審祥




審祥(しんじょう[1]、生没年不詳)は、奈良時代の華厳宗の僧。出自については不詳。審詳とも書く。良弁(ろうべん)とともに日本における華厳宗の基礎を築いた[1]


新羅学生と呼ばれ、この呼称については「新羅出身の人」とも「新羅に留学した人」とも解釈されている[1]。また、唐に渡って法蔵から華厳を学んだ。


天平年間(729年-749年)に帰国して、奈良大安寺に住した。


740年(天平12年)、良弁が金鐘寺で始めた華厳経の講説では3年間講師をつとめた。


当時、有数の経論の所蔵者であったようで、写経所に対して頻繁に経論を貸し出していたようである。




目次






  • 1 著書


  • 2 脚注


    • 2.1 注釈


    • 2.2 出典




  • 3 参考文献





著書


  • 『花厳起信観行法門』


脚注


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注釈





出典




  1. ^ abc「審祥・審詳」 - 精選版 日本国語大辞典、小学館。




参考文献



  • 堀池春峰「華厳経講説より見た良弁と審詳」(同著『南都仏教史の研究』上所収)法蔵館、1982年(初出は1973年)。


  • 結城令聞「華厳章疏の日本伝来の諸説を評し、審祥に関する日本伝承の根拠と、審祥来日についての私見」(『南都仏教』40号所収)、1978年。












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