1949年ドイツ連邦議会選挙
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1949年ドイツ連邦議会選挙 ドイツ連邦議会議員410名 過半数206名 | |||||||||||
1949年8月14日 | |||||||||||
基礎データ | |||||||||||
有権者数: | 31,207,620 | ||||||||||
投票数: | 24,495,614 | ||||||||||
78.5% | |||||||||||
選挙結果 | |||||||||||
コンラート・アデナウアー - キリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟 | |||||||||||
得票: | 7,359,084 | ||||||||||
獲得議席: | 139 | ||||||||||
31.0% | |||||||||||
クルト・シューマッハー - ドイツ社会民主党 | |||||||||||
得票: | 6,934,975 | ||||||||||
獲得議席: | 131 | ||||||||||
29.2% | |||||||||||
フランツ・ブリュッヒャー - 自由民主党 | |||||||||||
得票: | 2,829,920 | ||||||||||
獲得議席: | 53 | ||||||||||
11.9% | |||||||||||
マックス・レイマン - ドイツ共産党 | |||||||||||
得票: | 1,361,706 | ||||||||||
獲得議席: | 15 | ||||||||||
5.7% | |||||||||||
ヨーゼフ・バウムガートナー - バイエルン民族党 | |||||||||||
得票: | 986,478 | ||||||||||
獲得議席: | 17 | ||||||||||
4.2% | |||||||||||
ハインリッヒ・ヘルヴェーゲ - ドイツ党 | |||||||||||
得票: | 939,934 | ||||||||||
獲得議席: | 17 | ||||||||||
4.0% | |||||||||||
ヘレーネ・ヴェッセル - 中央党 | |||||||||||
得票: | 727,505 | ||||||||||
獲得議席: | 10 | ||||||||||
3.1% | |||||||||||
アルフレート・ローリッツ - 経済再建連合 | |||||||||||
得票: | 681,888 | ||||||||||
獲得議席: | 12 | ||||||||||
2.9% | |||||||||||
ヴィルヘルム・イェーガー - ドイツ保守党・ドイツ右翼党 | |||||||||||
得票: | 429,031 | ||||||||||
獲得議席: | 5 | ||||||||||
1.8% | |||||||||||
ヘルマン・クラウゼン - 南シュレースヴィヒ選挙人同盟 | |||||||||||
得票: | 75,388 | ||||||||||
獲得議席: | 1 | ||||||||||
0.3% | |||||||||||
州別結果 | |||||||||||
CDU/CSUが第一党 CDUが過半数 | SPDが第一党 | ||||||||||
1949年ドイツ連邦議会選挙 | |||||||||||
ドイツの首相 | |||||||||||
現職 なし | 選出 コンラート・アデナウアー CDU |
1949年ドイツ連邦議会選挙(1949ねんドイツれんぽうぎかいせんきょ)は、ドイツ連邦共和国(当時西ドイツ)の立法府である連邦議会(Bundestag)の議員を選出することを目的に、1949年8月に行われた選挙である。
目次
1 概要
2 選挙データ
3 選挙結果
4 ギャラリー
5 脚注
6 出典
7 関連項目
概要
第二次世界大戦後、アメリカ合衆国、イギリス、フランスの3カ国によって占領されていた西側部分(西ドイツ)が、1949年5月にドイツ連邦共和国として再出発することになり、連邦議会の議員を選出するための選挙が同年8月に行われることになった。占領国軍や西ドイツの政党[1]は選挙制度をめぐって意見が分かれたが、結局、小選挙区比例代表併用制となった。
選挙データ
連邦議会定数:400議席
選挙制度[2]:小選挙区比例代表併用制
- 総議席数の60%に当たる240議席は小選挙区から選出(実際の選挙区数は242選挙区)。
- 残る160議席は、州毎に比例代表制で選出する。
- 有権者は、小選挙区の候補者にのみ投票する。それを所属政党の比例区得票として計算する。
- 比例代表で議席配分を受けるためには、少なくとも一つの州で5%以上の得票を得るか、小選挙区で1議席を獲得する必要がある。
選挙結果
投票日:1949年8月14日
有権者数:31,207,620名
投票率:78.5%(投票者数:24,495,614名)
有効得票総数:23,732,398票
無効票総数 : 763,216票
党派 | 得票 | 全体議席 | (小選挙区) | (参考) 西ベルリン選出議席数 | |||
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得票数 | % | 1949-1952 | 1952-1953 | ||||
キリスト教 民主・社会同盟 (CDU/CSU) | キリスト教民主同盟 (CDU) | 5,978,636 | 25.2 | 115 | 91 | 2 | 5 |
キリスト教社会同盟 (CSU) | 1,380,448 | 5.8 | 24 | 24 | |||
ドイツ社会民主党 (SPD) | 6,934,975 | 29.2 | 131 | 96 | 5 | 9 | |
自由民主党 (FDP) | 自由民主党 (FDP) | 2,402,923 | 10.1 | 44 | 10 | 1 | 5 |
民主人民党 (DVP) | 387,769 | 1.6 | 8 | 2 | |||
ブレーメン民主人民党 (BDV) | 39,228 | 0.2 | 0 | 0 | |||
ドイツ共産党 (KPD) | 1,361,706 | 5.7 | 15 | 0 | |||
バイエルン民族党 (BP) | 986,478 | 4.2 | 17 | 11 | |||
ドイツ党 (DP) | 939,934 | 4.0 | 17 | 5 | |||
中央党 (Zentrum (DZP)) | 727,505 | 3.1 | 10 | 0 | |||
経済再建連合 (WAV) | 681,888 | 2.9 | 12 | 0 | |||
ドイツ保守党・ドイツ右翼党 (DKP-DRP) | ドイツ右翼党 (DRP) | 391,127 | 1.6 | 5 | 0 | ||
ドイツ保守党 (DKP) | 37,904 | 0.2 | 0 | 0 | |||
急進社会自由党 (RSF/FSP/SFP) | 216,749 | 0.9 | 0 | 0 | |||
南シュレースヴィヒ選挙人同盟 (SSW) | 75,388 | 0.3 | 1 | 0 | |||
ドイツ欧州人民運動 (SzT/EVD) | 26,162 | 0.1 | 0 | 0 | |||
ライン・ヴェストファーレン人民党 (RWVP) | 21,931 | 0.1 | 0 | 0 | |||
無所属 (Unabhangige) | 1,141,647 | 4.8 | 3 | 3 | |||
合計 | 23,732,398 | 100.0 | 402 | 242 | 8 | 19 |
- 出典:Wahl zum 1. Deutschen Bundestag am 14. August 1949
Ergebnisse der Wahl zum 1. Deutschen Bundestag am 14. August 1949 beim Statistischen Bundesamt
- 超過議席は2議席(CDU/CSU1、SPD1)
選挙後の9月15日に行われた首相選出のための議会投票でCDUのコンラート・アデナウアーがSPDのクルト・シューマッハーを破って初代連邦首相に選出され、CDU/CSU、FDP、DPの四党連立の第一次アデナウアー内閣が発足した。
ギャラリー
投票用紙
CDUの選挙ポスター
SPDの選挙ポスター
FDPの選挙ポスター
脚注
^ 西ドイツにおける憲法に該当するボン基本法は、議会評議会(各州議会の代表者65名で構成)によって作られた。この議会評議会での選挙制度に関する議論は、SPDとFDPは比例代表制を、CDU/CSUとDPは小選挙区制をそれぞれ主張していた。最終的に、先述したような選挙制度を基礎とした連邦選挙法は、1949年6月15日に公布された。
^ 西平重喜『各国の選挙』木鐸社、285頁
出典
- eletion.de
- 西平重喜『各国の選挙』木鐸社
関連項目
- ドイツの政治
- ドイツの首相
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