名古屋観光日急
名古屋観光日急株式会社(なごやかんこうにっきゅう)は、名神ハイウェイバスなどの高速バスや、愛知県・三重県で貸切バスを運行していた名鉄グループのバス会社。名鉄グループの観光バス事業再編に伴い、2008年7月1日に名鉄観光バス(旧・岐阜名鉄観光)、名鉄東部観光バス、名鉄西部観光バスと合併し「名鉄観光バス」となる。本社は名古屋市中村区名駅4丁目4番8号にあり名鉄観光バスの本社として引き継がれている。
目次
1 沿革
1.1 名古屋観光自動車
1.2 日本急行バス
1.3 名古屋観光日急
2 営業所
2.1 廃止
3 車両
4 脚注
5 外部リンク
沿革
名古屋観光自動車
名古屋観光自動車は1951年名古屋鉄道株式会社の全額出資の観光バス会社として発足。グループ企業にドラゴンズツアーや日本急行バス(下記)があった。
日本急行バス
1964年に開通した名神高速道路を走る高速バス路線を国鉄(現JR東海バス・西日本JRバス)以外に数多くの会社が計画し混乱したため、運輸省(現国土交通省)による調整の上、国の交通政策を体現する国鉄バスと、名神高速道路に隣接するバス路線網を持つ名鉄・京阪・阪急・近江鉄道が中心となって出資した日本急行バス(以下日急バス)の2社体制で名神ハイウェイバスの運行を行うことになった。この日本急行バスは全国各地にハイウェイバス路線網を張り巡らせるべく、政府主導で事実上の「国策会社」として設立されたため、上記の4社以外にも全国各地の私鉄・路線バス会社318社からの出資によって発足した。
しかし、近鉄をはじめとする他の関西私鉄各社は、名鉄が最大出資となる日急バスへの参加(出資)に納得せず、同様の不満を抱えた阪神・南海と3社で近鉄50%、阪神・南海25%の出資比率により独自に日本高速自動車を立ち上げ、運輸省に対して2社独占に対する弊害と不公平な資本参加を訴え、運輸省もその主張に同調する形で3社に対し高速バス免許を交付する事となった。また、その後に勃発した建設省・日本道路公団(共に当時)側と、運輸省・国鉄側の高速バス運行(主導権)争いに建設省側が負けたため、同省が設立に関わっていた日急バスは、結局、名神高速道路の運行に留まっている。
そもそも名阪間の旅客輸送に関しては、名神高速の開通とほぼ同時期に速達性で太刀打ちできない東海道新幹線が開通しており、更にそれ以前から近鉄特急(名阪特急)が高速バスと頻度・到着時間・運賃ともに遜色ない運行を行っていたため、高速バスの需要はもとより少ない状態であった。
その上トリプルトラック(3社による運行)では、開業当初から熾烈な旅客の争奪戦が始まり、相次ぐ運賃の値下げ・サービス拡充による採算性の悪化と、その後のマイカー普及などで乗客は著しく低迷し、3社ともかなりの赤字を出す路線となった。このため1971年には、日急バスの経営に最も深く関わっていた名鉄が責任を取る形で他社の出資を肩代わりし、名鉄グループ内に収容して経営の立て直しを図った。1979年にはこの一環として、名鉄傘下の大手観光バス会社・名古屋観光自動車へ運行委託を行い、さらに2001年4月1日には同社と合併させて名古屋観光日急となった[1]。
なお、日本高速自動車も同様に近鉄が子会社化し、1983年には名古屋近鉄バスと合併して名阪近鉄高速バス(現名阪近鉄バス)となっている。
1999年には、名鉄(バス部門)が運行していた夜行高速バス路線の一部(長崎線・熊本線)が移管された。
名古屋観光日急
2002年4月に名古屋観光自動車とグループ企業のドラゴンズツアー・日本急行バスが合併して「名古屋観光日急」となった。
営業所
- 名古屋営業所
- 刈谷営業所
- 春日井営業所
- 四日市営業所
- 松阪営業所
廃止
- 栗東営業所(日本急行バス)
- 茨木営業所(日本急行バス)
車両
名鉄グループに属しているため、長らく三菱エアロバスシリーズが主力であったが、2006年以降は新型セレガも導入している。
名神ハイウェイバスにおいては、日本急行バス時代には京都線用車両として、正座席は28席として後部にサロンを設置した三菱スーパーエアロIを投入、「サロン特急」として運行していた。また、神戸線ではメルセデス・ベンツ製の車両を専用車として投入し、こちらは「ベンツ特急」として運行していた。その後ベンツ製の車両は三河交通(現:名鉄東部観光バス)へ譲渡されたがのちに廃車された。
のちにはいずれの路線とも、通常の40人乗りハイデッカーが使用されている。その後、名古屋鉄道(当時、現:名鉄バス)から一部の夜行高速バス路線が移管されたことに伴い車両も同時に転入、塗装は当初名古屋鉄道時代のまま社名を変更した程度で使われていたが、2002年の事業再編後には同社独自のカラーに塗り替えられた。
貸切車においては、名古屋観光バスと日本急行バスの共同所有の車両も存在した。特徴的な車両としては、車内でのカラオケを楽しむために、前方に小さいステージを設置した「ステージ・ワン」、東京ディズニーランドへの自社企画の夜行ツアーバス向けに、4列シートながらシートピッチを大幅に拡大して正座席32人乗り(便所なし)とした「メルヘン」などが在籍していた(2007年現在は36人乗りと公式サイトに掲載されている)。
また同社は旧三河観光(後の三河交通。現:名鉄東部観光バス)とグループ系列であったため両社のカラーリングが共通しており、社名ロゴとラインの色違い程度であった。両社間での車両のトレードも行われていた。
旧名古屋観光自動車では1980年代に看板車両としてベルギー・バンホール製の車両を導入していた。
かつては三菱ふそうが東京モーターショーに出展した車両が公開後に即同社に供給された車両も存在した。
名古屋観光自動車時代に導入された二階建てバス「ザ・ワールド」(バンホール・アストロメガ)
名古屋観光自動車時代に導入された中二階バス「エル・ワールド」(バンホール・アクロン)
日本急行バス時代に導入された「メルヘン」
日本急行バス時代に名神ハイウェイバス京都線に投入された「サロン特急」の車両
日本急行バス時代に名神ハイウェイバス神戸線・大阪線に投入された「ベンツ特急」の車両
日本急行バス時代に導入されたエアロクイーンM
貸切車「ゴールドドラゴン」
貸切車「ゴールドドラゴン」
貸切車「シーグリーン」
貸切車「ニューメルヘン」
脚注
^ “名古屋観光自動車と日本急行バスが合併”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2001年3月22日)