もんじゃ焼き
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もんじゃ焼き(もんじゃやき)は、ゆるく水溶きした小麦粉を鉄板で調理して食べる東京近郊のローカルフードである。
単にもんじゃと呼ぶほか、地域によって異なるさまざまな呼称がある(後述)。
目次
1 概要
2 歴史
2.1 源流
2.2 駄菓子屋ともんじゃ焼き
2.3 どんどん焼き・お好み焼きとの関係
3 呼称
4 東京のもんじゃ焼き
4.1 月島
5 群馬のもんじゃ焼き
6 足利もんじゃ(栃木のもんじゃ)焼き
7 埼玉のもんじゃ焼き
8 讃岐のもんじゃ焼き
9 作り方
9.1 材料
10 道具
11 関連商品
12 脚注
13 関連項目
14 外部リンク
概要
いわゆる「粉もの」料理の一つで、小麦粉を水に溶き、鉄板の上に流して焼く料理である。お好み焼きに似た食べ物であるが、生地の粉液比が非常に低いうえに、ソースなどの調味料を一緒に混ぜ込んでしまうため、加熱後の鉄板上においても糊状で固形化しないのが特徴である。鉄板にへらで押さえつけて焼きながら食べるので、鉄板に接する部分は程良く焦げた状態で歯ごたえもあるが、押さえつけによる加熱が足りない部分などは粘状となる。
現在は、東京の下町と埼玉県南部・東部、群馬県東部と栃木県南部に店が多い。
歴史
文政2年(1819年)刊の『北斎漫画』に「文字焼き屋」の挿絵があり、この時代既に江戸にもんじゃ焼きに類するものがあったことがわかっている。焼くときにタネで文字を書いて遊んだことから「文字(もんじ)焼き」と呼ばれ、これが訛って「もんじゃ」となったとされる。
現在に繋がるもんじゃ焼きのスタイルは戦後の昭和20年代に誕生し、東京都台東区浅草近辺が発祥地とされる事が多いようである。当時盛んであった隅田川の物流、近代開通した地域の大動脈である東武伊勢崎線、旧奥州街道である国道4号などの集積地であるこの付近を基点に、関東の他の地域に伝播したと言われている(異説もあり。群馬のもんじゃ焼き参照。)[1]。
源流
日本における粉物料理の元祖は、安土桃山時代の「麩の焼き」であるとされる。
麩の焼きとは、巻いた形が巻物経典を彷彿とさせる事から、仏事用の菓子として使われていたもので、茶会の茶菓子として千利休が作らせていたという。
その「麩の焼き」が江戸に伝わり、寛永年間に、麩の焼きに使われていた味噌に替えて餡を巻く「助惣焼」ができた。
助惣焼はあんこ巻きと名を変えて、現在も東京のお好み焼き屋やもんじゃ焼き屋で提供されている。
清水晴風の「街の姿[2]」には「文字焼はうどんの粉に蜜を入れて、溶解せしを子供に与え、小なる匙にて文字を書くが如く、自由に銅板の上に垂らせば、直ぐに焼けるを以て文字焼と言う。」と書かれている。また、森銑三の「明治東京逸聞史2[3]」にも「饂飩粉に蜜を加えたものを、銅の板の上で、手ン手に焼いて食べる」とあり、江戸時代や明治時代の文字焼きは現在とは異なり甘味のある駄菓子であったことがわかる。
駄菓子屋ともんじゃ焼き
東京・下町の駄菓子屋には、昭和40年代ころまでは大抵もんじゃ焼きの鉄板があった。
昭和20年代は物資が欠乏していたため、単にうどん粉を水で溶き、味付けしただけのものが多かったが、昭和30年代も中頃をすぎると、キャベツを始め、切りイカなど具の種類も増えていった。もんじゃ焼きは東京の子供達に広く親しまれていたが、駄菓子屋そのものの減少に加えて、食文化や嗜好の変化もあって、提供する店が激減している。
近年、もんじゃ焼きは東京下町の伝統的な食べ物として全国的に認知されるようになるも、世相の隆盛により客層が観光客やサラリーマンなどに代わったことで単価の上昇を招いだ結果、子供たちの小遣いで手の届く価格帯ではなくなってしまった。それでも下町の一部にはまだ1杯あたり80円 - 300円といった昔ながらの価格で提供する駄菓子屋もんじゃも残存している。
どんどん焼き・お好み焼きとの関係
大正時代にもんじゃ焼きから派生したどんどん焼きが生まれ、そしてどんどん焼きは関西に一銭洋食との名で広まり、それがお好み焼きやたこ焼きに発展していった[1][4][5][6]。
呼称
東京の年配者の間では「もんじゃ焼き」ではなくもっぱら「もんじゃ」と呼ばれることが多い。これを「もんじやき」の訛り、省略形と解釈するならば、現在一般的となっている「もんじゃ焼き」という表現は重言となる。
「もんじゃ」以外の呼び方としては、以下のようなものがある[7][8]。
- もじ焼き
- もんじ焼き
- じじ焼き
- 水焼き
- ぼったら焼き(川口、浦安など)
- おいの
東京のもんじゃ焼き
都内全域に分布しているわけではなく、古くからの店が残るのは墨田区・江東区・台東区・葛飾区・足立区・荒川区等の下町に限られる。山の手地区においても繁華街でもんじゃ焼きを提供する店は確認できるが、歴史もなく浸透度は低い。観光地として有名なのは、月島と浅草である。
月島
東京都中央区月島の「西仲通り商店街」は「もんじゃ焼きの街」「もんじゃストリート」と呼ばれ観光客で賑わう。月島には現在もんじゃ屋が75店ほどあるが、歴史のある店は数店であり、ほとんどは1980年代後半の「もんじゃブーム」で他の商店からくら替えしたものである。大半の店はもんじゃ焼きだけではなくお好み焼きも提供している。「いちごみるくもんじゃ」などアレンジされたもんじゃを提供している店もある。
群馬のもんじゃ焼き
キャベツ以外の具の量は少なく、焦がして食べる事も少ない。「発祥地は群馬であり特産品のうどんを作った際の余りのうどん粉を水で溶いて焼いたのが起源」としているが、東京の浅草を基点とする東武伊勢崎線により、途中埼玉に伝播しつつ、群馬に伝わったともされている。伊勢崎市では、こどもがおやつ代わりにうどんの打ち粉を水で溶き、醤油を加えて鉄板で焼いたものが「伊勢崎のもんじゃ焼き」のルーツとされる[9]。その当時は貧しい家が多くソースが家庭に無かったため、醤油以外にかき氷に使われるイチゴシロップやカレー粉を入れることがあり、それが現在も隠し味としてイチゴシロップを入れた「あま」、カレー粉を入れた「から」、両方を入れた「あまから」として存在する。
足利もんじゃ(栃木のもんじゃ)焼き
駄菓子屋のもんじゃと同様に、小麦粉と水のみの水気の多いネタを使いクレープのように薄く焼いて食べる。焦がすことはないが、食べた跡を放置して「せんべい」として食すこともある。もんじゃ焼きの語源の一つと言われる「文字焼き」の逸話として「寺子屋で文字を教える際に、薄く焼いた小麦粉の生地に文字を書いた」がある。しかし日本最古の大学、坂東の大学と評された足利学校と関連付けた資料はほとんどない。足利もんじゃには醤油味・ウスターソース味があるが、月星ソース(月星食品)の本社が足利市にあり、昭和後期の太田・佐野・足利周辺のイモ・小麦粉+ウスターソース文化(シュウマイもウスターソースで食す)の影響により、醤油味からウスターソース味が派生したとも考えられる。現存するもんじゃ焼屋は少なく、その中でも多くは「月島もんじゃ」も扱うが、今でも地域由来の家庭ではこの足利もんじゃをおやつとして出すこともある。
埼玉のもんじゃ焼き
久喜市をはじめ各地で食べられており、1970年(昭和45年)頃の川越では駄菓子屋に鉄板のテーブルがあり、もんじゃ焼きは子供たちのおやつであった。
また、川口市の幸町、青木町あたりを中心として、1980年代(昭和年間)くらいまでは数店の駄菓子屋で提供されていた。川口においても呼称は『もんじゃ』ではなく、もっぱら『ぼったら』と呼ばれていた。
しかし、店主の高齢化などにより駄菓子屋自体が減少し、今ではほとんど見られなくなった。
讃岐のもんじゃ焼き
讃岐うどんで有名な香川県には「讃岐のもんじゃ焼き」などと呼ばれる料理がある。具としてご当地グルメの讃岐うどんが入っている事が大きな特徴である。「第二次世界大戦後の食糧難の時期に少量の讃岐うどんでボリュームある料理を作ろうと高松市内の居酒屋が考案した」などとされているが根拠に乏しく、また香川県内での知名度も殆ど無い[10]ことから、近年のB級グルメブームに乗って創作されたものと思われる[11]。
作り方
一般的な作り方。
- 水で溶いた小麦粉と具をすべて混ぜる。
- 加熱して油を引いた鉄板に、まず具だけを載せて焼く。
- 具がある程度温まったら、広がらないように土手を作って汁を流し入れる。
- よく混ぜて一体化させ、ヘラ(はがし)で鉄板に具を押し付けて焦がしながら食べる。
材料
- 生地 - 水、小麦粉、うま味調味料あるいはだしの素など
- 調味料 - ウスターソース、醤油など
- 野菜 - キャベツのみじん切り、紅しょうがなど
- 乾物 - 揚げ玉、青のり、切りいか、魚粉、桜えびなど
- 生もの 挽肉そぼろ、明太子、生イカ、ツナ缶など
- その他 餅、チーズ、ラメック(ラーメン菓子)など
味付けにカレー粉などを用いることもある。鶏卵は基本的に用いないが、オプションとして追加されることもある。
道具
もんじゃをはがすための「へら」は、「こて」あるいは「はがし」と呼ばれることもある。幅20-30mm、長さ10-15cmのステンレス製で、お好み焼き用のヘラよりもかなり小さい。東京・合羽橋道具街などの問屋街や100円ショップなどで販売されている。
ホットプレートで調理する場合は、ステンレスのヘラを使うとテフロンなどのコーティングを剥がしてしまうことがあるため、竹製や木製の道具を使用する場合がある。
関連商品
ユニオンソース - 東京ではこの銘柄のソースを使用するもんじゃ屋が比較的多い。
ラメック - 東京の下町でラーメン菓子の代名詞となっていたトッピングの定番。製造中止となったが業務用としては流通しており、一部のもんじゃ屋では用いられている。
ベビースターもんじゃ焼き - おやつカンパニーの地域限定商品。袋麺の様なパッケージに、発泡スチロールのトレイと食品が入っており、湯または水で練って食べる。- ベビースターもんじゃ焼きせんべい - おやつカンパニーの地域限定商品。そのまま食べる菓子。
- 月島もんじゃまん - ファミリーマートで限定販売している中華まんの一種。もんじゃ焼きの具が入っている。
脚注
- ^ ab種の起源
^ 『街の姿<江戸編> 晴風翁物売り物貰い図譜』 太平書屋、1983年。ASIN B000J7CYDU。
^ 森銑三 『明治東京逸聞史2』 平凡社、1969年。ISBN 4582801420。
^ 2013年8月16日 JB PRESS「関西風」のルーツは東京だった!花柳界と切り離せないお好み焼きの黎明期 (3/5)
^ 2013年8月16日 JB PRESS「関西風」のルーツは東京だった!花柳界と切り離せないお好み焼きの黎明期(4/5)
^ 2015年10月08日 WEB歴史街道(PHP) 広島vs.大阪!? お好み焼きのルーツ【後】
^ 岡田哲 『たべもの起源事典』 東京堂出版、2003年、453頁。ISBN 4490106165。
^ 埼玉県川口市や草加市と、ごく一部足立区では「ぼった」「ぼってら」千葉県浦安市近辺の一部地域では昔から「のいお」と呼ぶ。浦安の「ぼったら」は、もんじゃ焼きとはやや異なり、固めでもちもちしている。
^ 第51回 群馬ご当地グルメ(その1) 伊勢崎もんじゃは、こんな「もんじゃき」
^ http://neoretro.blog96.fc2.com/blog-entry-1647.html
^ 「今週コレ知っとこ! 日本全国 ご当地まかないグルメ」(MBS制作・TBS系列『知っとこ!』2009年1月10日放送)
関連項目
- お好み焼き
- どんどん焼き
あんこ巻き - 助惣巻を原型とする菓子
瞳 - 東京都中央区月島が舞台。主要な登場人物にもんじゃ屋を営む兄弟がおり、劇中、主人公たちがもんじゃ焼きを食するシーンが頻繁に登場する。- 『Monja』 - 大仁田厚原作・監督・主演の2006年の映画。月島商店街町おこしの映画でもある。
外部リンク
- 浅草のもんじゃ焼き紹介サイト
- 月島もんじゃ振興会 公式サイト