ヘラクレイオス王朝




ヘラクレイオス王朝(-おうちょう ギリシア語: Δυναστεία του Ηρακλείου)は、東ローマ帝国中期の王朝(610年 - 711年。695年 - 705年は一時中断)。





コンスタンス2世の治世初期(650年)の東ローマ帝国(緑色部分)。


610年にアルメニア系貴族ヘラクレイオスが、フォカスを倒して皇帝に即位。以後5人の皇帝が続いたが、失政が続いたユスティニアノス2世が694年にクーデターで追放され一時血統が断絶。11年後にユスティニアノス2世が復位したものの、クーデターの関係者への復讐に没頭し、虐殺が行われたために国政が混乱。陸海軍が反乱を起こしてユスティニアノス2世は殺害され、ヘラクレイオス王朝は完全に断絶した。


この時代の東ローマ帝国は、ヘラクレイオスの晩年以降イスラム帝国軍の侵攻を受けて、シリア・パレスチナ・北アフリカを奪われ、674年-678年には首都コンスタンティノポリスをイスラム海軍に毎年包囲され、さらにバルカン半島へ侵入したブルガール人がブルガリアを建国するなど、帝国の領土が急激に縮小し、滅亡の危機に陥った。


またヘラクレイオスが公用語をラテン語からギリシア語へと改め、地方制度も属州制からテマ制へ改められるなど、東ローマ帝国が地中海地域の覇権を失って、バルカン半島・小アジアを中心とする、ギリシア人の国に転換していったのがヘラクレイオス王朝時代である。



ヘラクレイオス王朝皇帝一覧























































皇帝の名前 在位年 備考
ヘラクレイオス
610年 - 641年
カルタゴ総督ヘラクレイオス(親子同名)の息子
コンスタンティノス3世 641年 ヘラクレイオスの先妻の息子
ヘラクロナス 641年 ヘラクレイオスの後妻の息子

コンスタンス2世“ポゴナトス(髭の)”

641年 - 668年
コンスタンティノス3世の息子
コンスタンティノス4世
668年 - 685年
コンスタンス2世の息子

ユスティニアノス2世“リノトメトス(鼻削がれ男)”

685年 - 694年
コンスタンティノス4世の息子

クーデターでユスティニアノス2世が追放され、一時血統断絶
(レオンティオス)
695年 - 698年
テマ・ヘラスの長官
(ティベリオス3世)
698年 - 705年
海軍の軍人

ユスティニアノス2世が復位

ユスティニアノス2世“リノトメトス(鼻削がれ男)”

705年 - 711年
処刑され、血統断絶


系図
















































































































































 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エウドキア
 
ヘラクレイオス
 
マルティナ
 
テオドロス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コンスタンティノス3世
 
ヘラクロナス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コンスタンス2世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コンスタンティノス4世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ユスティニアノス2世
 


関連項目


  • ローマ皇帝一覧






先代:


ユスティニアヌス王朝



東ローマ帝国

ヘラクレイオス王朝


次代:


イサウリア王朝





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