赤色テロ





























赤色テロ(せきしょくテロ)とは、革命勢力や反政府勢力、共産主義政府が起こすテロである。対義語で、復古勢力や政府が起こすテロは白色テロと呼ばれる。




目次






  • 1 語源


  • 2 事件例


    • 2.1 ロシア


    • 2.2 カンボジア




  • 3 関連項目





語源


「白色テロ」「赤色テロ」という用語はカール・マルクスの文献においても見られるが、本格的に行われるようになったのは、ロシア革命でウラジーミル・レーニンが樹立したボリシェヴィキ政権からである。



事件例



ロシア


レーニンは、早くから革命にはテロリズムは必要であると考えていた。彼はフランス革命や自らの兄アレクサンドル・ウリヤノフも信奉したロシアの虚無主義、セルゲイ・ネチャーエフを研究し、熱心にテロを奨励したと言われている。


1918年8月30日、左翼社会革命党の党員ファニヤ・カプラン(英語版)がレーニンを狙撃した暗殺未遂事件が発生すると、同年9月にレーニンは「赤色テロ」政令を発して、「白色テロには赤色テロで応じる」ことを宣言した。しかし既にボルシェビキによるテロはいたる所で行われており、この宣言はそれを正当化した形であった。レーニンは、秘密警察チェーカー(後のKGB)を動員して反対派を徹底的に粛清。国民に密告を奨励して「反革命」とみなされた人物を次々と逮捕・処刑した。ロマノフ朝最後の皇帝であったニコライ2世一家もエカテリンブルクで全員虐殺された。この他の皇族や、資産家、クラークなども、亡命できた者を除いて「人民の敵」というレッテルを張られて裁判もなしに殺害された。これらの事実は欧米に衝撃を与え、ナチズムなどの反共主義が広がる要因となった。



カンボジア


1976年に親米政権を打倒して政権を掌握したクメール・ルージュは、農村部から都市部に至るまで、反対派を大量に殺戮した。クメール・ルージュによる大量殺戮は、1979年にベトナム軍が介入するまで続いた。



関連項目







  • 白色テロ

  • 反政府運動

  • 山村工作隊

  • 中核自衛隊

  • 東アジア反日武装戦線

  • センデロ・ルミノソ

  • 赤い旅団








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