松浦郡







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長崎県松浦郡の位置


松浦郡(まつらぐん)は、長崎県(肥前国、一部は現在の佐賀県)にあった郡。




目次






  • 1 郡域


  • 2 歴史


    • 2.1 古代


      • 2.1.1 式内社




    • 2.2 近世以降の沿革




  • 3 脚注


  • 4 参考文献


  • 5 関連項目





郡域


概ね現在の下記の区域にあたるが、行政区画として画定されたものではない。肥前国で最大の面積を持つ郡であった。



  • 佐賀県唐津市・伊万里市・東松浦郡・西松浦郡の全域

  • 長崎県佐世保市の一部(俵ヶ浦町、下船越町、船越町、鹿子前町、長坂町、母ヶ浦町、小野町、中里町、吉岡町、瀬戸越町、瀬戸越、松原町、矢峰町、小舟町、下宇戸町、里美町より北西および烏帽子町の一部)

  • 長崎県平戸市・松浦市・五島市・北松浦郡・南松浦郡の全域



歴史



古代


『魏志倭人伝』に見える「末廬国」は松浦のことと考えられており、現在の唐津市付近と想定されている。


郡衙は現在の唐津市内に置かれていたと推定されている。


「日本三代実録」貞観18年3月9日条(876年)には、当時の大宰権帥在原行平の建言により肥前国のうち松浦郡庇羅郷と同郡値賀郷を分けて値嘉島(ちかのしま)を設置し、同嶋内に上近郡(かみつちかのこおり)と下近郡(しもつちかのこおり)を置くことを認めたとの記録がある。現在の平戸島及び五島列島とその近辺の島を区域とし、島府と上近郡家が平戸に、下近郡家が五島列島内にいずれかに置かれたと推定されている。記事から半世紀足らずの10世紀始めに編纂された「延喜式」には値嘉島の記載はなく、それまでに値嘉島は廃され肥前国松浦郡に復したものとみられる。[1]



式内社


『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。







































神名帳
比定社
集成
社名
読み

付記
社名
所在地
備考

松浦郡 2座(大1座・小1座)
田島坐神社 タシマノ- 名神大 田島神社
佐賀県唐津市呼子町加部島

[1]
志志伎神社 シシキノ 志々伎神社
長崎県平戸市野子町


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近世以降の沿革


所属町村の変遷は東松浦郡#郡発足までの沿革、西松浦郡#郡発足までの沿革、北松浦郡#郡発足までの沿革、南松浦郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照


  • 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領は長崎奉行が管轄。(3町345村)

    • 後の東松浦郡域(1町191村) - 肥前唐津藩、対馬府中藩

    • 後の西松浦郡域(1町87村) - 幕府領、肥前唐津藩、肥前佐賀藩、肥前小城藩、肥前蓮池藩、対馬府中藩

    • 後の北松浦郡域(1町49村) - 旗本領(松浦氏)、肥前平戸藩、肥前福江藩

    • 後の南松浦郡域(18村) - 旗本領(五島氏)、肥前福江藩




  • 慶応4年


    • 2月2日(1868年2月24日) - 幕府領が長崎裁判所の管轄となる。


    • 5月4日(1868年6月23日) - 長崎裁判所の管轄地域が長崎府の管轄となる。

    • 旗本五島氏領が福江藩領となる。



  • 明治2年


    • 6月20日(1869年7月28日) - 長崎府の管轄地域が長崎県の管轄となる。


    • 8月7日(1869年9月12日) - 府中藩が改称して厳原藩となる。



  • 明治3年(1870年)9月 - 旗本松浦氏領が長崎県の管轄となる。

  • 明治4年


    • 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が唐津県厳原県佐賀県(第1次)、小城県蓮池県平戸県福江県の管轄となる。


    • 11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により、後の東松浦郡域・西松浦郡域が伊万里県の管轄となる。



  • 明治5年5月29日(1872年7月4日) - 伊万里県の管轄区域が佐賀県(第2次)の管轄となる。

  • 明治9年(1876年)


    • 4月18日 - 第2次府県統合により、佐賀県の管轄区域が三潴県の管轄となる。


    • 5月24日 - 全域が長崎県の管轄となる。



  • 明治11年(1878年)10月28日 - 郡区町村編制法の長崎県での施行により、松浦郡のうち、唐津城下ほか1町172村の区域に東松浦郡が、伊万里町ほか1町87村の区域に西松浦郡が、平戸町ほか1町49村の区域に北松浦郡が、福江村ほか17村の区域に南松浦郡がそれぞれ行政区画として発足[2]。同日松浦郡消滅。

  • 明治16年(1883年)5月9日 - 東松浦郡・西松浦郡が佐賀県(第3次)の管轄となる。



脚注





  1. ^ 「図説長崎県の歴史」外山幹夫責任編集、河出書房新社刊(1996年)


  2. ^ 明治初年の町村の再編により、町村数の合計は「旧高旧領取調帳」の記載とは一致しない。




参考文献




  • 角川日本地名大辞典 41 佐賀県

  • 角川日本地名大辞典 42 長崎県

  • 旧高旧領取調帳データベース



関連項目



  • 消滅した郡の一覧

  • 松浦党

  • 松浦






先代:
-----

行政区の変遷
- 1878年
次代:
東松浦郡・西松浦郡・
北松浦郡・南松浦郡




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