熊野神社 (安中市)








































熊野神社

Kumano Shrine 2016-09.jpg
所在地
鎮座地:群馬県安中市松井田町峠1番地
連絡先:長野県北佐久郡軽井沢町峠町1番地
位置
北緯36度22分10秒
東経138度39分22秒

主祭神
伊邪那美命
速玉男命
事解男命

社格等

県社
創建
伝・110年(景行天皇40年)
別名
長倉神社熊野宮
長倉山熊野大権現
碓氷皇大神社
熊野大権現
熊野神社
例祭
5月15日(春の例大祭)
7月15日(梛の葉祭)
10月15日(秋の例大祭)
主な神事
1月4日(御田遊神事)
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熊野神社(くまの じんじゃ)は碓氷峠に位置する神社。和歌山県の熊野三山、山形県の熊野神社 (南陽市) と並び日本三大熊野と称される[1]。社殿は群馬県安中市と長野県軽井沢町にまたがっており、参道と本宮の中央を県境が通る。後述するように、長野県側は熊野皇大神社(くまのこうたい じんじゃ)と称される。


主な社宮は3つであり、本宮は伊邪那美命、日本武尊(ヤマトタケル)、長野県側の那智宮は事解男命を祀る。群馬県側の新宮は速玉男命を祀る[2]




目次






  • 1 名称


  • 2 歴史


  • 3 社家


  • 4 その他


  • 5 参考文献


  • 6 脚注


  • 7 関連項目


  • 8 外部リンク





名称


かつては長倉神社熊野宮または長倉山熊野大権現と称した。社地が信濃・上野の境界となり上野国も入ったため熊野宮と名称が短くなった[3]。また碓氷神社熊野大権現とも呼ばれたが、1868年(慶応4年)に熊野皇大神社に改称したという。


第二次世界大戦後に宗教法人法が制定された際、都道府県ごとに宗教法人の登記が必要となった。このため一つの神社でありながら、県境を挟んで長野県側が熊野皇大神社、群馬県側が熊野神社という別々の宗教法人となった。社殿は一つの神社だが、宮司や社務所、賽銭箱、お守り、ご祈祷は別々である。


こうした立地を生かして、熊野皇大神社は2018年1月に“境界御守”を売り出した。「自分の限界を乗り越えろ」という意味を込めたという[4]。同社は軽井沢の氏神でもある。



歴史


社伝によれば、ヤマトタケルが東征の帰路で碓氷峠に差し掛かった際、濃霧が生じて道に迷った。この時に一羽の八咫烏が梛の葉を咥えて道案内をし、無事に頂上に着いた事を感謝して熊野の神を勧請したのが熊野皇大神社の由来だとされる[5]


古代の東山道は当社の南方の入山峠を通っていたと考えられ、中山道にあたる新道が開通した時に現在地に遷座したという説もある。鎌倉時代の1292年5月3日(正応5年4月8日)に松井田一結衆が奉納した鐘には「臼井到下今熊野大鐘事」とある。なお1354年(文和3年)に奉納された多重塔に「当社権現」と刻される事などから、神仏混淆の両部を備えており、神宮寺や仁王門もあったとされる。神宮寺は後に軽井沢町に移転したという[6]


江戸時代は中山道の要所にあることから賑わい、1695年(元禄8年)には越後高田藩主・松平定逵の通行の際には吉例祈祷をして初穂料として金100疋を奉納される[7]など、大名の中山道通行の際に祈祷を行なう事もあった。また上州で武術が盛んなことから各流派による額の奉納も多く、1826年(文政9年)に気楽流の飯塚臥龍斎、1831年(天保2年)に真神道流柔術の片山庄左衛門、1845年(弘化2年)には日置流弓術の酒井数馬が、それぞれ奉納を行なっている。



社家


社家が両国に分れていたため他にも争論が起きており、1662年(寛文2年)に信濃側の神宮寺が上野国の社人に無断で国境を越えて小屋を設けたため、その取り消しを求める裁許が下された。1664年(寛文4年)には



  • 三所権現は両国の社人が相談して守護する。

  • 新宮は上野、那智社は信濃の社人が守護する。

  • 本宮は両国の社人が1年交替で守護し、当番でない年でも神事や祭礼を勤める。


との裁許状が出された。1716年(享保元年)には両国にまたがる権現の森の立木を伐採した社人が罰せられている。


社家の中では神主と禰宜の区別がなく、氏子に牛王宝印を供与したり初穂を受取るなどして生計をたてていた[8]。なお、宝暦年間には両社家の間で通婚も行なわれている[9]



その他



  • 群馬県で最古であり、県重要文化財に指定されている釣鐘が新宮殿内にあり、無料で拝観できる。

  • 神社から徒歩5分ほどで270度のパノラマビューの「見晴台」からは、妙義山や群馬県の高崎市、前橋市の街並みが眺められる。

  • 長野県の内にあるシナノキは長野県の天然記念物に指定されていて、樹齢850余年と伝えられる。

  • 境内の端には碓氷川の水源があり、近隣の人々が飲料に用いてきた。



参考文献



  • 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館(『日本歴史地名大系』平凡社、1979年-2002年 を基にしたデータベース)

  • 数馬広二「碓氷峠・熊野皇大神社の武術奉納額について」『工学院大学共通課程研究論叢』43巻1号、pp.93-111、2005年



脚注


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  1. ^ 碓氷峠 熊野神社(2018年3月20日閲覧)


  2. ^ 由緒と祭神熊野皇大神社(2018年3月20日閲覧)


  3. ^ 『由緒記』


  4. ^ 神社が真っ二つ?身近にある境界の不思議 信仰・税収からむ、人間くさい線日経電子版(2018年2月10日)2018年3月20日閲覧


  5. ^ 由緒と祭神熊野皇大神社(2018年3月20日閲覧)


  6. ^ 『安中志』


  7. ^ 1816年(文化13年)『吉例祈祷献上願』


  8. ^ 1773年(安永2年)『峠村明細帳』


  9. ^ 1753年(宝暦3年)『社家由緒書』




関連項目



  • 鷲子山上神社 - 当社と同じく県境に鎮座する神社。


外部リンク







  • 碓氷峠熊野神社 公式ホームページ

  • 熊野皇大神社 公式ホームページ









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