松山バレエ団
松山バレエ団(まつやまバレエだん)は、1948年に、日劇のバレリーナであった松山樹子と、彼女のファンであり、当時内務省の役人であった清水正夫(東京大学大学院修了/日本大学卒業)によって、東京・青山の幼稚園を借りて設立されたバレエ団。
所在地は東京都港区、正式名称を「公益財団法人松山バレエ団」という。総代表・清水哲太郎は、清水正夫と名誉芸術監督・松山樹子の長男。また、団長・森下洋子は清水哲太郎の妻。
目次
1 レパートリー
2 略歴
3 主な受賞歴
4 現役団員
5 在籍した事のある団員
6 バレエ学校(含、支部)に在籍している(いた)有名人
7 稽古場
8 松山バレエ学校
9 松山バレエ団と日中友好運動
10 関連文献
11 外部リンク
レパートリー
新・白鳥の湖(演出・振付:清水哲太郎)
くるみ割り人形(演出・振付:清水哲太郎)
眠れる森の美女(演出・振付:ルドルフ・ヌレエフ)
ドン・キホーテ(演出・振付:ルドルフ・ヌレエフ)
コッペリア(演出・振付:清水哲太郎・外崎芳昭)
ジゼル(演出・振付:清水哲太郎・外崎芳昭)
シンデレラ(演出・振付:清水哲太郎)
ロミオとジュリエット(演出・振付:清水哲太郎)
アレテー(演出・振付:清水哲太郎)
マンダラ(演出・振付:清水哲太郎)- 新「白毛女」(演出・振付:清水哲太郎)
略歴
- 1948年(昭和23年) 清水正夫、松山樹子によって創立
- 1953年(昭和28年) 『白狐の湯』初演
- 1955年(昭和30年) 『白毛女』初演
- 1957年(昭和32年) 『バフチサライの泉』初演
- 1958年(昭和33年) 第1回訪中公演
- 1960年(昭和35年) 『白鳥の湖』初演
- 1963年(昭和38年) 『祇園祭』初演
- 1974年(昭和49年) ヴァルナ国際バレエコンクール金賞(森下)、銅賞(清水)
- 1985年(昭和60年) ギリシャ・イギリス公演
- 1988年(昭和63年) イギリス、エディンバラ・インターナショナル・フェスティバル参加(『ジゼル』、『マンダラ』)
- 1989年(平成元年) 財団法人となる
- 1991年(平成3年) アメリカ(ニューヨーク、ワシントン)公演(『マンダラ』『ジゼル』)
- 1992年(平成4年) 日中国交正常化20周年記念(北京・上海にて『くるみ割り人形』『シンデレラ』)
- 1993年(平成5年) 創立45周年記念公演『グラン・ガラ』
- 1994年(平成6年) 新演出『白鳥の湖』初演
- 1997年(平成9年) 創立50周年記念
- 2003年(平成15年) 松山バレエ団創立55周年/日中平和友好条約締結25周年記念公演 新『白鳥の湖』(北京・上海)
- 2006年(平成18年) 森下洋子 舞踊歴55年
- 2008年(平成20年) 創立60周年
主な受賞歴
- 1957年 文部大臣奨励賞(「バフチサライの泉」):松山バレエ団
- 1959年 平和文化賞(「白毛女」):松山樹子
- 1961年 文部大臣奨励賞(「オセロ」):松山バレエ団
- 1963年 文部大臣奨励賞(「祇園祭」):松山樹子
- 1964年 舞踊ペンクラブ賞:松山樹子
- 1969年 第1回舞踊批評家協会賞:森下洋子
- 1970年 芸術選奨文部大臣新人賞:森下洋子、第2回舞踊批評家協会賞:森下洋子
- 1974年 ヴァルナ国際バレエコンクール金賞:森下洋子、ヴァルナ国際バレエコンクール銅賞:清水哲太郎
- 1975年 文化庁芸術祭大賞(「白鳥の湖」):森下洋子
- 1976年 橘秋子賞優秀賞:森下洋子、石井漠賞:大胡しづ子
- 1977年 文化庁芸術祭大賞(「ジゼル」):清水哲太郎/森下洋子、第9回舞踊批評家協会賞(「ドン・キホーテ」他):清水哲太郎/森下洋子、 芸術選奨文部大臣賞:森下洋子
- 1978年 芸術選奨文部大臣賞:清水哲太郎
- 1979年 橘秋子特別賞:松山樹子、 ジャクソン国際バレエ・コンクール銅賞:安達悦子
- 1980年 第11回舞踊批評家協会賞:松山バレエ団、東京新聞舞踊芸術賞:松山樹子、文化庁芸術祭大賞(「ロミオとジュリエット」):清水哲太郎
- 1981年 橘秋子優秀賞:清水哲太郎
- 1982年 毎日芸術賞:森下洋子
- 1983年 ローザンヌ国際バレエコンクール/ローザンヌ賞:吉田都
- 1984年 ローザンヌ国際バレエコンクール/ローザンヌ賞:平元久美、都民文化栄誉章:森下洋子、芸術選奨文部大臣賞:松山バレエ団
- 1985年 第16回舞踊批評家協会賞:松山バレエ団、第1回服部智恵子賞:森下洋子、日本芸術院賞:森下洋子、東京新聞舞踊芸術賞:森下洋子、婦人関係功労者内閣総理大臣賞:森下洋子、紫綬褒章:松山樹子、ローレンス・オリヴィエ賞:森下洋子、文化庁芸術祭賞(「ドンキホーテ」ヌレエフ):松山バレエ団
- 1986年 第17回舞踊批評家協会賞:清水哲太郎/森下洋子、邦人舞踊作品ベスト3(「ディベロップメント」):清水哲太郎
- 1987年 第3回服部智恵子賞:清水哲太郎、橘秋子賞/助演優秀賞:外崎芳昭、第18回舞踊批評家協会賞:清水哲太郎、民音芸術賞:清水正夫、文化庁芸術祭賞(「新当麻曼荼羅」):松山バレエ団、邦人舞踊作品ベスト3(「新当麻曼荼羅」):清水哲太郎、村松賞:貞松正一郎
- 1988年 第19回舞踊批評家協会賞(「新当麻曼荼羅」):松山バレエ団、第10回ニムラ舞踊賞:清水哲太郎
- 1989年 第20回舞踊批評家協会賞:松山バレエ団、ローザンヌ国際バレエコンクール/プロフェッショナル賞:橋本美奈子、村松賞大賞:倉田浩子、日本芸能実演家団体協議会芸能功労者表彰:松山樹子、第2回グローバル賞/森下洋子・清水哲太郎賞:吉田都、橘秋子賞/特別賞:清水哲太郎、第2回村松賞:平元久美
- 1990年 朝日賞:森下洋子、第21回舞踊批評家協会賞:松山バレエ団、日本顕彰特別表彰:森下洋子、文化庁芸術祭賞(「シンデレラ」):松山バレエ団、第3回村松賞:山川晶子
- 1991年 橘秋子賞/助演優秀賞:朶まゆみ
- 1992年 第24回舞踊批評家協会賞:松山バレエ団
- 1994年 外務大臣賞:森下洋子、勲四等宝冠章:松山樹子
- 1995年 第7回村松賞:佐藤明美、第26回舞踊批評家協会賞:松山樹子
- 1996年 第27回舞踊批評家協会賞:森下洋子、広島ホームテレビ文化・スポーツ賞:森下洋子
- 1997年 第28回舞踊批評家協会賞:森下洋子、第28回舞踊批評家協会賞/新人賞:佐藤明美、橘秋子賞/特別賞:森下洋子、文化功労者:森下洋子、邦人舞踊作品ベスト3(「バレエ・バレエ・バレエ」):清水哲太郎
- 1998年 第29回舞踊批評家協会賞:森下洋子/松山バレエ団
- 1999年 第30回舞踊批評家協会賞:森下洋子
- 2000年 第31回舞踊批評家協会賞:森下洋子、橘秋子賞/助演優秀賞:金田和洋、東京新聞舞踊芸術賞:清水哲太郎
- 2001年 第32回舞踊批評家協会賞:森下洋子
- 2002年 第33回舞踊批評家協会賞:森下洋子
- 2003年 第34回舞踊批評家協会賞:森下洋子
- 2004年 第35回舞踊批評家協会賞:森下洋子、文化交流貢献賞:清水正夫、松山樹子
- 2005年 紫綬褒章:清水哲太郎
- 2006年 第37回舞踊批評家協会賞:森下洋子
- 2012年 第24回高松宮殿下記念世界文化賞:森下洋子
現役団員
- 森下洋子
- 清水哲太郎
- 刑部星矢
- 倉田浩子
- 山川晶子
- 平元久美
- 佐藤明美
- 垰田慎太郎
在籍した事のある団員
- 吉田都
- 宮本亜門
- 大園エリカ
- 安達悦子
- 床嶋佳子
- 真田かすみ
バレエ学校(含、支部)に在籍している(いた)有名人
- 舞風りら
- 風花舞
- 平原綾香
- 辺見えみり
- 真壁京子
- 一色紗英
- 千野志麻
- 都月みあ
- 神田うの
稽古場
東京都港区南青山にある「Museion(ムーセイオン)」という名称の稽古場である。Museionとは、ギリシャ神話に出てくる、学問と芸術を司る9人の女神であるムーサ(ミューズ)の霊感を受けた知性に関する土地のことを指す。
基本内装は白壁と鏡張りであり、各稽古場には女神の名前が付けられて、カリオペ、タレイア、クレイオ、エウテルペー、メルポメネー、ウーラニア、エラトー、ポリュヒュムニア、テルプシコラーとなっている。中でもテルプシコラーは舞踏、合唱の神ということもあり、稽古場の中でも主要な大稽古場になっていて、この部屋だけは黒の壁と鏡張りになっている。
松山バレエ学校
本校をはじめ多くの支部を持つ。運営母体は財団法人ではなく、株式会社ザ・ジャパン・バレエである。
<<支部/関連スタジオ>>
- 本校
- 横浜校
- 大宮校
- 国分寺校
- 狛江校
- 番町・麹町校
- 北京校
- 自由が丘支部
- 堀切支部
- 三鷹支部
- 町田山ゆり支部
- 町田支部
- 洋光台支部
- 川口支部
- 江東支部
- しいのみバレエスタジオ
- 横須賀支部
- ひばりヶ丘教室
- 荒川支部
- 松戸支部
- 東大和バレエ・スタジオ
- 三宿支部
- 銀座支部
- 市ヶ尾支部
- 落合スタジオ
- 東急セミナーBE渋谷
- 淡島幼稚園教室
- 津田沼支部
- ジェクサー・戸田公園
- 大崎支部
- 玉川学園アート・ステップス教室
- 浦和支部
- 沼津バレエ学園
- 福岡支部
- 山村バレエ・スクール
- 福岡南支部
- 熊本支部
- 福島白河支部
- 京都支部
- 越谷支部
松山バレエ団と日中友好運動
松山バレエ団は白毛女の舞台化に尽力したことでも知られる。白毛女の舞台化は中国でも高く評価され、日中友好運動において重要な貢献をはたした。
文化大革命期においても松山バレエ団はたびたび訪中し、日中友好につとめた。このため清水正夫らは日本共産党から批判された。
関連文献
- 清水正夫『バレエ白毛女はるかな旅をゆく』(講談社)
- 宮森繁『実録・中国「文革」礼賛者たちの節操 』(新日本出版社)
外部リンク
- ザ・ジャパン・バレエ/松山バレエ団/松山バレエ学校