朱雀天皇
朱雀天皇 | |
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第61代天皇 | |
在位期間 930年10月16日 - 946年5月23日 延長8年9月22日 - 天慶9年4月20日 | |
即位礼 | 930年12月14日(延長8年11月21日) |
大嘗祭 | 932年12月13日(承平2年11月13日) |
元号 | 延長 承平 天慶 |
先代 | 醍醐天皇 |
次代 | 村上天皇 |
誕生 | 923年9月7日(延長元年7月24日) |
崩御 | 952年9月6日(天暦6年8月15日) |
大喪儀 | 952年10月12日(天暦6年9月21日) |
陵所 | 醍醐陵 |
諱 | 寛明 |
元服 | 937年2月16日(承平7年1月4日) |
父親 | 醍醐天皇 |
母親 | 藤原穏子 |
女御 | 煕子女王 藤原慶子 |
子女 | 昌子内親王(冷泉天皇中宮) |
皇居 | 大内裏 |
朱雀天皇(すざくてんのう、923年9月7日(延長元年7月24日) - 952年9月6日(天暦6年8月15日)、在位:930年10月16日(延長8年9月22日) - 946年5月23日(天慶9年4月20日))は第61代天皇。諱は寛明(ゆたあきら)。
第60代醍醐天皇の第十一皇子。母は藤原基経の娘、中宮藤原穏子。
目次
1 略歴
1.1 在位中の重臣一覧
2 系譜
2.1 系図
3 后妃・皇子女
4 追号
5 在位中の元号
6 陵・霊廟
7 関連項目
略歴
延長4年(926年)、東宮となる。立太子の背景には、兄保明親王とその子慶頼王の二代にわたる東宮の夭折があり、母后穏子は怨霊を恐れて、寛明親王を3歳になるまで幾重にも張られた几帳の中で育てたという。延長8年(930年)先帝の醍醐天皇の危篤を受け9月22日に践祚、醍醐天皇はその7日後に崩御、11月22日に8歳(滿7歳3か月)で即位。政治は、伯父忠平が摂関として取り仕切っていた。
治世中の承平5年(935年)2月、平将門が関東で反乱を起こし、次いで翌年には瀬戸内海で藤原純友が乱を起こした(承平天慶の乱)。朝廷は懐柔策を試みたがうまくいかず、天慶3年(940年)、藤原忠文を征東大将軍に任命して将門征伐軍を送り、藤原秀郷の手により将門は討たれた。翌年には橘遠保により藤原純友が討たれ、乱はようやく収束した。
治世中はこのほかにも富士山の噴火や地震・洪水などの災害・変異が多かった。また病弱のためか入内した女御はわずか2人であり、在位中には全く皇子女に恵まれなかった。このこともあってか、天慶7年(944年)4月に同母弟成明親王(後の村上天皇)を東宮(皇太弟)とし、2年後の天慶9年(946年)4月20日に24歳で譲位した。その後、後悔して復位の祈祷をしたともいう。天暦6年(952年)に出家して、仁和寺に入った。同年、30歳で崩御。
在位中の重臣一覧
出典:『公卿補任』
年月日(西暦) | 摂政 | 関白 | 太政大臣 | 左大臣 | 右大臣 | 内大臣 | 大納言 | 権大納言 | 中納言 | 権中納言 | 参議 |
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延長8年9月22日 (930年10月16日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原定方 | 藤原仲平 | 藤原保忠・藤原恒佐・藤原兼輔 | 源清蔭・藤原玄上・藤原邦基・藤原扶幹・橘公頼・藤原当幹・平時望・平伊望 | |||||
延長8年12月17日 (931年1月8日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原定方 | 藤原仲平・藤原保忠 | 藤原恒佐・藤原兼輔・藤原邦基 | 源清蔭・藤原玄上・藤原扶幹・橘公頼・藤原当幹・平時望・平伊望 | |||||
延長9年3月13日 (931年4月3日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原定方 | 藤原仲平・藤原保忠 | 藤原恒佐・藤原兼輔・藤原邦基 | 源清蔭・藤原玄上・藤原扶幹・橘公頼・藤原当幹・平時望・平伊望・藤原実頼 | |||||
承平2年3月8日 (932年4月16日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原定方 | 藤原仲平・藤原保忠 | 藤原恒佐・藤原兼輔 | 源清蔭・藤原玄上・藤原扶幹・橘公頼・平伊望・藤原当幹・平時望・藤原実頼 | |||||
承平2年8月4日 (932年9月6日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平・藤原保忠 | 藤原恒佐・藤原兼輔 | 藤原玄上・源清蔭・藤原扶幹・橘公頼・平伊望・藤原当幹・平時望・藤原実頼 | ||||||
承平3年正月21日 (933年2月18日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平・藤原保忠 | 藤原恒佐・藤原兼輔 | 源清蔭・藤原扶幹・橘公頼・平伊望・藤原当幹・平時望・藤原実頼 | ||||||
承平3年2月13日 (933年3月11日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原保忠・藤原恒佐 | 藤原兼輔・藤原扶幹 | 源清蔭・橘公頼・平伊望・藤原当幹・平時望・藤原実頼 | |||||
承平3年2月18日 (933年3月16日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原保忠・藤原恒佐 | 藤原扶幹 | 源清蔭・橘公頼・平伊望・藤原当幹・平時望・藤原実頼 | |||||
承平4年12月21日 (935年1月28日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原保忠・藤原恒佐 | 藤原扶幹・平伊望・藤原実頼 | 源清蔭・源是茂・藤原伊衡・橘公頼・藤原当幹・平時望・紀淑光 | |||||
承平5年2月23日 (935年3月30日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原保忠・藤原恒佐 | 藤原扶幹・平伊望・藤原実頼 | 源清蔭・源是茂・藤原伊衡・橘公頼・藤原当幹・平時望・紀淑光・藤原師輔 | |||||
承平6年7月14日 936年8月3日 | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原恒佐 | 藤原扶幹・平伊望・藤原実頼 | 源清蔭・源是茂・藤原伊衡・橘公頼・藤原当幹・平時望・紀淑光・藤原師輔 | |||||
承平6年8月19日 (936年9月7日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原恒佐 | 藤原扶幹・平伊望・藤原実頼 | 源清蔭・源是茂・藤原伊衡・橘公頼・藤原当幹・平時望・紀淑光・藤原師輔 | |||||
承平7年正月22日 (937年3月6日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原恒佐 | 藤原扶幹・平伊望・藤原実頼 | 橘公頼・源清蔭・藤原当幹・源是茂・藤原伊衡・平時望・紀淑光・藤原師輔 | |||||
承平7年3月8日 (937年4月21日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原恒佐 | 藤原扶幹・平伊望・藤原実頼・平時望 | 橘公頼・源清蔭・藤原当幹・源是茂・藤原伊衡・紀淑光・藤原師輔 | |||||
承平7年3月28日 (937年5月11日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原恒佐 | 藤原扶幹 | 平伊望・藤原実頼・平時望 | 橘公頼・源清蔭・藤原当幹・源是茂・藤原伊衡・紀淑光・藤原師輔 | ||||
承平7年9月9日 (937年10月15日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原恒佐 | 藤原扶幹 | 平伊望・藤原実頼・平時望 | 橘公頼・源清蔭・藤原当幹・源是茂・藤原伊衡・紀淑光・藤原顕忠・藤原師輔 | ||||
承平8年3月25日 (938年4月27日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原恒佐 | 藤原扶幹 | 平伊望・藤原実頼 | 橘公頼・源清蔭・藤原当幹・源是茂・藤原伊衡・紀淑光・藤原顕忠・藤原師輔 | ||||
承平8年5月5日 (938年6月5日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原扶幹 | 平伊望・藤原実頼 | 橘公頼・源清蔭・藤原当幹・源是茂・藤原伊衡・紀淑光・藤原顕忠・藤原師輔 | |||||
天慶元年6月23日 (938年7月22日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原扶幹・平伊望 | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 橘公頼・源清蔭・藤原当幹・源是茂・藤原伊衡・紀淑光・藤原顕忠 | ||||
天慶元年6月29日 (938年7月28日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 平伊望 | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 橘公頼・源清蔭・藤原当幹・源是茂・藤原伊衡・紀淑光・藤原顕忠 | ||||
天慶元年12月17日 (939年1月10日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 平伊望 | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 橘公頼・源清蔭・藤原当幹・源是茂・紀淑光・藤原顕忠 | ||||
天慶2年8月27日 (939年10月12日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 平伊望・藤原実頼 | 橘公頼 | 藤原師輔・源是茂 | 源清蔭・藤原当幹・紀淑光・藤原元方・源高明・伴保平・藤原顕忠・藤原敦忠 | ||||
天慶2年9月11日 (939年10月26日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 平伊望・藤原実頼 | 橘公頼 | 藤原師輔・源是茂 | 源清蔭・藤原当幹・藤原元方・源高明・伴保平・藤原顕忠・藤原敦忠 | ||||
天慶2年11月16日 (939年12月29日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原実頼 | 橘公頼 | 藤原師輔・源是茂 | 源清蔭・藤原当幹・藤原元方・源高明・伴保平・藤原顕忠・藤原敦忠 | ||||
天慶2年12月27日 (940年2月7日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原実頼 | 橘公頼 | 源清蔭・藤原師輔・源是茂 | 藤原当幹・藤原元方・源高明・藤原忠文・伴保平・藤原顕忠・藤原敦忠 | ||||
天慶4年2月20日 (941年3月20日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原実頼 | 源清蔭・藤原師輔・源是茂 | 藤原当幹・藤原元方・源高明・藤原忠文・伴保平・藤原顕忠・藤原敦忠 | |||||
天慶4年3月28日 (941年4月27日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原実頼 | 源清蔭・藤原師輔・源是茂 | 藤原当幹・藤原元方・源高明・源清平・藤原忠文・伴保平・藤原顕忠・藤原敦忠 | |||||
天慶4年6月10日 (941年7月7日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原実頼 | 源清蔭・藤原師輔 | 藤原当幹・藤原元方・源高明・源清平・藤原忠文・伴保平・藤原顕忠・藤原敦忠 | |||||
天慶4年10月30日 (941年11月21日) | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原実頼 | 源清蔭・藤原師輔 | 藤原当幹・藤原元方・源高明・源清平・藤原忠文・伴保平・藤原顕忠・藤原敦忠 | ||||||
天慶4年11月4日 (941年11月25日) | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原実頼 | 源清蔭・藤原師輔 | 藤原元方・源高明・源清平・藤原忠文・伴保平・藤原顕忠・藤原敦忠 | ||||||
天慶4年11月8日 (945年11月29日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原実頼 | 源清蔭・藤原師輔 | 藤原元方・源高明・源清平・藤原忠文・伴保平・藤原顕忠・藤原敦忠 | |||||
天慶4年12月18日 (942年1月7日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原実頼 | 源清蔭・藤原顕忠 | 藤原師輔 | 藤原元方・源高明・源清平・藤原忠文・伴保平・源庶明・藤原敦忠 | ||||
天慶4年12月25日 (942年1月14日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原実頼 | 源清蔭・藤原顕忠 | 藤原師輔 | 藤原元方・源高明・源清平・藤原忠文・伴保平・源庶明・藤原敦忠・藤原在衡 | ||||
天慶5年3月29日 (942年4月17日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原実頼・藤原師輔 | 源清蔭・藤原顕忠・藤原元方 | 藤原敦忠 | 源高明・源清平・藤原忠文・伴保平・源庶明・藤原在衡 | ||||
天慶6年3月7日 (943年4月14日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原実頼・藤原師輔 | 源清蔭・藤原顕忠・藤原元方 | 源高明・源清平・藤原忠文・伴保平・源庶明・藤原在衡 | |||||
天慶7年4月9日 (944年5月4日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 源清蔭・藤原顕忠・藤原元方 | 源高明・源清平・藤原忠文・伴保平・源庶明・源兼明・藤原在衡・藤原師氏 | ||||
天慶8年正月13日 (945年2月27日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原仲平 | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 源清蔭・藤原顕忠・藤原元方 | 源高明・藤原忠文・伴保平・源庶明・源兼明・藤原在衡・藤原師氏 | ||||
天慶8年9月5日 (945年10月13日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 源清蔭・藤原顕忠・藤原元方 | 源高明・藤原忠文・伴保平・源庶明・源兼明・藤原在衡・藤原師氏 | |||||
天慶8年11月25日 (946年1月1日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 源清蔭・藤原顕忠・藤原元方 | 源高明・藤原忠文・伴保平・源庶明・源兼明・藤原在衡・藤原師氏・藤原師尹 |
系譜
朱雀天皇の系譜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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系図
(60)醍醐天皇 | (61)朱雀天皇 | 広平親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(62)村上天皇 | (63)冷泉天皇 | (65)花山天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
兼明親王 | 致平親王 | (67)三条天皇 | 敦明親王(小一条院) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(源)高明 | 為平親王 | 禎子内親王 (後三条母、陽明門院) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(64)円融天皇 | (66)一条天皇 | (68)後一条天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昭平親王 | (69)後朱雀天皇 | (70)後冷泉天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
具平親王 | (源)師房 〔村上源氏へ〕 | (71)後三条天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
后妃・皇子女
女御:煕子女王(?-950) - 皇太子保明親王女
昌子内親王(950-1000) - 冷泉天皇中宮
- 女御:藤原慶子(?-951) - 左大臣藤原実頼女
追号
譲位後、朱雀院を後院としたため、「朱雀院」と追号。
在位中の元号
- 延長
- 承平
- 天慶
陵・霊廟
陵(みささぎ)は、宮内庁により京都府京都市伏見区醍醐御陵東裏町にある醍醐陵(だいごのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は円丘。
北西にある父帝醍醐天皇の山科陵からは遠くない位置にある。古くは醍醐天皇陵が「上ノ御陵」、朱雀天皇陵が「下ノ御陵」と呼ばれていた。
また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。
関連項目
- 安久美神戸神明社
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