • 足立怜二郎

  • 東悦次

  • ボブ・アンダーソン

  • 石松代伍

  • 伊奈貫太

  • 上野隆三

  • 伊吹聰太朗

  • 宇仁貫三

  • 近江雄二郎

  • 織田幸一

  • 金田治

  • 加藤正記

  • 伊吹謙太朗

  • 菊地竜志

  • 久地明

  • 楠本栄一

  • 久世浩

  • 久世竜

  • 國井正廣

  • 栗原直樹

  • 渥美博

  • 佐々木修平

  • 島口哲朗

  • 菅原俊夫

  • 清家三彦

  • 清家一斗

  • 瀬木一将

  • 高倉英二

  • 高瀬将嗣

  • 伊達弘

  • 田中耕三郎

  • 谷明憲

  • 名和弓雄

  • 土井淳之祐

  • 西本良治郎

  • 林邦史朗

  • 日尾孝司

  • 的場達雄

  • 三島一夫

  • 三好郁夫

  • 室町大助


   現、室町帝助


  • 森聖二

  • 山岡淳二

  • 湯浅謙太郎

  • 五代新一




参考文献


  • 坂本浩一 『ハリウッドアクション! ジャッキー・チェンへの挑戦』 フィルムアート社、1996年。ISBN 4845996642。


脚注


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  1. ^ abc高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 p.12 2013年

  2. ^ abcd高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 p.15 2013年

  3. ^ abc坂本浩一 1996, pp. 161 - 163, 日本のアクション監督.

  4. ^ ab坂本浩一 1996, pp. 163 - 169, アメリカのアクション監督.


  5. ^ セカンドユニットは主演俳優の映らないシーンを撮影し、スタントシーンも担当するため[4]


  6. ^ 殺陣師・アクションスーパーバイザー 13歳のハローワーク


  7. ^ なにわ人物伝 -光彩を放つ-沢田正二郎 ―さわだ しょうじろう―


  8. ^ 小川順子『殺陣という文化-チャンバラ時代劇映画を探る』世界思想社、2007年、15-16、31-32頁


  9. ^ 殺陣 語源由来辞典

  10. ^ abc高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 p.13 2013年

  11. ^ ab中村カタブツ 『極真外伝 〜極真空手もう一つの闘い〜』 ぴいぷる社、1999年、172 - 186頁。ISBN 4893741373。


  12. ^ あの人に会いたい File No.369 夏八木勲(なつやぎ いさお)1939~2013. 2013年10月12日放送. 2013年10月13日閲覧。

  13. ^ ab春日太一「夏八木勲さん 五社監督と「刀を当てる」殺陣の流儀を貫いた」、『週刊ポスト』2013年4月26日号、NEWSポストセブン、2013年5月13日2013年7月14日閲覧。


  14. ^ “インタビュー <日曜のヒーロー> 第355回 千葉真一”. 日刊スポーツ (nikkansports.com). (2003年3月30日). http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/interview/2003/sun030330.html 2009年6月26日閲覧。 


  15. ^ 黒田邦雄「ザ・インタビュー 千葉真一」、『KINEJUN キネマ旬報』第1655巻第841号、キネマ旬報社、1982年8月1日、 130 - 133頁。


  16. ^ 橋本与志夫「出演者陣の“酔いどれ講釈”」 (パンフレット) 、『第IV回JACミュージカル 酔いどれ公爵』、新宿コマ・スタジアム、1985年4月1日、 32頁。


  17. ^ ステージ・コンバット デラルテ舎、2019年1月6日閲覧。


  18. ^ 高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 pp.12-13 2013年

  19. ^ ab高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 p.14 2013年




関連項目



  • 剣詩舞

  • スタント

  • スタントマン

  • アクション監督

  • チャンバラ




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