ブラジルグランプリ
インテルラゴス・サーキット | |
| レース情報 | |
|---|---|
| 周回 | 71 |
| コース長 | 4.309 km (2.677 mi) |
| レース長 | 305.909 km (190.067 mi) |
| 開催回数 | 47 |
| 初回 | 1972年 |
| 最多勝利 (ドライバー) | |
| 最多勝利 (コンストラクター) | |
| 最新開催(2018年): | |
| ポールポジション | メルセデス 1:07.281 |
| 決勝順位 | 1. メルセデス 1:27:09.066 2. レッドブル-タグ・ホイヤー +1.469s 3. フェラーリ +4.764s |
| ファステストラップ | メルセデス 1:10.540 |
インテルラゴス
ブラジルグランプリ(ブラジルGP, 英: Brazilian Grand Prix, 葡: Grande Prêmio do Brasil)は、ブラジルで1973年以降行われているF1世界選手権のレースのひとつ。
目次
1 概要
2 過去の主な出来事
3 レース結果
3.1 複数回優勝したドライバー
3.2 複数回優勝したコンストラクター
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
概要
1978年及び1981年から1989年はリオ・デ・ジャネイロの郊外にあるジャカレパグアで実施された。それ以外の年はサンパウロ郊外にあるインテルラゴスで行われている。
以前は序盤に開催されており、そのうち10回が開幕戦として実施されてきた。2004年から開始したバーレーンGPがイスラム教の断食月ラマダーンと重なることを避けてシーズン序盤開催となったことを受け、一転して最終戦に実施された。以後、シーズン終盤での開催が定着し、2005年から2009年まで5年連続でワールドチャンピオン決定戦の舞台となった。
終盤戦に開催されるようになってからは、ブラジルグランプリのみの「お約束」として、表彰式後のシャンパンファイトで通常の曲ではなく、サンバのリズムが流れ、それとともに大量の紙ふぶきが飛び出すようになった。
多くのグランプリにおいて、最多勝記録は1990年代から2000年代にかけて活躍したミハエル・シューマッハによって塗り替えられたが、ブラジルGPでは1980年代から1990年にかけ6勝を挙げたアラン・プロストが最多勝記録を保持している(シューマッハは4勝を挙げた)。チームとしては、マクラーレンが強く通算で12勝を挙げており、フェラーリ(11勝)、ウィリアムズ(6勝)がそれに続いている(2017年現在)。
2007年までのブラジル人のF1チャンピオンは、いずれもブラジルGPを制している。エマーソン・フィッティパルディは初の公式戦として開催された1973年、ネルソン・ピケは5度目の挑戦となる1983年、アイルトン・セナは8度目の挑戦となる1991年に、初の母国GP制覇を果たした。
2017年以降の開催については、スポンサーを失った主催者とFOMが開催権料を巡って折り合いがついておらず、不透明な状況となっていた。理由としてブラジル国内の景気がリオデジャネイロオリンピック以降急激に悪化していることと、サンパウロ市の市長交代によるもので、ジョアン・ドリア新市長は当選直後に「インテルラゴス・サーキットの民営化を積極的に進めたい」と語っている[1]。このため、2016年9月28日に出された2017年の暫定カレンダーでは「暫定扱い」とされていた。しかし、11月30日の正式カレンダーでは開催が確定している[2]。
過去の主な出来事
- 1972年
- 第1回のブラジルGPは非選手権戦として行われた。
- 1973年
- 地元出身で前年ワールドチャンピオンに輝いたエマーソン・フィッティパルディが優勝を飾った。なお、フィッティパルディは翌年も優勝したほか、自ら立ち上げたチーム・フィッティパルディで1978年に2位に入賞している。
- 1995年
- 使用燃料違反により、1位のミハエル・シューマッハと2位のデビッド・クルサードに対して表彰式の後に失格との裁定が下され、一旦は3位のゲルハルト・ベルガーの繰上り優勝が発表されたが、その後再度下された裁定により当初のリザルトが復活し、シューマッハの優勝とクルサードの2位、両名へのドライバーズポイントの授与は認められた上で、所属チームのベネトン、ウィリアムズに対するコンストラクターズポイントのみが剥奪されるという裁定が下った。両チームともエルフ社の燃料を使用していた。
- 2002年
- 元サッカー選手のペレがゲストに招かれ、チェッカーフラッグを振る役を任されたが、最終ラップでスタッフと打ち合わせしている間に1位のミハエル・シューマッハ(フェラーリ)、2位のラルフ・シューマッハ(ウィリアムズ)が通過してしまい、3位のデビッド・クルサード(マクラーレン・メルセデス)でようやくチェッカーを振るという珍事になった。
- 2003年
- 大雨で混乱したレースとなり、最後は赤旗によりレース終了。一旦はキミ・ライコネンの優勝として表彰式も執り行われたが、その後の裁定によりジョーダン・フォード(コスワース)のジャンカルロ・フィジケラの優勝が発表されることとなった(優勝カップ授与は翌戦のサンマリノGPで行われた)。この優勝は、フィジケラにとってのF1初優勝となったほか、フォード-コスワースエンジンにとっては1999年のヨーロッパGPでのジョニー・ハーバート以来の優勝となり、フォードとコスワースにとって最後のF1優勝となっている。
- 2005年
- 3位に入賞したフェルナンド・アロンソがドライバーズチャンピオンを確定させた。これはエマーソン・フィッティパルディの持つ史上最年少チャンピオン記録を実に33年ぶりに塗り替えるものであった。また、ブラジルGPでタイトルが決まった初の例となった。また、当時デビューからの連続完走を続けていたティアゴ・モンテイロが初リタイアした(記録は16でストップ)
- 2006年
- ミハエル・シューマッハの引退レース[3]となった。わずかながらにタイトルの可能性を残したが、マシントラブルに見舞われ、予選を10位で終えた。決勝では、ジャンカルロ・フィジケラとの接触でパンクし、最後尾に後退した。最終的に4位に終わり、チャンピオンはフェルナンド・アロンソのものになった。最終的に、シューマッハのチームメートである、フェリペ・マッサが優勝し、ブラジル人によるブラジルグランプリ優勝は、1993年アイルトン・セナ以来13年ぶりとなった。
- 2007年
- 新人チャンピオンを狙うルイス・ハミルトンと3年連続チャンピオンを狙うフェルナンド・アロンソ、そして初めてのタイトルを目指すキミ・ライコネンがタイトルを懸けて争う、F1では21年ぶりとなる三つ巴の最終決戦の舞台となった。ポイントリーダーとして迎えたハミルトンはアロンソとは4ポイント差、ライコネンに対しては7ポイント差をつけており、優位な立場にいたものの、スタートでのミスとギヤボックストラブルにより後退。その後挽回するも7位に終わる。アロンソもフェラーリに追いつくことが出来ず、3位。レースはライコネンが優勝し、逆転で初のワールドタイトルを獲得することとなった。
- 2008年
ルイス・ハミルトン、フェリペ・マッサのタイトル争いに期待がかかる中、突発的な雨によってスタートが10分遅れるという波乱の幕開けとなった。スタート直後、今期で引退を表明していたデビッド・クルサードが第一コーナーでクラッシュに巻き込まれ、開始直後にリタイアという結果に終わった。レースは終始マッサが快調に首位を独走していたものの、ハミルトンが安定して5位を維持し続けていたため、誰が見てもハミルトンのタイトル獲得は決定していた。しかし、レース終盤再び降り出した雨により6位走行中のセバスチャン・ベッテルにかわされ、ハミルトンのチャンピオンの座が再び遠のいた。残り周回数は2周、その間マッサはトップでチェッカーを受け、このまま誰もがマッサがタイトルを獲得すると予想していた。しかし、ドライタイヤで4位を走行していたティモ・グロックが失速、ファイナルラップ最終コーナーでハミルトンがグロックをかわして5位に返り咲き、大逆転で史上最年少タイトルを獲得した。なおテレビの実況生中継では最終コーナーで抜かれたと報道されたが、後に発売された速報誌ではターン12(インテルラゴスの最終コーナーより手前、インフィールド区間最後のRがきついカーブ)での逆転劇と書かれている。
- 2016年
ニコ・ロズベルグ(メルセデス)が優勝すれば初めてのドライバーズチャンピオンを獲得できる状況だったが、予選までの全セッションでロズベルグを追うチームメイトのルイス・ハミルトンが上回りポールポジションを獲得した。決勝は大雨によりスタートが10分遅れ、セーフティカー先導でレースが始まった。雨によるアクシデントで2度の赤旗中断があり、3時間を超える荒れた展開となったが、ハミルトンは1度も首位を明け渡さずポール・トゥ・ウィンを飾り、ロズベルグとのチャンピオン争いを最終戦までもつれさせた。
レース結果
ブラジルGPの開催地
インテルラゴス(1972–77、1979–80)
ジャカレパグア(1978、1981–89)
| 年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 勝者 | 所属チーム | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1972 | 03月30日 | 非選手権 | インテルラゴス | ブラバム | 詳細 | |
| 1973 | 02月11日 | 2 | インテルラゴス | ロータス | 詳細 | |
| 1974 | 01月27日 | 2 | インテルラゴス | マクラーレン | 詳細 | |
| 1975 | 01月26日 | 2 | インテルラゴス | ブラバム | 詳細 | |
| 1976 | 01月25日 | 1 | インテルラゴス | フェラーリ | 詳細 | |
| 1977 | 01月23日 | 2 | インテルラゴス | フェラーリ | 詳細 | |
| 1978 | 01月29日 | 2 | ジャカレパグア | フェラーリ | 詳細 | |
| 1979 | 02月04日 | 2 | インテルラゴス | リジェ | 詳細 | |
| 1980 | 01月27日 | 2 | インテルラゴス | ルノー | 詳細 | |
| 1981 | 03月29日 | 2 | ジャカレパグア | ウィリアムズ | 詳細 | |
| 1982 | 03月21日 | 2 | ジャカレパグア | ルノー | 詳細 | |
| 1983 | 03月13日 | 1 | ジャカレパグア | ブラバム | 詳細 | |
| 1984 | 03月25日 | 1 | ジャカレパグア | マクラーレン | 詳細 | |
| 1985 | 04月07日 | 1 | ジャカレパグア | マクラーレン | 詳細 | |
| 1986 | 03月23日 | 1 | ジャカレパグア | ウィリアムズ | 詳細 | |
| 1987 | 04月12日 | 1 | ジャカレパグア | マクラーレン | 詳細 | |
| 1988 | 04月03日 | 1 | ジャカレパグア | マクラーレン | 詳細 | |
| 1989 | 03月26日 | 1 | ジャカレパグア | フェラーリ | 詳細 | |
| 1990 | 03月25日 | 2 | インテルラゴス | フェラーリ | 詳細 | |
| 1991 | 03月24日 | 2 | インテルラゴス | マクラーレン | 詳細 | |
| 1992 | 04月05日 | 3 | インテルラゴス | ウィリアムズ | 詳細 | |
| 1993 | 03月28日 | 2 | インテルラゴス | マクラーレン | 詳細 | |
| 1994 | 03月27日 | 1 | インテルラゴス | ベネトン | 詳細 | |
| 1995 | 03月26日 | 1 | インテルラゴス | ベネトン | 詳細 | |
| 1996 | 03月31日 | 2 | インテルラゴス | ウィリアムズ | 詳細 | |
| 1997 | 03月30日 | 2 | インテルラゴス | ウィリアムズ | 詳細 | |
| 1998 | 03月29日 | 2 | インテルラゴス | マクラーレン | 詳細 | |
| 1999 | 04月11日 | 2 | インテルラゴス | マクラーレン | 詳細 | |
| 2000 | 03月26日 | 2 | インテルラゴス | フェラーリ | 詳細 | |
| 2001 | 04月01日 | 3 | インテルラゴス | マクラーレン | 詳細 | |
| 2002 | 03月31日 | 3 | インテルラゴス | フェラーリ | 詳細 | |
| 2003 | 04月06日 | 3 | インテルラゴス | ジョーダン | 詳細 | |
| 2004 | 10月24日 | 18 | インテルラゴス | ウィリアムズ | 詳細 | |
| 2005 | 09月25日 | 17 | インテルラゴス | マクラーレン | 詳細 | |
| 2006 | 10月22日 | 18 | インテルラゴス | フェラーリ | 詳細 | |
| 2007 | 10月21日 | 17 | インテルラゴス | フェラーリ | 詳細 | |
| 2008 | 11月02日 | 18 | インテルラゴス | フェラーリ | 詳細 | |
| 2009 | 10月18日 | 16 | インテルラゴス | レッドブル | 詳細 | |
| 2010 | 11月07日 | 18 | インテルラゴス | レッドブル | 詳細 | |
| 2011 | 11月27日 | 19 | インテルラゴス | レッドブル | 詳細 | |
| 2012 | 11月25日 | 20 | インテルラゴス | マクラーレン | 詳細 | |
| 2013 | 11月24日 | 19 | インテルラゴス | レッドブル | 詳細 | |
| 2014 | 11月09日 | 18 | インテルラゴス | メルセデス | 詳細 | |
| 2015 | 11月15日 | 18 | インテルラゴス | メルセデス | 詳細 | |
| 2016 | 11月13日 | 20 | インテルラゴス | メルセデス | 詳細 | |
| 2017 | 11月12日 | 19 | インテルラゴス | フェラーリ | 詳細 | |
| 2018 | 11月11日 | 20 | インテルラゴス | メルセデス | 詳細 |
複数回優勝したドライバー
| 回数 | ドライバー | 優勝年 |
|---|---|---|
| 6 | 1982, 1984, 1985, 1987, 1988, 1990 | |
| 4 | 1972, 1977, 1978, 1981 | |
1994, 1995, 2000, 2002 | ||
| 3 | 2010, 2013, 2017 | |
| 2 | 1973, 1974 | |
1983, 1986 | ||
1989, 1992 | ||
1991, 1993 | ||
1998, 1999 | ||
2004, 2005 | ||
2006, 2008 | ||
2009, 2011 | ||
2014, 2015 | ||
2016, 2018 |
太字は2018年のF1世界選手権に参戦中のドライバー。
ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。
複数回優勝したコンストラクター
| 回数 | コンストラクター | 優勝年 |
|---|---|---|
| 12 | 1974, 1984, 1985, 1987, 1988, 1991, 1993, 1998, 1999, 2001, 2005, 2012 | |
| 11 | 1976, 1977, 1978, 1989, 1990, 2000, 2002, 2006, 2007, 2008, 2017 | |
| 6 | 1981, 1986, 1992, 1996, 1997, 2004 | |
| 4 | 2009, 2010, 2011, 2013 | |
2014, 2015, 2016, 2018 | ||
| 3 | 1972, 1975, 1983 | |
| 2 | 1980, 1982 | |
1994, 1995 |
太字は2018年のF1世界選手権に参戦中のコンストラクター。
ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。
脚注
^ “F1 Topic:伝統の1戦も見納めか。開催継続が危ぶまれるブラジル”. AUTOSPORTweb (2016年11月21日). 2016年11月21日閲覧。
^ “2017年F1カレンダーが正式発表。ドイツGP消滅で全20戦に。日本GPは第16戦”. AUTOSPORTweb (2016年12月1日). 2016年12月5日閲覧。
^ ただし2010年に復帰を果たし、2012年に2度目の引退となった
^ 1986-1995年はイギリス国籍、1996-2001年はイタリア国籍。
関連項目
- モータースポーツ
- F1選手権レースの一覧
外部リンク
- フォーミュラ1公式ウェブサイト
- Brazilian Grand Prix (Official Site)
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