大島治喜太




大島 治喜太(おおしま じきた、1889年(明治22年) - 1939年(昭和14年))は、日本の剣道家。大日本武徳会剣道範士、居合術教士、銃剣術教士。


国士舘専門学校教授、警視庁、皇宮警察、東京帝国大学、陸軍士官学校、陸軍戸山学校、海軍横須賀鎮守府、法政大学等の師範を務めた。



経歴


佐賀県出身。大日本武徳会武術教員養成所を卒業。武専では持田盛二、堀正平と並び「三勇士」と謳われた。


19歳のとき中山博道に稽古を願い、5本のうち3本をせしめたという。同年、青年大会で23人を勝ち抜き優勝。


1919年(大正8年)、剣道教士に昇進。


1929年(昭和4年)、御大礼記念天覧武道大会指定選士の部に出場。持田盛二と共に優勝候補に挙げられたが、リーグ戦で持田に敗れる。持田は優勝した。


1931年(昭和6年)、剣道範士に昇進。


1934年(昭和9年)、皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会特選試合に出場し、植田平太郎との試合を披露した。


1939年(昭和14年)、死去。享年51。



参考文献




  • 宮内省監修『皇太子殿下御誕生奉祝昭和天覧試合』、大日本雄弁会講談社編

  • 庄子宗光『剣道百年』、時事通信社

  • 『月刊剣道日本』1984年5月号、スキージャーナル




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