宮城野橋









































宮城野橋(X橋)

MiyaginoBashi2005-5.jpg
2005年(平成17年)5月、南西側(AER)から見た橋。煉瓦が貼られた橋脚の下の道が名掛丁新道[1]。その奥に並走して東北本線と仙山線。両線の上空を並走するのが東北新幹線。



基本情報

日本の旗 日本
所在地
宮城県仙台市青葉区および宮城野区
設計者
施工者

櫻田機械工業
建設
初代:1920年(大正9年)開通
河北新報 大正9年7月31日 問題のX陸橋明日より開通
第二代:1961年(昭和36年)開通
座標
北緯38度15分47秒 東経140度52分58秒 / 北緯38.26306度 東経140.88278度 / 38.26306; 140.88278座標: 北緯38度15分47秒 東経140度52分58秒 / 北緯38.26306度 東経140.88278度 / 38.26306; 140.88278
構造諸元
形式
跨線部:桁橋、跨道部:アーチ橋
全体の形式:クローバー橋
材料
跨線部:圧延鋼、跨道部:レンガ
関連項目

橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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宮城野橋(みやぎのばし)とは、仙台市都心部のJR仙台駅のすぐ北にある自動車・歩行者両用の跨線橋。通称「X橋」(えっくすばし)。




目次






  • 1 概要


  • 2 歴史・沿革


  • 3 周辺


  • 4 舞台となった作品


  • 5 脚注


  • 6 関連項目


  • 7 外部リンク





概要


地上の名掛丁新道[1]・東北本線・仙山線・東六番丁の上を宮城野橋が直交してまたぎ、さらにその上空を東北本線と並走するように東北新幹線が通過する。


宮城野橋は、並走する元寺小路と名掛丁を1本に束ねて、名掛丁新道・東北本線・東六番丁の上空をまたぎ、また鉄砲町と二十人町へ2つに分かれる形であったため、いつからか「X橋」と呼ばれるようになった。その後は正式名称に代わり、通称が一般化した。このような形状の橋は一般には「クローバー橋」と呼ばれる。


モータリゼーションに合わせ、跨線部は対面通行で跨線部に繋がる部分は一方通行が導入された。すなわち、自動車で橋を渡る場合は、元寺小路(北西)から橋に入って鉄砲町(北東)に抜ける道筋と、二十人町(南東)から橋に入って名掛丁(南西)に抜ける道筋になった。


2008年(平成20年)に仙台駅西口ペデストリアンデッキと同じ高さで「仙台駅北部名掛丁自由通路」が設置され、仙台駅北側において人が通る東西通路として宮城野橋を補完している。


現在の宮城野橋は三代目であり、元寺小路福室線を通すために二代目から架け替えられたもので、2017年3月26日に完成し供用を開始したものである[2][3](中央分離帯の設置工事の影響もあり完全供用は6月)。












































宮城野橋

開通
構造
長さ

地図
初代

1921年(大正10年)[4][5]
鋼拱橋

030.8m

07.3m

西詰東詰
二代

1961年(昭和36年)[4][5]
鋼箱桁構造[5]

029m[4][5]

09.7m[4][5]

西詰東詰
三代
下り線

2013年(平成25年)[6][7]
3径間連続中空床版桁
合成床版桁(1径間)
5径間連続中空床版桁[8]
193m[8]
34.3m
(歩道4.5m×2)[8]

西詰東詰
上り線

2017年(平成29年)[2][3]

西詰東詰


歴史・沿革




X橋の南西行き部分を廃止して建設されたアエルの上層階から撮影したX橋の東部分(2008年9月)。


江戸時代は、仙台城大手門前を西端とする「大町・新伝馬町・名掛丁・二十人町」が仙台城下町を東西に貫くメインストリートで、現仙台駅付近ではその北側に元寺小路(東に鉄砲町が続く)が並走していた。これら2本の東西道は二十人町および鉄砲町の東の榴ヶ岡手前で合一して石巻街道となり、同街道最初の駅の原町宿、仙台の外港である塩竈、日本三景・松島、東北太平洋岸海運の拠点港・石巻へと繋がっていた。1887年(明治20年)、日本鉄道本線(1909年〈明治42年〉に東北本線と改称)が仙台区を経て塩竈まで開通すると、元寺小路と名掛丁の2つの並行する通りは東西に分断され、踏切が設置された。


操車場への線路増設や、1920年代初頭の仙台圏での東北本線複線化などにより、踏切は「開かずの踏切」のような状態となった。1917年(大正6年)頃、踏切閉鎖と跨線橋設置の案が出された。反対運動もあったが、旧仙台城二の丸の第二師団と、歩兵第四連隊(現榴岡公園)や練兵場(現宮城野原公園総合運動場)との間を安定的に結ぶため、歩兵四連隊の強い要請によって宮城野橋は建設された。


1921年(大正10年)に開通[4][5]した初代の宮城野橋は、鋼拱橋で長さ30.8m、幅7.3m。仙台駅の東と西を繋ぐ重要路線であるため、当時としては高価なアスファルト舗装がなされた。当時の仙台市には舗装された一般道路が存在しておらず、同橋と広瀬橋(広瀬川に架かる旧奥州街道の橋。旧城下町と長町とを繋ぐ)のたった2つの橋しか舗装されていなかった[9]


1928年(昭和3年)に名掛丁には線路の下を通る地下道が設置された(ただし、四ツ谷用水があったため少し曲がっている)[10]


二代目の宮城野橋は、1961年(昭和36年)竣工である[11]。日本国有鉄道が発注し、橋の面積は1,260m2、一等橋で20tの耐荷重(活荷重)であり、櫻田機械工業株式会社が施工した[11]


1990年代後半の再開発ビル「アエル」の建設に伴い、西側のハピナ名掛丁(中央通)に繋がる南西行き一方通行部分の廃止、および、跨線部西詰めからすぐに北側に屈曲してX橋交差点[12][13]に繋げ、同区間を対面通行化する工事が行われた[14]。そのためyを横にしたような形となった。これにより「y橋」という方がより実情を表すこととなったが、その後も「X橋」との通称は用いられた。


仙台駅東第二土地区画整理事業[15]により、2010年(平成22年)2月15日以降は東側の鉄砲町への北東行き一方通行部分[16]が通行止めとなり、二十人町[17]方向が一方通行から対面通行になった。そのため蛇行しつつも両方向ともが一本の道で繋がれた。


また、2016年度(平成28年度)の完成を目標に、都市計画道路元寺小路福室線を通す片側3車線(合計6車線)、長さ193mの橋に架け替える工事が進められていた。三代目の上り線を架設し、2013年10月31日に2車線にて供用開始[7]。二代目を2014年7月10日未明に撤去[4][5][6][18]したのち、二代目跡地に三代目の下り線を架設、2017年3月26日に3車線(上り2車線+下り1車線)にて暫定供用開始した[2][3]。残る中央分離帯の設置工事に伴い6車線による完全供用開始は2017年6月となった。



周辺





アエル前広場に設置されているX橋モニュメントのベンチ。Xがデザイン化されており、X橋の遺構の一部が使われている。




仙台駅東口の初恋通にある鹽竈神社。参道の敷石にX橋の階段の石が使われている。


橋の正式名称より通称の知名度の方が高くなってしまったため、橋の西端にある広瀬通や駅前通などとの変則六叉路交差点の名称は「X橋交差点」となっている[12][13]


また、かつてこの付近を通っていた仙台市営バス、宮城交通のバス路線のバス停名称も「X橋」だった。ただし、二十人町と鉄砲町で一方通行になっており、二十人町経由の上り線にのみ「X橋」バス停は存在し、鉄砲町経由の下り線にはなかった。バス路線の廃止とともにバス停も廃止されている。















東北新幹線建設中と完成後のX橋周辺の空中写真

Aerial photo of the X-shaped Bridge in 1975.jpg

Aerial photo of the X-shaped Bridge in 1984.jpg

1975年度(昭和50年度)撮影の国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

1984年度(昭和59年度)撮影の国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成


舞台となった作品



  • 小説:高城高『X橋付近』(発行年:1955年)

  • 小説:熊谷達也『いつかX橋で』(発行年:2008年)



脚注


[ヘルプ]



  1. ^ ab仙台市道青葉1149号・鉄道東及鉄道西側名掛丁新道線(延長108.0m、最大幅員13.80m、最小幅員5.00m)

  2. ^ abc<宮城野橋>東西つなぐ大動脈期待 河北新報(2017年3月26日)

  3. ^ abc「X橋」宮城野橋が開通 仙台放送(2017年3月26日)

  4. ^ abcdef仙台駅北側の「宮城野橋」今夜から撤去 さよなら「X橋」惜しむ声(産経新聞 2014年7月9日)

  5. ^ abcdefg「X橋」見納め 9日深夜、クレーンで撤去(河北新報 2014年7月6日)

  6. ^ abX橋お疲れさま 役目終えた老橋に別れの涙雨(河北新報 2014年7月11日)

  7. ^ ab仙台・宮城野橋下り線完成 31日、上下1車線で開通 (河北新報 2013年10月25日)

  8. ^ abc仙台市 契約議案を上程 宮城野橋(X橋)の架け替え 鉄道近接部を37.5億でJRに委託へ(2010年9月15日)


  9. ^ 地方通信(「道路の改良」第8巻 第7号 大正15年7月発行)


  10. ^ 駅東口「名掛丁踏切と地下道」(仙台市中央市民センター)

  11. ^ ab竣工プレートより。

  12. ^ ab宮城野橋交差点とも言う。広瀬通、駅前通、X橋(仙台市道青葉1497号・元寺小路福室線)、ソララガーデン前を通る仙台市道青葉1223号・元寺小路2号線、仙台市道青葉1145号・末無掃部丁線が集まる変則六叉路

  13. ^ ab仙台市自動車交通量調査/青葉区 X橋交差点(仙台市)


  14. ^ X橋交差点から橋の中点にある区境までのX橋は仙台市道青葉1497号・元寺小路福室線(最小幅員9.60m、最大幅員20.50m、延長197.6m)を通す。


  15. ^ 仙台駅東第二土地区画整理事業(仙台市)


  16. ^ 仙台市道宮城野1308号・鉄砲町名掛丁線(最小幅員7.43m、最大幅員15.40m、延長1118.5m)の一部。


  17. ^ 仙台市道宮城野1312号・二十人町線(最小幅員6.50m、最大幅員43.00m、延長1230.0m)


  18. ^ “バイバイ、X橋 未明にクレーンで撤去 仙台”. 河北新報. (2014年7月10日). http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201407/20140710_13042.html 2014年7月10日閲覧。 




関連項目



  • 広瀬通


  • 橋#特殊な橋
    • X橋 - 富松川・東富松川・西富松排水路の3つの川が合流して庄下川となる合流地点上に架かる橋の通称。兵庫県尼崎市南塚口町8丁目(北緯34度45分04秒東経135度24分20秒)に所在。




外部リンク



  • 仙台駅周辺地図

  • 駅東口・仙石線沿線 かわりゆくまち


  • 1940年のX橋(戦前。東向きの写真)

  • 仙台空襲後のX橋


  • 仙台市戦災復興記念館 収蔵写真(仙台空襲後のX橋の写真あり)


  • 1947年の仙台駅前(復興期。写真右上の東北本線にかかる鉄橋がX橋跨線)








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