フリー (バンド)
フリー Free | |
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基本情報 | |
出身地 | イングランド ロンドン |
ジャンル | ハードロック ブルース・ロック |
活動期間 | 1968年 - 1971年 1972年 - 1973年 |
レーベル | アイランド・レコード A&Mレコード |
共同作業者 | バッド・カンパニー フェイセズ |
旧メンバー | ポール・ロジャース(vo) ポール・コゾフ(g) アンディ・フレイザー(b) サイモン・カーク(ds) 山内テツ(b) ジョン"ラビット"バンドリック(key) |
フリー (Free)は、ブルースを指向するミュージシャンによって結成されたイギリスのロックバンド。1969年にデビュー、1度解散し72年にオリジナル・メンバーで再結成。1973年に解散。
目次
1 概要
2 各国での評価の違い
3 エピソード
4 メンバー
4.1 初期メンバー
4.2 後期メンバー
5 ディスコグラフィ
5.1 スタジオ・アルバム
5.2 ライブ・アルバム
5.3 ベスト・アルバム
6 日本公演
7 脚注
8 外部リンク
概要
ブルースとソウルの要素を併せ持った独特のサウンドで初期のハードロックを形作った。枯淡で老成した音楽性との対比でメンバーの若さにも注目が集まった(「オール・ライト・ナウ」がチャート入りを果たした時のメンバー平均年齢20歳)。1971年に解散。
その後各人が独自の活動に入ったが、「コゾフ・カーク・テツ・ラビット」の同名アルバムが好評を博したことと、重度のドラッグ癖で活動に支障をきたしていたコゾフを救おうという意図のもと、1972年2月に再結成。
しかし、まもなくフレイザーが脱退。山内が正式メンバーとなり、ロジャースがギターを兼任するようになる。この体制で1972年7月、エマーソン・レイク・アンド・パーマーとともに再来日(コゾフは不参加)。1973年初頭、『ハートブレイカー』発表後、バンドは自然消滅のような形で解散した。
その後ロジャースとカークはバッド・カンパニーを結成。コゾフはフリーに関わったメンバー全員の参加を得てソロ・アルバム『バック・ストリート・クロウラー(back Street Crawler)』発表後、新メンバーを集めアルバム名と同名のバンドを始動させたが、1976年に心不全で死去。山内はフェイセズに参加。フレイザーとラビットも音楽活動を続けた。
『ファイアー・アンド・ウォーター』に収録され、シングル化もされた「オール・ライト・ナウ」は、バンド最大のヒット曲であり、ロック・クラシックとなっている。
各国での評価の違い
フリーは母国イギリスでは伝説的バンドとして高く評価されているが、日本においても人気があるバンドである。アメリカでは「オール・ライト・ナウ」が大ヒットしたものの、バンドとしては今一つ人気が定着しなかった。
よって、フリー解散後の1974年にポール・ロジャースとサイモン・カークが参加し結成されたバッド・カンパニーは、フリーの要素に加えて、「アメリカうけ」を狙ったものであった。実際、バッド・カンパニーは、本国イギリスや日本よりも、アメリカにおいて大きな支持を集めることとなった。
エピソード
- 4人が初めて共演した際の楽曲は、リトル・リチャードの「Good Golly Miss Molly」だった。
メンバー
初期メンバー
ポール・ロジャース (Vo) (1949年12月17日 - )
ポール・コゾフ (G) (1950年9月14日 - 1976年3月19日)
アンディ・フレイザー (B, Key, Vo) (1952年7月3日 - 2015年3月16日[1]) - 『ハイウェイ』発表後に脱退。
サイモン・カーク (Ds) (1949年7月28日 - )
後期メンバー
『フリー・アット・ラスト』以降、解散までのメンバー。
- ポール・ロジャース (Vo, G)
- ポール・コゾフ (G)[2]
山内テツ (B, Perc)- ジョン・"ラビット"・バンドリック (Key, Organ, Vo)
- サイモン・カーク (Ds, Vo)
テツとバンドリックはフリーが一度解散したときカークとコゾフと「コゾフ・カーク・テツ・ラビット」を結成しアルバムも発表している。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
- 『トンズ・オブ・ソブス』 - Tons Of Sobs (1969年) #197 US
- 『フリー』 - Free (1969年) #22 UK
- 『ファイアー・アンド・ウォーター』 - Fire And Water (1970年) #2 UK, #17 US
- 『ハイウェイ』 - Highway (1970年) #41 UK, #190 US
- 『フリー・アット・ラスト』 - Free At Last (1972年) #9 UK, #69 US
- 『ハートブレイカー』 - Heartbreaker (1973年) #9 UK, #47 US
ライブ・アルバム
- 『フリー・ライヴ』 - Free Live! (1971年) #4 UK, #89 US
- 『ライヴ・アット・ザ・BBC』 - Live at the BBC (2006年)
ベスト・アルバム
- 『フリー・ストーリー』 - The Free Story (1974年) #2 UK
日本公演
1971年4月30日 東京・神田共立講堂、5月1日 東京・サンケイホール
1972年7月22日 東京・後楽園球場、7月24日 兵庫・阪神甲子園球場
- ※エマーソン・レイク・アンド・パーマー公演の前座
脚注
^ フリーのベーシスト、アンディ・フレイザーが死去 amass 2015年3月17日
^ フレイザー脱退と同時期に正式メンバーから外れ、以降はゲスト参加扱いとする見方も存在する。だが、サイモン・カークは『ハートブレイカー』レコーディング時を回想して「コゾフの体調を見計らってレコーディングしていたがなかなか進まず、やむなくサポート・ギタリストを迎えて手早く録音を終えた後に、もうコゾフとは一緒にやれないなと思った」と語っており(『レコードコレクターズ』2010年5月号「ブリティッシュロックの肖像」)、少なくとも『ハートブレイカー』録音時までは、バンド側はコゾフを正式メンバーと考えていたと思われる。
外部リンク
フリー - Myspace
- Paul Rodgers Official Website
- Approved Fan club for Free, Bad Company and Paul Rodgers
- Paul Kossoff Website
- Andy Fraser Official Website
- Simon Kirke Official Website