BGM (YMOのアルバム)
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『BGM』 | |||||
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YMO の スタジオ・アルバム | |||||
リリース | 1981年3月21日 | ||||
録音 | 1981年 STUDIO "A" | ||||
ジャンル | ニュー・ウェーヴ | ||||
時間 | 47分12秒 | ||||
レーベル | アルファレコード | ||||
プロデュース | 細野晴臣 | ||||
専門評論家によるレビュー | |||||
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チャート最高順位 | |||||
YMO 年表 | |||||
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『BGM』収録のシングル | |||||
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細野晴臣 年表 | |||||
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高橋幸宏 年表 | |||||
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坂本龍一 年表 | |||||
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BGM(ビー・ジー・エム)は1981年3月21日にアルファレコードからリリースされた、YMOの5作目のアルバム。
目次
1 背景
2 録音
2.1 デジタルMTR
3 音楽性
4 プロモーション
5 アートワーク
6 ツアー
7 収録曲
8 曲解説
8.1 A面
8.2 B面
9 スタッフ・クレジット
9.1 参加ミュージシャン
9.2 スタッフ
10 リリース履歴
11 参考文献
12 脚注
13 外部リンク
背景
『BGM』 は1980年に発表された坂本龍一の 『B-2ユニット』 と、加藤和彦の 『うたかたのオペラ』 の2枚のアルバムからおもなインスピレーションを得て制作されたアルバムである[2][3]。
アルバムタイトルは1980年7月に細野晴臣が高橋幸宏とともに加藤の前記アルバム制作のために滞在していたベルリンで着想した[4]。細野は「危険なので距離を置いてBGMのように聴いてくれ」という意図があったとし、高橋は「YMOの曲はまるでMuzak(≒BGM)のようだ」と批評した海外の音楽評論家への意趣返しの意味を込めたと語っている[2]。
その一方で、坂本は心身ともに不調であったことと細野の采配に対する反発から、意識的にサボることがあったことを後日語っている。細野の「千のナイフ(坂本の曲)みたいな曲作ってよ」というリクエストに「そんなら千のナイフ入れてやれ」と過激なアレンジのキーボードソロにしてそのまま入れた[要出典]。また、既にシングル用に作ってあった「ハッピー・エンド」をわざと[要検証 ]換骨奪胎したようなアレンジにして提供したりした。純粋な新曲は「音楽の計画」わずか1曲の提供だった。
YMO結成当初は覆面バンドとして進めたかったが、前作であまりにも売れすぎ、世間からは個人のキャラクターをさらに求められた。そのため、このアルバム以降、個人の顔と音楽性を前面に出すこととなった[5]。
細野はYMOのベストと思われるアルバムとして、古くならない音と歌詞の内容の良さで本作を挙げている[5]。
高橋も、いままで自分たちが言いたかったことを初めて歌詞で表現し、それに一番こだわったこと、そして言葉とサウンドがうまく合体しているところから本作をベストと評価している[6]。
録音
レコーディング開始は1981年1月15日。同年3月21日のリリースに間に合わせるため、締め切りギリギリまで録音作業が行なわれた。
- このアルバムにはミックスダウンは1曲1時間半というルールがあった[7]。
シーケンサーがMC-8からMC-4に変更された。- シンセサイザはプロフェット5が主役となった。坂本龍一はプロフェット5が秘めている可能性を探るべく、相当使いこなした[7]。
- レコーディングではTR-808で延々とループを回し、それを聞きながらの作業を行っていた[7]。
- その他の使用機材は、ミニモーグ、アープ・オデッセィ、ローランドジュピター8などが挙げられる。
- 生楽器がほとんど使われていないのもこのアルバムの特色である。
デジタルMTR
- レコーディングには当時開発されたばかりで日本に2台(アルファレコード Studio"A"と音響ハウススタジオに各1台)しかなかった3MのデジタルマルチトラックレコーダーDMSが使用された。しかし、あまりにもクリアな音に細野が納得せず、一旦リズムパートをティアックのアナログMTR(TASCAM 80-8)に録音し、それをデジタルMTRにコピーするという特殊な録音方法が取られている。これは民生用MTRの狭いダイナミックレンジにより音量のピークで音色が変わるとともに全体の音圧が上がる、のちに“テープコンプレッション”と名づけられる手法であるが、それを意識的に取り入れた最初期のレコーディングとされている。
- しかし坂本は、「当時の自分は、立派なアルファレコードのスタジオで、まるで貧乏アーティストがやるような方法には気乗りしなかった」と回想している[7]。
- 当時のデジタルMTRではアナログオープンリールテープの様なテープにハサミを入れて編集(手切り編集)することが出来ず、しかも記録・再生時共にエラーがしばしば発生するため、信頼性に乏しく当時のエンジニアに不評であった。
- DMSの録音方式は3M独自のもので汎用性がなく、マスターテープも他社の機器では再生できない。現在国内には使用可能機器が存在せず、かりに海外に稼働する個体があったとしても使用料が莫大な額になるため、現状ではオリジナルマルチトラックマスターテープを再生することは事実上不可能となっている。
音楽性
初期の『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』などと比較すると、収録曲全体がおとなしく暗めのイメージを持つため、爆発的セールスこそなかったが、細野は「たくさん売れた後だからこそやりたいことができたアルバム」と語っている[7]。
10曲中、8曲が約4分30秒、残り2曲が約5分20秒と、演奏時間が統一されている。この演奏時間はジョン・ケージの有名な4分33秒と符合するが、細野は「すべて無意識でやっていた」と回想している[2]。
前作まで歌詞はクリス・モスデルの担当だったが、このアルバムからは各メンバーが作詞するようになった。翻訳はピーター・バラカンが担当することとなり、以後YMO散開(解散)まで協力することになる。なお、発音指導もピーターが担当し、3人共かなりしごかれたと回想している。ピーター曰く、高橋が発音・詞作ともに最も優れていたとのこと。また、歌詞を英語にしたのは、日本語だと内容がストレートすぎるため、英語でワンクッション置きたかったためである[5]。
このアルバムは過密な制作スケジュールのため歌詞カードの印刷が間に合わず、アルバム発売前に出版された「YMO写真集/YMO BOOK OMIYAGE」(小学館:雑誌「GORO」特別編集)に歌詞対訳が掲載された。なお、アルファでの初CD化の際にも歌詞は省略されていた。
プロモーション
このアルバムのために制作費500万円でテレビCMが作成された。細野が老人、高橋が警察官、坂本が看護師の姿で、ニュースキャスターとしてスネークマンショーの伊武雅刀が出演している。放送当時、音楽アルバムのためにテレビCMが作成されることは非常に珍しいことであった[8]。特典ポスターもこのCMと同様の扮装で撮影されている。
アートワーク
ジャケットデザインは奥村靫正によるもので、印刷には6色の特色が使われた[9]。裏ジャケットは1980年のワールドツアーにおける機材リストである(手書きで「'80 World Tour」と書かれている)。
このアルバムから「YMO」の文字を温泉の地図記号風にかたどった、通称「温泉マーク」が使用されている。これはアルバム作成の前に行われたワールドツアーで、メンバーが疲れきり、「帰って温泉に行きたい」と思っていたことからきたマークである[8]。
ツアー
本作リリース後にはツアーは行われず、次作『テクノデリック』リリース後に『YMO-WINTER-LIVE-1981』が行われる事となる。
収録曲
全編曲: YMO。 | ||||
# | タイトル | 作詞 | 作曲 | 時間 |
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1. | 「BALLET/バレエ」 | 高橋幸宏、ピーター・バラカン | 高橋幸宏 | 4:33 |
2. | 「MUSIC PLANS/音楽の計画」 | 坂本龍一、ピーター・バラカン | 坂本龍一 | 4:32 |
3. | 「RAP PHENOMENA/ラップ現象」 | 細野晴臣、ピーター・バラカン | 細野晴臣 | 4:32 |
4. | 「HAPPY END/ハッピー・エンド」 | 坂本龍一 | 4:31 | |
5. | 「1000 KNIVES/千のナイフ」 | 坂本龍一 | 5:22 |
# | タイトル | 作詞 | 作曲 | 時間 |
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6. | 「CUE/キュー」 | 高橋幸宏、細野晴臣、ピーター・バラカン | 高橋幸宏、細野晴臣 | 4:32 |
7. | 「U・T/ユーティー」 | YMO | 4:31 | |
8. | 「CAMOUFLAGE/カムフラージュ」 | 高橋幸宏、ピーター・バラカン | 高橋幸宏 | 4:34 |
9. | 「MASS/マス」 | 細野晴臣、ピーター・バラカン | 細野晴臣 | 4:30 |
10. | 「LOOM/来たるべきもの」 | YMO、松武秀樹 | 5:21 | |
合計時間: | 47:12 |
曲解説
A面
BALLET/バレエ
- このアルバムの方向性を示した曲で、暗い中にも甘い雰囲気を醸し出している。イントロのピアノは坂本による演奏。歌詞はタマラ・ド・レンピッカについて霧の中にあるワルシャワの雰囲気を高橋が表現。SE的な音色は細野による機関車をイメージしたもの。フランス語のヴォイスは布井智子。また、ノンクレジットだが、フォークデュオ「バズ」(BUZZ)の東郷昌和が、高橋の要望により「ジョン・レノンぽく」歌っている箇所があるとのこと。矢野顕子はYMOの中で一番お気に入りの曲としてこの曲を挙げている。
MUSIC PLANS/音楽の計画
- ヴォーカルは坂本。このアルバム時にややスランプだった坂本の苛立ちをぶつけるような激しい詞が特徴。3分30秒辺りで「パチッ」というノイズが聞こえるが、これはデジタルレコーダーのデータエラーに起因するノイズである。
RAP PHENOMENA/ラップ現象
- ぼそぼそと「ラップ現象」についてラップ風に語りつづける、というちょっとした洒落をきかせている。日本人としては最も初期のラップ曲である。歌っているのは細野だが、彼は自分の声が気に入らないらしく、特徴的な声の低音部分を完全にカットしている。間奏のヴォイスの反復はサンプリングではなく、テープ・ループを使用している(デジタル・ディレイのホールドモードを使用したとの説もある)。
HAPPY END/ハッピー・エンド
- 坂本のソロシングル「フロントライン」のB面に収められていた曲をダブミックス。ただしメロディーが省略され、ダブ的に破壊する手法を大胆に取り入れたため、一聴するとわけがわからない。1984年の初CD化の際、LPとはミックスの異なるヴァージョンが収録された(1999年に再発売された細野監修のリマスター盤、並びに同じ音源を使用した2003年再リリース盤ではLPと同じミックスの音源に戻されている)1981年のウインターライブでは原曲に近いアレンジで演奏している。2005年9月28日に発売の坂本のアルバム『/05』にはピアノ4重奏で収録。
1000 KNIVES/千のナイフ
- 坂本のファーストアルバム『千のナイフ』の収録曲をセルフカヴァー。締め切りに曲が間に合わなかったために、急遽収録されたらしい。YMOのコンサートでも頻繁に演奏されていたが、このテイクでは、より乾いた感じのアレンジとなっている。曲の最後で片方のチャンネルだけ「ビヨョョョ〜」と鳴っているのはエンジニアの松武秀樹がプログラミングを誤ったため。しかし坂本が「こっちの方がかっこいい」とそのまま採用された。間奏はギター・ソロの雰囲気をキーボードで実現しており、坂本自身が気に入っている。高音から低音に落ちてくる部分はプロフェット5のポリモード→モノモード切替を使って実現している。
B面
CUE/キュー
- のちにシングルカットされた。詳細は「キュー」を参照。
U・T/ユーティー
- シングル「キュー」のB面にも収録されている。詳細は「キュー」を参照。
CAMOUFLAGE/カムフラージュ
- シングル「マス」のB面にも収録されている。詳細は「マス」を参照。
MASS/マス
- のちにシングルカットされた。詳細は「マス」を参照。
LOOM/来たるべきもの
- 無限音階は松武秀樹がE-muのモジュラーシステム(通称タンス。moogIII-Cをタンスということも多いが、本来はこちらをさす)を使って実現。上昇音と下降音が同時に響いている。上下6オクターブずつを時間的にずらし、延々音が上昇して聞こえるような聴感上の錯覚を利用している。松武のソロシングル「謎の無限音階」でも使用されていたものではあるが、松武がスタジオで無限音階を流していたところをYMOメンバーが聞いて採用された。後半の人間の呼吸に合わせて音が左右に飛んだり、大きくなったり小さくなったりする部分も松武のアイディアによるもの。水滴の垂れる音はメンバー3人の脈拍の平均値を割り出して作られた。
スタッフ・クレジット
参加ミュージシャン
YMO
- 細野晴臣
- 坂本龍一
- 高橋幸宏
松武秀樹 - コンピューター・プログラミング
スタッフ
小池光夫 - レコーディング、ミックス・エンジニア
飯尾芳史 - レコーディング・エンジニア
YMO - ミックス・エンジニア
藤井丈司 - エキプメント・コーディネーション
永田ドン - エキプメント・コーディネーション
宮寺トモキ - エキプメント・コーディネーション
PLAN・NET-WERK & ツクイトシナオ - クリエイティブ・サービス
三浦憲治 - 写真撮影
小尾一介 - A & Rコーディネーター
川添象郎 - エグゼクティブ・プロデューサー
村井邦彦 - エグゼクティブ・プロデューサー
リリース履歴
No. | 日付 | 国名 | レーベル | 規格 | 規格品番 | 最高順位 | 備考 |
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1 | 1981年3月21日 | 日本 | アルファレコード | LP・CT | ALR-28015 (LP)・ALC-28014 (CT) | 2位 | |
2 | 1981年 | オーストラリア | Festival Records | LP | L 37606 | - | |
3 | 1981年 | スペイン、アメリカ合衆国、オランダ | A&Mレコード | LP | AMLH 64853 (SP)・SP-4853 (US)・AMLH 64853 (NL) | - | |
4 | 1984年7月25日 | 日本 | アルファレコード | CD | 38XA-16 | - | |
5 | 1985年 | オランダ | Pick Up Records | LP | LPU 0020 | - | |
6 | 1987年3月25日 | 日本 | アルファレコード | CD | 32XA-141 | - | |
7 | 1991年 | オーストラリア | Festival Records | CD | D 30581 | - | |
8 | 1992年3月21日 | 日本 | アルファレコード | CD | ALCA-291 | - | |
9 | 1992年 | ヨーロッパ | Restless Records | CD | LS 9154 2 | - | |
10 | 1994年6月29日 | 日本 | アルファレコード | CD | ALCA-9043 | - | |
11 | 1998年1月15日 | 日本 | アルファレコード | CD | ALCA-5220 | - | |
12 | 1999年 | ヨーロッパ | エピック・レコード | CD | EPC 513449 2 | - | |
13 | 1999年9月22日 | 日本 | 東芝EMI | CD | TOCT-24238 | - | 細野晴臣監修、リマスタリング盤、ライナーノーツ:ケン・イシイ |
14 | 2003年1月22日 | 日本 | ソニー・ミュージックハウス | CD | MHCL 208 | 54位 | 坂本龍一監修、紙ジャケット仕様 |
15 | 2004年 | カナダ | エピック・レコード | CD | EK 91843 | - | |
16 | 2010年9月29日 | 日本 | ソニー・ミュージックダイレクト | ブルースペックCD | MHCL-20106 | 176位 | 1999年リマスタリング音源、紙ジャケット仕様、スーパーピクチャーCD |
参考文献
- 『月刊 ロッキンf 5月号』 立東社、1981年4月。
- 『レコード・コレクターズ増刊 ジャケット・デザイン・イン・ジャパン』 備酒元一郎 (編)、ミュージックマガジン、2004年10月。
- 『加藤和彦 あの素晴しい音をもう一度』 文藝別冊 (編)、河出書房新社、2010年2月。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"""""""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}
ISBN 978-4-30-997731-7。
脚注
^ 『オリコン・チャートブック LP編 昭和45年 - 平成1年』オリジナル・コンフィデンス、1990年、74頁。ISBN 4871310256。
- ^ abcソニー・ミュージックハウス版ブックレットより
^ 出典:『加藤和彦 あの素晴しい音をもう一度』 文藝別冊 (編) 2010年
^ 出典:『月刊 ロッキンf』 1981年5月号
- ^ abc『テクノ・バイブル』ブックレットより
^ 「コンパクトYMO」より。
- ^ abcdeアスペクト刊「Yellow Magic Orchestra」より。
- ^ ab「NICE AGE YMOとその時代」より。
^ 出典:『ジャケット・デザイン・イン・ジャパン』備酒元一郎 (編) 2004年
外部リンク
- YMO - BGM
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