カール・フランツ・ヨーゼフ・フォン・プロイセン
カール・フランツ・ヨーゼフ・フォン・プロイセン Karl Franz Joseph von Preußen | |
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母マリー・アウグステと幼児のカール・フランツ・ヨーゼフ | |
出生 | (1916-12-15) 1916年12月15日 ドイツ帝国、ポツダム |
薨去 | (1975-01-23) 1975年1月23日(58歳没) チリ、アリカ |
配偶者 | ヘンリエッテ・フォン・シェーナイヒ=カロラート |
ルイーゼ・ドーラ・ハルトマン | |
ドナ・エバ・マリア・エレーラ・イ・バルデアベリャノ | |
子女 | 一覧参照 |
父親 | ドイツ王子ヨアヒム |
母親 | マリー・アウグステ・フォン・アンハルト |
カール・フランツ・ヨーゼフ・フォン・プロイセン(Karl Franz Joseph von Preußen, 1916年12月15日 - 1975年1月23日)は、プロイセン王国の王族。全名はカール・フランツ・ヨーゼフ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・エドゥアルト・パウル(Karl Franz Joseph Wilhelm Friedrich Eduard Paul)。プロイセン王子ヨアヒムの一人息子で、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の孫の一人。
生涯
カール・フランツ・ヨーゼフは1916年12月15日、ヨアヒムとその妻であったアンハルト公エドゥアルトの娘マリー・アウグステ(1898年 - 1983年)の間に生まれ、直前に死去していたオーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世にちなんで洗礼名を与えられた。
ドイツ革命の後、両親が離婚。1920年、父ヨアヒムが自殺すると、父方の叔父アイテル・フリードリヒによって養育されることになったが、1921年に母マリー・アウグステが養育権を主張し、これが認められて母に養育されることになる。
カール・フランツ・ヨーゼフは1975年1月23日にアリカ(チリのタラパカ州アリカ県)で死去した。
結婚・子女
彼は三度結婚している。最初の妻ヘンリエッテは祖父ヴィルヘルム2世の再婚相手ヘルミーネ・ロイス・ツー・グライツの連れ子である。二番目の妻との間に子どもはいない。
- ヘンリエッテ・フォン・シェーナイヒ=カロラート(Henriette von Schönaich-Carolath, 1918年 - 1972年) 1940年に結婚、1946年9月に離婚した。
フランツ・ヴィルヘルム(1943年 - ) ロシア女帝を僭称しているとされるロシア大公女マリヤと1976年結婚、1986年離婚。
ゲオルギー・ミハイロヴィチ・ロマノフ(1981年 - )
- フリードリヒ・クリスティアン(1943年) フランツ・ヴィルヘルムの双子の弟。夭折
- フランツ・フリードリヒ(1944年 - )
- ルイーゼ・ドーラ・ハルトマン(Luise Dora Hartmann, 1909年 - 1961年) 1946年11月に結婚、1959年離婚。
- ドナ・エバ・マリア・エレーラ・イ・バルデアベリャノ(Dona Eva Maria Herrera y Valdeavellano, 1922年 - 1987年) 1959年7月に結婚。
- アレクサンドラ(Alexandra Maria Augusta Juana Consuelo Prinzessin von Preussen, 1960年 - )
- デジレ(Désirée Anastasia Maria Benedicta Prinzessin von Preussen, 1961年 - )