アルル









































































Arles

Blason Arles 13.svg

2360.Blick vom Ufer der Rhone auf Arles-Provence.JPG



行政

フランスの旗 フランス

地域圏 (Région)

Flag of Provence-Alpes-Cote dAzur.svg プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏

県 (département)

Drapeau fr département Bouches-du-Rhône.svg ブーシュ=デュ=ローヌ県

郡 (arrondissement)

アルル郡
(郡庁所在地)

小郡 (canton)

2小郡庁所在地
INSEEコード
13004
郵便番号
13200

市長(任期)

エルヴェ・シアヴェッティ
(2014年-2020年)
自治体間連合 (fr)

fr:Communauté d'agglomération Arles-Crau-Camargue-Montagnette
人口動態
人口
52 510人
(2011年)
人口密度
69人/km2
住民の呼称
Arlésiens
地理
座標
北緯43度40分36秒 東経4度37分40秒 / 北緯43.676650度 東経4.627803度 / 43.676650; 4.627803座標: 北緯43度40分36秒 東経4度37分40秒 / 北緯43.676650度 東経4.627803度 / 43.676650; 4.627803
標高
平均:10 m
最低:0 m
最高:57 m
面積
758,93km2 (75 893ha)


Arlesの位置(フランス内)

Arles

Arles



テンプレートを表示

アルル(フランス語: Arles、オック語プロヴァンサル方言: Arle)はフランス南部にあるコミューン。同国内最大面積を持つ。住民の呼称はアルレジャン(Arlésiens)と呼ばれ、フィンセント・ファン・ゴッホの絵画などの題名に用いられている『アルルの女 (l'Arlésienne)』はこの女性単数形である。




目次






  • 1 地理・気候


  • 2 歴史


    • 2.1 ローマ都市アルル


    • 2.2 重要性


    • 2.3 中世


    • 2.4 近代




  • 3 人口統計


  • 4 観光


    • 4.1 世界遺産


    • 4.2 ゴッホの絵画のモデルとなった場所


    • 4.3 その他の観光名所




  • 5 有名な出身者


  • 6 姉妹都市


  • 7 脚注


  • 8 関連項目


  • 9 外部リンク





地理・気候


アルルは、ローヌ川の分岐点に位置し、カマルグの大部分を含む(カマルグの残りはサント=マリー=ド=ラ=メールに含まれる)。フランスの市町村(コミューン)では最大の面積を持ち、テリトワール=ド=ベルフォール県などよりも広い。


アルルは地中海性気候で、暑く乾燥した長い夏、穏やかな冬という対照的な季節があり、日照時間は長いが降水量が安定しない。



歴史



ローマ都市アルル


アルルは紀元前6世紀頃ギリシア人によって"Theline"の名前で創設された。紀元前535年にケルト人のSalluviiによって占領された。彼は街の名前を "アレラーテ(Arelate)"(「湖(池、潟)の近く」の意味)に変更した。ローマ人は紀元前123年に街を占領した。地中海に繋がる運河を紀元前104年に建設し、街を拡張して重要な都市とした。しかし同じく海岸沿いのマッサリア(現在のマルセイユ)の影に隠れて、もがくことになった。チャンスはやってきた。カエサルがポンペイウスと対峙した時、アルルはカエサルの側に付き、軍隊を派遣した。一方、マッサリアはポンペイウスを支援していた。カエサルの勝利が決定的になると、マッサリアはその所有物を取り上げられ、報償としてアルルに引き継がれた。街はアルルに拠点のあったローマ軍の第6軍団フェッラタの退役軍人のための植民市として正式に設立した。植民市としての正式な肩書きは"コロニア・ユリア・パーテルナ・アレラテンシス・セクタンノールム(Colonia Iulia Paterna Arelatensium Sextanorum)"で、英語にすると"the ancestral Julian colony of Arles of the soldiers of the Sixth"「第6軍団の先祖伝来のアルルのユリウス植民地」であった。



重要性


アレラーテはローマ帝国の属州であったガリア・ナルボネンシスの非常に重要な都市であった。99エーカー(400,000 m2)程の土地を有し、円形闘技場、凱旋門、キルクス、劇場、円環状の市壁など、豊富で幅広い記念物を所有していた。現在のアルルの街よりも海に近く、主要港としても機能した。ローヌ川の最も南側にかかる橋もあった。このローマ橋は固定されているわけではなく、平底船型の橋として使用されていた。両端には塔と跳ね橋が付いていた。ボートは錨がおろされ、ちょうど少し上流に建てられた2つの塔に繋がれる形で、安全が保たれていた。この一般的でない設計は、頻繁に起こる激しい川の洪水に対処するためであった。現在は同じ場所により近代的な橋がかけられ、ローマ橋は全く残っていない。


4-5世紀の間、軍事遠征の際の、ローマ皇帝のための本部として頻繁に使用され、街の影響力はピークをむかえた。395年、西ローマ帝国の西部(ガリアにヒスパニアとアルモリカを加えた場所)を統治する、ガリアのプラエトリアニの本拠地となった。


街は、皇帝コンスタンティヌス1世のお気に入りとなり、彼はここにローマ浴場を建設した。現在もその大部分は残っている。彼の息子のコンスタンティヌス2世は、この街で生まれた。コンスタンティヌス3世は、ここで西ローマ帝国の西部の皇帝になることを宣言し、408年にここを都とした。


帝国末期には、街は文化的と宗教的な中心地となった。懐疑論の哲学者であるファウォリヌス(英語版)はここで生まれた。街はローマカトリック教会にとっても鍵となる位置にあり、ガリアのキリスト教化の重要な基地となった。街の主教職は一連のすぐれた聖職者たちによって支えられた。225年頃のトロフィムス(英語版)に始まり、アルルの聖ホノラトゥス(フランス語版)(Saint Honoré)、5世紀前半のアルルの聖ヒラリウス(フランス語版)(Saint Hilary)と引き継がれた。



中世


アルルは、8世紀にこの地域を支配したイスラム教徒のサラセン人や、フランク人の侵入によって大きく影響を受けた。855年フランク人の都アルル王国が造られた。この王国はブルグント王国やプロヴァンスの一部も含んでいたが、頻繁にサラセン人やヴァイキングの侵略者のテロ攻撃を受けた。
888年オーセル伯のロドルフが上ブルグント王国を設立した。この王国はスイス西部も含んでいた。


933年アルル伯ユーグは王国をブルグント王ロドルフ2世に与えた。ロドルフ2世は二つの王国を、新設したアルル王国に併合した。1032年ロドルフ3世が亡くなり、王国は神聖ローマ皇帝コンラート2世に継承された。



近代


アルルはローヌ地方の主要な港として、経済的に長い間影響力を残した。19世紀の鉄道の開通が、最終的に水運による貿易を壊滅させてしまい、街をある種の僻地にしてしまった。


しかしこのことで、画家フィンセント・ファン・ゴッホにとってこの街が魅力的な目的地となった。彼は1888年2月21日に街に到着した。彼はその景観に魅了され、アルル時代に300以上の絵画や描画を制作した。『夜のカフェ』、『ファンゴッホの寝室』、『ローヌ川の星月夜(英語版)』、『アルルの女』を含む彼の有名な絵画の多くはこの地で完成した。ポール・ゴーギャンは、アルルにいたゴッホを訪ねたが、ゴッホの精神状態が悪化しており、憂慮すべきほどに異様であり、1888年12月には悪名の高い耳の切り落とし事件を起こすに至った。ゴッホと関係のあったアルルの人たちは、翌年2月にゴッホを幽閉することを要求した陳情を人々に広めた。1889年5月、彼は気を利かせ、アルルを離れてサン=レミ=ド=プロヴァンス近郊の精神病院に入院した。


また、ゴッホの絵画作品と同名で、ジョルジュ・ビゼーが作曲した劇付随音楽(または「組曲」)『アルルの女』も有名である。



人口統計























1962年
1968年
1975年
1982年
1990年
1999年
2006年
2011年
41932
45774
50059
50500
52058
50426
51970
52510

参照元:1999年までEHESS[1]、2004年以降INSEE[2][3]



観光



世界遺産


「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」として、市内に残る以下の古代から中世にかけての建造物が、1981年に世界遺産に登録された。



  • 円形闘技場

  • 古代劇場


  • 地下回廊とフォルム

  • コンスタンティヌスの公衆浴場

  • ローマの城壁

  • アリスカン

  • サン=トロフィーム教会

  • 小集会場(アルラタン博物館内)




ゴッホの絵画のモデルとなった場所



  • 『夜のカフェテラス』のモデルとなったカフェ

  • 『アルルの跳ね橋(ラングロワ橋)』を再現した跳ね橋




その他の観光名所



  • アルル・古代プロヴァンス博物館(Musée de l'Arles et de la Provence antiques)、アンリ・シリアニ設計

  • ポルタイユ

  • 市役所

  • 古代美術館

  • キリスト教美術館

  • アルラタン博物館

  • レアチュ美術館

  • 古棺の小径

  • サン・トノラ教会


[4]



有名な出身者




  • ジブリル・シセ - サッカー選手


  • ガエル・ギヴェ - サッカー選手


  • ジャンヌ・カルマン - 最も長生きした人物(122歳)


  • クリスチャン・ラクロワ - ファッションデザイナー


  • アンヌ=マリー・ダヴィッド - 歌手(ユーロビジョン・ソング・コンテスト1973の優勝者)



姉妹都市




  • ロシアの旗 プスコフ(ロシア)


  • ドイツの旗 フルダ(ドイツ)


  • アメリカ合衆国の旗 ヨーク(アメリカペンシルベニア州)


  • スペインの旗 Cubelles(スペイン)


  • スペインの旗 ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ(スペイン)


  • イタリアの旗 ヴェルチェッリ(イタリア)


  • モーリタニアの旗 Sagné(モーリタニア)


  • ギリシャの旗 カリムノス(ギリシャ)


  • イギリスの旗 Wisbech(イギリス)


  • 中華人民共和国の旗 周荘鎮(中国)



脚注




  1. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=1256


  2. ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr


  3. ^ http://www.insee.fr


  4. ^ ミシュラン・グリーンガイド プロヴァンス(南フランス)著作フランスミシュランタイヤ社 1991年6月1日



関連項目




  • サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
    • フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路


  • アルルの女

  • ACアルル



外部リンク








  • フランス政府観光局によるアルルの紹介(日本語)


  • Town council website(フランス語)

  • Tourist office website









Popular posts from this blog

濃尾地震

How to rewrite equation of hyperbola in standard form

No ethernet ip address in my vocore2