ブーゲンビル島


























ブーゲンビル島

BougainvilleBukaandNeighbourhood.png


Papua new guinea north salomons province.png
所在地
パプアニューギニア
面積
9,318 km²
海岸線長
- km
最高標高
2,715 m

Project.svg プロジェクト 地形
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ブーゲンビル島(ブーゲンビルとう、Bougainville Island)は、パプアニューギニアの島。島全体がブーゲンビル自治州に属している。島名はフランスの探検家ブーガンヴィルから命名された。




目次






  • 1 地理


  • 2 文化


    • 2.1 住民


    • 2.2 言語


    • 2.3 産業


    • 2.4 治安




  • 3 歴史


  • 4 日本との関係


  • 5 脚注


  • 6 関連項目


  • 7 外部リンク





地理


ニューギニア島の東に位置し、国では無い地理区分としてのソロモン諸島の中で、最大の面積を誇る(10,049km2)。火山性の島で、最高地点は3100mのバルビ山。


主要都市は、アラワ、ブイン。



文化



住民




ブーゲンビル島、ソロモン諸島の言語分布。
赤:北ブーゲンヴィル語族、青:南ブーゲンヴィル語族、緑:中央ソロモン語族(英語版)、灰色:オーストロネシア語族


オーストロネシア語系のメラネシア人が中心である。ブーゲンビルクライシスを契機にブーゲンビル人以外は住めなくなった。過去には、主にBCL(ブーゲンビル銅鉱山)、その関連の仕事や州政府などに従事していた人(PNGの中でもブーゲンビル以外の出身者)がいたがほとんどいなくなった



言語


この島では英語、ピジン英語(トク・ピシン)の他、オーストロネシア語系のハリア語(英語版)テオプ語(英語版)バノニ語(英語版)北ブーゲンヴィル語族(英語版)のロトカス語やクヌア語(英語版)、また南ブーゲンヴィル語族(英語版)ブイン語(英語版)モトゥナ語(英語版)ナーシオイ語(英語版)などが話されている。



産業


長期に渡る内戦のためインフラは疲弊しており、政治経済の中心は島の北にあるブカ島に移っている。本島ではコプラやコーヒーの生産が中心だが、銅山の開発も進められている。



治安


2013年9月、国際連合開発計画、国際連合人口基金、UNウィメン、国連ボランティア計画の4つの国連組織が調査した結果、ブーゲンビル島の40.7%の男性が、女性を強姦したことがあると答えた。自分のパートナーも含めた場合、その割合は62.4%となる。また、23%の男性は、14歳以下の時に初めて強姦をしたと回答した。さらに、その7割以上の者が法的責任を問われずに生活している[1]



歴史





ブインに展開する瑞鶴飛行隊(1943年初頭)


1768年、世界周航の探検を行っていたフランスの探検家ブーガンヴィルがこの島の沿岸を航海し、のちに彼の名前が島につけられた。


1885年にドイツ帝国の植民地となり、ドイツ領ニューギニアの一部となる。その後第一次世界大戦に伴い、1914年にオーストラリアが占領するも、1918年から国際連盟によりオーストラリアの委任統治領となる。


第二次世界大戦中は、アメリカ合衆国、オーストラリア、日本などによって占領される。ブーゲンビル島はアメリカ陸軍航空軍(USAAF)、オーストラリア空軍(RAAF)、ニュージーランド空軍(RNZAF)の各軍にとって重要な航空基地となる。


1943年4月18日、前線の視察に向かう連合艦隊司令長官山本五十六が、この島の上空で搭乗機をアメリカ陸軍航空隊P-38戦闘機に撃墜され、戦死する事件が起こる(海軍甲事件)。同年11月2日には島にアメリカ軍が上陸し、以後終戦まで戦闘が続いた(ブーゲンビル島の戦い)。結果として多数の死者を出した為、日本ではブーゲンビル島(当時は「ボーゲンビル島」と表記された)を指して墓島と呼ぶ者も現れた。


その後国際連合の働きかけにより、1975年にパプアニューギニアの一部として独立を果たす。


しかし同年、「北ソロモン共和国」(または「ブーゲンビル共和国」)を国名とする分離独立運動が起きる。この背景には島にある世界最大級の銅山、パングナ銅山を巡る事情が絡んでいる。当時の銅山は「ブーゲンビル銅鉱会社(Bougainville Copper Limited)」という形でオーストラリアの実質的な支配下にあり、島の住民が補償を求めて抗議運動を起こし、それが引き金となったのである。


1988年、島の分離独立を求めるブーゲンビル革命軍(BRA)は銅山妨害の運動を開始し、翌年に銅山は暴動を受けて閉鎖に追い込まれる(ブーゲンビル銅鉱会社は現在、リオ・ティント・グループが保有しており、パプアニューギニア政府と操業再開の交渉を行っている)。BRAは地理的に近いソロモン諸島の支持も受けてパプアニューギニア政府との内戦(英語版)を展開するが、1998年、オーストラリアとニュージーランドの仲介の下、政府と停戦に合意する。


2005年6月15日に初の自治政府が設立され[2]、ジョセフ・カブイ(en:Joseph Kabui)が大統領に就任する。同年7月25日には、分離独立運動のリーダー、フランシス・オナ(en:Francis Ona)が病死した。またカブイ大統領は2008年6月7日心臓発作のため亡くなった(54歳)。現職はジョン・モミス(英語版)


2019年に独立を問う住民投票がなされる予定である。[3]



日本との関係


2006年10月、ジョセフ・カブイ大統領、ニック・ペニアイ議会議長、アルバート・キナニ領土開発長官、デニス・クイニ儀典長の4名がブーゲンビル自治政府として初来日。浅草観光や靖国神社参拝、トヨタ工場見学などを行った。



脚注


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  1. ^ “レイプ経験者が6割の地域も…国連「アジア太平洋6カ国の性暴力」驚きの調査結果”. 産経新聞. (2013年9月13日). http://sankei.jp.msn.com/wired/news/130913/wir13091314300001-n1.htm 2013年9月13日閲覧。 


  2. ^ “パプアニューギニア 感染・スポット・危険情報”. 外務省. 2013年8月16日閲覧。


  3. ^ ブーゲンビル独立国民投票日決まる(パプアニューギニア)




関連項目


  • ブーゲンビル島の戦い


外部リンク







  • Bougainville Copper Project

  • Bougainville Updates

  • ブーゲンビル銅鉱会社(Bougainville Copper Limited)公式HP


  • UN Map #4089 国際連合が発行した、ブーゲンビル島とその周辺の地図。PDF形式




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