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この項目では、クロアチア語、ボスニア語およびセルビア語の「Етничко чишћење / Etničko čišćenje 」の和訳について説明しています。クロアチア語、ボスニア語およびセルビア語の「Етничко чишћење / Etničko čišćenje 」の和訳 のその他の用法については「民族浄化 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
民族浄化 (みんぞくじょうか、クロアチア語・ボスニア語・セルビア語: етничко чишћење / etničko čišćenje 、英語: ethnic cleansing )は、ユーゴスラビア(5つの民族、4つの言語、3つの宗教を持つ)のような多民族国家 [1] において、ユーゴ内のある民族集団を強制的にその地域から殺害などにより除去しようとしたとする言葉。欧米諸国が1990年代前半にユーゴスラビア紛争が勃発した際に、武力介入することを正当化させ、世界世論を支持に誘導するために敵対したセルビア民族のみを悪だとする目的として造語されて対外発信に利用されたプロパガンダ用語である[2] [3] [4] 。
目次
1 語源
2 脚注
3 関連文献
4 関連項目
5 外部リンク
語源
「民族浄化」は、1990年代に内戦中の旧ユーゴスラビア地域のメディアに頻繁に使用されたクロアチア語、ボスニア語およびセルビア語の「етничко чишћење / etničko čišćenje (エトニチュコ・シスチェーニェ)を翻訳したもので、ボスニア紛争を契機にして1992年頃から世界の主要メディアでも広く使用されるようになった。流通するようになったきっかけは、当時のボスニア政府とPR契約を結んでいた、アメリカの広告代理店「ルーダー・フィン社(英語版) (Ruder Finn )」のジム・ハーフ(James W. Harff )が効果的なメディア対策をおこなったためである[5] 。「ルーダー・フィン社」は当初、セルビア人による虐殺を非難するための言葉として「ホロコースト」を使用したがこの言葉をナチスによるユダヤ人虐殺以外に使わせることをユダヤ人団体が認めようとせず不快感をあらわにしたので、これに代わる言葉を見つけ出す必要があった。ルーダー・フィン社は「エトゥチニコ・シチェーニェ」という言葉を、ボスニア紛争以前に契約していたクロアチア側がセルビア人を非難するために使っていたことを知り、セルビア側を攻撃する際に徹底的に使用するようになった。英訳の際に「ethnic purifying 」と「ethnic cleansing 」の2種類が用意され、当初はどちらも使われていたが、後者の方がより残酷な印象を与えるため、すぐに「ethnic cleansing 」へ移行した[5] 。現在はもっぱら「ethnic cleansing 」が用いられている。
語源に関しては諸説あるが、早ければ第二次世界大戦時に使われ始めたものと考えられ、第二次世界大戦中にセルビア人とクロアチア人の間で生じた民族間虐殺を指してバルカン地域で用いられていた[5] 。第二次世界大戦時代、ユーゴスラビア領内にはクロアチア人の民族主義者ウスタシャによって、ナチスの傀儡国家「クロアチア独立国」が建国された。ウスタシャとクロアチア独立国の当局は、ナチスと協力して域内のユダヤ人、セルビア人、ロマなどの絶滅や追放を目指した[6] 。
その後ヨシップ・ブロズ・ティトー政権の成立によりユーゴスラビアは多民族国家として再出発し、民族の協調がうたわれたため、バルカン地方を越えた一般的な言葉としては流通しなかった[5] 。この時の民族浄化の記憶は、ボスニア紛争時にボスニア内の各民族に、再び他民族が自分たちを虐殺するのではないかという、少なからぬ恐怖感を与えたようである[7] 。多民族国家であったユーゴスラビア連邦でも、1980年代、ヨシップ・ブロズ・ティトーの死後、民族主義的な感情の高まりにしたがって、自民族は「民族浄化」の犠牲者であるとする論調で、異民族に対する憎悪をあおる場面で頻繁に用いられるようになった[6] 。各民族に対等の権利を保障するユーゴスラビアの制度によって、数の上では最大であるセルビア人の地位は相対的に低くなり、また歴史的にセルビア人が多く住んでいた地方の多くがセルビア共和国の外に置かれた。また、コソボではセルビア人の流出による人口減少と、多産社会のアルバニア人の人口増大によって人口比率は大きく変化していた。こうしたことに対する不満と、第二次世界大戦中にナチス、ファシスト政権と協力関係にあったクロアチア人、アルバニア人を結びつけ、「セルビア人は過去に民族浄化の被害者であった」、「いままたセルビア人に対する民族浄化が進められている」といった論調で異民族に対する憎悪を高めていた。
1990年代前半に一連のユーゴスラビア紛争が始まると、クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナのムスリム人(ボシュニャク人)によって、敵対するセルビア人の残酷性を世界にアピールする目的のプロパガンダとして発信された。ロイ・ガットマン(Roy Gutman)等の西側諸国のメディアなどがこれを大規模に取上げたことにより、「民族浄化」の語は世界的に知れ渡るところとなった[6] 。
2017年には、ミャンマー政府のロヒンギャ(ベンガル系イスラム教徒)に対する弾圧・虐殺が激化して多くの難民が発生する事態となり、国連のグテーレス事務総長はこの状況を「民族浄化」と評した[8] 。
脚注
^ “7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家 ”. (2013年5月12日 ). http://tokuhain.arukikata.co.jp/zagreb/2013/05/654321.html 2017年7月11日 閲覧。
^ Thum, Gregor (2006–2007). “Ethnic Cleansing in Eastern Europe after 1945”. Contemporary European History 19 (1): 75–81. doi:10.1017/S0960777309990257.
^ 『ユーゴ紛争はなぜ長期化したか 悲劇を大きくさせた欧米諸国の責任』千田善、勁草書房
^ 『人道的介入 正義の武力行使はあるか』最上敏樹、岩波書店
^ a b c d 高木徹 (2002). 戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争 . 講談社. ISBN 4-06-210860-7.
^ a b c 佐原徹哉 (2008年3月20日). ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化 . 日本、東京: 有志舎. ISBN 978-4-903426-12-9.
^ 伊藤芳明 (1996年). ボスニアでおきたこと---「民族浄化」の現場から . 岩波書店. ISBN 978-4000020947.
^ 鵜飼啓、松尾一郎 (2017年9月15日 ). “ロヒンギャを「民族浄化」 国連、ミャンマーへ批判噴出”. 朝日新聞. 2017年12月26日 閲覧。
関連文献
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2014年9月 )
佐原徹哉 (2008年3月20日). ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化 . 日本、東京: 有志舎. ISBN 978-4-903426-12-9.
多谷千香子 (2005年10月20日). 「民族浄化」を裁く―旧ユーゴ戦犯法廷の現場から . 日本、東京: 岩波書店. ISBN 978-4004309734.
久保慶一 (2003年10月10日). 引き裂かれた国家―旧ユーゴ地域の民主化と民族問題 . 日本、東京: 有信堂高文社. ISBN 978-4842055510.
岩田昌征 (1999年8月20日). ユーゴスラヴィア多民族戦争の情報像―学者の冒険 . 日本: 御茶の水書房. ISBN 978-4275017703.
関連項目
ジェノサイド
聖絶
強制的同一化
ラシュヴァ渓谷の民族浄化
ルワンダ虐殺
チベット大虐殺
アメリカ先住民大虐殺
外部リンク
「民族浄化」という言葉について(前東京大学法学部教授・塩川伸明ホームページ)
ユーゴスラビア紛争
背景 ユーゴスラビアの崩壊
ユーゴスラビア連邦
ヨシップ・ブロズ・ティトー - パルチザン - ユーゴスラビア共産主義者同盟 - ティトー主義 - 兄弟愛と統一 - クロアチアの春 - セルビア科学芸術アカデミーの覚書 - 反官憲革命 - ユーゴスラビア崩壊
民族統一主義
大クロアチア - 大セルビア - 大アルバニア
1991年 十日間戦争
参加勢力
地域の国家
ユーゴスラビア -
スロベニア
軍事組織
ユーゴスラビア人民軍 - スロベニア領土防衛軍
関連事項
ブリオニ合意
結果
スロベニアの独立
1991年-1995年 クロアチア紛争
参加勢力
地域の国家
ユーゴスラビア -
クロアチア
地域勢力
クライナ・セルビア人共和国
地域外の勢力
国際連合
軍事組織
ユーゴスラビア人民軍 - クロアチア共和国軍 - クロアチア防衛軍 - 白い鷹 - セルビア義勇親衛隊 - サソリ - 国際連合保護軍 - 国際連合クロアチア信頼回復活動
戦闘と事件
クロアチア紛争
プリトヴィツェ湖群事件
ボロヴォ・セロの虐殺
1991年5月ダルマチア反セルビア暴動
ダルマチアの戦い
ヴコヴァルの戦い
ヴコヴァルの虐殺
兵舎の戦い
ドゥブロヴニク包囲
ロヴァスの虐殺
シロカ・クラの虐殺
ゴスピチの虐殺
サボルスコの虐殺
バチンの虐殺
オストク10作戦
シュカンブルニャの虐殺
'91オルカン作戦
ヴォチンの虐殺
ミリェヴツィ平原事件
マスレニツァ作戦
メダク・ポケット作戦
稲妻作戦
ザグレブ・ロケット攻撃
'95夏作戦
嵐作戦
関連事項
丸太革命 - デイトン合意 - 国際連合東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム暫定統治機構 - 国際連合プレヴラカ監視団 - 国際連合文民警察サポート・グループ
結果
クロアチアの独立
1992年-1995年 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
参加勢力
地域の国家
ユーゴスラビア -
クロアチア -
ボスニア・ヘルツェゴビナ
地域勢力
スルプスカ共和国 -
ヘルツェグ=ボスナ - 西ボスニア自治州 -
ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦
地域外の勢力
国際連合 - NATO
軍事組織
ユーゴスラビア人民軍 - クロアチア共和国軍 - ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国軍 - スルプスカ共和国軍 - クロアチア防衛評議会 - クロアチア防衛軍 - 白い鷹 - セルビア義勇親衛隊 - サソリ - ギリシャ人義勇軍 - 国際連合保護軍 - 国際連合ボスニア・ヘルツェゴヴィナ・ミッション - NATO
戦闘と事件
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
サラエヴォ包囲
クロアチア・ボスニア戦争
フォチャの虐殺
ヴィシェグラードの虐殺
プリイェドルの虐殺
ラシュヴァ渓谷の民族浄化
アフミチの虐殺
'93ネレトヴァ作戦
バニャ・ルカ事変
第一次マルカレ虐殺
ベーレバンク作戦
アマンダ作戦
トゥズラの虐殺
ムルコニチ・グラード事変
スレブレニツァの虐殺
'95夏作戦
虎作戦
嵐作戦
第二次マルカレ虐殺
NATOによるボスニア・ヘルツェゴビナ空爆
ミストラル作戦
サナ作戦
関連事項
カラジョルジェヴォ会談(グラーツ合意)- ワシントン合意 - デイトン合意 - 大量強姦 - ボスニア・ジェノサイド - 和平履行部隊 - 平和安定化部隊 - 欧州連合部隊 アルテア
結果
ボスニア・ヘルツェゴビナの独立と分割
1996年-1999年 コソボ紛争
参加勢力
地域の国家
ユーゴスラビア
地域外の勢力
NATO
軍事組織
ユーゴスラビア軍 - コソボ解放軍 - セルビア義勇親衛隊 - ムジャーヒディーン義勇軍 - NATO
戦闘と事件
コソボ紛争
プレカズの攻撃
ロジャの戦い
ベラチェヴァツ炭鉱の戦い
ユニクの戦い
グロジャネの戦い
ゴルニェ・オブリニェの虐殺
パンダ・バーの虐殺
ラチャクの虐殺
ユーゴスラビア空爆
ポドゥイェヴォの虐殺
ヴェリカ・クルシャの虐殺
イズビツァの虐殺
アルバニア作戦
コシャレの戦い
ツスカの虐殺
スヴァ・レカの虐殺
関連事項
コソボ共和国 - アルバニア暴動 - ラプシュニク収容所 - 人道的介入 - UNMIK - KFOR - 国際連合安全保障理事会決議1244号 - コソボ地位問題 - プレシェヴォ渓谷危機 - プレシェヴォ・メドヴェジャ・ブヤノヴァツ解放軍 - 2004年コソボ暴動 - 2008年コソボ独立宣言 - 2008年コソボ暴動 - EULEXコソボ
結果
コソボ自治州のセルビアからの切り離し
2001年 マケドニア紛争
参加勢力
地域の国家
マケドニア
軍事組織
マケドニア共和国軍 - 民族解放軍
関連事項
国際連合保護軍 - 国際連合予防展開軍 - オフリド合意 - 欠かせない収穫作戦 - 山嵐作戦
結果
マケドニアのアルバニア人の待遇改善
人物
政治家
アンテ・マルコヴィッチ - ボリサヴ・ヨヴィッチ - ドブリツァ・チョシッチ - ゾラン・リリッチ - スロボダン・ミロシェヴィッチ - ミラン・ミルティノヴィッチ - モミル・ブラトヴィッチ - ミロ・ジュカノヴィッチ - ミラン・クチャン - ヤネス・ヤンシャ - フラニョ・トゥジマン - スティエパン・メシッチ - アリヤ・イゼトベゴヴィッチ - アディル・ズルフィカルパシッチ - ラドヴァン・カラジッチ - ビリャナ・プラヴシッチ - ミラン・バビッチ - ゴラン・ハジッチ - ミラン・マルティッチ - マテ・ボバン - フィクレト・アブディッチ - イブラヒム・ルゴヴァ - ボリス・トライコフスキ
軍最高指導者
ヴェリコ・カディイェヴィッチ - マルティン・シュペゲリ - ジヴォタ・パニッチ - モムチロ・ペリシッチ - ヤンコ・ボベトコ - ミレ・ムルクシッチ - ラトコ・ムラディッチ - ラシム・デリッチ - セフェル・ハリロヴィッチ - アティフ・ドゥダコヴィッチ - アギム・チェク - ドラゴリュブ・オイダニッチ - リュベ・ボシュコスキ
その他の軍事指導者
ブラゴ・ザドロ - アンテ・ゴトヴィナ - ヨヴァン・ディヴャク - ナセル・オリッチ - イヴィツァ・ライッチ - ヴォイスラヴ・シェシェリ - ミルコ・ヨヴィッチ - ドラガン・ヴァシリコヴィッチ - ジェリコ・ラジュナトヴィッチ - ネボイシャ・パヴコヴィッチ - ハシム・サチ - ラムシュ・ハラディナイ - アリ・アフメティ
地域外の重要人物
ウェズリー・クラーク - ビル・クリントン - ヘルムート・コール - ボリス・イェリツィン - トニー・ブレア - フランソワ・ミッテラン - ブトロス・ブトロス=ガーリ - 明石康
関連項目
旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷 - 民族浄化 - 人道に対する罪
Category:ユーゴスラビア紛争
レイシズム(人種差別)
概念
人種
民族
差別
人種差別
ステレオタイプ
侮蔑
ヘイトスピーチ
ヘイトクライム
ホロコースト
排外主義
民族主義
外国人嫌悪
社会的少数者
植民地
優生学
思想・イデオロギー
エスノセントリズム
選民
黄禍論
カハネ主義
中華思想
小中華思想
人種主義
ナチズム
白人至上主義
オリエンタリズム
アーリアン学説
有色人種
名誉人種
排外主義
反米
反韓
反中
反日
反露
反ユダヤ主義
関連条約・法規
あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約
先住民族の権利に関する国際連合宣言
市民的及び政治的権利に関する国際規約
アファーマティブ・アクション
ゲソ法
民衆扇動罪
実例
民族紛争
ジェノサイド
奴隷制
強制労働
民族浄化
同化政策
リンチ
ユーゴスラビア紛争
ルワンダ虐殺
アパルトヘイト(カラード)
カースト(不可触民)
アフリカ系アメリカ人公民権運動
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反韓デモ
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中国反日デモ
アルメニア人虐殺
ロス暴動
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アボリジニ
盗まれた世代
アメリカ合衆国の人種差別
インディアン移住法
ジム・クロウ法
バージニア工科大学銃乱射事件
日系人の強制収容
在豪インド人連続襲撃事件
北海道旧土人保護法