ロンバルド=ヴェネト王国
- ロンバルド=ヴェネト王国
Regno Lombardo–Veneto
Règn Lombard–Vènet
Regno Lonbardo–Veneto
Königreich Lombardo–Venetien
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1815年 - 1866年
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(国旗)
(国章)
- 国の標語: Austria Est Imperare Orbi Universo
国歌: 神よ、皇帝フランツを守り給え
1815年のロンバルド=ヴェネト王国
公用語
イタリア語、ドイツ語
(その他口語として西ロンバルド語、ヴェネツィア語、フリウリ語などが話されていた)
首都
ミラノ、ヴェネツィア
- 王
1815年 - 1835年
フランチェスコ1世(初代)
1835年 - 1848年
フェルディナンド1世
1848年 - 1866年
フランチェスコ・ジュゼッペ1世(最後)
- 副王
1849年 - 1857年
ヨーゼフ・ラデツキー
1857年 - 1859年
マクシミリアン
- 面積
1850年
46,991km²
- 人口
1850年
5,100,000人
- 変遷
建国
1815年6月9日
ミラノの5日間
1848年3月22日
ロンバルディアをサルデーニャ王国へ割譲
1859年11月10日
ヴェネツィアも割譲し、イタリア王国へ併合される
1866年10月12日
現在
イタリア
ロンバルド=ヴェネト王国(イタリア語: Regno Lombardo-Veneto)は、19世紀の北イタリアに存在した、オーストリア帝国(ハプスブルク君主国)の構成国であった王国。
歴史
ウィーン会議により1815年6月9日に公式に成立し、ミラノ公兼マントヴァ公だったオーストリア皇帝フランツ1世がロンバルド=ヴェネト王フランチェスコ1世となった(在位:1815年 - 1835年)。そして以後もオーストリア皇帝が国王を兼ねた。
フェルディナンド1世(皇帝フェルディナント1世)統治時代の1848年3月22日、ミラノの5日間の蜂起の後、ミラノのオーストリア人は捕らえられ、ロンバルディア臨時政府の成立が宣言された。ヴェネツィアでも同年3月23日に反オーストリア勢力の蜂起が起こり、ヴェネツィア臨時政府の成立が宣言された。しかし同年7月24、25日にクストーザでサルデーニャ王国軍に対してオーストリア軍が勝利した後、8月6日にミラノは再占領され、ロンバルディア臨時政府は解散させられた。翌1849年8月24日にはヴェネツィアもオーストリアに降服し、ヴェネツィア臨時政府も解散させられた。
ロンバルド=ヴェネト王国は、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世のイタリア独立戦争時代の1859年に第二次イタリア独立戦争の際にロンバルディアがサルデーニャ王国に占領され、1861年にロンバルディアはイタリア王国の一部として併合、1866年の普墺戦争に介入した第三次イタリア独立戦争でヴェーネトが併合されるまで続いた。
歴代国王
王 | 副王/総督 | ||
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フランチェスコ1世 | 1814年–1835年 | ハインリヒ・レウス・プラウエン総督 | 1814年–1815年 |
ハインリヒ・ヨハン・ベルギャルド総督 | 1815年–1816年 | ||
アントニオ・ヴィットーリオ副王 | 1816年–1818年 | ||
ラニエーリ・ダズブルゴ副王 | 1818年–1835年 | ||
フェルディナンド1世 | 1835年–1848年 | ラニエーリ・ダズブルゴ副王 | 1835年–1848年 |
フランチェスコ・ジュゼッペ1世 | 1848年–1859年 | ヨーゼフ・ラデツキー副王 | 1848年–1857年 |
マッシミリアーノ1世・ダズブルゴ副王 | 1857年–1859年 | ||
フェレンツ・ジュライ副王 | 1859年 | ||
ハインリヒ・ヘルマン・フォン・ヘス副王 | 1859年 |
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