ミュージック・マガジン
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『ミュージック・マガジン』(Music Magazine)は、1969年に創刊された日本の月刊音楽雑誌である。株式会社ミュージックマガジン発行。
目次
1 概要
2 関係者
2.1 寄稿者
3 脚注
3.1 注釈
3.2 出典
4 外部リンク
概要
1969年4月に、中村とうよう、飯塚晃東、田川律らによって『ニューミュージック・マガジン』として創刊。創刊時の編集者としては他に小倉エージ、北中正和らがいた。創刊号の執筆者には中村の幅広い人脈から、植草甚一、福田一郎といった既に高名な評論家だった人々から、寺山修司、加藤和彦、片桐ユズルといった当時のアングラカルチャーの雄が並ぶ壮観なものだった[1]。単なる音楽紹介のみならず、音楽の背景を分析、批評する新しい『音楽ジャーナリズム』を提起した[2]。中村とうようの批評や時事政論も話題となり、「文芸誌や思想誌に近い扱いを受け」、読者の間では「ある種の“権威”とみなされるようになった」[3]。
1971年5月号の特集記事「日本のロック状況はどこまで来たか」は、日本語ロック論争の象徴的な例として知られる[4]。
1980年に現誌名に改名。海外のロック中心から、日本のロックやポップス、さらにはワールド・ミュージックなど、幅広い分野のポピュラー音楽を取り扱う路線に転換[注 1]。背景には日米においてサブカルチャーだったロックが商業主義的になってしまったことがある[5]。
姉妹誌に『レコード・コレクターズ』がある。
関係者
野間易通 - 元編集者
寄稿者
平岡正明 - 特に1978年11月号の山口百恵に関する寄稿は商業主義・大手芸能プロ所属歌手を否定する傾向が強かった当時の『ニューミュージックマガジン』では画期的だった[4]。
日暮泰文 - 黒人音楽の専門家。ブルース・インターアクションズ(現・Pヴァイン)の創業者。- 竹中労
- 亀渕昭信
- ピーター・バラカン
- サエキけんぞう
- 湯浅学
- 萩原健太
- 和久井光司
- 今野雄二
- 安田謙一
- 岡村詩野
- 鈴木慶一
脚注
注釈
^ パンク・ロックについては「比較的クール」な扱いだった[5]。
出典
^ 『日本ロック雑誌クロニクル』(篠原章、太田出版、2005年、ISBN 4-87233-897-9)p.106、108
^ 『日本ロック雑誌クロニクル』p105
^ 『日本ロック雑誌クロニクル』p111
- ^ ab『日本ロック雑誌クロニクル』p.107
- ^ ab『日本ロック雑誌クロニクル』p.121
外部リンク
ミュージック・マガジン - 公式サイト
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