沙門
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沙門(しゃもん、梵: Śramaṇa, シュラマナ、巴: Samaṇa, サマナ)は、古代インド社会に於いて生じた、仏教・ジャイナ教などヴェーダの宗教ではない新しい思想運動における男性修行者を指す[1]。「つとめる人」の意[1]。桑門、勤息、貧道とも言う。後に仏教では比丘と同義になった[2]。
目次
1 由来
2 パーリ仏典における記載
3 脚注
4 関連項目
由来
語源はサンスクリットで努力を意味する śram から来ているとされるが、静まるを意味する śam から来ていると言う説もある。前者の意味として功労、後者の意味として息心と意訳される事があり、上記の勤息は両方の意味を合わせた訳語である。
一説には、シャーマンの語源を沙門とするが、これは、未だ俗説の域を出ていない。シャーマンの語源はツングース系語族の「薩満」であるというのが、有力な学説である。
パーリ仏典における記載
パーリ経典に登場する沙門[3] (六師外道) (沙門果経より[4]) | |
沙門[3] | 論(思想)[4] |
プーラナ・カッサパ | 道徳否定論者: 善行や悪行をおこなうことで、報酬を得ることも罰が与えられることも否定する。 |
マッカリ・ゴーサーラ (アージーヴィカ教) | 決定論者 (宿命論): 私たちは無力であり、苦しみは前もって定められていたものである。 |
アジタ・ケーサカンバリン(順世派) | 唯物論: 幸福に生きよ、死すればすべて無くなるのだから。 |
パクダ・カッチャーヤナ | 不変論 (永遠論):物質、喜び、痛み、魂は永遠であり、それらに相互作用はない。 |
マハーヴィーラ (ジャイナ教) | 戒律主義: 全ての邪悪を避け、浄化し、祝福せよ[5]。 |
サンジャヤ・ベーラッティプッタ | 不可知論: 私はそうは考えない。そうとも、その他の方法も考えない。間違っているのか、間違ってはいないのかも考えない。判断の放棄。 |
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脚注
- ^ ab「沙門」 - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
^ 「沙門【しゃもん】」 - 百科事典マイペディア
- ^ ab水野弘元『増補改訂パーリ語辞典』春秋社、2013年3月、増補改訂版第4刷、p.334
- ^ abDN 2 (Thanissaro, 1997; Walshe, 1995, pp. 91-109).
^ DN-a (Ñāṇamoli & Bodhi, 1995, pp. 1258-59, n. 585).
関連項目
- 比丘
沙門不敬王者論 - 僧侶は国王を礼拝せずとも良いとする廬山の慧遠の説
沙門統 - 中国の官職の1つ。僧侶を統制
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