1972年の野球
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< 1972年 | 1972年のスポーツ
目次
1 競技結果
1.1 日本プロ野球
1.1.1 ペナントレース
1.1.2 日本シリーズ
1.1.3 個人タイトル
1.1.4 ベストナイン
1.1.5 ダイヤモンドグラブ賞
1.1.6 オールスターゲーム
1.2 高校野球
1.3 大学野球
1.4 社会人野球
1.5 メジャーリーグ
2 できごと
2.1 1月
2.2 3月
2.3 4月
2.4 5月
2.5 6月
2.6 7月
2.7 8月
2.8 9月
2.9 10月
2.10 11月
2.11 12月
3 誕生
3.1 1月
3.2 2月
3.3 3月
3.4 4月
3.5 5月
3.6 6月
3.7 7月
3.8 8月
3.9 9月
3.10 10月
3.11 11月
3.12 12月
4 死去
5 脚注
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セントラル・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 読売ジャイアンツ | 74 | 52 | 4 | .587 | - |
2位 | 阪神タイガース | 71 | 56 | 3 | .559 | 3.5 |
3位 | 中日ドラゴンズ | 67 | 59 | 4 | .532 | 7.0 |
4位 | ヤクルトアトムズ | 60 | 67 | 3 | .472 | 14.5 |
5位 | 大洋ホエールズ | 57 | 69 | 4 | .452 | 17.0 |
6位 | 広島東洋カープ | 49 | 75 | 6 | .395 | 24.0 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 阪急ブレーブス | 80 | 48 | 2 | .625 | - |
2位 | 近鉄バファローズ | 64 | 60 | 6 | .5161 | 14.0 |
3位 | 南海ホークス | 65 | 61 | 4 | .5158 | 14.0 |
4位 | 東映フライヤーズ | 63 | 61 | 6 | .508 | 15.0 |
5位 | ロッテオリオンズ | 59 | 68 | 3 | .465 | 20.5 |
6位 | 西鉄ライオンズ | 47 | 80 | 3 | .370 | 32.5 |
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月21日(土) | 第1戦 | 阪急ブレーブス | 3-5 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
10月22日(日) | 第2戦 | 雨天中止 | |||
10月23日(月) | 阪急ブレーブス | 4-6 | 読売ジャイアンツ | ||
10月24日(火) | 移動日 | ||||
10月25日(水) | 第3戦 | 読売ジャイアンツ | 3-5 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
10月26日(木) | 第4戦 | 読売ジャイアンツ | 3-1 | 阪急ブレーブス | |
10月27日(金) | 第5戦 | 雨天中止 | |||
10月28日(土) | 読売ジャイアンツ | 8-3 | 阪急ブレーブス | ||
優勝:読売ジャイアンツ(8年連続16回目) |
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 堀内恒夫 | 巨人 | 福本豊 | 阪急 | | |
最優秀新人 | 安田猛 | ヤクルト | 加藤初 | 西鉄 | | |
首位打者 | 若松勉 | ヤクルト | .329 | 張本勲 | 東映 | .358 |
本塁打王 | 王貞治 | 巨人 | 48本 | 長池徳二 | 阪急 | 41本 |
打点王 | 王貞治 | 巨人 | 120点 | 野村克也 大杉勝男 | 南海 東映 | 101点 |
最多安打 | 衣笠祥雄 | 広島 | 147本 | 張本勲 | 東映 | 169本 |
盗塁王 | 柴田勲 | 巨人 | 45個 | 福本豊 | 阪急 | 106個 |
最多出塁数(セ) 最高出塁率(パ) | 王貞治 | 巨人 | 249個 | 張本勲 | 東映 | .443 |
最優秀防御率 | 安田猛 | ヤクルト | 2.08 | 清俊彦 | 近鉄 | 2.36 |
最多勝利 | 堀内恒夫 | 巨人 | 26勝 | 山田久志 金田留広 | 阪急 東映 | 20勝 |
最多奪三振 | 江夏豊 | 阪神 | 233個 | 鈴木啓示 | 近鉄 | 180個 |
最高勝率 | 堀内恒夫 | 巨人 | .743 | 佐藤道郎 | 南海 | .750 |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 堀内恒夫 | 巨人 | 山田久志 | 阪急 |
捕手 | 田淵幸一 | 阪神 | 野村克也 | 南海 |
一塁手 | 王貞治 | 巨人 | 大杉勝男 | 東映 |
二塁手 | J.シピン | 大洋 | 基満男 | 西鉄 |
三塁手 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 有藤通世 | ロッテ |
遊撃手 | 三村敏之 | 広島 | 大橋穣 | 阪急 |
外野手 | 柴田勲 | 巨人 | 長池徳二 | 阪急 |
高田繁 | 巨人 | 張本勲 | 東映 | |
若松勉 | ヤクルト | 福本豊 | 阪急 |
ダイヤモンドグラブ賞
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 堀内恒夫 | 巨人 | 足立光宏 | 阪急 |
捕手 | 大矢明彦 | ヤクルト | 種茂雅之 | 阪急 |
一塁手 | 王貞治 | 巨人 | 大杉勝男 | 東映 |
二塁手 | J.シピン | 大洋 | 大下剛史 | 東映 |
三塁手 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 有藤通世 | ロッテ |
遊撃手 | バート.S | 中日 | 大橋穣 | 阪急 |
外野手 | 高田繁 | 巨人 | 福本豊 | 阪急 |
山本浩司 | 広島 | 池辺巌 | ロッテ | |
柴田勲 | 巨人 | 広瀬叔功 | 南海 |
オールスターゲーム
詳細は「1972年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
第45回選抜高等学校野球大会優勝:日大櫻丘(東京都)
第55回全国高等学校野球選手権大会優勝:津久見(大分県)
大学野球
- 第21回全日本大学野球選手権大会優勝:関西大
第3回明治神宮野球大会優勝:関西大
東京六大学野球連盟優勝 春:慶應義塾大、秋:慶應義塾大
東都大学野球連盟優勝 春:中央大、秋:駒澤大
関西大学野球連合優勝 春:関西大、秋:関西大
社会人野球
第43回都市対抗野球大会優勝:日本楽器
- 第22回日本産業対抗野球大会優勝:日本石油
メジャーリーグ
詳細は「1972年のメジャーリーグベースボール」を参照
ワールドシリーズ
オークランド・アスレチックス(ア・リーグ) (4勝3敗) シンシナティ・レッズ (ナ・リーグ)
できごと
この節の加筆が望まれています。 |
1月
1月14日 - ロッテは球団代表の武田和義の辞任を正式に発表[1]。
1月16日 - ロッテオリオンズの浜浦徹とMLBサンフランシスコ・ジャイアンツのフランク・ジョンソンとの交換トレードが成立したとロッテのオーナーの中村長芳とジャイアンツのオーナーのホーレス・ストーンハムが共同声明を発表。日本プロ野球と大リーグとの交換トレードは史上初[2]。
1月19日 - 【MLB】野球殿堂入りを決める記者投票の開票が行われ、サンディー・コーファックス、ヨギ・ベラ、アーリー・ウインを選出[3]。
1月20日 - ロッテは新宿の球団事務所で役員会議を開き、今月で辞任する球団代表の武田和義の後任に元東映の球団代表の石原春夫を選出。午後2時に正式に発表[4]。
3月
3月11日 - 日本プロ野球コミッショナーの大濱信泉は日本プロ野球の公式記録を1936年7月1日より開催された「結成記念日本野球選手権」を起点とする事を発表[5]。
4月
4月2日 - 【MLB】ニューヨーク・メッツの監督のギル・ホッジスが心臓発作で急死。
4月3日 - プロ野球のオーナー会議が東京・大手町のパレスホテルにて開かれ、二シーズン制の導入といったプロ野球の振興策や、黒い霧事件で永久追放された選手の復権などついて取り上げる[6]。
4月7日 - 第44回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、東京都の日大櫻丘高校が兄弟校の日大三に5対0で勝利し、初優勝達成[7]。
4月8日 - プロ野球がセ・パ同時に開幕[8]。
4月12日 - 阪神の江夏豊が甲子園球場での対巨人1回戦の二回表に堀内恒夫を三振に打ち取り、プロ通算1500奪三振を達成[9]。
4月18日 - 南海ホークスの野村克也が大阪球場での対東映フライヤーズ1回戦の3回裏に適時打を放ち、プロ通算1500打点を達成[10]。
4月21日 - 阪神タイガースの選手兼任監督の村山実が午後6時10分甲子園球場内のプレスルームにて指揮権をヘッドコーチの金田正泰に委譲すると表明[11]。
4月22日 - 近鉄の鈴木啓示が日生球場での対近鉄2回戦の3回表に西岡三四郎から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[12]。
4月27日 - ヤクルトの城戸則文が広島球場での対広島2回戦の8回裏に1号本塁打を放ち、プロ通算1000本安打を達成[13]。
4月29日 - 広島の外木場義郎が広島球場での対巨人2回戦に先発登板し、ノーヒットノーラン達成を達成[14][15]
5月
5月3日 - 阪急ブレーブスの福本豊が西宮球場での対東映4回戦でパ・リーグ新記録となる1試合5盗塁を記録[16]。
5月4日 - ロッテの西田孝之が東京球場での対南海5回戦の6回表に得津高宏に変わって右翼の守備につき、プロ通算1000試合出場達成[17]。
5月7日 - 川崎球場での大洋対広島6回戦で、3回表2死から水谷実雄がカウント2-3からの6球目がボールになるも水谷と球審の岡田功は四球と気づかず水谷はそのまま打席に立ち、8球目がストライクの判定となって見逃し三振を喫する[18]。
5月10日 - 南海の広瀬叔功が後楽園球場での対東映4回戦の6回表に、二盗、三盗を決め、プロ通算550盗塁を達成[19]。
5月13日 - 東映の大杉勝男が後楽園球場での対ロッテ8回戦の4回裏に9号本塁打を放ち、プロ通算200号を達成[20]。
5月20日 - 阪急の梶本隆夫が中日球場での対近鉄6回戦で近鉄を6-0と完封して1勝目を挙げ、プロ通算250勝を達成[21]。
5月27日 - 広島の安仁屋宗八が広島球場での対大洋7回戦に先発登板し5回表に江藤慎一から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[22]。
5月31日 - 東映の大杉勝男が東京球場での対ロッテ10回戦の10回表に19号本塁打を放ち、これで5月に打った本塁打が15本となり、月間最多本塁打15本のタイ記録となる[23]。
6月
6月6日 - 巨人の王貞治が広島球場で対広島5回戦の1回表に13号本塁打を放ち、プロ通算500号本塁打を記録[24]。
6月9日 - 巨人の堀内恒夫が甲子園球場での対阪神8回戦に登板し阪神を4-0と完封して9勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[25]。
6月15日 - 広島の国貞泰汎が中日球場での対中日11回戦に先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[26]。
6月17日 - 広島は監督の根本陸夫が成績不振を理由に休養し、代理監督として打撃コーチの森永勝也が務めると発表[27]。
6月22日 - 巨人の長嶋茂雄が中日球場での対中日15回戦の8回表に18号本塁打を放ちプロ通算400号本塁打を達成[28]。
6月23日 - 巨人が神宮球場での対ヤクルト15回戦の6回表に13点の1イニング最多得点のプロ野球タイ記録[29]。
6月24日 - 阪神の村山実が先発しプロ通算500試合登板を達成[30]。
6月25日 - 東映の尾崎行雄が後楽園球場での対近鉄15回戦に先発し7回3安打2失点の内容で、1967年8月25日以来5年ぶりの勝利を挙げる[31]。
7月
7月1日 - 南海の広瀬叔功が小倉球場での対西鉄13回戦で5回表に安打を放ち、プロ通算2000本安打を達成[32]。
7月2日 - 東映の白仁天が後楽園球場での対ロッテ14回戦の8回裏に10号本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[33]。
7月4日 - ロッテのジョージ・アルトマンが大阪球場での対南海13回戦で9回表に12号3ランを放ち、パ・リーグタイ記録となる8試合連続打点をマーク[34]。
7月8日
- 南海の野村克也が西宮球場での対阪急14回戦の4回表に19号本塁打を放ち、山内一弘と並んでプロ野球記録の1218得点に並ぶ[35]。
- 広島の山本浩司が広島球場での対巨人9回戦で5打席連続安打を記録、6日の対中日18回戦から9打席連続安打のセ・リーグ新記録[36]。
7月16日
- 巨人の堀内恒夫が後楽園球場での対中日16回戦に三回表に中日の稲葉光雄から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[37]。
- 大洋の江藤慎一が青森県営球場での対広島ダブルヘッダー第2試合の16回戦の九回裏に適時打を打ち、プロ通算1000打点を達成[38]。
- 東映の張本勲が東京球場での対ロッテ16回戦の八回表に17号本塁打を打ち、プロ通算1000得点を達成[39]。
- 南海の佐藤道郎が大阪球場での対西鉄15回戦の八回表から救援登板し、10試合連続救援登板のプロ野球新記録[40]。
7月20日 - この日でセ・パとも前半戦を終了、阪神が首位で折り返し、巨人は1964年以来8年ぶりに2位で折り返し[41]。
8月
8月1日 - 南海は大阪球場での対東映15回戦で4-2と勝利、この日4得点を記録してパ・リーグタイ記録となる73試合連続得点を達成[42]。
8月2日 - ヤクルトのアルト・ロペスが神宮球場での対中日ダブルヘッダー18回戦の7回裏に9号本塁打を放ち、プロ野球史上69人目の通算100本塁打を達成[43]。
8月4日 - ロッテの池辺巌が東京球場での対南海15回戦の1回裏に14号本塁打を放ち、プロ通算100号本塁打を達成[44]。
8月8日 - 広島の山本一義が神宮球場での対ヤクルト14回戦の9回表に14号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[45]。
8月14日 - 広島の外木場義郎が広島球場での対大洋19回戦の4回表にジョン・シピンから三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[46]。
8月23日 - 第54回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が行われ、大分県の津久見高校が山口県の柳井に3対1で勝利し、初優勝達成。
8月19日 - 東映の張本勲が平和台球場での対西鉄ダブルヘッダー夜間の20回戦の4回表に安打を放ち、プロ通算2000本安打を達成[47]。
8月20日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対阪神18回戦の1回裏に30号本塁打を放ち、11年連続30号本塁打を達成[48]。
8月27日 - 阪急の福本豊が西宮球場での対東映20回戦で1試合3盗塁し、河野旭輝が1955年に記録した1シーズン85盗塁のプロ野球記録を更新[49]。
8月29日 - 南海の村上雅則が大阪球場での対西鉄20回戦で連続5与死球のプロ野球新記録[50]。
8月30日 - 東映の今井務が神宮球場での対ロッテ21回戦の10回裏1死満塁の場面で代打に起用され1号満塁本塁打を放ち、パ・リーグ初の代打サヨナラ満塁本塁打を記録[51]。
8月31日
- 大洋は、監督の別当薫が休養し監督代行にヘッドコーチの青田昇が務めると発表[52]。
- 大洋の松原誠が後楽園球場での対巨人22回戦の1回表に20号本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[53]。
9月
9月1日 - ロッテが大阪球場での対南海21回戦に2-3と敗戦し、球団史上初の9連敗を記録[54]。
9月3日 - 阪急の長池徳士が西京極球場での対西鉄21回戦の五回裏に27号本塁打を打ち、プロ通算200号本塁打を達成[55]。
9月7日 - 東映の張本勲が後楽園球場で対ロッテ24回戦の8回裏に29号本塁打を放ち、プロ通算350号本塁打を達成[56]。
9月13日 - 巨人の柴田勲が後楽園での対阪神20回戦の7回裏に三盗を決め、プロ通算400盗塁を達成[57]。
9月19日 - 甲子園球場での阪神対巨人22回戦で、巨人の王貞治が一回表に41号本塁打を打ち、プロ野球新記録となる6試合連続本塁打[58]。午後8時20分頃、球場に男の声で「球場に爆弾を仕掛けた。午後8時40分に爆破する」という脅迫電話がかかり、午後8時40分、球場を捜索するため試合が中断。甲子園署、兵庫県警機動隊員が爆発物を捜索するが、見つからなかったためいたずら電話と判断し、午後8時50分に試合再開[59]。
9月20日
- 巨人の王貞治が甲子園球場での対阪神23回戦の一回表に村山実から42号本塁打を打ち、試合連続本塁打の記録を7に伸ばす[60]。
- ロッテの有藤通世が西京極球場での対近鉄19回戦の6回表に27号本塁打を放ち、プロ通算100号を達成[61]。
9月21日 - パ・リーグのオーナー懇談会が午後5時より丸の内のパレス・ホテルにて開かれ、ロッテのオーナーの中村長芳が(1)現状ではセ・パ両リーグの統合は困難(2)パ・リーグとしては現状の2リーグ制を支持し当面はリーグ振興のため努力する、と報告[62]。
9月23日
- 東映の尾崎行雄が後楽園球場での対南海ダブルヘッダー第2試合の五回表にウィリー・スミスから三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[63]。
- 大洋の監督代行の青田昇が腹痛のため千駄木の日本医大付属病院で診察を受け、胆嚢炎と肝臓炎を併発していると診断され、同病院に入院[64]。
9月24日 - 大洋は監督代行の青田昇が胆石で入院したため、ヘッドコーチの宮崎剛が代行監督に就任すると発表[65]。
9月26日 - 阪急が西宮球場での対南海23回戦に6-3と勝利し、2年連続5度目のパ・リーグ優勝[66]この試合で阪急の福本豊が3回裏に二盗を決め、モーリー・ウィルスの持つメジャーリーグのシーズン最多盗塁104を更新する105個目の盗塁を記録[67][68]。
9月27日 - 阪神の遠井吾郎が中日球場での対中日24回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[69]。
9月28日 - 南海の野村克也が対阪急25回戦の4回表に34号本塁打を放ち、プロ通算550本塁打を達成[70]。
9月30日 - 【MLB】ピッツバーグ・パイレーツのロベルト・クレメンテが対ニューヨーク・メッツ戦4回裏に2塁打を放ち、MLB通算3000安打を達成[71]。
10月
10月3日 - 阪神の藤田平が甲子園球場での対中日25回戦の四回裏に16号本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[72]。
10月4日 - 西鉄の東尾修は対東映26回戦に先発して敗戦投手となり、シーズン25敗目を喫し、パリーグ最多敗戦記録となる[73]。
10月7日 - 巨人が甲子園球場での対阪神25回戦に5-1と勝利し、8年連続16度目のセ・リーグ優勝が決定[74][75]。
10月9日
- 大阪球場での南海対東映26回戦で南海の野村克也が大阪球場での対東映26回戦に出場し、山内一弘の記録を抜いて、通算2236試合出場のプロ野球記録を達成[76]。クラレンス・ジョーンズが6回裏に32号3点本塁打を打ち、プロ野球通算100号本塁打[77]。
10月10日 - 東映の白仁天が西宮球場での対阪急26回戦の2回表に安打を放ち、プロ通算1000本安打を達成[78]。
10月13日 - 西鉄の選手会長の高木喬が福岡市内の球団事務所を訪れ、球団常務の古賀豊穂に対し「選手の総意」としてチームの存続を訴える[79]。
10月15日 - セ・リーグの全日程が終了[80]。
10月16日
- パ・リーグの全日程が終了[81]。
- 沢村賞選考委員会が午後12時半から東京・有楽町の交通大飯店から開かれ、巨人の堀内恒夫を選出[82]。
10月17日 - 広島は新監督に大洋前監督の別当薫が就任したと発表[83]。
10月20日
- ロッテのオーナーの中村長芳は、オーナー会議終了後に記者団に対して「ペプシコーラがパ・リーグの某球団を買収するめどがついた。22日に香港へ飛び最終的な話し合いを行う」と発表。しかし、午後8時半より東京・赤坂の中村事務所にて、パ・リーグ会長の岡野祐と同席の上で、この日2度目の記者会見を行い「夕方にペプシ本社から、球団の買収を断るという連絡がきた」と発表[84]。
- 東映のオーナーの大川毅が午後、東映不動産にて記者会見し球団の身売りの意向を明らかにした[85]。西鉄、東映と2球団の身売りが表面化し、パ・リーグの存続が危ぶまれる事態となる。
10月21日 - パイオニアの社長の石塚庸三が午前10時、赤坂にある中村事務所を訪れ、中村から打診されていたパイオニアによる東映の買収の話を断ることを伝える[86][87]。
10月28日
日本シリーズの第5戦が西宮球場で行われ、巨人が阪急に8対3で勝利し、4勝1敗で日本シリーズ8年連続優勝[88]。- 西鉄はロッテのオーナーの中村長芳が買収することになり、球団譲渡調印が福岡市内の西鉄グランドホテルにて午後3時より行われる[89]。
10月29日 - 1972年度の最優秀選手、最優秀新人、ベストナインを選出するプロ野球担当記者の投票の開票が午前10時より東京・銀座のコミッショナー事務局にて行われ、最優秀選手にセ・リーグは巨人の堀内恒夫、パ・リーグは福本豊が選出される。最優秀新人にセ・リーグはヤクルトの安田猛、パ・リーグは西鉄の加藤初が選出される[90]。
11月
11月1日 - 阪急は来季のコーチング・スタッフを発表。選手兼守備コーチのダリル・スペンサーは退団し、自由契約とした[91]。
11月2日
- 阪神は監督兼選手の村山実が現役引退したと発表[92]。
- パ・リーグのオーナー懇談会が正午から東京・丸の内のパレス・ホテルに開かれ、太平洋のオーナーの中村長芳が来季から2シーズン制の導入を提案。今後、実施を前提に案をまとめる方向で一致[93]。
11月9日 - プロ野球実行委員会が午後2時より東京・銀座の日航ホテルにて開かれ、パ・リーグ会長の岡野祐が「パ・リーグは来季から2シーズン制を取ることになった」と報告[94]。
11月10日 - ロッテは監督の大沢啓二がロッテ本社を訪れ、オーナーの重光武雄、球団社長の松井静郎に対し退団を申し入れ、了承される[95]。
11月14日 - 大洋のオーナーの中部謙吉が午後3時半より東京・丸の内の大洋漁業本社にて、この年監督代行を務めた青田昇が監督に就任したと発表[96]。
11月17日 - ロッテは午前11時より錦糸町のロッテ会館にて金田正一の監督就任を正式に発表[97]。
11月18日 - 平和台球場にて西鉄対巨人のオープン戦が行われ、西鉄として最後の試合を行う。
11月20日 - パ・リーグの理事会が午前11時から丸の内のパレスホテルにて開かれ、来季から導入予定の2シーズン制の具体案を決定。午後3時半からのオーナー懇談会で正式に承認[98]。
11月30日 - 南海は二軍監督の岡本伊三美が一軍監督の野村克也との指導方針の対立から、球団に辞表を提出し受理される[99]。
12月
12月11日 - プロ野球実行委員会が正午から有楽町の日生会館にて開かれ、フランチャイズについて従来の1球団3都府県から1球団1都道府県とすることに改める[100]。
12月15日 - ロッテの小山正明と大洋の鬼頭洋、安田泰一のトレードが成立したと両球団が発表[101]。
12月31日 - 【MLB】ピッツバーグ・パイレーツのロベルト・クレメンテが、故国のニカラグアで発生した大地震の救援物資を運ぶ飛行機でニカラグアに向かう途中、飛行機がカリブ海に墜落し死亡。
誕生
1月
1月1日 - 善村一仁
1月12日 - 干場崇永
1月13日 - 大塚晶則
1月19日 - サルバトーレ・ウルソー
1月21日 - ジェームス・ボニチ
1月25日 - ホセ・マシーアス
1月26日 - 度会博文
1月28日 - 新庄剛志
1月29日 - モーガン・バークハート
2月
2月2日 - ジャレッド・フェルナンデス
2月20日 - シェーン・スペンサー
3月
3月1日 - ジミー・ハースト
3月3日 - マイク・ロマノ
3月10日 - ロブ・スタニファー
3月12日 - ジョージ・アリアス
3月15日 - ハワード・バトル
3月20日 - 曽我部直樹
3月22日 - コリー・ライドル(+ 2006年)
3月28日 - 鄭珉哲
3月29日 - アレックス・オチョア
4月
4月9日 - 山本保司
4月10日 - 鈴木尚典
4月15日 - 木村拓也(+ 2010年)- 4月15日 - 大島寛
4月24日 - チッパー・ジョーンズ
- 4月24日 - 犬伏稔昌
- 4月24日 - 戎信行
4月25日 - マイカ・フランクリン
4月26日 - 丸尾英司
4月29日 - 谷内聖樹
4月30日 - 川村丈夫
- 4月30日 - 内之倉隆志
5月
5月2日 - 寺前正雄
5月5日 - 長見賢司
5月13日 - 小野幸一
5月14日 - 中居殉也
5月19日 - スコット・マクレーン
5月22日 - 榎康弘
5月24日 - 佐藤康幸
5月27日 - 北川博敏
5月31日 - デーブ・ロバーツ
6月
6月11日 - 米正秀
6月13日 - ダレル・メイ
6月15日 - アンディ・ペティット
6月16日 - 土井雅弘
6月19日 - 和田一浩
6月22日 - 松元秀一郎
- 6月22日 - ミゲール・デルトロ(+ 2001年)
6月25日 - カルロス・デルガド
7月
7月5日 - 阿部茂樹
7月7日 - 万永貴司
7月19日 - 大貝恭史
7月21日 - 荒井昭吾
7月23日 - 加藤将斗
7月27日 - 沖原佳典
8月
8月1日 - フレッディ・ガルシア
8月3日 - 稲葉篤紀
8月5日 - ジョン・ワズディン
8月6日 - 新里紹也
8月8日 - 織田淳哉
8月11日 - 厚澤和幸
8月12日 - 金森隆浩
- 8月12日 - 川俣浩明
8月13日 - 入来祐作
8月16日 - 伊林厚志
8月17日 - ロベルト・ラミレズ
8月24日 - カート・ミラー
8月25日 - 本間満
- 8月25日 - アンディ・エイバッド
8月27日 - 渡部高史
8月29日 - 親富祖弘也
9月
9月17日 - ブレイディー・ラジオ
9月20日 - 遠藤政隆
9月21日 - シャノン・ウィッテム
9月26日 - 西口文也
10月
10月2日 - トレイ・ムーア
10月4日 - アダム・リグス
- 10月4日 - 高橋英樹
10月5日 - アーロン・ガイエル
10月6日 - 川畑勇一
10月8日 - 中ノ瀬幸泰
10月10日 - マイク・ホルツ
10月14日 - 高木浩之
10月17日 - 藤田宗一
10月21日 - 山崎健
11月
11月6日 - マット・スクルメタ
11月10日 - グレッグ・ラロッカ
11月11日 - ダニエル・リオス
11月13日 - 正津英志
11月15日 - ダーウィン・クビアン
11月20日 - 山田広二
11月28日 - ホセ・パーラ
12月
12月6日 - リック・ショート
12月8日 - 小林敦司
- 12月8日 - ホルベルト・カブレラ
12月12日 - 村松有人
12月18日 - クリス・シールバック
12月29日 - ジム・ブラウワー
死去
4月2日 - ギル・ホッジス(* 1924年)
4月9日 - 深見安博(* 1919年)
5月29日 - モー・バーグ(* 1902年)
6月3日 - 山内以九士(* 1902年)
7月14日 - 東門明(* 1952年)
8月13日 - ジョージ・ワイス(* 1894年)
10月24日 - ジャッキー・ロビンソン(* 1919年)
12月31日 - ロベルト・クレメンテ(* 1934年)
脚注
^ 読売新聞1972年1月15日11面「ロッテ・武田代表が辞任」読売新聞縮刷版1972年1月p423
^ 読売新聞1972年1月17日11面「日米初のトレード成立 浜浦(ロッテ)とF・ジョンソン(SFジャイアンツ)」読売新聞縮刷版1972年1月p473
^ 読売新聞1972年1月21日11面「コーファックスなど選手が殿堂入り」読売新聞縮刷版1972年1月p603
^ 読売新聞1972年1月21日11面「ロッテ新代表に石原氏」読売新聞縮刷版1972年1月p603
^ 読売新聞1972年3月12日11面「プロ野球 公式戦の起点は昭和11年7月1日 ただし記録は4月から」読売新聞縮刷版1972年1月p369
^ 毎日新聞1972年4月4日13面「二シーズン制などを検討 プロ野球オーナー会議」毎日新聞縮刷版1972年4月4日p97
^ 毎日新聞1972年4月7日夕刊1面「日大桜が丘が優勝 センバツ 兄校破り初陣飾る」毎日新聞縮刷版1972年4月p209
^ 毎日新聞1972年4月8日夕刊10面「プロ野球しめっぽい開幕 無情の雨 たった2試合」毎日新聞縮刷版1972年4月p248
^ 読売新聞1972年4月13日11面「江夏、千五百三振奪取」読売新聞縮刷版1972年4月p385
^ 毎日新聞1972年4月19日13面「南海打線"記録デー"野村一五〇〇打点」毎日新聞縮刷版1972年4月p555
^ 読売新聞1972年4月22日11面「村山監督、投手に専念 試合の指揮は金田ヘッドコーチに」読売新聞縮刷版1972年4月p693
^ 毎日新聞1972年4月23日19面「6連勝ウソみたい 近鉄 鈴木コテンパン、さえぬ1500奪三振」毎日新聞縮刷版1972年4月p693
^ 毎日新聞1972年4月28日17面「ヤクルト猛打 白石に初黒星」毎日新聞縮刷版1972年4月p853
^ 毎日新聞1972年4月30日15面「またまたご披露"外木場特許"ノーヒットノーラン 『完全』含めて3度目 巨人脱帽 沢村以来の快記録」毎日新聞縮刷版1972年4月p915
^ “【4月29日】1972年(昭47) 伝説の右腕と2人だけ 外木場義郎3度目の大記録”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2009年4月11日). 2015年12月20日閲覧。
^ 毎日新聞1972年5月4日13面「走った!!走った!!福本5盗塁パ・リーグ新」毎日新聞縮刷版1972年5月p93
^ 毎日新聞1972年5月5日17面「ロッテ西田が千試合」毎日新聞縮刷版1972年5月p129
^ 毎日新聞1972年5月8日13面「四球気づかず三振」毎日新聞縮刷版1972年5月p181
^ 毎日新聞1972年5月11日13面「広瀬が盗塁550個目」毎日新聞縮刷版1972年5月p277
^ 毎日新聞1972年5月14日15面「大杉"超特急"200号 おまけだ201号」毎日新聞縮刷版1972年5月p381
^ 毎日新聞1972年5月21日15面「おめでとう梶本250勝」毎日新聞縮刷版1972年5月p605
^ 毎日新聞1972年5月28日15面「安仁屋が奪千三振」毎日新聞縮刷版1972年5月p835
^ 毎日新聞1972年6月1日13面「"愛妻ホーマー"月産15本のタイ記録」毎日新聞縮刷版1972年6月p13
^ 毎日新聞1972年6月7日15面「王、通算500号 不振一気に吹っ飛ばす」毎日新聞縮刷版1972年6月p195
^ 毎日新聞1972年6月10日17面「オレは"100勝"堀内胸張って」毎日新聞1972年6月p293
^ 毎日新聞1972年6月16日17面「国貞が1000試合」毎日新聞縮刷版1972年6月p473
^ 毎日新聞1972年6月18日15面「根本監督が"休養" 広島 代理には森永コーチ」毎日新聞縮刷版1972年5月p539
^ 読売新聞1972年6月23日11面「長島、400号を達成(史上3人目)15年目、高々と18号2ラン」読売新聞縮刷版1972年6月p745
^ 毎日新聞1972年6月24日17面「巨人"猛攻"の日本タイ 1イニング13点」毎日新聞縮刷版1972年6月p727
^ 読売新聞1972年6月25日11面「村山(阪神)五百試合登板」読売新聞縮刷版1972年6月p815
^ 毎日新聞1972年6月26日13面「尾崎クンに拍手 5年ぶり勝利 長く、つらい がまんの道」毎日新聞縮刷版1972年6月p779
^ 毎日新聞1972年7月2日15面「広瀬がプロ入り二千本安打」毎日新聞縮刷版1972年7月p51
^ 毎日新聞1972年7月3日15面「白がプロ入り百号」毎日新聞縮刷版1972年7月p71
^ 毎日新聞1972年7月5日13面「アルトマン8試合連続打点 パのタイ」毎日新聞縮刷版1972年7月p131
^ 毎日新聞1972年7月9日15面「ホームベースがすり切れちゃう? 野村1218得点 山内と並ぶ」毎日新聞1972年7月p277
^ 毎日新聞1972年7月9日15面「山本浩、連続九安打のセ新」毎日新聞1972年7月p277
^ 読売新聞1972年7月17日10面「堀内『千奪三振』飾れず 島谷(中日)に2ラン、森も拙守」読売新聞縮刷版1972年7月p542
^ 読売新聞1972年7月17日10面「江藤が千打点」読売新聞縮刷版1972年7月p542
^ 読売新聞1972年7月17日10面「東映張本は千得点」読売新聞縮刷版1972年7月p542
^ 読売新聞1972年7月17日10面「佐藤道が連続登板の日本新」読売新聞縮刷版1972年7月p542
^ 毎日新聞1972年7月21日13面「阪神 阪急 首位で後半戦へ」毎日新聞縮刷版1972年7月p633
^ 毎日新聞1972年8月2日16面「南海は73試合連続得点(パ・タイ)」毎日新聞縮刷版1972年8月p46
^ 毎日新聞1972年8月3日12面「1イニング2ホーマー 大島 猛攻の口火と満塁」毎日新聞縮刷版1972年8月p76
^ 毎日新聞1972年8月5日12面「池辺が通算100号」毎日新聞縮刷版1972年8月p136
^ 毎日新聞1972年8月9日13面「山本一が150号」毎日新聞縮刷版1972年8月p247
^ 毎日新聞1972年8月15日13面「外木場が千三振奪取」毎日新聞縮刷版1972年8月p425
^ 毎日新聞1972年8月20日15面「張本が二千本安打」毎日新聞1972年8月p577
^ 毎日新聞1972年8月21日15面「王が11年連続30号」毎日新聞1972年8月p597
^ 毎日新聞1972年8月28日17面「福本 一気に"足の日本新" 3盗塁決め『87』 16年ぶり河野の『85』更新」毎日新聞縮刷版1972年8月p821
^ 毎日新聞1972年8月30日12面「5死球の新記録」毎日新聞縮刷版1972年8月p884
^ 毎日新聞1972年8月31日16面「パ・リーグ初の離れ業 代打・満塁・サヨナラ 今井(東映)価値ある1号」毎日新聞縮刷版1972年8月p918
^ 毎日新聞1972年9月1日14面「別当・大洋監督が休養 優勝の望み消え引責 代行に青田コーチ」毎日新聞1972年9月p14
^ 毎日新聞1972年9月1日14面「松原が150号」毎日新聞縮刷版1972年9月p14
^ 毎日新聞1972年9月2日14面「ロッテ・監督さんはクヨクヨせぬが 生まれて初めて9連敗」毎日新聞縮刷版1972年9月p50
^ 読売新聞1972年9月4日9面「福本、『100』にあと5 長池は通算二百号 阪急、西鉄と引き分け」読売新聞縮刷版1972年9月p111
^ 毎日新聞1972年9月8日16面「張本、5人目の350号」毎日新聞縮刷版1972年9月p226
^ 毎日新聞1972年9月14日17面「柴田が400盗塁 4人目」毎日新聞1972年9月p417
^ 読売新聞1972年9月20日11面「やった!王、高々と日本新 6試合連続ホームラン 初回、山本和から41号」読売新聞縮刷版1972年9月p645
^ 読売新聞1972年9月20日15面「巨神の甲子園、爆弾騒ぎ 予告電話に12分間中断」読売新聞縮刷版1972年9月p649
^ 読売新聞1972年9月21日11面「O砲『7試合連続』アーチ 村山のフォーク一撃 またも初回"予告"の42号」読売新聞縮刷版1972年9月p681
^ 毎日新聞1972年9月21日17面「有藤が通算100号」毎日新聞縮刷版1972年9月p607
^ 日本経済新聞1972年9月22日21面「全会一致で二リーグ制維持 パ・オーナー懇談会」日本経済新聞縮刷版1972年9月p747
^ 読売新聞1972年9月24日11面「尾崎千奪三振で2勝 東映ー南海、星を分ける」読売新聞縮刷版1972年9月p781
^ 読売新聞1972年9月24日11面「青田代行倒れる」読売新聞縮刷版1972年9月p781
^ 読売新聞1972年9月25日11面「宮崎代行を正式発表」読売新聞縮刷版1972年9月p813
^ 毎日新聞1972年9月27日17面「阪急ゴール 2年連続5度目」毎日新聞縮刷版1972年9月p799
^ 読売新聞1972年9月27日1面「阪急が連続優勝 パ・リーグ」読売新聞縮刷版1972年9月p875
^ 毎日新聞1972年9月27日17面「福本世界新」毎日新聞縮刷版1972年9月p799
^ 毎日新聞1972年9月28日17面「遠井が千五百試合」毎日新聞縮刷版1972年9月p835
^ 日本経済新聞1972年9月29日21面「野村、550ホーマー達成 対阪急戦水谷から 1号から17年目」日本経済新聞縮刷版1972年9月p987
^ 毎日新聞1972年10月2日15面「栄光の11人目 クレメンテ3000本安打」毎日新聞縮刷版1972年10月p39
^ 読売新聞1972年10月4日10面「藤田平口火の100号 阪神爆発 中日の7連勝はばむ」読売新聞縮刷版1972年10月p116
^ 毎日新聞1972年10月4日13面「大杉39号、長池と並ぶ 泣くな東尾、“健投”25敗(パ・最多)」毎日新聞縮刷版1972年10月p131
^ 読売新聞1972年10月8日1面「巨人 セ・リーグ8連勝 阪急と5たび日本一争い」読売新聞縮刷版1972年10月p267
^ 毎日新聞1972年10月8日15面「巨人が8連覇 お待たせ阪急さん 五度目の対決」毎日新聞縮刷版1972年10月p243
^ 読売新聞1972年10月10日11面「野村、プロ最多出場 18年間で山内抜く2236試合」読売新聞縮刷版1972年10月p341
^ 読売新聞1972年10月10日11面「南海、2位死守」読売新聞縮刷版1972年10月p341
^ 毎日新聞1972年10月11日12面「東映の白、千本安打」毎日新聞縮刷版1972年10月p312
^ 毎日新聞1972年10月14日13面「『ライオンズ残して』首筋寒い…選手陳情」毎日新聞縮刷版1972年10月p413
^ 毎日新聞1972年10月16日15面「セ・リーグ終わる」毎日新聞縮刷版1972年10月p473
^ 毎日新聞1972年10月17日17面「パ・リーグも終了 勝率1位 佐藤道滑り込む」毎日新聞縮刷版1972年10月p505
^ 読売新聞1972年10月17日11面「沢村賞は堀内に 2度目 買われた優勝貢献」読売新聞縮刷版1972年10月p585
^ 毎日新聞1972年10月17面「別当広島監督が正式契約」毎日新聞縮刷版1972年10月p539
^ 読売新聞1972年10月21日11面「パ・リーグ、6球団制ピンチ 西鉄、解散の非常事態 頼みの買い手 キャンセル」読売新聞縮刷版1972年10月p729
^ 読売新聞1972年10月21日11面「東映も身売り」読売新聞縮刷版1972年10月p729
^ 読売新聞1972年10月21日夕刊10面「東映球団買い取りパイオニア断る」読売新聞縮刷版1972年10月p752
^ 日本経済新聞1972年10月21日夕刊11面「パイオニア、東映買収断る」日本経済新聞縮刷版1972年10月p759
^ 読売新聞1972年10月29日1面「巨人が八年連続日本一」読売新聞縮刷版1972年10月p1009
^ 読売新聞1972年10月29日11面「新ライオンズ誕生 稲尾監督、就任を受諾」読売新聞縮刷版1972年10月p1019
^ 読売新聞1972年10月30日11面「最優秀選手 堀内、福本が初受賞 新人王は安田(ヤクルト)加藤初(西鉄)」読売新聞縮刷版1972年10月p1051
^ 読売新聞1972年11月2日10面「阪急、来季のコーチ陣きまる スペンサーは退団」読売新聞縮刷版1972年11月p46
^ 日本経済新聞1972年11月3日20面「『11』を永久欠番に 村山、阪神を正式に退団」日本経済新聞1972年11月p96
^ 読売新聞1972年11月3日11面「二シーズン制再燃 パ・オーナー懇 中村氏ら強く主張」読売新聞縮刷版1972年11月p83
^ 読売新聞1972年11月10日19面「閉幕を一週間延長」読売新聞縮刷版1972年11月p327
^ 読売新聞1972年11月11日19面「大沢ロッテ監督退団 契約3年残し」読売新聞縮刷版1972年11月p363
^ 読売新聞1972年11月15日19面「大洋新監督に青田氏」読売新聞縮刷版1972年11月p503
^ 読売新聞1972年11月18日19面「金田監督スタート 派手に就任あいさつ」読売新聞縮刷版1972年11月p611
^ 読売新聞1972年11月21日19面「パの2シーズン制正式決定 前・後期65試合ずつ 代表決定戦は5回戦で」読売新聞縮刷版1972年11月p715
^ 毎日新聞1972年12月1日17面「岡本二軍監督が辞意」毎日新聞縮刷版1972年12月p17
^ 読売新聞1972年12月12日19面「一球団一都府県に プロ野球実行委 フランチャイズ改正」読売新聞縮刷版1972年12月p407
^ 読売新聞1972年12月16日19面「鬼頭、安田(大洋)と小山(ロッテ)交換」読売新聞縮刷版1972年12月p551
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