集帖






『淳化閣帖』




『冠軍帖』(淳化閣帖本)張芝書




『欲帰帖』(淳化閣帖本)張芝書


集帖(しゅうじょう)とは、複数の書人の名跡を集めて石や木などに刻した法帖のこと。単帖(一つの作品を刻した法帖)や専帖(一人だけの筆跡を集めた法帖)に対していう。




目次






  • 1 概要


  • 2 集帖


    • 2.1 昇元帖


    • 2.2 澄清堂帖


    • 2.3 淳化閣帖


    • 2.4 大観帖


    • 2.5 真賞斎帖


    • 2.6 停雲館帖


    • 2.7 余清斎帖


    • 2.8 戯鴻堂帖


    • 2.9 鬱岡斎帖


    • 2.10 玉煙堂帖


    • 2.11 秀餐軒帖


    • 2.12 秋碧堂帖


    • 2.13 聴雨楼帖


    • 2.14 三希堂法帖


    • 2.15 筠清館帖


    • 2.16 鄰蘇園帖




  • 3 脚注


  • 4 出典・参考文献


  • 5 関連項目





概要



集帖の起源については種々の説があるが、南唐の李後主の『昇元帖』・『澄清堂帖』が集帖の祖といわれている。以後、数多くの集帖が編されているが、その大部分は行書・草書の書簡である。宋の『淳化閣帖』、明の『停雲館帖』・『余清斎帖』、清の『三希堂法帖』などが著名である。


集帖界の王者として君臨する『淳化閣帖』10巻には二王の書が半分の5巻を占めており、法帖の主流は王法であった。明代には多くの名跡が集刻され、顔真卿をはじめ、宋・元の書も刻されるようになった。そして、これらが清の『三希堂法帖』に集大成される。特に明から清にかけて法帖が全盛の時代であり、これを研究する帖学が興って法帖から学書する方法が一般化し、清代中期まで学書の主流になるなど、書道文化の発展に大いに寄与した。また、明の中期から経済的発展を遂げた江南で大収蔵家が出現し、家蔵の名品をもとに刻させた。これにともない法帖制作を専業とする優れた刻者なども現れた[1][2][3]



集帖


以下に代表的な集帖を挙げる。魏・晋の筆跡が中心であるが、宋・元の真跡からの上石も多い[1][4]






























































































































































































集帖一覧
時代 刊行年 名称 巻数 作者
南唐 不詳 昇元帖 不詳
李後主
不詳 澄清堂帖 不詳
992年 淳化閣帖 10
太宗
1060年頃 絳帖(こうじょう) 20
潘師旦
1109年 大観帖 10
徽宗
不詳 群玉堂帖(ぐんぎょくどうじょう) 10
韓侂冑
1416年 東書堂帖(とうしょどうじょう) 10
朱有燉
1489年 宝賢堂帖(ほうけんどうじょう) 12
朱奇源
1522年 真賞斎帖 3 華夏
1560年 停雲館帖 10と12
文徴明
1585年 宝翰斎帖(ほうかんさいじょう) 16
茅一相
1592年? 来禽館帖(らいきんかんじょう) 不詳
邢侗
1596年 余清斎帖 8
呉廷
1602年 - 1610年 墨池堂選帖(ぼくちどうせんじょう) 5
章藻
1603年 戯鴻堂帖 16
董其昌
1611年 鬱岡斎帖 10
王肯堂
1612年 玉煙堂帖 24
陳瓛
1619年頃 秀餐軒帖 4
陳息園
1630年以後 渤海蔵真帖(ぼっかいぞうしんじょう) 8 陳瓛
1641年以後 快雪堂法書(かいせつどうほうしょ) 5
馮銓
1672年 職思堂帖(しょくしどうじょう) 8
江湄
1675年 翰香館法書(かんこうかんほうしょ) 10
劉鴻臚
不詳 秋碧堂帖 8
梁清標
不詳 聴雨楼帖 4
周於礼
1747年 三希堂法帖 32
乾隆帝
1754年 墨妙軒帖(ぼくみょうけんじょう) 4
1790年頃 経訓堂帖(けいくんどうじょう) 12
畢沅
1830年 筠清館帖 6
呉栄光
1892年 鄰蘇園帖 12
楊守敬



『得示帖』王恬書(中央の2行)・『辱告帖』王洽書(左の2行)、淳化閣帖本



昇元帖


『昇元帖』(しょうげんじょう)は、集帖の祖といわれるものであるが、早くに亡失している。李後主が徐鋐に命じて刻させたものである[5]



澄清堂帖


『澄清堂帖』(ちょうせいどうじょう)は、李後主が刻したものと伝えられるが、時代には種々の説がある。明の中ごろ世に現れた。王羲之の書が精刻されてあり、また『淳化閣帖』にない刻があるので尊ばれている。現在は、宋時代の拓本とされている残本数冊と、残本をもとにして『来禽館帖』・『戯鴻堂帖』・『玉煙堂帖』などで重刻されているものが伝わるのみである[1][6]



淳化閣帖


『淳化閣帖』(じゅんかかくじょう、『閣帖』とも)10巻は、太宗の勅命によって淳化3年(992年)に完成した。翰林侍書の王著が勅命を奉じて、内府所蔵の書跡を編したものと伝承されている。王著は完成前に亡くなっているので編者への疑問もある。拓本としては極少数下賜されただけで、初版の原版が焼失したらしいので、多数の再版が後世まで制作された。有名な再版としては明時代に制作された顧氏本、潘氏本、粛府本、清時代の陝西本、乾隆帝による欽定重刻淳化閣帖などがある。


10巻の内容は次のとおりである。



  1. 歴代帝王の書(後漢の章帝以下21人)

  2. 歴代名臣の書(漢から晋までの19人)

  3. 歴代名臣の書(晋・宋・斉の31人)

  4. 歴代名臣の書(梁・陳・唐の17人)

  5. 諸家の書(古代から唐までの17家)


  6. 王羲之の書

  7. 王羲之の書

  8. 王羲之の書


  9. 王献之の書

  10. 王献之の書


この集帖の所収は、漢・魏・六朝・唐までの広範囲に及ぶ。ただし、真偽の疑わしいものも含まれているという[7][8]



大観帖


『大観帖』(たいかんじょう)10巻は、徽宗が大観3年(1109年)、竜大淵・蔡京らに命じて『淳化閣帖』を訂正、削除、補刻させたもの。毎巻末に蔡京が標題として、「大観三年正月一日奉聖旨模勒上石」と書いている。『淳化閣帖』の板がひび割れし、また王著の記述に誤りが多かったため訂正し、偽跡の明白なものを削除した。さらに内府所蔵の書跡を出して補刻させた。しかし、靖康元年(1126年)に靖康の変があったため、拓本の伝わるものが極めて少ない[8][9]



真賞斎帖


『真賞斎帖』(しんしょうさいじょう)3巻は、大収蔵家の華夏(か か、字は中甫)が嘉靖元年(1522年)に家蔵の『万歳通天進帖』などの優品を刻して刊行したもの。最初木に刻したが火災で焼失し、石に刻しなおした。文徴明が鉤摹し、章簡父が刻し、紙墨も精良で、明代第一の法帖との評価もある。上中下3巻の内容は次のとおりである[8][10][11][12]



  • 上巻…鍾繇の『薦季直表』

  • 中巻…王羲之の『袁生帖』

  • 下巻…『万歳通天進帖』


万歳通天進帖

『万歳通天進帖』(ばんざいつうてんしんじょう)とは、王氏一族の書簡を唐人が模したものである。王羲之の子孫の王方慶(おう ほうけい)が万歳通天2年(697年)、同家に伝わる王羲之および一門の書を則天武后に献上した。武后はその模本を作らせ真跡は返還している。しかし、真跡は失われ、模本の一部のみが遼寧省博物館に現存する。『真賞斎帖』・『停雲館帖』・『三希堂法帖』に刻入され、内容は、王羲之の『姨母帖』(いぼじょう)・『初月帖』(しょげつじょう)、王献之の『廿九日帖』(にじゅうくにちじょう)、王慈の『柏酒帖』(はくしゅじょう)などが著名である。[11][13][14][15]



停雲館帖


『停雲館帖』(ていうんかんじょう)は、文徴明父子が嘉靖16年(1537年)に第1巻を作り、以後、名跡を得るごとに順次模刻し、20年間で完成した。10巻本と12巻本の2種があるが、12巻本は徴明没後、祝允明・文徴明の2巻が加えられたものである。その10巻の内容は次のとおりである。



  1. 晋唐小楷

  2. 『万歳通天進帖』、嵆康『絶交書』(李懐琳臨)


  3. 孫過庭『書譜』


  4. 懐素『千金帖』など唐人の書

  5. 宋人の書

  6. 宋人の書

  7. 宋人の書

  8. 元人の書

  9. 元人の書

  10. 明人の書


第1巻の王羲之の小楷を除く他は、文徴明とその子(文彭と文嘉)が真跡から鉤模し、章簡父などの名手に刻させたという。模者・刻者ともに精良なため、明代を代表する名帖とされている[8][10][16]



余清斎帖




『十七帖』(余清斎帖本、部分)王羲之




『楽毅論』(余清斎帖本、部分)王羲之


『余清斎帖』(よせいさいじょう)8巻(正続2集、24巻とも)は、書画商人の呉廷(ご てい)が万暦24年(1596年)に作成した。呉廷自身が所蔵した王羲之から米芾までの諸帖を刻したもので、その8巻の内容は次のとおりである。



  1. 王羲之『十七帖』

  2. 王羲之『張金界奴本蘭亭序』・『楽毅論』・『黄庭経』など

  3. 王羲之『行穣帖』、王献之『鴨頭丸帖』・『洛神賦十三行』など


  4. 王珣『伯遠帖』、王献之『中秋帖』など

  5. 王羲之『胡母帖』、謝安『六十五字帖』など

  6. 孫過庭『草書千字文』、顔真卿『祭姪文稿』


  7. 蘇軾『赤壁賦』、米芾『千字文』

  8. 米芾『評紙帖』など


『十七帖』以外は多く真跡から刻したという。刻者は楊明時などによる名帖である[13][17][18]



戯鴻堂帖


『戯鴻堂帖』(げこうどうじょう)16巻は、董其昌が万暦31年(1603年)に作成した。晋唐宋元の名品を集めたもの[17][19]



鬱岡斎帖


『鬱岡斎帖』(うっこうさいじょう、『鬱岡斎墨妙』とも)10巻は、王肯堂(おう こうどう)が万暦39年(1611年)に作成した。鍾繇・王羲之から蘇軾・米芾まで、晋唐宋の名品を集めたのも。刻者は、管駟卿という名手で、明代の集帖中、第一の精拓といわれる[17][20]



玉煙堂帖


『玉煙堂帖』(ぎょくえんどうじょう)24巻は、陳瓛(ちん けん)が万暦40年(1612年)に刻したもので、漢・魏より宋・元に至る名跡が集刻されている。刻は精巧さに欠くが他帖に見られない作品が含まれ貴重である[17][21]



秀餐軒帖


『秀餐軒帖』(しゅうさんけんじょう)4巻は、陳息園(ちん そくえん)が万暦47年(1619年)頃に作成した。魏晋から南宋の張即之までを集めたもの[17]



秋碧堂帖


『秋碧堂帖』(しゅうへきどうじょう、『秋碧堂法書』とも)8巻は、収蔵家の梁清標(りょう せいひょう、1620年 - 1691年)が自身の蔵する陸機『平復帖』から趙孟頫『洛神賦』までの真跡から模入した。刻手は尤永福である。内容の良さと精刻をもって著名であり、特に『平復帖』と『張金界奴本蘭亭序』があるので名高い。刊行年は不詳[22][23][24][25]



聴雨楼帖


『聴雨楼帖』(ちょううろうじょう)4巻は、清の周於礼(しゅう おれい、1692年 - 1750年)が作成した。褚遂良・顔真卿、宋の四大家などの作品が刻入されている。刊行年は不詳[22]



三希堂法帖


『三希堂法帖』(さんきどうほうじょう、正式には『三希堂石渠宝笈法帖』)32巻は、乾隆12年(1747年)に乾隆帝の勅命を奉じて梁詩正(りょう しせい、1697年 - 1763年)らが魏の鍾繇から明の董其昌に至る歴代名人の筆跡を刻した。その原石は495石に上る。精刻であり、紙墨ともによい。続帖として、『墨妙軒帖』がある。


三希堂とは紫禁城・内廷西側の養心殿内にある建物の号で、乾隆帝が命名した。その由来は、乾隆帝が王羲之の『快雪時晴帖』、王献之の『中秋帖』、王珣の『伯遠帖』の3帖を得て、これを希世の珍宝としてその室中に蔵したことによる[26][27][28][29][30]



筠清館帖


『筠清館帖』(いんせいかんじょう)6巻は、清の呉栄光(ご えいこう、1773年 - 1843年)が道光10年(1830年)に、収蔵する晋梁唐宋元の名跡を刻したもの。呉栄光は収蔵に富み、碑帖3000本近く有していたという。他帖にない珍しいものもかなりあり、清代の刻帖としては有数のものである。6巻の内容は次のとおり[31][32]



  1. 晋梁書

  2. 唐君臣書

  3. 宋君臣書

  4. 宋人書

  5. 元人書

  6. 元人書



鄰蘇園帖


『鄰蘇園帖』(りんそえんじょう)12巻は、楊守敬が光緒18年(1892年)から作成した。日本の『風信帖』なども刻入されている[33][34]



脚注


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  1. ^ abc藤原鶴来 p.155


  2. ^ 西川寧(書道辞典) p.115


  3. ^ 飯山三九郎 p.156


  4. ^ 鈴木洋保 pp..207-209


  5. ^ 西川寧(書道辞典) P.65


  6. ^ 西川寧(書道辞典) P.90


  7. ^ 西川寧(書道辞典) pp..63-64

  8. ^ abcd藤原鶴来 p.156


  9. ^ 西川寧(書道辞典) pp..82-83

  10. ^ ab鈴木洋保 p.207

  11. ^ ab比田井南谷 p.116


  12. ^ 杉村丁 巻末解説

  13. ^ ab藤原鶴来 p.157


  14. ^ 西川寧(書道辞典) p.106


  15. ^ 鈴木洋保 p.46


  16. ^ 西川寧(書道辞典) p.92

  17. ^ abcde鈴木洋保 p.208


  18. ^ 西川寧(書道辞典) p.127


  19. ^ 西川寧(書道辞典) p.41


  20. ^ 西川寧(書道辞典) p.13


  21. ^ 西川寧(書道辞典) p.36

  22. ^ ab鈴木洋保 p.209


  23. ^ 西川寧(書道辞典) p.62


  24. ^ 比田井南谷 p.101


  25. ^ 藤原鶴来 pp..157-158


  26. ^ 藤原鶴来 p.158


  27. ^ 比田井南谷 p.113


  28. ^ 西川寧(書道辞典) p.55


  29. ^ 飯島春敬 p.306


  30. ^ 藤波曾川 pp..120-123


  31. ^ 飯島春敬 p.39


  32. ^ 中西慶爾 pp..23,305-306,1076-1077


  33. ^ 西川寧(書道辞典) p.133


  34. ^ 中西慶爾 p.364




出典・参考文献




  • 藤原鶴来『和漢書道史』(二玄社、2005年8月)ISBN 4-544-01008-X

  • 鈴木洋保・弓野隆之・菅野智明『中国書人名鑑』(二玄社、2007年10月)ISBN 978-4-544-01078-7


  • 比田井南谷『中国書道史事典』(雄山閣、1996年2月)ISBN 4-639-00673-X

  • 「中国書道史」(『書道藝術』別巻第3 中央公論社、中田勇次郎責任編集、普及版1981年)


  • 西川寧編「書道辞典」(『書道講座』第8巻 二玄社、1969年7月)


  • 木村卜堂『日本と中国の書史』(日本書作家協会、1971年)


  • 鈴木翠軒・伊東参州『新説和漢書道史』(日本習字普及協会、1996年11月)ISBN 978-4-8195-0145-3

  • 西林昭一・鶴田一雄「隋・唐」(『ヴィジュアル書芸術全集』第6巻 雄山閣、1993年8月)ISBN 4-639-01036-2

  • 飯山三九郎「帖学派と碑学派の流れ」(「図説中国書道史」『墨スペシャル』第9号 芸術新聞社、1991年10月)

  • 杉村丁「巻末解説」(「黄山谷 伏波神祠詩巻」『書跡名品叢刊 23』二玄社、1966年)

  • 中西慶爾編『中国書道辞典』(木耳社、初版1981年)

  • 飯島春敬編『書道辞典』(東京堂出版、初版1975年)

  • 藤波曾川「宋・明・清代の名法帖」(「碑法帖・拓本入門」『墨スペシャル 第21号 1994年10月』芸術新聞社)



関連項目



  • 法帖

  • 模刻

  • 碑帖


  • 中国の書道史 - 中国の筆跡一覧 - 中国の書家一覧

  • 中国の書論




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