大分県立別府鶴見丘高等学校
大分県立別府鶴見丘高等学校 | |
---|---|
過去の名称 | 大分県立別府第一高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大分県 |
併合学校 | 大分県立別府中学校 大分県立別府高等女学校 |
校訓 | 質実剛健 |
設立年月日 | 1910年(明治43年) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 44109A |
所在地 | 〒874-0836 |
大分県別府市大字鶴見字横打4433番地の2 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大分県立別府鶴見丘高等学校(おおいたけんりつ べっぷつるみがおかこうとうがっこう, Oita Prefectural Beppu Tsurumigaoka High School)は、大分県別府市大字鶴見字横打にある県立高等学校。略称は「鶴高」(つるこう)、「鶴見」(つるみ)。
目次
1 設置学科
2 概要
3 沿革
4 著名な出身者
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
設置学科
- 普通科
概要
- 歴史
1910年(明治43年)創立の「大分県立別府高等女学校」と1933年(昭和8年)創立の「大分県立別府中学校」を前身とする。この2校が1948年(昭和23年)の学制改革で統合され「大分県立別府第一高等学校」(新制高等学校)となり、1951年(昭和26年)に現校名となった。2010年(平成22年)に創立100周年を迎えた。
- 校訓
- 「質実剛健」
- 校章
- 葉と八稜鏡[1]を組み合わせたものを背景にして、中央に「高」の文字を置いている。
- 校歌
- 作詞は佐藤四信、作曲は福井直秋による。歌詞は3番まであり、校名の「鶴見丘」が2番に登場する。
- 同窓会
- 「鶴嶺会」(かくれいかい)と称している。
沿革
- 高等女学校
- 1910年(明治43年)3月15日 - 「私立別府女学校」が開校。
1911年(明治44年)4月1日 - 移管により、「別府町立別府女子実業補習学校」と改称。
1914年(大正3年)6月1日 - 「別府町立別府女子実業学校」と改称。
1918年(大正7年)5月8日 - 「別府町立別府実業女学校」と改称。
1920年(大正9年)5月31日 - 「別府町立別府高等女学校」と改称。
1924年(大正13年)4月1日 - 市制施行により、「別府市立別府高等女学校」と改称。
1930年(昭和5年)4月1日 - 移管により、「大分県立別府高等女学校」と改称。
- 旧制中学校(男子校)
- 1933年(昭和8年)7月21日 - 「別府市立別府中学校」(旧制中学校)が開校。
1941年(昭和16年)4月1日 - 移管により、「大分県立別府中学校」と改称。
1942年(昭和17年)11月9日 - 火災のため校舎をすべて焼失。
1943年(昭和18年)4月4日 - 大分県殖産館を仮校舎とする。
- 新制高等学校
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)
- 大分県立別府中学校と大分県立別府高等女学校の2校を統合の上、「大分県立別府第一高等学校」(新制高等学校)が発足。
1949年(昭和24年)
- 4月1日 - 定時制普通課程(夜間部)を併設。
5月20日 - 別府市大字鶴見に新校舎が完成。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 「大分県立別府鶴見丘高等学校」(現校名)に改称。
1977年(昭和52年)4月1日 - 大分県立別府青山高等学校との2校総合選抜入試を開始。
1983年(昭和58年)4月1日 - 大分県立別府青山高校、大分県立別府羽室台高等学校との3校合同選抜入試を開始。
1991年(平成3年)8月25日 - 南校舎普通教室の大規模改造工事が完了。
1995年(平成7年)4月1日 - 総合選抜入試を廃止し、単独選抜入試とする。
1998年(平成10年)
- 8月25日 - 多目的競技場が完成。
9月15日 - 北校舎普通教室棟の大規模改造工事が完了。
2000年(平成12年)8月25日 - 管理棟・特別教室棟の大規模改造工事が完了。
2002年(平成14年)8月30日 - 理科棟の大規模改造工事が完了。
2010年(平成22年)3月 - 大分県立爽風館高等学校の新設に伴い、定時制課程の募集を停止[2]。
2013年(平成24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、定時制課程を閉課。
著名な出身者
安東由喜雄 - 熊本大学教授
遠藤竜也 - ニッポン放送ディレクター
大場隆広 - 元プロ野球選手
鬼塚英昭 - ノンフィクション作家
貞山健源 - 元プロ野球選手
貞永方久 - 映画監督
佐藤巧 - RKB毎日放送アナウンサー
ジ・アッチィー - 大分AMWプロレス代表
末綱隆 - 警察官僚、元東宮侍従長
浜口政信 - 元プロ野球選手
浜田博 - 政治家・別府市長
原田和代 - 声楽家
三浦清弘 - 元プロ野球選手
矢玉四郎 - 児童文学作家
矢月秀作 - 作家- 内藤喜之 第7回 昭和30年卒業 東京工業大学学長、大分大学学長
田中公男 第7回 昭和30年卒業- 元東海大学教授
宮岡千里 第7回 昭和30年卒業 - ソニートリニトロン開発者、元ソニー常務、父は別府亀の井ホテル元社長宮岡謙二
姫野龍太郎 第25回 昭和48年卒業 - スーパーコンピューター「京」の開発者、理化学研究所情報基盤センターのセンター長
森田浩介 第27回 昭和50年卒業 - 九州大学教授、113番めの元素ニホニウム発見者
高松卓矢 - バレーボール選手
松崎菊也 - タレント
脚注
^ 瑞花双鳳八稜鏡 - 文化遺産オンラインウェブサイト
^ 大分県教育委員会が決定した前期高校再編整備計画により、2010年度(平成22年度)に大分県立別府鶴見丘高等学校の定時制課程と定時制大分県立大分中央高等学校、通信制大分県立碩信高等学校の3校が統合し、大分市上野丘に大分県立爽風館高等学校が開校した。
関連項目
- 大分県高等学校一覧
外部リンク
- 大分県立別府鶴見丘高等学校 全日制課程
- 大分県立別府鶴見丘高等学校 定時制課程
- 関東鶴嶺会(同窓会)