ジブチ






ジブチ共和国


République de Djibouti(フランス語)
جمهورية جيبوتي (アラビア語)











ジブチの国旗 ジブチの国章
(国旗) (国章)


国の標語:なし


国歌:ジブチ


ジブチの位置









































公用語

アラビア語、フランス語

首都

ジブチ
最大の都市
ジブチ

政府












大統領

イスマイル・オマル・ゲレ

首相

アブドゥルカディール・カミール・モハメド(英語版)


面積











総計

23,000km2(146位)
水面積率
0.1%


人口











総計(2016年)

900,000人(158位)

人口密度
38人/km2



GDP(自国通貨表示)





合計(2013年) 2,587億[1]ジブチ・フラン


GDP (MER)





合計(2013年) 15億[1]ドル(168位)


GDP (PPP)











合計(2013年)
27億[1]ドル(168位)
1人あたり 2,916[1]ドル



独立
 - 日付

フランスより
1977年6月27日

通貨

ジブチ・フラン (DJF)

時間帯

UTC (+3)(DST:なし)

ISO 3166-1
DJ / DJI

ccTLD

.dj

国際電話番号
253



ジブチ共和国(ジブチきょうわこく)、通称ジブチは、アフリカ北東部に位置する共和制国家。首都はジブチ市。公用語はアラビア語でアラビア半島に極めて近いアラブ連盟の加盟国であるため、中東に含まれる場合もある。エリトリア、エチオピア、ソマリアと接し、紅海、アデン湾に面する。




目次






  • 1 国名


  • 2 歴史


    • 2.1 スエズ運河建設


    • 2.2 フランス領ソマリ


    • 2.3 ソマリランド戦争


    • 2.4 第二次世界大戦後


    • 2.5 フランス領アファル・イッサ


    • 2.6 独立




  • 3 政治


  • 4 地方行政区分


    • 4.1 主要都市




  • 5 地理


  • 6 軍事


    • 6.1 海賊問題と日中の海外基地




  • 7 経済


  • 8 国民


    • 8.1 民族


    • 8.2 宗教


    • 8.3 言語


    • 8.4 教育




  • 9 文化


    • 9.1 食文化


    • 9.2 祝祭日




  • 10 著名な出身者


  • 11 脚注


  • 12 参考文献


  • 13 関連項目


  • 14 外部リンク





国名


正式名称はフランス語で、République de Djibouti(レピュブリク・ドゥ・ヂブティ)。通称、Djibouti(ヂブティ)。アラビア語で、جمهورية جيبوتي(jumhūrīyat jībūtī; ジュムフーリーヤ・ジーブーティー)。


公式の英語表記は、Republic of Djibouti(リパブリック・オヴ・ヂブーティ)。通称、Djibouti(ヂブーティ)。


日本語の表記は、ジブチ共和国。通称、ジブチ



歴史




スエズ運河建設


19世紀後半の1859年からフェルディナン・ド・レセップスのスエズ運河会社によるスエズ運河の建設が始まった。同1859年にフランス第二帝政はタジュラ湾のオボック港を租借した。1862年にフランス第二帝政はダナキル族からオボック港を購入した。1868年にイギリスがエチオピアに侵攻した(アビシニア出兵(英語版))。


1881年にフランス第二帝政はオボックにフランス・エチオピア通商会社を設立した[2]。1884年にイギリスがWarsangali Sultanateに侵攻し、植民地化した(イギリス領ソマリランド)。エチオピア帝国の皇帝メネリク2世は、イタリア王国とのエリトリア戦争に敗れ、1889年にウッチャリ条約を締結した。エチオピア帝国は、イタリア王国へイタリア領エリトリア(英語版)を割譲した。



フランス領ソマリ


エチオピア帝国の皇帝メネリク2世は、イタリア離れと軍事力増強のためにフランスに接近を試み、1894年にジブチ市からエチオピアのハラールまでの鉄道敷設権をフランス企業に与えた[3]。タジュラ湾周辺に勢力を拡大したフランスは、第一次エチオピア戦争(1895年6月 - 1896年11月)中の1896年5月20日にフランス領ソマリ(フランス語版、英語版)(1896年 - 1967年)としてこの地を植民地化した。



ソマリランド戦争




植民地時代(1908年)のアフリカ北東部。緑色のフランス領ソマリランドが現在のジブチである。



1900年にムハンマド・ビン・アブドラがイギリス領ソマリランドで蜂起し(ソマリランド戦争(英語版))、デルヴィッシュ国(英語版)を建国。エチオピア帝国皇帝メネリク2世は、イギリスと共同でデルヴィッシュ国を攻撃した。当初はデルヴィッシュ国が優勢で、イギリスは内陸部から撤退したが、インド洋沿岸部の植民地から進出したイタリアは1908年までにイタリア領ソマリランドの形成に成功した。


また、1894年にジブチ港からエチオピアを結ぶジブチ・エチオピア鉄道の建設が開始され、1902年にはディレ・ダワまでが開通し、1917年にアディスアベバまで全通する[4]とジブチ港の重要性は高まった。


1913年に皇帝メネリク2世が死去すると、ムハンマド・ビン・アブドラは、新皇帝リジ・イヤスと婚姻関係を結ぼうとした。第一次世界大戦が勃発するとリジ・イヤスは、枢軸国のオスマン帝国やドイツと同盟してスエズ運河を経由するイギリスとインド・東洋間の連絡線を脅かし(南アラビア戦線(英語版)シナイ半島・パレスチナ戦線(英語版))、エチオピアを取り囲む英仏伊の全てを敵とした。1916年9月27日にエチオピアでクーデターが起こり、リジ・イヤスは廃位された。イギリス軍は、1920年1月からのSomaliland campaignで追いつめたもののムハンマドを取り逃がしたが、12月21日にムハンマドが64歳で病死し、20年に及んだソマリランド戦争は終結した。



第二次世界大戦後


1947年の時点でフランス領ソマリの総人口は96,100人であり、内24,500人がアファル人であった[5]。1945年の第二次世界大戦終結後、「アフリカの年」こと1960年頃を境に、アフリカ諸国の独立が進んだが、フランス領ソマリにはソマリ系のイッサ人とエチオピア系のアファル人の対立のために複雑を極めた独立問題は進まず、フランスの海外県に留まっていた。



フランス領アファル・イッサ


隣国ソマリアの汎ソマリ主義がフランス領ソマリのイッサ人に波及することが懸念される中、1967年の住民投票によって引き続きフランス領であることを選択した後、フランス領アファル・イッサ(1967年 - 1977年)と改称された[6]。その後、議会選挙でアファル人の進歩党が圧勝。また、イッサ人を基盤とする独立アフリカ人民同盟も勢力をのばし独立を要求した。



独立


その結果、1977年にジブチ共和国として独立し、イッサ人出身のグレドが大統領に就任した。しかし、民族対立はおさまらず、1991年にジブチ内戦(英語版)が勃発。グレド大統領は脱部族政策を打ち出すとともに大統領の直接選挙制をも導入し、1993年に4選された。


その後、グレド大統領の後継ゲレが1999年に大統領に当選、2001年に内戦が終結した。


国境を巡って隣国エリトリアと対立しており、1990年には二度の軍事衝突が起きている。停戦が成立したが、国境線を巡る緊張は続いた。2008年6月10日、ジブチ・エリトリア国境紛争(英語版)で再び両軍の間で戦闘が起きた。ジブチ政府はエリトリアが再び国境線に軍を増強しているとして非難し、国際社会の介入を求めた。



政治


ジブチは共和制、大統領制をとる立憲国家である。現行憲法は1992年9月4日に制定されたもの。


国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、かつては任期は6年で3選が禁止されていたが、2010年に大統領の任期を5年に短縮する代わりに再選制限が撤廃された。首相と閣僚は大統領が任命する。



議会は一院制で、定数65議席(イッサ人議員33議席、アファル人32議席)。議員は国民の直接選挙で選出され、任期は5年である。


ジブチは1992年の新憲法制定以来、複数政党制を導入しているが、進歩人民連合 (RPP) が事実上の一党支配を続けている。その他の政党には親RPP派の統一民主回復戦線 (FRUD)、国民民主党 (PND)、反RPP派の民主共和同盟 (ARD)、民主改革開発運動 (MRDD) など。



最高司法機関は最高裁判所である。



地方行政区分




ジブチの地図。



ジブチは、5つの州と1つの市に分かれている。そして、さらに15の地区に区分される。



  • ジブチ市

  • アリ・サビエ州

  • アルタ州

  • ディキル州

  • オボック州

  • タジュラ州



主要都市



主要な都市はジブチ市(首都)、アリ・サビエ、タジュラがある。



地理




ジブチの衛星写真。





アッサル湖近くを行くラクダの列。湖で採れる塩は古代から貴重な資源である。



狭義のアフリカ大地溝帯の北端に位置する。アデン湾に望み、海沿いは平野が広がり、西部には高原が広がる。最高地点は北部のエリトリアおよびエチオピアとの国境三重会合点に位置するムーサ・アリ山 (標高2028m) である。最低地点はアッサル湖の標高マイナス153mで、アフリカで最も低い。国土中央部にはバラ砂漠と呼ばれる砂漠が、標高1,500mほどの地帯にはダイの森(Forêt de Day)と呼ばれる森林地帯が、タジュラ湾沿いの海岸にはマングローブ林が存在する。


1991年11月から東京農業大学がジブチ農業省と共にジブチ国内で砂漠緑化事業を行っていた[7]



軍事



現在もフランス軍が駐留している[8]。ジブチ港にフランス海軍基地を設けるとともに、フランス陸軍は、第5海外混成連隊1個連隊を派遣し、フランス空軍はミラージュ2000戦闘機及び、ごく少数の輸送機・ヘリコプターを派遣することによりジブチの防空任務を行っている。



対テロ戦争の一環として、ドイツのシュトゥットガルトに司令部を持つアメリカ地域統合軍であるアメリカアフリカ軍隷下のCJTF HOA(アフリカの角共同統合任務部隊 (Combined Joint Task Force - Horn of Africa))
の司令部及び隷下の各部隊が駐留しており、これはアフリカで唯一の恒久的な米軍基地である。また、第150合同任務部隊の拠点の一つになっている。


このほかイタリア軍も基地を設けている[9]



海賊問題と日中の海外基地


近年、ソマリア沖・アデン湾で急増・多発している「ソマリア沖の海賊」問題は国際社会にとって重大な脅威となっている。海賊行為の対処のための活動では、日本の自衛隊も「海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律」に基づき、2017年2月時点でP-3C哨戒機2機と隊員約170人が派遣されている。当初は米軍、欧州連合(EU)部隊の協力を得て活動していたが、2011年7月7日、自衛隊の海外拠点がジブチ国際空港近くに開設された。自衛隊にとっては事実上初の海外基地となる。この拠点は海賊対策のほか、ジブチ軍駐屯地に出向いての兵士への道路整備重機の操作指導などアフリカ諸国との軍事交流にも使われている。警備強化のため2017年度、施設敷地は15haと3ha拡張される計画である[10]


2015年1月18日、現地を訪問した防衛大臣・中谷元が海賊対策だけでなくテロ対策など幅広い活動が出来るように法整備を進める考えを示した。


2015年2月末には、これらの国際的な海賊対策を行う国連加盟国合同軍第151合同任務部隊の司令官として、日本人(海自)が着任する事が発表された。戦前の旧日本海軍時代を含めても日本国籍の人物が欧米諸国やアジア各国が参加する多国籍艦隊の指揮を任された事はほとんどなく、事実上史上初の日本人国際部隊司令官だといえる。


かねてからセーシェルなどアフリカに軍事拠点を設けることを検討し[11][12]、国のシンボルであるジブチ人民宮殿(英語版)と大統領府[13][14]やアフリカ最大の自由貿易区であるジブチ国際自由貿易区(英語版)などを建設してジブチと強い関係を構築してきた中華人民共和国も海賊対策(中華人民共和国のソマリア沖海賊対策)やアフリカにおけるPKOの補給・休息を理由として、ジブチに中国人民解放軍初の海外基地を開設した[15]。この「ジブチ保障基地」開設を宣言した2017年7月11日に、駐留部隊を載せた揚陸艦「井崗山」と半潜水艇「東海島」の2隻が広東省湛江を出港。8月1日にジブチ国防相らを招いて進駐式を開いた[16]。中国の基地は約36haと自衛隊より広く、高さ10m程度の塀や監視塔で防備されている[17]。基地に隣接するドラレ港(英語版)では中国企業が開発に携わっており[18]、同港の親会社の株式は招商局集団が所有することから隣接する基地と同様の中国の対アフリカ戦略を担ってるとする見方もある[19]



経済




首都ジブチ市


IMFの推計によると、2013年のジブチのGDPは14億5千万ドルである。一人当たりのGDPは1,593ドルで世界平均の約15%に留まるが、隣接するエチオピアやエリトリアが500ドル台なのと比べると高い水準にある。[1]


ジブチ港の貿易と中国の援助により電化したジブチ・エチオピア鉄道の収益に依存する典型的な中継貿易国家。ジブチ港はエチオピアの海上貿易のほとんどを担っている。その他フランス軍等の駐留による利益。ソマリア沖の海賊の影響で中継貿易が半減し、船舶保険の高騰で経済的打撃をもっとも受けていた。近年、ジブチが海賊に対応する各国の拠点となったため、船舶保険の掛け金は低下している。


第一次産業の従事者は多いものの、自然環境の厳しさなどの要因から、農業は未発達で食料自給率は極めて低い。農業人口は約12万人、国民の25%程を占めるものの、可耕地面積は国土の0.5%に当たる100,60ヘクタールほどであり、食料自給率も約3%しかない[20]



国民



民族



























民族構成(ソマリア)


イッサ人(ソマリ人)
  
60%

アファル人(エチオピア系)
  
35%
その他
  
5%


構成民族は、ソマリ人系のイッサ人が60%、エチオピア系のアファル人が35%であり、フランス人、アラブ人、イタリア人やアファル人以外のエチオピアの民族など、その他が5%となっている[21]。イッサ人とアファル人の対立から、1990年代に内戦が起こった。



宗教


人口の94%がムスリム(イスラム教)、6%がキリスト教となっている[21]



言語


フランス語とアラビア語が公用語であるが、現地住民の間においてはソマリ語とアファル語が、それぞれ広く使われている。



教育



2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は67.9%(男性:78%、女性:58.4%)である[21]。2007年の教育支出はGDPの8.4%だった[21]。2007年のジブチの就学率は男性が29.0パーセント、女性が21.9パーセントと世界的に見ても低い水準である[22]


また、高等教育機関は近年まで存在していなかったが、2006年にジブチ大学が開学した。



文化




伝統的な帽子を被ったソマリ人の男性。


ソマリア系のイッサ人やエチオピア系のアファル人等各民族にそれぞれ独自の文化や習慣がある。


カットを噛む習慣がある[23]



食文化


街のレストランではフランスパンが出される[24]。食料自給率が低いため、農産物や青果のほとんどをエチオピアやソマリアから輸入している[25]



祝祭日






























西暦に基づく祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日
5月1日 メーデー Fête du Travail
6月27日 独立記念日 Fête de l'Indépendance










































イスラム暦に基づく祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考

ムハッラム1日
ヒジュラ暦新年
ラビーウ=ル=アウワル12日
ムハンマド生誕祭

ラジャブ27日 ムハンマド昇天祭
シャウワール1日 断食明けの祭り
ズー=ル=ヒッジャ10日 犠牲祭

官公庁はこれらの祝日のほか毎週金曜日が休日となる[26]



著名な出身者




  • アーメド・サラ - 男子マラソン選手


  • アヤンレ・スレイマン - 男子中距離走選手



脚注


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  1. ^ abcde“World Economic Outlook Database, October 2014” (英語). IMF (2014年10月). 2014年10月26日閲覧。


  2. ^ 吉田昌夫『アフリカ現代史II──東アフリカ』山川出版社〈世界現代史14〉、東京、1990年2月10日、2版1刷発行、55頁。


  3. ^ 吉田昌夫『アフリカ現代史II──東アフリカ』山川出版社〈世界現代史14〉、東京、1990年2月10日、2版1刷発行、64-65頁。


  4. ^ 岡倉登志「コラム16 アジス・アベバ=ジブチ鉄道」『エチオピアを知るための50章』岡倉登志編著、明石書店〈エリア・スタディーズ68〉、東京、2007年12月25日、初版第1刷、363頁。


  5. ^ 岡倉登志「第49章 内戦回避のための独立――ジブチの独立とアファル人」『エチオピアを知るための50章』岡倉登志編著、明石書店〈エリア・スタディーズ68〉、東京、2007年12月25日、初版第1刷、352頁。


  6. ^ 岡倉登志「第49章 内戦回避のための独立――ジブチの独立とアファル人」『エチオピアを知るための50章』岡倉登志編著、明石書店〈エリア・スタディーズ68〉、東京、2007年12月25日、初版第1刷、352-354頁。


  7. ^ 東京農大 砂漠に緑を育てる会(2000:2-3)


  8. ^ 陸海空軍は部隊として駐留、ジャンダルムリ(Gendarmerie)は連絡要員を置く。


  9. ^ “中国基地 世界にらむ/東アフリカ・ジブチ”. 『朝日新聞』朝刊. (2017年8月15日). http://www.asahi.com/articles/ASK896WZMK89UHBI03L.html 


  10. ^
    “【核心】海賊激減なのに拡張 ジブチの自衛隊「海外基地」”. 東京新聞. (2017年2月9日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/kakushin/list/CK2017020902000130.html 



  11. ^
    “中国、セーシェルでの海軍プレゼンスを検討”. ウォール・ストリート・ジャーナル. (2011年12月14日). http://jp.wsj.com/public/page/0_0_WJPP_7000-360162.html 2018年8月21日閲覧。 



  12. ^
    “中国海軍、インド洋に足場 セーシェルと協力”. 日本経済新聞. (2011年12月12日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM1203X_S1A211C1FF1000/ 2018年8月21日閲覧。 



  13. ^
    “Port de Djibouti: China’s First Permanent Naval Base in the Indian Ocean”. idsa. (2016年2月22日). https://idsa.in/issuebrief/port-de-djibouti-chinas-first-permanent-naval-base-in-the-indian-ocean_msingh_220216 2018年7月24日閲覧。 



  14. ^
    China’s Military Support Facility in Djibouti: The Economic and Security Dimensions of China’s First Overseas Base (PDF)”. 2018年7月24日閲覧。



  15. ^
    “China Officially Sets Up Its First Overseas Base in Djibouti”. The Diplomat. (2017年7月12日). http://thediplomat.com/2017/07/china-officially-sets-up-its-first-overseas-base-in-djibouti/ 



  16. ^
    “中国、初の国外軍事拠点/ジブチ、PKOなど後方支援”. 『朝日新聞』朝刊. (2017年8月2日). http://www.asahi.com/articles/DA3S13067282.html 



  17. ^
    “中国基地 世界にらむ/東アフリカ・ジブチ”. 『朝日新聞』朝刊. (2017年8月15日). http://www.asahi.com/articles/ASK896WZMK89UHBI03L.html 



  18. ^
    “変化する中国の国防戦略<上> 財政支援通じてアフリカに進出”. CNN. (2018年4月29日). https://www.cnn.co.jp/world/35117518.html 2018年8月29日閲覧。 



  19. ^
    “人民解放軍、ジブチに拠点 隠された思惑に気付かず中国の“浸入”を許す四国の1・3倍程度の小国”. 産経ニュース. (2018年1月11日). https://www.sankei.com/world/news/180111/wor1801110014-n5.html 2019年1月7日閲覧。 



  20. ^ 高橋(2000:32-33)

  21. ^ abcdCIA World Factbook "Djibouti"2013年7月3日閲覧。


  22. ^ 国連開発計画・人間開発報告書2009年版(英語),2009-11-14閲覧。


  23. ^ 東京農大 砂漠に緑を育てる会(2000:68)


  24. ^ 東京農大 砂漠に緑を育てる会(2000:69)


  25. ^ 東京農大 砂漠に緑を育てる会(2000:66)


  26. ^ JICA基本情報(PDF),2009-06-28閲覧。




参考文献



  • 岡倉登志 「第49章 内戦回避のための独立――ジブチの独立とアファル人」『エチオピアを知るための50章』 岡倉登志編著、明石書店〈エリア・スタディーズ68〉、東京、2007年12月25日、初版第1刷、351-356頁。ISBN 9784750326825。

  • 高橋悟 『砂漠よ緑に甦れ――ジブティ共和国十年の熱き戦い』 東京農業大学出版会、2000年5月18日、初版。

  • 東京農大 砂漠に緑を育てる会編 『ジブティの砂漠緑化100景――もうひとつのアフリカガイド』 東京農業大学出版会、2000年11月1日、第2版。

  • 吉田昌夫 『アフリカ現代史II──東アフリカ』 山川出版社〈世界現代史14〉、東京、1990年2月10日、2版1刷発行。ISBN 4-634-42140-2。



関連項目







  • ジブチ関係記事の一覧

  • ジブチの通信

  • ジブチの交通


  • 日本とジブチの関係

    • 刈谷市 - フレンドシップ相手国に指定されている




外部リンク



  • 政府


    • ジブチ共和国大統領府 (フランス語)


    • 駐日ジブチ大使館 (日本語)



  • 日本政府

    • 日本外務省 ジブチ (日本語)
















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